松茸の宝庫だった鷲林寺
小学校低学年の頃、というから昭和40年代中頃のおはなしです。祖父(鷲林寺先代住職)に連れられて、お寺の裏山に行ったことがあります。季節は秋・・・
「ほら、あの松の根元を見てごらん」
祖父が指差すところを目をこらして必死に見ますが私には枯葉しか見えませんでした。祖父がその枯葉をそっと取り除きました。するとそこには笠のまだ開かない立派な松茸がありました。松茸から香るにおいは、数十年経った今でもほのかに覚えています。
鷲林寺近辺は、昭和40年代頃までは松茸の宝庫でありました。祖父の話では、昭和30年代前半頃までは、お寺のまわりでもたくさん採れたということです。山を一周すると、着物の両方のたもとは松茸で一杯になったということです。今では想像もできないおはなしです。
また、こんなおはなしを聞いたことがあります。今から約10年ほど昔、当時90才になるおばあさんから聞いたことです。ですから、今から100年近く前のおはなしです。おばあさんが小学生だった頃、鷲林寺地区の近くには学校がありませんでした。村の子供達は里の学校まで通学していました。片道2時間は余裕でかかる距離です。ある秋の日、学校からの帰り道での出来事です。鷲林寺村近くの松林で道草していると、松茸がたくさん出ているのを見つけたそうです。ひとつ採り、ふたつ採りしていると、気がつけばカバン一杯に松茸があふれていました。もうこれ以上入らないくらいつめこんで家に帰ったそうです。
「お母さん、松茸採ってきた」
そう言うと
「松茸なんか採ってきて・・・どこかに捨ててきなさい」
と叱られたそうです。
今では考えられないおはなしです。

昭和50年代から松茸が採れなくなったといいます。その理由として次の3点があげられています。
@松くい虫の異常発生で赤松が枯れてしまった。
A一般家庭にガスなどが供給されるようになり、枯れ枝・枯葉などを燃料として使わなくなった。(枯れ枝・枯葉を取ることで山の掃除となった)
Bマナーの悪い人間が山に入って、山を汚してしまい松茸の生息する環境を破壊してしまった。

松茸は、今のところ人工栽培はできません。鷲林寺の裏山にふたたび松茸が生える日がくるのでしょうか・・・

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