石 垣 工 事 |
平成17年8月、西宮市内で最古といわれる七重石塔(西宮市文化財)の上に位置する竹薮の石垣工事が始まりました。これは数百年、人が立ち入ったことがないほど荒れ果てていた竹藪を清掃したことがきっかけで、このまま放置しておくと山が崩れ文化財を破損する恐れがあることが発覚したことによるものです。重機が入り大掛かりな工事となりましたが、これも文化財を守る大切な事業です。 |
平成17年7月の様子 | 平成17年9月14日の様子 |
七重の石塔の後ろはジャングルのようでした。 | 竹薮が取り除かれ向こうが見えるようになりました |
平成17年7月頃の七重の石塔。 石塔は鎌倉中期の作品といわれ、 七重の石塔としては西宮市最古のものであり、 西宮市の文化財となっている。 その後ろに見えているのが問題の竹薮。 数百年という長い間、 人間が立ち入ったことがない。 この竹薮の清掃を始めたことによって 問題が発覚した。 |
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工事前の問題の竹薮。 とても人間が立ち入れる状態ではない。 まるでジャングルのようである。 |
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竹を切って清掃しようと努力はしたが とても人間の素手ではかなわない。 なお且つ、山水が流れてきて このあたりは沼となっていて とても危険な状態となっていた。 |
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8月18日 重機が用意された。 お寺の下にある駐車場に石垣となる 大量の石が運ばれてきた。 |
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この崖にはもともと竹が生えていた。 その竹を少しずつ切って清掃するのに 約2ヶ月かかった。 とても人間の手でかなうものではなかった。 |
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重機で崖を掘ってみる。 なんと、数十年前に不法投棄された ゴミが出てきた。 |
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8月29日 恐らく、昭和13年に発生した 『阪神大水害』の折に もともとあった石垣が飛ばされたのであろう。 その後、無住であった時代に 何者かによってゴミが不法投棄されたようである。 大変危険な状態であるため、 西宮市の指導によって このゴミを撤去する作業から始められた。 |
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大型ダンプで不法投棄されていたゴミを 運び出す。 その数、大型ダンプに約50台。 想像を絶する大量のゴミである。 知らぬこととはいえ、聖地である境内の下に このようなものが埋まっていたとは・・・ 仏さま方に申し訳なく思った・・・ |
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もうひとつの大きな問題が発生した。 竹薮の下は大きな谷となっていた。 おまけに六甲山から湧き出る 水道(みずみち)となっている。 このまま放置しておくと大変危険な状態である。 |
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9月2日 竹薮を清掃して 谷から湧き出る水を配水管を通す作業。 1メートルほど掘ったところから 地層が現れた。 約20センチほどの厚みの炭の層。 その下には真っ赤に焼けた土の層。 その下は地山(もともとの地層)であった。 真っ赤に焼けた土を見ると かなりの勢いの火で 焼かれていることがわかる。 恐らく、戦国時代の焼き討ちの跡であう。 |
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永年の月日の間 水が溜まっていたので 沼となっている。 このままでは工事が進められず 足場を固める作業をする。 |
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重機3台が入っての大工事。 手作業で竹薮の掃除を始めたことが きっかけとなり大事となってしまった。 重機のする仕事を見ていると 手作業でしていたことが馬鹿らしく思う・・・ しかし、あの作業を縁として 今の大工事に至ったのである。 あの手作業がなければ、 今の工事はなかった。 そう考えれば、手作業で竹薮の清掃を始めて よかったと思いなおすことができた。 |
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9月4日 竹薮が撤去された。 ジャングルのようであったが むこうに七重の石塔が見えるようになった。 数百年ぶりに太陽の光を浴び 大地も久しぶりに乾くことができる。 |
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七重の石塔から もともと竹薮であった方向を望む。 ジャングルが取り除かれ すっきりとした。 |
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9月8日 石垣を積む下に基礎となる コンクリートを流し込む。 |
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9月10日 七重の石塔を保護するために 石垣を積む作業が始まった。 |
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9月13日 石垣を積む作業。 石にも顔があるらしく 慎重に積んでいく。 |
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かなりの量の石を積み 石垣らしくなってきた。 なかなか手間のかかる仕事である。 |
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11月13日 上の段に近づいてきた。 すごい大掛かりな工事となった。 |
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下から1段目・2段目の石積み。 | |
下から3段目の石積み。 合計四段の石積み工事となった。 |
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1月26日 ほぼ工事が完成した。 石垣の手前に見えるのは『山桜』 今までは竹薮に隠れて まったく目立たない木であったが 来年春からは 綺麗な花を楽しませてくれるだろう。 |
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これらの石塔(西宮市重要文化財)を守るため 始まった石垣工事。 長い時間がかかったが ようやくほぼ完成に到った。 |