四国で出会ったお大師さま
高野山時報 平成9年8月11日号掲載

 西国や四国の札所の寺々には、自分が詣った証として自分の名前と住所や祈願を書いた札を貼り付けてある。昔はそれが木の札で、一々寺に打ち付けていったので、巡礼をすることを札を打つといい、寺々を札所といったとある本で読んだことがある。
 白装束に身を包み、チリンチリンと耳に心地よい鈴の音を響かせながら四国路を巡拝するお遍路さんは、ひたすらお大師さまのご宝号を念じつつ、亡くなられた方への菩提の為、又は自分の或いは身内の病気平癒を願って一ケ寺一ケ寺、札を打って進む。
 私方の寺でも一年に一度、檀信徒と共に一国詣りを近隣の寺院と合同で実施し始めて随分となるが、今回の巡拝を終えて二周目の満願となった。二周目の途中で「阪神淡路大震災」が発生し、一年間休止するというハプニングがあった。参加されていた方の中にも犠牲者が数名おられ、満願できずに逝ってしまわれた方々への供養も重なって、意味のある満願となった。
 三月二十五日、ようやく頬うつ風にも春の兆しを感じる讃岐路を私達一行を乗せたバスは二台連ねて走っていた。今回も東光寺・西廣寺・西光院・鷲林寺の四ケ寺の檀信徒の参加で、三泊四日の行程であった。バスの中には、「阪神淡路大震災」にて親を亡くされた夫婦、娘を一度に二人も亡くされた奥さんを始め、多かれ少なかれ震災にて心に大きなショックを受けた人々が乗っていた。ようやく心に立ち直りの兆しが芽生え、
「四国巡拝に参加して菩提を祈ろうか・・・」
という気持ちにやっとなられた方がほとんどであった。
 そんな中で、私は出発前の挨拶で
「お大師さまに是非会っていただきたい。そよ吹く風が、野に咲く花が何かを教えてくれるかもしれない。そのひとつひとつが、お大師さまとの出会いだと感じていただきたい」
という内容のお話をしたような気がする。自分にしては如何にも坊さんらしい上出来な挨拶ができたと思った。
 初春のにおいが香る四国路は、景色も、そしてお接待をしていただく地元の人々も、いつもながらに優しく、日々殺伐とした都会暮らしの我々に心のプレゼントを与えてくれる。そんな雰囲気の中で、震災でひどい目にあった檀信徒にも笑みがこぼれ、バスの中にも笑い声が聞こえてきた。
「四国巡拝を計画して頂き、参加して本当に良かった・・・」
胸をなで下ろした。
 巡礼二日目から、私達と前後になりながら札を打つ一行があった。一行は十名前後の小団体で、全員白装束に身を包み、手にはご詠歌の鈴を持ち、寺の本堂・大師堂前でご詠歌を奉納される。先達の住職は、黒染の法衣の上に割切の袈裟をかけ、手甲、脚絆もつけ、手には饅頭型の菅笠を持つという、それはお大師さまの巡礼姿そのままであった。お互いに目で挨拶を交わす程度であったが、たとえ出発の時間がずれても、次の寺で一緒になってしまう。よほど縁のある人達なんだなあと思いながらその日が終了した。宿に到着して又びっくり。何と、その一行も同じ宿での宿泊であった。次の日、出発してその日の一番の札所で勤行しているとその一行が又来られる。これは宿命かと別に気にすることもなく、その日も前後になりながら一日が終わった。
 最終日、申し合わせたように一緒になる。ここまでくればむしろ当然のことのように思えた。ともすれば、その一行の姿が見えなくなれば、探してしまい、確認して安心するという始末であった。結局、結願所八十八番大窪寺までご一緒した。大窪寺大師堂でのお勤めは一行の方が早く到着したため、一行のご詠歌奉納が終わってから私達の勤行となった。一行の満願した感激の声を後ろに聞きながらの勤行となった。勤行終了後、当然、私達も感激で顔面は涙でクシャクシャになった。お互いに満願の喜びを讃え合った。一人の住職がそっと首からかけていた袈裟をはずして裏地に書いた文字を見せてくれた。
「祈願 震災復興 明日への祈り」
「そうか。この人もこういう気持ちで巡拝されていたのか・・・」
「○○ちゃん。いいとこに成仏してよ」
 二人の娘が犠牲となった母親が大師堂に向かって拝んでいる。そんな中に、三日間前後になりながら札を打った僧形の住職が私達に近づいて来られた。
 「満願おめでとうございます。しかし、この度の巡拝には、色々な想いがあられての満願なのでしょうね。申し遅れましたが、私は、神奈川支所の前支所長の細川と申します」
と名乗られた。神奈川支所といえば、「阪神淡路大震災」の折りに一番に被災地に入ってきていただいた支所であるし、その後も物心両面に渡り支援していたき、大変お世話になった支所である。その中心的人物である当時の支所長が、震災の犠牲者の菩提を弔う我々の前後になってご一緒できたことがただの偶然とは思えなかった。一瞬冷たいものが背筋を走った。
 バスに乗り込み、檀信徒にそのことを伝えた。全員が泣き出し、窓越しに見える僧形の支所長に手を振るもの、合掌するもの。まるでお大師さまに出会ったかのように
「あの時は本当にお世話になりました」
と全員で感謝申し上げた。
 バスが出発した後も、その姿が見えなくなるまで全員で手を振っていた。
 「阪神淡路大震災」の悲しみを乗り越え、犠牲となった家族・友人・知人の菩提を弔う四国巡拝は満願した。今回の巡拝では、お大師さまが僧形の支所長に姿を変え、
「頑張って生活せいよ」

とやさしく励ましていただいたように思えて仕方がない。もちろん、参加した全員がそう思ったに違いない。この巡礼を糧として、お大師さまと同行二人の気持ちで明日への希望を持って生活していきたい。ありがとうございました。
 

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