その16  四苦八苦



苦しいときや困ったときに「四苦八苦する」といいます。お釈迦さまの教えに「四苦八苦」というものがあります。
四苦とは「生・老・病・死」の四つをいいます。
この世に生れてくるのが“生”、年寄っていくのが“老”、その間に病気になるのが“病”、そして最後には誰しもが“死”をむかえます。
「オギャー」と生れてから人生が始ります。そして、誰でもが平等に年をとっていきます。いくら偉い大臣でも年をとります。綺麗な女優さんだから何年たっても若いままです。といえば、そんなことはありません。
大体平均して、25才くらいが体のできる一番良いときといわれます。それからしばらく横ばい状態が続いて、40才くらいから下り坂にさしかかり、50代・60代・70代とすすんでいきます。段々先にすすめばすすむほど難儀がでてきます。腰が痛いとか足が痛いとか、体のあちらこちらに必ず難儀がでてきます。そして、医学や科学などのお世話になって、その生・老・病・死というものを克服しようとしますが、それらも効かなくなればものを言わなくなってしまうのです。
人間誰しも、老いていくこと、病気をすること、死んでいくことが苦しみであり恐怖なことです。その苦しみはなぜ起るかといいますと生れてきたから起るのであって、それでこの四つを“四苦”というのです。
“八苦”というのは、この四苦に“愛別離苦(あいべつりく)” “怨憎会苦(おんぞえく)” “求不得苦(ぐふとっく)” “五蘊盛苦(ごうんじょうく)”の四つを加えたものをいいます。愛別離苦とは、愛するものと別離することの苦しみのことをいいます。怨憎会苦とは、嫌っている人と会うことの苦しみをいいます。求不得苦とは、何かが欲しくても手に入らない苦しみをいいます。そして五蘊盛苦とは五蘊すなわち人間の身体を構成している5つの要素(色・受・想・行・識)から起る苦しみをいいます。難しくなりますが、色(しき)とは物質的なものをいい、受は感受作用をいい、想は表象作用をいい、行は潜在的心作用をいい、識は認識作用をいいます。まあ、何せこの体があるのが苦しみであるということです。たとえば、体があるから相があらわれる。年の相で、あの人は何才だろうと人から言われます。そうなれば、その年相応の服を着なければならないし、言葉づかいも考えなければならないということです。
このように人間は、この“四苦”と“八苦”をくり返しながら生きていきます。それで困ったとき、苦しいときに“四苦八苦する”と言うのです。この苦しみから逃れる方法を示すのが仏法であり宗教なのです。
人間の世界に苦しみがあると乱世になります。家の中に苦しみがあると家の中が乱れます。親子・夫婦・兄弟の間に溝が入るとうまくいきません。このような乱れを整理するために信心が必要となってくるのです。信心をして正しくものを判断すること、正しくものを見る精神を養っていくことが大切なのです。心の中に好きや嫌いやという心があっては正しい判断はできません。信心によって、自分の我をとり、自分の心を正しくもつことが大切なのです。

戻る