30山あれこれ(1)


目次 

保福寺峠のウエストン今西錦司「山城30山」30山の載っている本の紹介 石井鶴三独鈷山の絵
泉の情報      30山の自然  狩猟の話 三角点探し


保福寺峠のウエストン
 日本アルプスを世に知らせたウエストンの「日本アルプス」−登山と探検ーには、1891年(明治24年)上田で汽車をおりたウエストンが保福寺峠を越える時、初めて、飛騨山脈の姿に接して感動した場面が出てくる。その要約を書いてみましょう。
 「軽井沢で足慣らしに浅間山に登ったウエストンたちは松本に向かうため上田町で汽車を降り、出来たばかりのどぎつい白塗りの鉄橋で千曲川を渡り、夏の暑さの中を人力車に乗り、浦野まで着く。
 そこで、車夫が茶屋で一服する間、木陰に休み振り返ると、{遥かかなたの古城上田の天守閣の白壁が、向こう岸の丘陵の濃い緑の木々を背景にくっきりと白く輝いていた。}
 そこから、道が悪くなり峠の頂上まで、人力車を降り、歩く事にした。
 文を読むと、保福寺峠は、木のない、草と石だらけの斜面で午後の暑い日をまともに受けて登った。とあるが、現在は木が生えている。
 午後6時、峠に着き、その右側の丘に立って飛騨山脈を初めて見る。
 ここも、現在は木が生えていて展望はない。
 文は{私たちは、思いがけなくその展望に接したので、その壮麗さにはただ驚嘆するばかりだった。その連峰の中央部と南部全体は、足の下に広々と広がる松本平とそのかなたの淋しい飛騨の国との間に、一つの大きな障壁のように、西の方の前面にそびえていた。高さ一万フィートないしそれ以上の雪襞のある尾根や気高い峰峰が、落日に映えたオパール色の空を背景に、紫の輪郭も鮮やかにそびえている。〜}角川文庫「日本アルプス」登山と探検 岡村精一訳 引用。
 右の写真の碑は文と反対の左側に入った所にあります。峠には、万葉歌碑「信濃路はいまのかりみちかりばねに〜」もあります。

保福寺峠の碑
今西錦司「山城30山」
 30山を決めるにも書いたとおり、この文を読み、上小30山を思いついた文です。
 大学生の頃買ったまま読まずにおいてあった「今西錦司 山と探検・ 人と思想 文藝春秋社昭和45年初版」という本を偶然にめくっていたらその中に見つけた文で、1940年刊の「山岳省察」の中の文を再録したものです。
 今西錦司が京都一中時代に、山岳部の仲間と、{三角点を有し、かつ地図上に山名の記入された山、標高は400メートルまで(下限)とし、京都に住む私どもにとって親しみ深い山々を包含したいのである}。という感じで、{その数はやはり30くらいでとどめておいたがよろしかろうと思う。}と30の数を決め、色々な山を選んだり、また、今の部員で選びなおしてほしい、というような先輩が後輩山岳部員に語る内容の文でした。
 そして、最後の方に、{そして私はこれによって何も将来部員諸君のすべてが、偉い登山家になることを期待しているわけではない。むしろこうして山へ登っているうちに、誰もが自然の趣味を解し、野外運動の素朴さを愛するようにならんことこそ望むところである。
 そしてまた物事には時期がある。若き日の修養時代を真に有効ならしめんと欲するならば、いたずらに机上の勉強ばかりしていないで、この期において、将来にまで発展さすべき健全なる心身の基調となるべきものを得るように努力してもらいたいものである。}と言って、危険の範囲外にある、30山踏破を中学生(旧制ではあるが)に勧めている。{文}上記の本から引用。
 戦時中に刊行された文という感じですが、ある意味で今にも通用する、と、中学生ならぬ中年の私も思わずそうだ、と思って30山を決め、登ったのですが、やはり本当は中学生、高校生あたりが登ればいいのだがな、と思っています。このHPを見た地元の中,高生やご家族で,30山踏破を目指す人が出ればいいのですが・・・。これを書いている今年の冬休み、府立1中のOBによる平均年齢63才の崑崙山脈登山隊の事をテレビでやっていました。今西錦司の事も出てきました。山城30山など中学時代に登っていた方々なのでしょうか?
 山城三十山について、詳しくは、上西氏の「山城五十山」のHPがありました。
 「山城三十山」という本も日本山岳会京都支部から出版されていました。「山城三十山」

