いろはうたのお話


高野山真言宗の宗歌でもある“いろはうた”は弘法大師さまがおつくりになられた歌として、多くの人々に親しまれています。
では、“いろはうた”とはどういった内容なのでしょうか。


大 意
美しく咲き匂う花もずっと未来永劫にその美しさやよい匂いを保つものはない。やがては散ってしまうものである。
この花のように、この世にあるすべての形あるものは、移り変わっていくものであり、ずっと永遠に同じ形を保つものはない。

私の世の中、すなわちこの世の中の誰もが無常(常ではない)、すなわち同じ形で未来永劫に生きていけるものはないのである。私は私であると言うかもしれないが、きのうの私ときょうの私は違う。きのうときょうでは極端な変化は認められないかもしれないが、10年前の私と今の私は顔 形も大きく変わっているだろうし、もちろん10年後の私も違つているだろう。
いくら綺麗な女優さんでも未来永劫にその美貌を保つことはできないように誰しもが平等に常ではないのである。

有為転変(ういてんぺん)のこの苦悩の奥山をきょうこそ越えて、すなわち「生じた 滅したとか、生れた 死んだとか、損した 得したとか、そのたびごとにものごとにとらわれる心」を滅すれば

すべてのものをありのままに素直に受け入れる、安らかな心が開かれてくるので
す。

“いろはうた”は“涅槃経”(ねはんきょう)というお経の中の『四句の偈』という四句の詩を、四十七のかな文字で歌ったものです。
『四句の偈』とは
諸行無常(しょぎょうむじょう)
是生滅法(ぜしょうめっぽう)
生滅滅已(しょうめつめつい)
寂滅為楽(じゃくめついらく)
というもので、
諸行は無常である
是れ生滅の法なれば
生滅、滅しおわって
寂滅を楽となす
という意味になり、“いろはうた”のそれと同じ意味をしめしています。“いろはうた”は仏教の教えをかな文字であらわしたものであり、当時の多くの人々が文字に親しみ習う機会を与え、日本の文化に大きな影響を与えたのです。

「東寺光の日日 第35集」を参考にさせていただきました

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