初代 稚 児 櫻


鷲林寺の沿革をあらわす古い書物には、稚児櫻が必ず登場する。
大正14年中秋に刊行された「六甲山鷲林寺記」というパンフレットには

稚児櫻 
本堂の横にありて樹齢数百年稀有の大木にして、かつ花又類を他に見ず 猶境内に数百本の牡丹櫻の大木有り その美は吉野須磨寺のそれに優るとも決して劣らず 春陽の頃俗化の未だ及ばざるを喜ぶ観櫻者つどう

とあり樹齢数百年の大木であり、その花は他に類を見ないと解説している。
この他にも「大社村誌」(昭和11年7月発行)の中の鷲林寺の項にも

稚児櫻
観音堂前にあり幹圍2尺余、高二丈余、花時淡紅黄色美麗云う可からず

とある。幹まわりが60センチ強。高さが二丈余り、一丈は10尺と定義されているので12メートル強の高さということになる。また、花の色は淡い紅黄色とあるのでとても美しい桜であったことが想像される。


鷲林寺本堂と庫裏と初代稚児櫻
昭和6年頃の撮影(大社村誌抜粋)

本堂 昭和5年10月21日落慶   4間・5間半
庫裏 昭和6年10月        平屋建 35坪


上の写真は「大社村誌」に掲載されている昭和6年頃の本堂と初代稚児櫻である。本堂の規模は現在のものとかわらないが、鷲林寺村古老の話では、昭和5年10月21日に落慶する前の本堂は東向きに建っていたものを、新築する折に南向きに方向を変えたとのことである。しかし、昭和13年に起こった「阪神大水害」の折に山津波の直撃を受け、南向きに建っていた本堂が大きく東向きに押し流され傾いたのである。
その後、被災した本堂をそのままの形で復興したが、もともとの向きである東向きに建て改めたとのことである。この写真を見てみると、現在の木の位置から想像するに、南向きに建っていると思われる。

稚児櫻は本堂の高さよりもはるかに高い。文書にある通り、12メートル以上の大木であったことが伺える。
山津波によって押し流され傾いた本堂


本堂の規模は現在のものと変わらない。

初代稚児櫻がいかに大きなもので
あったかということが想像できる。

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