その31  菩提のこころ


日本には台風がきます。台風がくると、大水が出て大きな風が吹いて家などを壊して困ります。それを別の角度から見てみると、台風があることによって雨が降ります。雨は草や木を育てます。その草や木は牛や馬の餌になります。そして牛や馬がそれを食べることによって乳をつくり、人間に与え養うことになるのです。
水の働きそのものは、見る角度によって水そのもののありがたさがわかってくるものです。水が流れてきて発電所の機械を動かして電気をつくります。そしてその動力が光となって私たちが生きていくうえに大きな役割を果たしてくれます。ところが水自信には心がないので、人のためになりたいとか、人に功徳をつみたいとか思っているわけではありません。しかし、実際は人間にその徳を与えています。また、人間はその徳をいただいているのです。水だけではなく、人間は天地万物からその徳をいただいて生きているのです。仏さまの心をもてば、この世界が本当にありがたく感じるものなのです。
仏さまの心になれば、雨が降ってもありがたく、風が吹いてもありがたく、天気になってもありがたいわけで、何事もがありがたくなります。
ところがこれを人間の心で感じたならば
「きょうは家にいるから雨が降っても自分には関係ない」
「明日は旅行に行くから雨が降ったら嫌だ」
旅行に行く当日に雨が降ったときには
「何で雨が降るの!?」
とふくれます。
しかし、これは人間が勝手を言っているのであって、雨には関係ないことです。その人その人の立場によって、雨が必要になったり、どうでも良かったり、いらないものになったりするのです。
そこで人間は考えて、気付かなければなりません。雨が降ることも、風が吹くことも、天気になることも自然の力である。菩提心を起こしてものごとを見れば天地万物がみな人間を助ける仕事をしているということがわかります。
この菩提心というのは、自分さえよかったらそれで良いというのでは菩提心になりません。自分が食べなくても先に人に食べてもらう。いわゆる、母親が自分は食べずに先に子供に食べさせたいと思う心を菩提心といいます。
犬や猫は違います。一番強いものがわれ先にと食べます。親も子供もあったものではありません。しかし人間のお母さんは、自分食べなくても子供においしいところを食べさせます。お母さんは、子供においしいところを食べさせ、主人によいところを食べさせ、自分は残り物やおひつにこびりついたご飯粒を食べます。そして、文句も言わずに喜んでいます。自分がよいところを食べて、子供や主人に端を食べさせるお母さんはおりません。この人情のよいところが理解できれば、皆が苦しんだり悩んだりしているのを見聞きすれば、何とかしなくてはならないという心を起こさなければいけません。この心が菩提のこころとなるのです。
戻る