我慢という言葉は、今日では辛抱をするという意味などで、どちらかといえばよい意味で使用されている。
しかし、仏教語としては、あまり好ましいい身の言葉ではない。我慢とは、サンスクリット語ではアートマ・マーナ、またはアスミ・マーナといい、自己の中心に我(が)があると考え、その我をよりどころとして心が驕慢であることを意味する。また我慢は七慢のひとつとされる。
七慢とは
- 慢 劣った他人に対して自分が勝るといい、等しい他人に対して自分は等しいという
- 過慢 等しい他人に対して自分が勝っているといい、勝っている他人に対 し自分は等しいという
- 慢過慢 他人が勝っているのに対して、さらに勝るという
- 卑慢 他人がはるかに勝っているのに、自分はわずかしか劣っていないという
このように、仏教では我慢という言葉は悪い言葉として用いられてきた。ところが、我が強いということから、負けん気が強いということになり、しだいに辛抱強いということを意味する言葉に変わってきたのである。 |