HIKIKOMORI
高野山時報 平成14年1月1日号掲載


長期間にわたり家に閉じこもり、学校や仕事に行かずに社会に参加しない状態が続くひきこもりの急増が大きな社会問題になっている。これを重要視し、第百十六次宗会において津下光明議員の提案にて、平成13年5月21日付けで高野山真言宗に「ひきこもり対策準備委員会」が設立された。二回の準備委員会を経て、9月3日「ひきこもり対策委員会」として正式に設立なった。青年僧の意見も取り入れるということで、不肖私も委員の末席を汚させていただくことになった。

ひきこもりとは・・・
全国で推定80万から100万人いると言われるひきこもり。ひきこもりの半数以上が20才から30才代であり、5年以上ひきこもっている例は全体の4分の1にあたるといわれている。本質的には、小・中学生の不登校も、ひきこもりと同じ状態と見られている。また、高校生以上だと退学処分になることも多く、その状態がますますひどくなって、そのままひきこもりになるケースも少なくない。ひきこもる人たちは“百人百様”で、そのケースは様々であるが、ひきこもりになるはっきりとした原因は今のところ解明されていない。そのうえ、役場や保険所に相談してもたらいまわしにされ、専門医やカウンセラーを訪れても、その対処方法はバラバラで確立されていない状態が長く続いたという。しかも、ひきこもりは「甘え」「なまけ」「親の甘やかし」といった偏見の目で社会からとらえられ、その本人や家族はさらに沈黙して、どん底の状態になっていったのである。
そんなひきこもりについて研究がなされ、その輪郭がおぼろげながら見えてきたという。実は、ひきこもりの数は想像以上に多く、誰にでも起る可能性がある身近なものであることが最近になってわかってきたのだ。また、佐賀バスジャック事件や新潟少女監禁事件を生んだ背景として、ひきこもりがある種の原因、引き金となったともされている。いまや、ひきこもりは大きな社会現象とさえなっているのである。
ひきこもりは本人のみならず、その家族をも巻き込む。ひきこもる若者達が家庭という小さな空間で、常に向き合ってきたのはその親たちである。ひきこもり問題は、その孤立感から、親も子供も苦しめるのである。「親の甘やかし」「本人のなまけ」といった周囲の無責任な言葉によって、ますます心を閉ざしてお互いに年を重ねていくのである。ひきこもりの子供を持つ親の中には、「わたしは死ぬまで子供の奴隷」と思い、二重のひきこもりになっていく事例が少なくないという。家庭崩壊を引き起こすひきこもりは、私達の想像を絶する大きな問題なのである。

ひきこもりの実態
インターネットで“ひきこもり”を検索すると16,000件以上のヒット数がある。また、“ひきこもり”に関する本も書店に並ぶようになってきた。それらを読んでみると、ひきこもりになるきっかけは様々であることがわかる。学校や会社でのいじめなどの人間関係のトラブル。家庭環境によるトラブル。失恋。自信喪失などなど・・・それらが引き金となって、ひきこもりに発展していくようある。
 岐阜県在住のNさんの事例を掲げてみよう。Nさんの父親は銀行員、母親は小学校の教員をしていた。もともと学校から帰ると疲れてすぐに寝てしまい、朝まで起きられない日々が続いた。中学3年生のころ、学校に行く前、原因不明の下痢に襲われるようになった。医者に行ったが原因がわからず、過度の緊張があるとそういう症状が出ると言われた。下痢が続くことで疲れ、学校に行くのがつらく、それが原因でほぼ1年間不登校を続けた。その後、私立高校に入学した。環境が改められ、自分の不登校のことを知っている人もいない。みんなスタートラインは一緒だから、これで恥をかかずにスムーズに元通りの生活ができると思い、気楽に生活をはじめた。しかし、いざ学期がはじまり、学校に行き始めると中学生のときと同じ状態におちいった。中学3年生のとき学校に行っていないので、高校の勉強についていけず、追い詰められ、無意識のうちに両親や先生、クラスメイトの顔色をうかがいながら気を使っていたのではないかと言われている。結局高校は1週間だけ通って行かなくなった。
心配した母親の勧めで、カウンセリングの受けられる施設のある町に引越しして一人暮らしをはじめる。カウンセリングを受けたものの、カウンセラーに対して不信感を抱いてしまい、そのまま1年半の間アパートで引きこもっていたという。
アパートでは、ゲームをしたり、テレビを見たり、音楽を聴いたりしていた。アルバイトはできないので親からの仕送りで生計をたてる。とにかく人と会うことが嫌で、買い物も1週間に1度程度で済ませたという。ひとりで部屋にいて、心の中でさまざまな葛藤があったという。
ある日

