法話その18  人間と動物のちがい


人間は人間らしく生きなければなりません。人間が人間の道をはずせば、動物の扱いをされます。いわゆる、腰に紐をつけられて、手錠をはめられてブタ箱にほりこまれます。
人間と動物の違いは、親子関係にあります。親といっても凡人ですから欲をもっています。あれもほしい、これもほしい。また愚痴のひとつやふたつもあります。ところが、子供を前にすると、親の我というものがなくなってしまいます。子供のためならば、なにもかも捨てて必死になって尽くすのが親というものです。
動物は、母親の乳を飲んでいるときは、親と思っているかもしれません。しかし、乳離れすれば親も子もあったものではなく、自然界で生き延びるライバルと化してしまうのです。これが人間界とは違う「畜生道」なのです。
昨今では、親が子供に尽くすのは当たり前で、“子供の権利”であると主張する人が多くなったと聞きます。まるで畜生の真似をしているようなもので、これでは仏法になりません。人間は人間らしく、決して畜生の真似をしてはいけません。
また、親心というのは、いじめる立場よりいじめられる立場の味方になって、可哀想にという心になります。兄が弟をいじめたら、お母さんは弟の立場にたって、兄をつかまえて弱いものいじめをしてはいけないと叱ります。それが親心というものです。ところが、畜生道にはそういうものはありません。弱肉強食の世界。強いものが勝ちなのです。親や兄弟というものはあったものではありません。
人間は人間らしく。人間らしくという中には、親を大切にするということが含まれています。自分が今日生きているのは、親の恩にあずかっているのです。その親を忘れるということは許されないことなのです。それが、今日では親を粗末にする人が増えてきているのは、法を聞かなくなったからです。また逆に、聞く機会を作らないのも悪いですね。

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