我が家の家族登山(1)


                            上小30山の山に登る
 子ども達が幼稚園から小学校低学年にかけて,,烏帽子,根子岳,四阿山など2000m程の高原の山々や独鈷山,夫神岳など家の近所の
登山道のしっかりついた山々に登りはじめました。アルバムなど見てみたら登る前段階として意識した訳ではありませんが麓への,
散歩やハイキング,山遊びなども,結構やっていたことがわかりました。
これらの山々は,小学生も遠足などで登る山であり,私も何回かそれまで登っていたし,二人の子どもを親二人で連れて行くので,
それほど不安感は無く余裕を持って登れたと思います。

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地蔵峠から登る。キャンプ場辺り。

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湯の丸との鞍部から稜線へ向かう。
幼稚園に入るくらいの年。根子岳麓の牧場。広く,丘や沢もあり,虫もいる。 裏の山の林道わきの小道。この頃の子にとって,ちょっと急な道はガケのように感じる。きのこ取りにもよく行く。 84年夏,姉は幼稚園年長組。弟は年中組。姉の同級生のご近所のTさん一家と一緒に烏帽子岳(2065m)に登山した。これが子ども達の初登山と言えると思う。 地蔵峠からの道は,なだらかで,よく踏まれているので,大人だと1時間程度。この時は,写真の時刻のカウンターで見ると,キャンプ場7:03頂上9:08でした。

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牧場事務所から少し登った所。

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山頂めざして登る。
稜線に出る寸前,弟がややごねて母親に手を引いてもらうが,上に出て快調。 山頂にて。天気は快晴。無事登頂下山しました。山頂にはとんぼがたくさん飛んでいました。 85年夏,姉小1,弟年長組。根子岳(2207m)に登山した。牧場事務所の方から登る。 朝早く出てきたので,始めのうちは,調子が出なかった。朝食,お便所など子どもの登山のポイントか。

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頂上が近づく。

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山頂。後ろ四阿山。

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下りは避難小屋の方へ下った。

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独鈷山山頂。
頂上近くなって,段々調子が出てきた。  標高差もあまり無いので子どもにとってもそれほど苦労なく登れた気がする。 下りは避難小屋の方へ下った。ツアーコースにもなっている広い道がなだらかに続き気楽に下る。途中,避難小屋を過ぎたあたりで,私が牧場事務所の方まで,牧場の中を横切って車を取りに行った。母親と子ども達はそのまま下り,裏ダボス辺りの道で合流。
これは,あまりよくなかった。(牧場横断も沢もあり苦労,下も結構広がっていて,合流に時間がかかる。)
85年の春には,私の母(当時60歳)も一緒に独鈷山(1266m)に登っていた。この頃は,登山の後,記録の文など書いていなかったが,母の日記にその時の事が書いてあった。沢山湖コースから登ったが当時は市民登山もこのコースからで,丁度市民登山の日だった。妻と子ども達にとっては初登頂,母にとっては小学校の遠足以来か?
独鈷山登山(おばあちゃんの日記から)
昭和60年,5月12日,日曜日  前から計画を立てていた独鈷山登山,好天に恵まれて実行できた。朝七時,皆で車で沢山湖まで行き登り始める。登り三時間(ほぼ歩いた時間)下り二時間位で,一同元気に行って来られた。朝はまだまだ寒く,半袖のR(弟の方の名)は寒そうだったが,寒いとも言わずズボンのポケットに手を入れて登っていった。軍手でも持ってくればよかったと思った。登山口へは,一番乗りだった。でもしばらく行くと次に来た組が追い越していった。朝食もそこそこに出てきたのでおなかがすいた様子でしばらく行った所で子供はおにぎりを食べる。途中Mさん(妻の名)の同級生に合ってびっくり。(ご夫婦でバードウオッチングをしていた。)急坂があってなかなか尾根に出るまでも大変な道だった。尾根からも危険な所が所々あり,大部長い道に感じた。そろそろ頂上に着く少し前,西塩田小学校から集まって来た人達に追いつかれてしまった。(市民登山のこと)最後のしばらくの所尾根の危険なコースを通って来てしまってびっくり。頂上で周囲の山々を見て,少し降りた平らな所でお昼を食べ一休みして一足先に降り始める。皆は責任者の人が急坂をロープを下げてくれて登ってきたそうだ。帰りはそのロープにつかまっておりて大部楽だった。おりてきてみて,こんな坂を登ってきたのかと驚くほどだった。ヤッホー,ヤッホーと声をかけ合って,楽しかった。尾根を過ぎ山も終わりになる頃,やっと水の流れる所になる。その水を子供は飲み,私は手ぬぐいをぬらして顔をふき,さっぱりした。帰ってきて思うぞんぶん水を飲み,皆でアイスクリームを食べた。・・・・・
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