「親がイヤだとか社会がイヤだとか、単純にそういった問題だけではなく、自分の中に何がしかの問題があるのではないだろうか。本格的にカウンセリングを受けて、自分を向上させる方向に動かなければ将来はないだろう」
と考えるようになった。
親とカウンセラーに相談すると、評判のよいカウンセラーのいる町に引越しすることを勧められた。そこのカウンセラーと出会いカウンセリングを受けるうちに、この人とは体質的に合ったのであろう。気を許すことができて、徐々に話を聞いてもらえるようになった。これをきっかけにして緊張がほぐれ、友人もできて、人生が楽しいと思えるようになったということだ。

私の体験
長い人生の間には、誰しもが一度や二度は嫌な思いをした体験は持っているであろう。私の場合もひきこもりになる寸前で助かった経験者である。平均的体格より小さかった私は、幼少の頃から遊び相手のほとんどが女の子であった。女の子のグループに入れてもらい「ままごと」や「人形遊び」などをしていた記憶がある。男の子と一緒に遊びたいとか、男の子らしくなりたいとかは別に思わなかった。むしろ、遊ぶ対象が女の子ということだけであって、自分の存在を認めてくれる仲間があり、自分のいる場所があることに満足していた。
小学校4年生のとき、ささいなことが原因でリーダー格の女の子の攻撃を受けた。当然、まわりの女の子たちもリーダー格の女の子と一緒になって私を攻撃した。いわゆる、「いじめ」であった。今まで仲間と思っていた女の子全員から集団無視され続けたのだ。それが、どのくらい続いたのかははっきりと覚えていないが、私自身にとっては途方もなく長く、苦痛の毎日であった。自分の中ではかなり我慢していたつもりだが、ついに学校に行きたくないと母親に訴えた。当然のことながら、母親は私を諭し、手を引かれて泣きながら学校に行ったことを覚えている。
そんな状態が半年近く続いたであろうか。夏の午後、授業が終わりひとりで下校していると、校庭で野球をしている男の子のクラスメイトと出合った。人数が足らなかったのであろう。たまたま通りかかった私に声がかかった。
「一緒に野球やらへん??
男の子と遊ぶことに不慣れな私は、言われるままにバットを握ってバッターボックスに立った。ピッチャーが投げた球に思いっきりバットをぶつけた。すると、偶然にもそのバットは球をとらえ、大きな曲線を描きながら外野に飛んでいったのである。周囲にいたクラスメイト全員が、鳩が豆鉄砲をくらったようにポカンと口をあけている。しばらくの沈黙のあと
「走れ」
という声で我にかえり、ベースを一周してホームランになってしまった。
当然、毎日のように野球に誘われるようになった。不思議に偶然とは重なるものである。私が握るバットは毎回といっていいほど球を外野に運んでくれた。野球経験がまったくない私であったが、「野球の天才」ともてはやされ、たちまちに人気者になって大勢の友達ができた。そして、今まで無視されていた女の子達も、逆に近づいてきたのである。
私の場合、野球が引き起こした偶然によって、ひきこもり寸前の状態から救われたと言える。しかし、この偶然がなければ確実にひきこもりになっていたと思う。そして、ひきこもってしまえば5年、10年という長期間の地獄が続いていたかもしれない。

ひきこもりは日本独特のもの
ひきこもりは、世界にも類を見ない日本独特の現象である。アメリカやヨーロッパ諸国には日本にあるようなひきこもりの実例はなく、アメリカやヨーロッパ諸国の人々にはひきこもりがこれほど大問題になっていること事態が理解できないということである。日本という国が、アメリカやヨーロッパ諸国とは違い、個性を認めないという環境にあることが、ひきこもりを起こす原因のひとつとも言われている。
また、日本人の親子関係にも大きな原因があるとされている。統計によると、ひきこもりのほとんどの人は、世間体を重んじ、個性を大切にしない親に育てられたケースが多いという。小さな頃から子供に我慢をさせ、そして感情を表現できないように育てられたというのだ。そのような親に恥をかかせてはいけないということから、子供らしさを出すことが出来ない。知らず知らずのうちに、親から「いい子」と認めてもらいたいため偽りの自分を作り出し、本当の自分の性格を見せることなく、親のみならず周囲にも合わせてしまう。その一方で、我慢して隠してきた別の人格が育ち、ある時に手におえない状態になるという。隠してきた別の人格が牙をむいたとき、急に暴力をふるったり、ひきこもりになると言われている。
生まれてから10年や20年で、学校以外の社会と接していないような人が、いきなりおかしくなることは考えられない。基本的に、家庭内で何かあったのではないかと考える方が自然なのかもしれない。たとえば学校でいじめられたとする。それが原因で自殺をしたというケースも聞いたことがあるが、これらも家庭の問題があると思う。いじめられる学校が危険な場所であると察知すれば、学校に行かずに親に相談をするべきだし、その親もしかるべき態度をとらなければならない。子供を叱ることでしか親の権威を知らしめることができない親が多いという。しかし、子供にしてみれば「都合が悪くなればすぐに怒る」というイメージにしか映らないらしい。学校で先生や友人に気を使い、友だちができない。家庭では親に迷惑をかけたくないから、心を開くことができない。最後に残された空間が自分の部屋だったのだろうか。
昔も子供たちが傷つけられることはあったし、信頼している人に裏切られることも会ったであろう。しかし、今の子供たちのような現象は記憶にない。現代の日本の根本的なシステムに何らかの欠陥があり、このような現象が現れているのかもしれない。


