高野山 勧学会
高野山の寺院に弟子入りした小僧が得度して一人前に読経もできるようになると、学侶として教学を学ぶお仲間に入れてもらうことを「交衆」(きょうしゅう)という。「交衆」を許されたものは、木綿黒色の法衣に白袈裟の着用が許されるのである。 「交衆」が許されると師僧に連れられて総本山金剛峯寺の重役に客殿でお目にかかる。 「何々院の弟子に相違ないか」 と確認を受ける。 交衆を許された者の最初の位は「衆分」という。この交衆の間に、読経・声明・教理を学んだり、修行を終えて、色々な法会に出仕する義務がある。わけて学道を修めなければならないので、適当な時期に「勧学会」(かんがくえ)の行事に加わらなければならない。それを競望(きょうぼう)という。 勧学会は旧暦8月21日に早朝より勧学院にて修行され、さらに旧暦9月1日に「翌日問者」の儀、2日 登堂出仕ならびに一揩フ事(いちろうのこと)が執行される。そして3日には竪精大明神渡御の儀がある。高野山ではこれらをひっくるめて「学会」(がくえ)と呼んでいる。 真言宗の僧侶は弘法大師所定の経律論三蔵について修学することはもちろんのことであるが、その中でも廿五巻書(即身成仏義、声字実相義、吽字義、弁顕密二教論 上下二巻、秘蔵宝鑰 上中下三巻、般若心経秘鍵、発菩提心論、大日経住心品疏五巻、釈摩訶衍論十巻を合わせての二十五巻)をもっとも尊び、真言教学の基礎として伝えられている。 学会では、これらの書を順次配文して講讃するのであるが、その講讃の草稿を「打集」(たしつ)というのであるが、それを師匠について練習することを「打つ」という。 勧学会は「十日廻し」10日間、「二日廻し」10日間、「本会」(ほんね)10日間と三段階に構成されている。 勧学会では初年目を受けると次年度に二年目を受けなくてはならない。二年目を終了すると「入寺」(にゅうじ)位に昇進する。そうなると緞子(どんす)の法衣・黒袈裟(羽二重)の着用が許される。40歳になり「阿闍梨」位に昇進すると伽藍の御影堂の内陣に入堂する資格が与えられる。 阿闍梨位に昇進してから、勧学会三年目に競望することができ、その三年目を成満するときに、御影堂の内陣に安置されている過去帳に「生国・名・寺院名」を記入し登録するのである。 その後、適当なときに「学修灌頂」が開壇されたときに受法する。そうすれば「伝灯大阿闍梨位」を成満することになる。そうなれば「大阿闍梨」として灌頂を授けることができる位となる。 |
本会(ほんね)出仕前のスナップ 午前5時過ぎ まだあたりは真っ暗闇です |
勧学会が執り行われる「勧学院」道場の内陣。 本尊は金剛界大日如来。 勧学会に用いられるシオンの花を使って五段花を生ける。 |
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内陣の様子。 勧学会の修行中は何人たりとも敷地に入ることは許されない。厳粛な行事である。 そのために御簾をかけてある。 |
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出仕の三年目の方たち。(法衣が黒色) | |
出仕の初年目・二年目の方たち。(法衣が白色) | |
初年目は、僧侶としての行儀作法も徹底的に学ぶ。たとえ年齢がいっていようと関係ない。 先輩方にお茶を出すのも作法のひとつです。 |
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お堂に行列を組んで入堂する。 頭からかけているものは「縮緬の帽子」 本会(ほんね)中は他人に顔を見られてはいけないので、顔を隠している。 |
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勧学院の内陣の様子。 照明はろうそくの明かりのみ。 午前6時から始まる。 まだまわりは薄暗い。 身動きひとつせずに、そのときをひたすら待つ。 |
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学会が終わり、再び縮緬帽子を頭からかぶり退堂する。 本会は10日間続く。 |
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勧学会は高野山の氏神さまである四社明神の御前で行われる行事。 この社は、高野山大伽藍内にある。 |
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一日の講讃が終了すれば、その報告と感謝を込めて、大伽藍の諸堂をそれぞれ参拝する。 白装束の初年目の学侶。 |
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諸堂参拝が終わると三々五々それぞれのお寺に帰り、明日に控える。 勧学会の期間中は高野山外から出ることは禁止されており、静かに生活しなければならない。 |
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三年目さんも一心に読経されます。 | |
住職も諸堂参拝しております。 ちょっとカメラを意識しすぎかな・・・?? |