その11 男は男らしく 女は女らしく



昔の偉いお坊さんに明恵上人(みょうえしょうにん)という人がおられました。明恵上人は遺言で
「私は、死んで阿弥陀さんのところへ行こうというようなことは考えたこともない。人間で生きている間は、人間らしい、その日その日の暮らしをしたいと思う」
と言われたそうです。人間は人間らしいことができたらそれでよいという意味です。人間の道でさえまともに歩けない人が多いこの世の中で、仏さんや菩薩さんの真似をせよということは、注文の方に無理があるかもしれませんね。
せめて男は男らしく、女は女らしく、一日一日の仕事を力いっぱいしていく。今日の仕事をほっておいて、先のことばかりを考えていたのでは、魂のおきどころが違ってきます。学校へ行っているときは一生懸命勉強をし、家庭にあっては、お父さんお母さんが各々の仕事を精一杯果たせば、家庭はまとまるものです。
禅宗の言葉に“柳は緑 花は紅” “からすはカーカー すずめはチュンチュン” ということばがあります。その意味は、人間だけが仏ではなく、“柳は緑 花は紅”ということが仏さんであるということをしめしています。なぜそれが仏かというと、法のとおりに生れて、法のとおりに鳴いて、法のとおりに死んでいく。一年間、花をつけるのを待っていた桜が、たった一度の嵐で、わずか3日で花を散らしていく。それが仏さんであると説いているのです。
人間として生れてきたら人間でなければなりません。畜生の真似をしたり、鬼や阿修羅のように人を殺しにいったり、人のものを盗りにいったり、人の頭をたたいてはいけません。そのようなことをすることは人の道をはずれています。正しい道を生きているかどうかは自分自身の問題ですが・・・
人に言えないみっともない心を持っていると、その結果は人間の扱いをされなくなります。腰に紐をつけられて、手錠をはめられて歩くことになります。これは畜生の扱いです。世の中というのは、それぞれの人間が、人間らしい生き方をしていれば人間の国がそのままに仏さまの国になっていくのです。
子供は子供らしく、青年は青年らしく、女性は女性らしく、心に一灯をもちながら、自分の歩む道を照らすと同時に、世間を照らす源となれるようにお互いに努力をしていこうではありませんか。

戻る