1.17. 防災を考える |
1.17. 阪神淡路大震災 平成7年1月17日 午前5時46分 突如として阪神淡路地方を襲った大震災。この震災によって実に6542名の尊い生命が奪われました。 当時(現在もそうですが)、激震地区のひとつであった西宮市に住まいしていた私は、まるで地獄絵図を見ているような錯覚を覚え、自分の目を疑いました。信じられない光景を見ましたし、信じられないお話を聞きました。 生きながらに焼け死んでいく人々。その悲鳴を聞きながらも助けることができずに呆然としている人々。亡くなってしまった我が子を抱きしめながらただただ泣き叫ぶ母親・・・ 未曾有ともいわれ、甚大な被害をもたらした『阪神淡路大震災』。その後の人生観が変わってしまった人もたくさんおられます。 生と死は背中あわせ 私もこの震災に遭遇して、その時も また、その後も普通では体験できないことを体験した一人です。 震災が起こったその瞬間、家がつぶれたのか、つぶれなかったのか。つぶれた家の下敷きになったのか、ならなかったのか。生死の如何は偶然とも言えるし運命とも言えます。一瞬の出来事ですから、自分ではどうすることもできない。生きるか死ぬかは運命に頼るしかありません。 たまたま生きていた。たまたま柱が直撃しなかった。下敷きになったが、たまたま抜け出すことができた。大自然の猛威にかかれば、私たち人間とは所詮こんなレベルです。 初動が大切 1分遅れれば一人死ぬ しかし、たまたま生きていたときに、次にとる初動がいかに大切かということを学びました。1分遅れれば一人死に、2分遅れれば2人死に・・・そういったレベルが大震災です。 平素から震災を意識しているのか意識していないのかによって、大きな違いがあるのです。もしも、震災が起こったら。もしも火災が起こったら。どのように自分は行動をとるのかということを、一人一人が普段からしっかりと考えておくことが大切です。 活動するにはお金が必要 震災後、数日してお坊さんの仲間が集まってきてボランティア活動が始りました。住むところを無くし、食べるものがない。何をすればよいのか。とりあえず炊き出しだろう。ということで、炊き出しをすることになりました。しかし、その材料を買うお金がなかった。きょうは1万円ずつ出し合おう。きょうは5千円ずつ出し合おう。集まった人たちがおこづかいを出し合って、食材を買い求め炊き出しをしました。活動をするところは一番困っておられる人々が集まる場所。集会所 学校 祖体育館などなど。そんな場所には避難されている人数が多かった。1000人前のカレーライス シチュー たまごどんぶりなどを作るには相当額のお金が必要でした。奇麗ごと抜きにして活動を続けるにはお金が必要でした。 防災に対する三ケ条 いつどこで震災を含める災害が起こるかもしれない。そして、誰がどのような被害に逢うかわからない。災害に逢ったひとりとして、その体験を生かして言うならば、 1、お金の貯えをしておくこと 誰がどこで何に使ってもよい“災害救援基金”のようなものを各地区の団体・グループ・家庭などでつくっておき、いざというときにそれを持って走れるようにしておく。 2、ネットワークをつくり防災に備える それぞれの団体・グループで防災ネットワークを組織し、いざという時に誰がどの地区にいて、誰が現場に走ることができるのか。いざというときに使える道具(トラック・チェーンソー・ヘルメットなどなど)を提供していただける人と道具のリストを作成する。などネットワークを各団体・各グループで把握しておくことも重要なポイントであると思います。 3、意 識 何といっても個人個人の意識の持ち方が肝要であります。意識を持っているのか持っていないのかで大きな違いが出てくると思います。といっても、いざという時にはあせってしまって、考えていることの何割も行動できないと思うが、意識を持っているのと持っていないとでは雲泥の差があると思います。 以上、「阪神淡路大震災」の体験に基づいて思うがままに書いてみました。南西沖地震・南海地震などは近い将来確実に起こると言われております。大自然の猛威に私たち人間がかなうはずはありません。しかし、私たち人間の智恵によって、その被害は最小限に押さえられるはずです。皆で協力し合って防災を考えていこうではありませんか。 ※全真言宗青年連盟では“災害救援寄金”をつくり、高野山真言宗青年教師会では“災害救援ネットワーク”を組織しています。皆さんも各団体・グループで是非ご検討いただければ幸甚です。 |