その32  木の中に仏が宿る
大仏師のことば


京都の大原野というところに私の尊敬する大仏師がおられます。名前は松本明慶(まつもと みょうけい)師。テレビでも紹介されましたが、鹿児島のお寺に大きな弁天さんのお像が奉納されました。そのお像をつくられたことでも有名な大仏師です。先生とはじめて出会ったのは、私方の寺の多宝塔を建立する前の年ですから平成4年のことです。多宝塔のご本尊として新たに大日如来と不動明王と愛染明王をおまつりすることになり、先生に彫刻をお願いしたのです。その頃でも、かなり有名な大仏師でしたから彫っていただくのにもかなり時間を要するとも聞きました。とりあえず、ご挨拶に行くことになり、仏具屋さんのご案内にて車で京都・大原野まで走りました。情緒有る竹薮を両脇に見ながら車をすすめます。
「あそこが工房ですよ」
仏具屋さんが指さす方を見ますと工房らしきものが見えました。いよいよ大仏師といわれる大先生と出会うときが来た。どんな人だろうか??ドキドキしました。
工房の中に案内され、工房入口のドアを開けますと、中から白の作務衣(さむえ)に身をつつんだ20代の青年たち約30名が全員こちらを見てさわやかな大きな声で
「こんにちわ!」
と挨拶していただきました。彼らは大先生のお弟子さんで仏師を目指している人たちだったのです。ひとりひとりが仏像を彫っておられました。はじめて見る光景に興奮したことを思い出します。ひとつの仏像に一刻一刻精魂こめて刻んでいく、そんな姿に感動しました。
そんな彼らの中に混じっていたひとりの人がこちらを向いて
「やあ、いらっしゃい」
ときさくに声をかけました。
「先生ですよ」
仏具屋さんに教えられて、すこし面食らって挨拶しました。
大仏師ですから、奥の部屋でドッカリと座って私たちをむかえられる場面を想定していました。想像していたイメージとかけ離れた、あまりに気さくな先生でしたので少々驚きました。
先生の部屋に通されて一応のお話をしました。
「わかりました。心こめて彫らせていただきます」
そういう言葉をいただいて帰路に着こうとしたとき
「あっ、そうそう。これから気軽にひとりで遊びに来てもいいですよ」
と先生から直々声をかけていただいたのです。
社交辞令のひとつであったのかもしれませんが、先生のお話がもっと聞きたいと思い後日勇気を出して電話をしまた。
相変わらずさわやかな声での応対でした。
「ああ、いいですよ。気楽な気持ちでいらしてください」
そんな先生のことばに緊張もなくなり二度目の訪問となりました。
先生の部屋に通していただき色々なお話を聞きました。先生の生い立ちや仏像彫刻に対する思いなどなど。その部屋には先生の作品がたくさん並んでいるのですが、その中の一体を手にとられて仏像をジッと見ながら言われたことばがありました。
「わたしたち仏師が仏さまを彫っているのではないのです。木の中にはすでに仏さまが宿っておられるのです。それをノミや彫刻刀を使ってわたしたちが世に出られるお手伝いをしているだけなのです」
なんと謙虚なことばでしょうか。そういった気持ちで仏像を刻んでおられるんだ。素晴らしい!!
先生の作品の仏さまを拝んでおりますと、何ともいえないやさしい気持ちになります。たとえば、不動明王という仏さまは忿怒尊(ふんぬそん)ですから怒りの恐ろしい顔をしておられます。しかし先生の彫られた不動明王は恐ろしい顔をしておられますが、その中に何ともいえないやさしさが感じられるのです。なぜだろうと思っておりましたが、先生のそのひと言に、その理由がわかったような気がしました。性は相に通ずるものですね。
本当にたまにですが、自分自身が苦しくなったときなど先生の工房を訪ねます。色々な仏さまがやさしく迎えてくれる。そして先生はじめお弟子さんたちがさわやかに迎えてくれる。そんな松本工房が大好きです。
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