根橋さんの1500座登頂へ同(八柱山・北八ヶ岳の2114m)


春ころ根橋さんから、今年は1500座登頂を目標にしたいという事やその時は声をかけます。と言われていて楽しみというか光栄な気持ちになった。しかし1500に上乗せの数字がだんだん増えていったり、しばらくして私が気づいた時にはその数もかなりオーバーしてしまっていたので、何となく機会を逸したような、こちらから気づいて言わなければいけなかったかな等と申し訳ないような気持ちになったりもした。それに、1500座登頂記念となれば、根橋さんと一緒に登ってお祝いしたいという気持ちの方もいるだろう。「山岳巡礼」の掲示板に「1500座登頂をみなで祝おう。」というような書き込みをした方がいいのかな?などと迷っていたが、元来のずくなし(長野県の方言でやる気力が乏しいとかなまけもの的な感じのこと)や人をまとめる事などできない私なので考えただけでもおっくうになりあきらめてしまった。いよいよご一緒させていただくことになったが、何となくするべきことをしなかったような申し訳ないような気分だった。うめあわせにせめて祝登頂パネルでも、と作ってもって行った。上田のインターを下りた所で待ち合わせて根橋さんの車にのり、八千穂の花木園付近から歩き始める。登り出しがすでに高原で、手入れされた林道がしばらく続き、登山道に入っても、からまつ林に笹の下草の中を良く手入れされた遊歩道的な道で、気楽に話しながら登る。
すぐ尾根に出て、しばらく行くともう山頂が近づいてきた。根橋さんの話だと、1500座という数は今西錦司の1500座登頂を知り、ああいった人ですら1500座という数は大変なことなのだ、まして50歳くらいから登り始めた自分が、という事から高い目標の一つとして心にいだいていた、というお話を聞く。今西錦司の1500座登頂が話題になった頃の記憶が私にも浮かんできた。雑誌「山と渓谷」にその様子が書かれていたかな?当時今西錦司は80代くらいだったのだろうか?大勢の弟子や関係者に囲まれて登っていたような気がする。今西錦司は中学生の頃から一生を通して登山をしていた訳だから、高年になってから登山を始めた根橋さんのピークハントのペースはすごいことになる。
簡単な山だが、山頂付近には天然カラマツの大木がいくつかあり、東信地区の高山であることが分かる。登り始めには少しきのことりの人がいたが、登山道に入ると人は全くいなくなった。
間もなく山頂となる。画用紙に貼り付けたり描いたりして作ったお粗末なパネルはいざ山頂で出す事になると恥ずかしかったので回りにだれも人がいなかったのでホッとした。私が「ガン、人工肛門からの出発、300名山への軌跡」の根橋さんの体験のHPを読んでから、四年以上たった。その間根橋さんと一緒に登山したことは5回くらいである。いずれも長野県の、しかも家からそれほど離れていない山だ。しかしメールなどで、色々とはげましていただいているので一年に一回くらいの登山でもとても身近な人のように感じられる。また根橋さんとのこのようなおつきあいは、50歳を過ぎてからの貧相な自分の人生を豊かにしていただいているなあ、と常々感謝しています。
 おそらく、私と同じように感じられている方も多いのではではないかな、と思います。
 根橋平良さん1500座登頂おめでとうございました。   「さらに2000座をめざして下さい。」と私が言ったら、「もうそういう数を追い求めるような登り方はやめようと思います。気持ちのおもむくままに、登りたかったら登るという風にしたい。」と言われていましたが・・。(2007,10,12)
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