その41 仏教とは

仏の教え
私たちが信仰しています真言宗を含め、天台宗や浄土宗、日蓮宗など、その教えのことを総括して“仏教”と呼びます。では、仏教とは誰が説いた、どういった教えなのでしょうか??
“仏教”だから“仏の教え”ということになります。では“仏”とは誰なのでしょうか??
亡くなった人のことを“仏さん”ともいいますし、“観音さま”“お地蔵さま”なども“仏さん”といいます。このような方が説かれた教えなのでしょうか??
実は仏教の用語はインドのことばである“サンスクリット語”に由来しているものが多く、この“仏”も“ブッダ”を音写して“仏陀”として、それを省略して“仏”としたのです。一般的に“ブッダ”といいますとお釈迦さまをさしますが、本来の“ブッダ”とは「真理に目覚めたもの」「覚者」(かくしゃ)の意味であります。この煩悩の世界である此岸(しがん)から、悟りの世界である彼岸(ひがん)に渡られた存在を意味します。いわゆる真理に目覚め、真理の世界に到達し、真理そのものになった存在のことをいいます。
“仏教”の“仏”は“ブッダー覚者”という意味ですが、ここではお釈迦さまのことをいいます。“覚者”であるお釈迦さまが説かれた教えを“仏教”といいます。

では、この“仏”とはいったい何なのでしょうか?
“仏”という漢字は正しく書くと“佛”であります。“人偏”に“弗”と書いて“佛”という字になります。“弗”の意味は「あらず」という意味になりますから、“佛”は「人であって人にはあらず」という意味になります。
同じように“沸騰”(ふっとう)という漢字がありますが、水は100度になると沸騰して水蒸気となります。水蒸気は、液体であった水が気体となったものであり、本来の水としての形ではなくなります。水蒸気は水ではありません。しかし、科学的にいえば水蒸気はH2Oであり、水と同じなのです。つまり、沸騰は水が「水であり水ではなくなった状態」になったことであります。
同じように“佛”も「人であって人ではなくなった状態」という意味になります。
水蒸気は水ではありませんが水であると同時に、仏も人ではありませんが人であるということがいえるのです。

お釈迦さまは、インドの釈迦国の王子に生まれ育ちましたが、29歳のときに出家され6年間の修行をつまれました。人間はなぜ年老い、病気をし、死ななければならないのか・・・その苦しみに合わなければならないのは生まれてきたからだ・・・このような苦しみから人々を救いたい一心で悟りを開くために難行苦行されるのです。しかし、難行苦行しても悟りは開かれませんでした。難行苦行しても悟りは開かれないことを悟り、瞑想を繰り返し、ついに35歳のときブッダガヤーの菩提樹の下で究極の悟りを開かれ仏陀となられたのです。その仏陀の教えが「仏教」なのです。


仏になるための教え
仏教は“仏の教え”すなわちお釈迦さまの教えであるといいましたが、もうひとつ“仏になるための教え”であると解釈できます。「水であって水ではなくなった状態」である水蒸気は水ではなく水です。佛も人ではなく人です。ようするに、お釈迦さまの教えに従って精進努力すれば、仏になれるという教えです。キリスト教では“キリストが説かれた教え”とはいいますが“キリストになるための教え”とは説きません。しかし、仏教は“仏の説かれた教え”であると同時に“仏になるための教え”とも解釈できて、これらの二面性をもつのが大きな特徴なのです。
この教えにしたがって自分というものを見つめながら、自分を完成していくこと。そして、この世の中の人々がそういう気持ちになって、皆で素晴らしい世界を造っていこうではありませんか。という教えが“仏教”であると思います。