その六 恵果和尚との出会い
お大師さまはある日意を決して恵果和尚(けいかかしょう)を青龍寺(しょうりゅうじ)に訪問しました。すると驚いたことに恵果和尚は微笑みながらこうおっしゃるではありませんか。
「わたしはあなたがやって来ることを前から知っており、今か今かと待っていました。やっと来ましたね。わたしの寿命はもう長くありません。わたしが知っているすべてのことを伝え残したいと思っていましたが、今までふさわしい弟子がいませんでした。あなたこそ、その人です。早く準備をしなさい」
お大師さまは驚くと同時に大変喜ばれ、早速に準備をととのえ、六月上旬に胎蔵部(たいぞうぶ)の灌頂(かんじょう)にのぞまれました。お大師さまが胎蔵曼荼羅に花を投げると、その花は中心の大日如来の上に落ちたのです。恵果和尚はこれを見て、ますます自分の眼にくるいがなかったことを確信されました。
七月に入って、金剛界(こんごうかい)の灌頂壇(かんじょうだん)に入ったお大師さまは再び花を投げ、再び大日如来を得ました。恵果和尚の驚きはいかばかりでありましょう。闇を除き、一切を生かして遍く照り輝く大日如来。この遍照の如来と結縁(けちえん)したものとして「遍照金剛」(へんじょうこんごう)という名前をお大師さまに授けられました。金剛とは、硬くこわれないものを意味し、密教の灌頂を受けて阿闍梨(あじゃり)となつた人に与えられる称号です。
お大師さまを信仰する人たちが「南無大師遍照金剛」と唱えるのは、「遍照金剛」という称号を授けられたお大師さまに帰依(南無)するという意味なのです。
恵果和尚は千余人の弟子をおいて、異国から来たひとりの若き求法者(ぐほうしゃ)に、ひとつの瓶(びょう)の水を他の瓶に移し変えるように、自分の持っているすべてを授けられたのでした。お大師さまの日本における長い苦行と勉学がここに大きな実を結んだのです。時にお大師さまは三十二才でした。
写真 恵果和尚