その五 入唐(にっとう)
延暦二十三年(804)お大師さま三十一才のとき、桓武天皇(かんむてんのう)より唐(現在の中国)へ留学のお許しをいただき、七月六日、遣唐第一船(けんとうだいいっせん)に乗って出航されたのでした。第二船には、伝教大師最澄(でんきょうだいし さいちょう)が通訳の僧をともなって乗っておられました。
出航してまもなく大暴風雨にみまわれ、各船はばらばらになり一ヶ月も海をさまよったあげく、命からがら八月はじめに中国・福州・長渓県・赤岸鎮(ちゅうごく・ふくしゅう・ちょうけいけん・せきがんちん)というところに漂着しました。唐の都長安(ちょうあん)より七百里も南にあり、県の役人は日本からの遣唐船であるということを疑い上陸を許してくれません。
お大師さまは、乗船しているものを代表して上陸の許可を願う手紙を書かれました。唐は文章と書道を尊ぶ国。お大師さまの書かれた手紙は素晴らしい名文で。文字も美しく、県の役人は驚き、感心しただちに上陸を許し、長安に報告しました。
やがて、長安よりお迎えの使者が来て、一行は月参り等をあおいで宿舎を出て、星に迎えられて次の宿に入るという強行軍の末、十二月末に長安に入城しました。
長安の都に入られたお大師さまは、青龍寺(しょうりゅうじ)の恵果和尚(けいかかしょう)のことを伝え聞かれたのです。和尚はインドより伝わった密教(みっきょう)を受け継がれ、三代の皇帝が師を尊んだ当代第一の高僧(こうそう)でした。
写真 遣唐船