その34  意識の大切さ


人間はあれがほしいと思ったら、どうしてもほしいと思う心がわきます。子供は“あのゲームがほしい”と思いますと、親に頼み込んで、それがダメならばおじいちゃんおばあちゃんに頼み込みます。世のご婦人もあの指輪がほしい、あのバッグがほしい、あの洋服がほしい、あの和服がほしいと思います。指輪でもバッグでも洋服でも和服でも、その年々の流行というものがあり、新しい型が発表されればそれがほしくなるというのは人情です。また、今年は黒が流行しているのに、自分だけが去年流行していた白を着ていたら格好が悪いということになりまいす。逆に考えれば、流行のものを持っていたり着ていると格好良いということになります。また、世の男性も格好良いスーツがほしい、格好良いコートがほしい、車がほしい、時計がほしいと同じことです。では、なぜ格好良くしなければいけないかというと自慢が結論になります。
「きれいな洋服ですね」
「いま流行のバッグですね」
「良い車ですね」
人にほめてもらうと余計に気分が良くなるものです。人からほめてもらうと本当だと思ってしまいます。そこに何が足らないかというと“意識”が足りないのです。それが心が苦しむ原因のひとつとなるのです。新しいものが手に入れば、次にあれがほしい、これがほしいと思う。これを「貧」(とん)といいます。
人のことはほっておけばよいのに、あの人がどうした、こうしたとうわさをして怒る人をよく見かけます。見たら人に言いたい。聞いたら人に言いたい。言いたいから近所まわりに言いふらしに歩く。あちらこちらで言いふらして怒っているから、家の中でも家族に怒る。飼っている犬や猫にも怒る。部屋の中にアリが上がってきたらアリに怒る。自分が砂糖をこぼしたことを忘れて・・・この怒ることを瞋(じん)といい愚痴ることを痴(ち)といいます。こういったものから人間は苦しむのです。
そして、自分ほど偉いものはない、立派なものはいない、自分の言うことは間違いがないと言う人がいます。特に政治家の人に多いですが、これを慢(まん)といいます。自分ひとりで“あんたは偉い”と評価されるようになったのではなく、みんなのお陰で、みんなの恩でそう言われるようになったのです。それを自分ひとりの力だと思うこと。それが慢です。
そして疑い深い人がいます。人のいうことを信じない人がいます。あまり疑い深いと逆に人から信じてもらえなくなります。これを疑(ぎ)といいます。
そして、何を見ても真っ直ぐに受け取らない人がいます。何でも裏々を考える人。自分のことをほめられても、ほめた人の悪口を言うし、人がすることのすべてを悪いほうに考えてしまう人。これを悪見(あっけん)といいます。
これらの貧・瞋・痴・慢・疑・悪見を仏教では六煩悩(ろくぼんのう)といいます。(この中の貧・瞋・痴を三毒ともいいます)
この六つの毒が多い人間は気が強く、毒が少ないものは気が弱いです。それを俗に気が強い人とか弱い人とかいいます。これに知識が加わると“よい気”に変化します。たとえば、お酒は百薬の長といいますが、あまり飲みすぎると二日酔いになって毒になります。その調整は、知識で調和しなければなりません。毒となるのも薬となるのも、その人の意識の問題なのです。
気の弱い人は、これがほしいと思ってもなかなか口に出せません。ところが気の強い人はこれだけでは済まずに別のものまでも持って帰ろうとします。これを押さえるものが智恵なので、智恵がある人は上品なのです。人にものを言うときでも、十思っていることを十言ってしまったら問題になることがあります。十のうち八くらいにおさえておくのが良いといわれます。また、言葉の使い方も違ってきます。これは何かというと、その人の持っている意識の違いです。人間の間も塩加減で違ってくるものなのです。自分の好き嫌いで味付けをすると、人が嫌がるかもしれません。人間の世界で気の強い人と弱い人とどちらがよいかというと、丁度真中がよいですね。何があっても、何を言われてもいつもヘラヘラしている人はたよりないです。いつもニコニコしていても怒るときは怒る。謝るときは頭を下げる。こういったメリハリが大切なのです。こういったことわ調整するものが意識です。意識をしっかりともって、自分らしく生きることが大切だと思います。
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