その19 密教とは??



お大師さまの御入定1150年の御遠忌(ごおんき・・・昭和59年)から以降、密教ブームという言葉をよく聞くようになりました。たしかに“密教”ということばは何か神秘的な響きをもっています。また、密教では護摩を焚きます。薄暗いお堂の中で護摩の炎が上がり、護摩を焚く僧侶は手に印を結び、口に呪文(真言)をとなえます。いかにも神秘的な幻想的な世界に見えるでしょう。神秘的な幻想的な雰囲気をかもし出し、なおかつ“密教”という言葉を聞けば、「ベールにつつまれた」とか「秘密の秘法」とかそういったイメージを与えると思います。
昨今、テレビで拝み屋さん(霊媒師というのでしょうか?)が霊を呼び出してしゃべったり、座禅を組んで体を宙に浮かしたりして
「密教の力をお借りして」とか
「これが密教だ!!」
というシーンを見かけました。そんなことも影響してか、密教がそういうイメージにとられている人も多くあるのではないかと思うのです。
しかし、密教とはそういうものではありません。弘法大師のおことばに「いわゆる秘密には二義あり、一には衆生秘密(しゅじょうひみつ)、二には如来秘密(にょらいひみつ)なり」とあります。衆生秘密とは、人間は生まれながらにして仏の徳を持っているのにもかかわらず、それが分からずに凡夫だと思い込んでいるのをといいます。また、如来秘密とは、大日如来の説法は真言のおしえを受けないものには分からないことをいいます。すなわち、人間を含めて生きとし生けるものすべてのものには仏心(ぶっしん)というものがあり、それに気付かずに生活しているのです。その自分の中に隠れている仏心を密教の修法(手に印を結び、口に真言を唱え、心に仏を念ずる)をもって発見するのです。その修法の形となってあらわれたものの一つが護摩です。そして、その仏心というものの存在を悟ればやさしくそして美しい心になり、その心を世のため、人のため、社会のために生かしていくということに秘密の意味があるのです。
お大師さまの世界は、そんな不可思議な世界ではなく、心の時代といわれる現代社会に対応できる、理にかなった世界なのです。

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