その4  お 米


子供の頃、茶碗についた米粒を粗末にしてはいけないと母親からよく叱られました。そのお陰で茶碗についた米粒を一粒残さず食べる習慣になっています。お坊さんの修行時代、食後のお茶は茶碗に注ぎ、残った米粒をきれいに残さずお茶で洗うようにして頂きます。ものを粗末にしないという根本的な習慣ですね。
高野山のお寺は宿坊といって、お参りの信者さんたちを宿泊させる施設を持っています。小僧時代に修行したお寺も宿坊でした。私たち小僧は、お経の勉強などの他にお客さんのお世話をするという仕事があります。お客さんにお出ししたお膳の後片付けをするのもそのひとつです。皿洗いをしていた時のことです。茶碗に残った数粒のお米が、流しに流れていきました。はじめは「もったいないな」としか思いませんでした。
しかし、よくよく考えてみると、お米は私たちの口に入るまでにたくさんの試練を乗り越えています。種まき・田植え・稲刈り・脱穀・・・その間にまびきされたり、こぼれ落ちたりするものがたくさんあります。そして、いよいよ米びつに入り炊飯器で炊かれわたし達の口に・・・ところが、おひつから茶碗によそわれた時のポジションが悪かった・・・あと一息、あともう一歩で口の中に入るのに茶碗に取り残され流しに流されてしまう米粒・・・「かわいそうだな・・・」と思いました。人間にも同じようなことがありますよね・・・

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