いかせ生命 いかせ教訓 

  高野山時報 平成811日新春合併特集号掲載       

 

新しい年を迎えられることに対して、これ程「ありがたい」と思ったことがかつて過去にあっただろうか。
 平成7年は、大震災から始まり、オウム真理教事件、宗教法人法改正問題など、様々な出来事がおこった。特に、私にとって、大震災は人生観を強制的に修正する大事件であった。私の自坊は西宮市に位置する。しかし、六甲山の中腹にあり岩盤上の為か比較的被害は少なかった。又、家族の理解、協力もあり全国から集まってくれた仲間たちのボランティア活動を手伝う機会があった。被災地の現状は想像を遥かに越え、言葉ではとても言い表せない状態であった。住む場所を失い、十分な食料もなく、まるで戦後の混乱期に舞い戻った様子であった。当初、しばらくの間はとても新年が迎えられるとは思いもしなかった。人はよく「時が解決してくれる」と言われるが、まったくその通りである。  

 二月前半に神奈川からの救援物資を西宮市役所に届ける道案内を勤めた時の話である。トラックが市役所に到着すると、一般のボランティアの青年達が、物資を庁舎の中に搬入するために集まってきた。その中に、髪はまるでライオンのたてがみのように金髪に染め、眉毛は剃り落とし、耳や鼻にはピアスをしている青年の姿があった。その青年はボランティアの中でも特によく働き、その行動はテキパキと非常に機敏であった。額には玉のような汗を光らせ、仲間に大きなかけ声をかけて仕事の割り振りを指導する。その姿はまるで大海原を自由に飛び跳ねる、飛び魚のように写り大変美しく見え好感を持てた。普段、そのような格好をした青年を見た場合、このような感情を抱かなかったであろうし、むしろ逆に批判の眼差しで見ていただろう。
 数日経過したある日、その青年のことを考えてみた。一見不良ぽく見える彼が、一生懸命に人のために働いていた。その姿は生き生きとしていた。彼をそのような行動に狩立たせたものは一体何なんだろうか。
 現在日本で行われている教育は、その体制を、少なくとも私が子供の頃のものとは著しく変化させている。例えば、学校で学ぶ学習だけでは足らずに、ほとんどの子供を塾に通わす。むしろ、子供達の方から進んで塾に通うことを望むという。実に妙な話である。「友達が行っているから私も行かなければ仲間外れにされる」という発想から塾に通う子供も少なくないと聞いた。教育というものを利用して塾業界が儲けるパターンをうまく作り出したと言ってしまえばお叱りを受けるであろうか。
 いずれにしても、勉強ができる子供がいれば勉強についていけない子供が出てくる。わからなくなってくれば、益々ついていけなくなる。家に帰れば両親に叱られ、学校が益々嫌になってくる。こういったパターンにはまってしまった子供のことを世間では「落ちこぼれ」と名付けた。人間は誰しも「自分」が一番大切だし、一番可愛いものである。彼らも例外ではない。彼らの「自分」の主張がそういった格好をすることであったのではないだろうか。
しかし、今回のボランティアによって、社会は自分たちを必要としてくれ、「ありがとう」と感謝までされた。今まで世間から白い目で見られがちであった彼らにとってボランティア活動の場所は、「自分」の存在、価値を発揮できる場所であったのであろう。
 震災から一年近く経った今、被災地でよく「運転マナーが悪くなった」 という言葉を耳にする。思い返せば震災当初、信号機は止まり、交通ルールは完全にマヒ状態にあった。本来ならば、パニック状態になるはずである。しかし、皆が譲り合いの精神を持ち、文句を言うこともなく、長い列に何時間も並んでいた光景を思い出す。しかし、こういった平和な(?)状態は二週間しか保たなかった。街のあらゆる場所でクラクションの嵐、怒鳴りあいしている光景を見た。
 
 人間は、特に日本人は忙しくなりすぎた。心に余裕がなくなってきた。必然的に日本人が本来持っている「思いやり」「やさしさ」が低下してきた。心の貧困が問われる昨今、大震災によって、もう一度このような優しい気持ちを芽生えさせたのだと思う。しかし、時間が経てば殺伐とした生活に戻っていく。
平成7年度は戦後五十年の年であった。五十年の区切りに大震災が発生したというのは偶然なのでであろうか。大震災によってたくさんの尊い生命が犠牲になったが、犠牲となられた人々の無念さを考えるに、その死を決して無駄にしてはいけない。本宗のスローガンである「いかせ生命」とともに「いかせ教訓」という精神も大切だということを学んだ。せっかく芽生えた青年達のボランティア精神を今後に生かしていかなければならないし、「思いやり」の心についても考えることも大切な課題であろう。
 被災地の抱える問題はまだまだ多い。宗教者として、人間として、この一年間で学んだ教訓を生かして、しっかりと大地を踏みしめてお大師さまとともに生きていきたい。

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