袈裟(けさ)とは?

「坊主にくけりゃ袈裟まで憎い」というように、お坊さんと袈裟は切っても切れない関係にあります。では、袈裟とは一体何なのでしょうか?
仏教はインドから起りましたから袈裟もインドのものです。残念ながら、お釈迦さまの時代の袈裟と、いま使われている袈裟は、実物も袈裟に対する考え方もまったく変ってしまっています。これは、インドでは日常の実用的な衣服として使われてきましたが、中国や日本では気候が寒いため衣(ころも)の上に着るようになりましたので、それは実用的な衣服ではなく、お坊さんの装束(しょうぞく)のひとつと考えられるようになりました。たんなる装束ならば、美しく荘厳で見栄えがよい方がいいという勝手な考え方から代えられていったのです。
袈裟はもともと衣服でありますが、それはたんなる衣服ではなく「仏さまの衣服」であり「仏さまの教えそのもの」であるといえますから勝手に変えることは許されないのです。しかし、現在の日本で使われる袈裟は、もともとの袈裟とは大きくかけ離れたものになってしまいました。

お釈迦さまがさとりを開かれたとき、袈裟というものは身につけておられませんでした。仏弟子と一般の人が見間違えられることもしばしばありました。それがもとで仏弟子(ぶつでし)専用の袈裟が考えられるようになりました。インドの服装は一般的に現在とほぼ変らないもので、右肩をはだぬぎ、大きな四角の布をぐるぐると体に巻きつけていました。
お釈迦さまがさとりを開かれたあと、一般の人たちと異なった衣服が必要となり袈裟というものが生まれました。では、どのようなところで違いをつけたのかと申しますと、

1) 一枚の布を幾枚かの布片に切断して、さらにこれを縫い合わせてこれを衣服にする。(一度切断されたものは誰もほしがりません。盗難にもあわないし、同時に人間のおもわくをも断ち切るという意味があります)
2) 一般ではもちいられている色(原色・特に白色)は避け、袈裟ににふさわしい色に染める。ただし、これはめだつという意味ではありません。

わたしたちは、色や質や形という表面的な美しさにとらわれがちです。世間ではそれが当たり前のことで、そういったものを追求することは決して悪いことではありません。しかし、それは「ねたみ」「あなどり」「おごり」「ぬすみ」などのあやまちに発展する恐れがあります。仏弟子の衣服として、わずかな罪をもおかさないように工夫されたのが袈裟なのです。


かたち
布をはぎあわせ、四角形のものにします。


お釈迦さまの時代のインドの人は白い一枚の布を体にまとい衣服としていました。その人たちと区別するためには白色以外ならば何色でもよいのですが、「ねたみ」「おごり」などをひきおこすようなハデな色はさけるということで袈裟色というものができました。

材質
布ならばよいのですが、やはりわたしたちは白゛知らず野うちにその材質のよしあしにひっかかってしまうものです。常に人の心をみださないように、ひかえめに材質も選ぶこととなっております。

縫い方
袈裟は必ずかえし針で縫います。むかし、真縫いにしていた仏弟子の袈裟の縫い糸がひっぱつてほどかれて、大勢の前で恥をかかされたということがありました。それ以降、かえし針にするように定められました。

枚数
「三衣一鉢」(さんねいっぱつ)といいますが、仏弟子は三枚の袈裟を持ちます。それは安陀会(あんだえ)・鬱多羅僧(うったらそう)・僧伽梨(そぎゃり)の三種類です。この三枚の袈裟のことを三衣(さんね)といいます。インドでは、どんなに寒い日でもこの三枚があればじゅうぶん絶えることができるということで、インドの気候よりうまれた三枚という数なのです。

用途
日常生活では、その用途によってそれぞれ衣類をわけているのと同じように、たとえ質素な生活を旨とする仏弟子でも、最低のみだしなみとして用途に分けて袈裟をつけました。それが
1、安陀会(あんだえ)・・・仕事着
2、鬱多羅僧(うったらそう)・・・普段着
3、僧伽梨(そぎゃり)・・・晴れ着
なのです。

糞掃衣(ふんぞうえ)
こういった意味をふまえて、袈裟の内容を最高度にあらわしたものを糞掃衣(ふんぞうえ)といいます。
糞掃(ふんぞう)とは、はきだめという意味ですなわちいらなくなって捨てられたボロをいいます。人のおしみのかからないボロ布を拾って、丈夫そうなところを切り取り、綺麗に洗って、さらにそれを縫い合わせて袈裟にするのです。いらなくなったものを生かして活用して作られた袈裟が、仏法においては一番価値のある袈裟となるのです。

中国・日本の実情
ところが、中国や日本では規定の三衣だけでは寒さを防げません。そういった理由から、その下に衣を着けるようになりました。三衣はだんだん形式化され、儀式用の法衣の名称となり、さらに極彩色をほどこした華美な袈裟もあらわれてきました。安陀会(あんだえ)・鬱多羅僧(うったらそう)・僧伽梨(そぎゃり)はそれぞれに形を変えていき、金襴などを使って華麗なものに変形していきました。そして、その値段は驚くほどの高価なものになり、お坊さんもびっくりする値段になっています。

袈裟の梵語はカサーヤといい、音写して「袈裟」といいます。

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