その37  世のため人のため


人間にとって善いことといえば、喜んで楽しく生きるということです。仏教ではこれを「抜苦与楽」(ばっくよらく)といいます。いわゆる“苦を抜き楽を与える”という意味です。人間は、たとえ百年間生きたとしても三万六千五百日しかありません。五十才で亡くなれば、一万八千日しかありません。しかし、約半分は寝ている時間です。起きている時間でも、遊んでいたらまた半分になります。そう数えていきますと、まともに生きている時間はほんの少しということになります。
ですから、人間はお互いに喜んで楽しく生きて、暮らさなければなりません。すがすがしい気持ちで起きて、一日を元気に一生懸命働いて人生を楽しまなくてはいけません。
仏教では「発願利生」(ほつがんりしょう)といいますが、利生とは、生きている人を利益にするという意味で、発願とは菩提心を起こすといういう意味です。自分が一切の人々を助けるんだという理解をもつことをいいます。自分のためだけではなく、世のため人のために働くんだということが発願になり、これが大乗仏教の教えの基本となります。しかし、ただ発願をしただけではいけません。発願をしたら善いことをしなければなりません。
仏教の説かれるところは、亡くなってから極楽にいくということではなく、発願して現在一緒に生きている人々を助けるという願行(がんぎょう)に生きなければならないということです。いま生きている間に願を起こさなければならないのです。
仏法の教えはお経にあるのではなく、お寺のお堂にあるのでもなく、社会生活の中にあるのです。仕事をしている人、家事をしている人、そういう姿をじっくりと見ると、説法されているように見えてくるものです。働いているそのままの姿が仏法であるのです。奥さんが家で炊事をしている、掃除をしている、洗濯をしている、そのままが仏法であります。また、男性は男性の持ち前がそのまま仏法であるのです。世間の法と仏法はひとつでなければならないのです。
自他平等ですから人の喜びは自分の喜びであり、人の苦しみは自分の苦しみである。そういった気持ちで日々を送れば、いつもニコニコしてこの世の中が極楽になるのです。

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