お大師さまの教理とひきこもり
平成13年11月13日、高野山真言宗兵庫ブロックの教師研修会が播磨支所当番にて開催された。この研修会は年に一度開催され、毎回各支所代表の教師が数十分ずつの発表をする場が設けられる。今回のテーマは「加持祈祷の体験談」であった。ある教師の体験談の中に、高野山奥の院で行法師としてお大師さまにおつかえしたK師の話があった。ある日、奥の院受付に男性が来られた。受付で対応したのはK師であった。その男性は、そこそこの従業員を抱える会社の社長であった。体調の変化に気付き医者に行き検査をすると内臓に影があり、癌の疑いがあるとのこと。もし癌ならば手術が必要であると宣告された。しかし、自分が入院をしたり、もしものことがあれば自分の家族はもちろんのこと、社員の家族も路頭に迷うことになる。何とかお大師さまのお力をお借りしたい。とのことであった。K師、若干22才の時のおはなしである。お大師さま御宝前にて一心に護摩をたき、その人の安全を祈願された。その護摩は素晴らしいもので、今まで体験したことのない納得のいく護摩であったという。そして、祈願したお札をその男性に手渡すとき、自分もお大師さまに引き続き祈念するが、あなた自身も一心に祈念してくださいと伝えた。十日後、再びその男性がお参りされ、再検査の結果、不思議にも影がなくなっていたとの報告を受けた。このことがK師の大きな自身となり、奥の院を辞し、自坊に帰ったあとも一生懸命護摩をたきつづけられた。しかし、あの奥の院で体験した納得のいく護摩には及ばなかったという。
私の所属する兵庫青年教師会においても、昭和59年の御遠忌の年を機として、毎年奥の院で報恩謝徳の法会を厳修している。この法会に毎年参加させていただいているが、奥の院の雰囲気は独特で、とても言葉では表現できない。体験したものでしか理解できない、実にありがたいものがある。地元でも法会は厳修するが、奥の院の荘厳さに勝る場所は今まで体験したことはない。奥の院に立ったとき、一瞬の間だけでも、自分が清められ美しい心と体になったように思えるのは私だけであろうか・・・
宇宙の本体を六大体大・四曼相大・三密用大によって説明をするお大師さまの教理がある。宇宙間に存在しているありとあらゆるすべてのものは、地・水・火・風・空・識の六つの要素から成り立っている。一切の生物・無生物に普遍しているので、大という字をつけて六大という。その現象として、実際に相(すがた)として表わしたものが四種の曼荼羅であり、これを四曼相大という。六大の体と四曼の相のうえに必然的に起る実際のうごき・はたらき・業用・作用を三密用大としてあらわされたのである。
前述のK師の護摩を通しての体験も、私の法会を通しての体験も、六大体大である宇宙の中に、相(すがた)としての高野山の雰囲気を加え、そして真言行者の修するところの三密行の法が相交わり納得のいく護摩となり、または荘厳な法会に感じたと思う。高野山は、すべてのものをやさしく包み込んでくれるありがたい場所であり、何と言ってもお大師さまの生きた教えが脈々と続いている不思議な霊域である。
ひきこもりは、ひとつの集団の中で起った心の感覚の傷であると思う。その傷を癒すには集団の中で自分のなじめる人間関係をもう一度築けるようになる必要がある。私の場合もそうであったように、第三者に自分の価値・存在を認めてもらうことが好転のポイントになると思う。しかし、ひきこもった人たちには、集団というと学校や会社しか見えないのである。残念なことに日本にはひきこもった人たちが安心して集える居場所がないのが現状である。ひきこもりについても体・相・用が大きな影響を与えると考える。お大師さまの広大無辺な教理こそ、そして雄大な自然に囲まれた高野山こそが、ひきこもり問題をはじめとする、病める日本を救う大いなる発信地になることは間違いないと確信する。そして、全国の多くの教師のあたたかい理解と協力があってはじめて進展していくものと思う。宇宙の本体である六大の体、そしてそのすがたとして現れた高野山という相、私たち教師ひとりひとりのはたらきとしての用。この3つが重なり合ったとき、一筋の光が見えてくるのではないだろうか。
最後に、ひきこもりについて早急な対処をして頂いた宗団に対して、あつく御礼申し上げます。       合掌


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