その30  仏さまって何なの??


仏さまといえば、お寺にいけば本堂などにおまつりされている観音さまや地蔵さまやお不動さまのことを思います。しかし、それは働きの上での仏、あるいは生死の煩いを離れたところを仏といい、凡夫と仏と対照してつけたもので人間が名付けているだけのものです。
観音さんが実際にあらわれて
「はじめまして、私・・・観音といいます」
と挨拶されたら驚きますよね。
私たちお坊さんが修行いたしますときに、授戒(じゅかい)といってお坊さんとしてこれから守っていかなければならない約束事、すなわち“戒律”を授けられる儀式があります。そのときに自分が今まで犯した罪に対して懺悔をします。五体投地(ごたいとうち)といって、五体すなわち右ひざ・左ひざ・右ひじ・左ひじ・頭の五ヶ所を地面につけて礼拝します。これは全身を地に投げ伏すということで、礼拝のなかで最も敬意を表する仕方です。この五体投地を数千回も繰り返します。そのときに、仏さまの名前を一々読み、その仏さま各々に懺悔するのです。また、真言宗のお寺には「曼荼羅」というものが掛けてあります。この曼荼羅をよく見てみると、数千の仏さまが描かれているのです。
なぜ数千もの仏さまがいらっしゃるのか?? また仏さまって一体何なのか?? 本当に仏さまっていらっしゃるのか?? いろんな疑問がわいてきます。
人間の心というものは怒り・悲しみ・喜びなどなど様々なものに変化します。たとえば怒りひとつをとっても、怒るレベルは色々あって少し腹がたつ怒りからハラワタが煮えくり返る怒りまでかなりの段階があります。もっとも、それらは感情のことですから、人間個人個人によってその感じ方も様々でしょう。しかし、人間の心というものは、つかみようがない不思議なものです。
「よい時計ですね。見せてください」
と言われますと、
「はい、どうぞ」
と見せることができます。しかし、
「あなたはきれいな心を持っていますね。私に見せてください」
と言われても
「はいどうぞ。これが私の心です」
と手にとって見せることはできません。それほどに心というものは複雑であり不思議なものですね。しかし、その心の持ちようによって仏にもなり畜生にもなります。ですから如何に心がけが大切かということです。
で、仏さまですが、その心の変化にあわせて仏さまというものが現れたのではないかと思うのです。
人間は、教育を受けて賢く成長をします。人間ほど賢いものはないと思います。しかし、いくら立派な教育を受けた人間でも、悪いことをしたりします。そこで、その心を抑制するものが必要となります。その役割をはたすのが仏さまです。自分より尊い対象を心の中に持ち、常に尊敬をしていればなかなか悪いことはできません。たとえば茶道では、先生が一番恐く尊い人です。その先生の前では行儀よくします。そういった自分の心の中での尊い対象を持つことが大切なのです。その対照が仏さまの場合、個人個人によって観音さまであったり地蔵さまであったりお不動さまであったりするのです。
ようするに人間の心のなかには誰しもが“仏心”という美しい心を持っていて、それに気付かずに生きているのです。自分の心の中に“仏心”を見つけることができたならば、やさしい心になり、ものごとを見る視点が変わり、いつも笑って生活ができるようになるのです。そういうことがわかってくれば、人間をふくめて世の中すべてのものに仏の心が宿っていることに気がつくのです。自分の心の中に仏を持っている人と、持っていない人では視点が違ってきます。落ち着いた気持ちでジッと考えてみましょう。きっと、何かが変わってくるのではないでしょうか。
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