その39 親友・・・
法話という内容ではありませんが・・・


先日、ラジオを聴いていると携帯電話をテーマにした物語を放送していました。ある女性が友人の携帯に電話をするとつながりません。その友人は、迷惑電話対策として携帯電話を解約していたのでした。今では必需品のアイテムのひとつとなった携帯電話・・・それが使えなくなり彼女と連絡ができずイライラしていたある日、彼女から連絡がありました。
「ごめん、ごめん・・・携帯電話を解約したのよ。そうしたら、今まで便利だと思っていた携帯電話がかえってわずらわしくなっちゃって・・・そりゃ不便だけど、縛られていない、追い掛け回されないという安心感が逆に生れちゃって、しばらくそういう感覚を楽しんでいたのよ。ごめんね、連絡しなくって・・・」
「それと携帯電話があると“いつでも話せる”という感覚になってしまってたけど、それがないと人と会った時、その時間、その一瞬を大切にしなくっちゃと思ったの。携帯電話を持たなくなったことで、人・時間というものを大切に考えるようになったわ」
という内容でした。
その通りです。いつでも会える、いつでも話せると考えがちなものです。しかし、その一瞬を大切にしなかった自分に後悔しています。
私には、中学時代から親しくしていた親友がいました。中学2年生の時、彼のお父さんの仕事の関係で福井市から西宮市に引っ越してきて私と同じクラスになりました。気があうというか、意見があうというか、彼には何でも相談できましたし、彼も真剣に私の話を聞いてくれました。もちろん私もそうでした。二人の友情は深まり、“親友”とお互いに認め合う中になっていきました。ところが、もうすぐ卒業というときに彼は福井に帰らなくてはならなくなりました。卒業式を西宮で迎えることができずに彼は福井に帰ってしまいました。
普通ならば、友情はそこで終わりというパターンが多いのでしょうが、彼との友情はますます深まるばかりでした。文通はもちろんのこと、彼は度々とはいきませんでしたが、春休み・夏休み・冬休みなどを利用して私に逢いに来てくれました。私も福井に数回行きました。そして、高校を卒業してお互いの進路を決め、私はお坊さんになるため高野山大学にすすみ、彼は地元の大学にすすみました。高野山で修行をしながらの大学生活でしたので、頻繁に会うことができませんでした。修行が苦しくて、何度も挫折しかけたことがありました。しかし、彼からの励ましの手紙で何度も救われました。
卒業してお互いに社会人となり、私は鷲林寺住職に、彼は繊維関係の会社に就職をしました。そしてある日、転勤となり彼は福井から東京に引っ越してしまいました。ますます離れてしまったということもありましたが、職場で仕事を任される年令になったということも影響して今まで以上に会う機会が減りました。
そんなある日の朝、彼から電話がありました。
「今、東京から大阪に出張で来たんやけど、きょうの昼間に会われないか?」
急なことでしたので檀務を変更することもできず
「昼間は無理やけど、夜だったら会えるよ」
そう言いますと
「午後3時の新幹線で東京に戻らなくてはならないからまたの機会にしようか」
という返事でした。
そんな行き違いが数度あったように思います。
そして
「いつでも会える」
という気持ちがいつも心のどこかにあったのです。

平成13年11月28日午後11時すぎ、電話が鳴りました。
彼の奥さんからでした。
また、彼が突然大阪に来たから会ってやってほしいという電話だと思いました。
しかし・・・
「主人が亡くなりました」
という言葉でした。

耳を疑いました。何度も何度も聞きなおしましたが、同じ内容でした・・・

お葬式は福井でするということで、福井まで駆けつけました。
道中、車を運転しながら
「死んだといって嘘をつき、私がすぐに駆けつけるかどうかを試しているのではないだろうか・・・騙されててもいいからそうあってほしい・・・」
そんなことを念じつつ彼の家に行きました。
しかし・・・
彼は棺の中で眠っていました・・・

「いつでも会える」
と思って、何度も会うチャンスを見送り、遂にこの世で永遠に逢えなくなってしまった・・・わずかに41才という若さで逝ってしまった・・・
「あのとき無理をしてでも逢っておけばよかった・・・」

彼が亡くなって5ヶ月弱・・・フッと彼のことを思い出すこの頃です。
会いたいな・・・彼に・・・

その時、その一瞬を大切にしないと、一生後悔することになります。
一瞬一瞬を大切にして生きることを彼から教わりました。        合 掌

                        平成14年4月18日


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