高野山真言宗青年教師会
カンボジア いろは小学校訪問

高野山真言宗青年教師会
長  藤原  栄善

                              

カンボジアという国

高野山真言宗青年教師会の行事の一環として、カンボジアいろは小学校訪問が当会副会長・上西隆全師担当にて行われた。2001年2月5日、16名の一行はカンボジア・プノンペンを目指し、関西新空港を飛び発った。
 2001年2月6日()午前7時30分、プノンペン市街にあるインターコンチネンタルホテルを、専用バスを利用して出発する。カンボジアの朝は早く、平均的出勤時間は午前7時30分ということで、道路は出勤の人でごったがえしていた。カンボジアの交通手段はバイクが多く2人乗り、3人乗りは当たり前。時には4人乗りのバイクを見かけた。バイクの群集の中に車が走り、信号機・横断歩道はほとんどない。バイク・車が往来する隙間をぬって人が走って道路を横断する。よく交通事故が発生しないものだと感心した。申し訳程度に簡易舗装された道路は私たちに適度な揺れを体感させ、まだ眠い目を覚ましてくれた。道路脇には屋台が並び、食事をしている人の姿を見かけた。カンボジア人たちの朝食は大体が外食である。決して清潔とはいえない屋台で好物のカンボジア麺をすする。バスの窓から見える人々の生活は、日本の昭和10年代から20年代頃の風景であろうか・・・一見傾いているような小屋のまわりに牛を放し、私たちのバスを見送る老婆の姿が印象的であった。 


いろは小学校の現況

バスに揺られて約40分、いろは小学校に到着する。薄茶色の作務衣姿に帽子をかぶった渋井 修師が私たちを迎えてくれた。渋井師は真言宗醍醐派の教師でカンボジア・ワットウナローム寺の僧として一時期修行されていたが、現在は還俗されて日本語学校を経営しながらいろは小学校のお世話をいただいている。  いろは小学校入り口には門があり、高野山真言宗元管長・竹内崇峯大僧正猊下のご染筆にて「高野山真言宗いろは小学校」と書かれた看板がはってあった。敷地は想像していたよりも広かった。校舎は二棟あり、正門入って向かって左側に平成8年に建設されたメアスチャンリープ・メモリアルスクール校舎があり、校庭をはさんで敷地正面に平成5年に建設された旧校舎が位置する。現在、いろは小学校で学ぶ子供たちは約400名である。カンボジアの気候は乾季と雨季に分かれる。雨季には膝下まで雨水がくることもあるせいか、校舎の傷みようは思ったより激しく、特にメアスチャンリープ・メモリアルスクール校舎は遠目から見ても屋根の棟が波打っているのがはっきりわかり、とても5年前に建設された新しい建物には見えなかった。ほぼ同じ広さの部屋が東西に4部屋並んでいるが、特に西側の部屋の損傷はひどく、とても子供が入って勉強できる状態ではなかった。校舎の周囲の基壇も陥没しているところが数ヶ所あり、かなり危険な状態であった。早急な修理、もしくは建て替えが必要であることは素人の私たちでも一見して判断できた。

           カンボジアいろは小学校旧校舎          メアスチャンリープメモリアルスクール

 

いろは小学校と高真青

いろは小学校と高真青との関わりは高真青第八代会長水谷栄寛(みずたに えいかん)師の時代にさかのぼる。水谷師自身が奉職されていた横浜・明倫高校にカンボジアの避難民・ 文禎(ひ ぶんてい)が学んでいた。彼女から、カンボジアは内戦によって子供たちが学習する小学校が十分にないことを聞かされる。後に高真青の伝道車であった弧石号(こせきごう)《高橋覚阿僧正による寄付にて購入した伝道車が日本での使用が不要となったため、その頃より知り合いになったメアス氏(メアス・チャン・リープ/ カンボジア ソン・サン派『仏教自民党』の最高幹部・故人)を通じてカンボジアに寄贈した。こういった縁により「カンボジアの子供たちのための小学校建設」を平成4年度高真青事業として掲げ、全国一斉托鉢を呼びかけ、また高真青創立十五周年記念事業の一環として行われたカンボジア救済チャリティーショーによって捻出された浄財を寄せて「いろは小学校」カンボジア名「トゥール・クラスン小学校」の完成を見たのである。その後、平成8年に高真青の協力によってメアス・チャン・リープ・メモリアルスクールがいろは小学校増設校舎として新築なった。これは故人となったメアス氏の念願であったいろは小学校の第二校舎である。
 いろは小学校の学費はもちろん無償であるが、教師の給与の捻出方法がなく、現状を本山に説明された。いろは小学校には4名の教師がおり、年間12万円の助成(年間一人3万円)を5年間継続していただくことに決定した。5年間に区切った理由は、現地の一日も早い自立を前提として、永久の援助はかえってマイナスになるという判断のもとであった。メアス氏死亡のあと渋井氏を通して毎年振り込まれるようになった。(平成6年より)また、新たな校舎増築に伴い、さらに4名の教師の給与の助成が必要となった。いろは小学校の教師と平等に年間12万円の助成を求められた。その助成金に8万円の営繕費を足して高真青が毎年渋井師を通して送金していたのである。5年間の給与助成の約束は平成十一年までになっており本山の打ち切りに従い、高真青も打ち切った。

 

いろは小学校の教育

私たちの訪問に先駆けて、事前にいろは小学校の現状を把握しておく必要があったため備前青年教師会・阿河康真師に依頼し調査していただいた。その調査報告が高真青理事会にて上西副会長から発表された。その報告を受け、高真青としていろは小学校の建設に関わった責任上、今後どのような対応が必要なのか、またいろは小学校に関する不明な点などの確認調査と、いろは小学校に学ぶ子供たちとの交流をはかるためにドッジボール大会を開催することになったのである。
 まず、いろは小学校は高真青が中心となって建設された経緯があるが、現在はカンボジア政府が所有する公立校で、土地・建物すべてがカンボジア政府の登録となっている。また、教師の給与も政府から支払われていて、本山・高真青からの助成も、なければないで良い時期であろうとの答えをいただいた。子供たちの授業料は無償で、授業時間は午前7時から午前11時迄まで、午後1時から午後5時までの二部制になっている。
 カンボジアの教育制度は日本のものとほぼ同じで、小学校6年間、中学校3年間、高校3年間、大学4年間(医学部は6年間)である。日本と違う点は義務教育が小学校までというところである。しかし、現状は長い間の内戦により学校が大変不足している状態で、小学校にすら行けない子供たちがたくさんいる。私たちにとって字が読め書けるというのは当たり前のことである。ところが、その当たり前の基礎的な教育でさえ受けることができない子供たちがカンボジアにはたくさんいる。そんな子供たちが、何とか読み書き・計算などの基礎教育が受けることができるようにということで「カンボジアに小学校をつくろう」という運動があちらこちらでおこっているのである。そういった主旨でいろは小学校も建設されたことは言うまでもない。

          先生と生徒達

 

ドッジボール大会

今回の訪問に先駆けて、上西隆全副会長・岩崎増英師・竹井成範師・生駒浩禅師のお世話にて高木株式会社・クラブン株式会社・倉敷市・株式会社西文明堂・三菱鉛筆岡山販売株式会社よりご協力賜り、400名分の文具品、遊戯品などを寄贈していただいた。
 いろは小学校の授業時間は午前の部と午後の部に分かれるが、本日は私たちが訪問するということで生徒全員が一堂に集まってくれた。用意していただいたボールをふくらませドッジボール大会を開催する。子供たちはドッジボールをするのは始めてである。まず、ボールに慣れさせるためにキャッチボールをするものと、コートをつくるものに分かれた。私は、キャッチボール係りを受け持った。もちろん言葉は通じない。しかし、キャッチボールをしている間にコミュニケーションがとれてきて笑顔がこぼれ、笑い声が出る。そうなるまでにそんなにも時間は必要としなかった。子供は万国どこでも皆同じてある。コートの用意ができて、渋井師が説明をする。しかし、子供たちは理解できない様子・・・私たちが模範プレイをして見せた。高学年の子供たちは理解をしてドッジボールになったが、低学年の子供たちは最後までキャッチボールで終わってしまった。しかし、いろは小学校の校庭は子供たちと私たちの歓声がひとつになり響きわたっていた。 
 ドッジボール終了後、子供たちを教室に入れ文具品を一人一人に手渡した。過去に先生にまとめて渡すと、子供に渡らなかったという噂を聞いたことがあり、直接手渡すことになった。ノート1冊と鉛筆3本、色鉛筆1本、簡易鉛筆削り1個ずつを渡す。子供たちはいちいち立って手を合わせてカンボジア語で「ありがとうございます」と言い挨拶をする。その仕草がとても可愛らしく思えた。

      

今後の支援

いろは小学校の現状は、旧校舎は子供たちが学習するのに今のところ問題はないが、メアス・チャン・リープ・メモリアルスクール校舎は前述の通りかなり危険な状態である。ちなみに修理するのに15、000ドル(約180万円) 新築するのに35、000ドル(約420万円)必要であるとのことである。が、修理をするのは物理的に危険を伴い無理ということである。毎年決まって支援するという方法は、現地の一日も早い自立を前提と考えるならばかえってマイナスになるという判断であるが、単発的な支援は絶対必要であると考える。「高野山真言宗いろは小学校」の看板がある以上、何らかの形で助成できないものかと思った。 ただ、気をつけなくてはならないことがある。過去の歴史の中に、ある国を支援するために日本人があまり深入りしすぎて、その土地の物価を引き上げてしまったという例を聞いたことがある。また、その民族自身の「心」にも影響を与える可能性がある。カンボジアの人々の純真な心の中に立ち入りすぎて、その領域を犯すことは避けなければならないことを十分に考慮しなければならない。今後の支援の選択方法も大変難しいものである。                                                

         

               参加者
竹井成範 竹井悦子 中尾森雄 上西隆全 阿河康真 松峰隆法 佐宮光基 荒谷隆乗生駒浩禅 岩崎臓英 業天弘祐 田中裕心後藤太栄 安田弘仁 藤原栄善 藤原ひとみ (順不同 敬称略)

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