「山城30山」この本の中にあった文
上小30山が少しでも載っている書物
 30山の中の山に少しでも関係した本は多数あると思いますが、自分で利用したり、見て楽しんでいるものや積んで楽しんでいるもの、このホームページを作る時参考にしたものなど今手元に見えたものだけをご紹介します。(書店にないものもあると思います。)
「信州山岳百科・信濃毎日新聞社」「信州百名山・清水栄一著・桐原書店」「信州百名山ガイドブック・丸山晴弘監修・KCCBOOK」「分県別登山ガイド長野県の山・山と渓谷社」「信州の里山を歩く東北信編・信濃毎日新聞社」「山渓カラー名鑑日本の山1000・山と渓谷社」「展望の山旅(続、続々の3冊・藤本一美、田代博著」「日本山名総覧・武内正著」「「山旅湯旅ふたたび・丸山晴弘著・KCCBOOK」「信州魅力の山と湯・丸山晴弘著・信濃毎日新聞社」「太郎山より愛をこめて・河原五郎治遺稿集」「上小理科物語・上小理科教育委員会著」「上田小県誌」「上田市誌」等。また、紀行文では、信州百名山の他もちろん「日本百名山」と関連の本。また低山派の横山厚夫が以前「山の本・白山書房」に子檀嶺岳と大林山という文をのせ、そこで{信越線の上田を下車駅とする東信の、つまり塩田平周辺の山々はみな小振りだが、明るく、展望のよいのが気に入っている。}とも述べています。「花の百名山・田中澄江著」に根子岳、ウメバチソウという文や、「折々の山・望月達夫著」には、1974年秋の静かな四阿山の紀行が載っていました。(HPを作ってから後)田部重治の「山と渓谷」に美ヶ原と霧が峰という昭和初期の文があるのを最近知りました。また最近出版された「日本百低山」小林泰彦著には独鈷山(子檀嶺岳も)が取り上げられています。また,最近出た「長野県 北信,東信,日帰りの山」110山,198コース伊部高夫著 章文館1900円,これが,このあたりの里山ガイドブックの決定版と言っていいでしょう。すべての面で完璧な内容のようです。上小三十山のほとんどの山も網羅されています。
これは,上小30山がのっている本ではないのですが,前述の白山書房「山の本」に現在(2002年)連載されている「コバンザメ,山を行くシリーズ」という文章の作者安藤洋子さんは,上田市塩田平の我が家の近所にお住いで,ご主人とともに地元でもよく知られた方です。最近(2003年)では、そのシリーズをまとめた「コバンザメ登山家フン戦記」白山書房が発刊されました。本の最後の章は「夕空の山を訪ねて」(大明神岳)も出ていました。 

虚空蔵山尾根よりの後立山展望,青い高い山冠着山、下、坂城町、上山田町方面。
石井鶴三独鈷山の絵
 彫刻家石井鶴三(1887〜1973)の美術館が、上田城址公園の前、上田二中の向かい合いにある。
 建物は木造の旧上田図書館を利用した古いものです。
 これは、石井鶴三が長野県教育会の彫塑の指導にあたり、特に関係の深かった小県上田教育会に作品があるという事なのだが、年譜によると石井鶴三は、19才で山本鼎と浅間山に登り、山岳の崇高さ、造形美に魅せられる。
 以後折あるごとに山に登り、南北アルプス、八ヶ岳、飯綱、戸隠、蓼科山などにも登っている。
 昭和11年には日本山岳画協会創立にも参加している。
 そんな事から、彫刻に興味のない私でしたが、美術関係の先生から頼まれて、石井鶴三作品集を買ったところ、そこに「奇峯臨水」という作品(絵)が載っていた。(昭和32年の作品)
 ああこれは、独鈷山を西塩田の溜池の所から描いたんだなあと、分かる。31年には奇峯という題でも岩の飛び出た山稜の一部を描いている。
 写真はその絵の描かれた同じあたりと思われる。本物の画の構図はもちろんもっといいですが・・。
(最近2004,2 上小教育会の石井鶴三委員会の係りの先生が鶴三の日記と現場と絵を細かく調べ、鶴三がどこ描いたかを実証されました。その情報を今後整理をして美術館の方へ展示するそうです。)

西塩田舌食池から見た独鈷山
温泉の情報
 私は、地元の山を登った後、地元の温泉に入ったことはほとんどありません。
 それは、すぐ家についてしまう事と、昼から入って、知っている人に会うのがなんとなく恥ずかしいからです。だから、温泉について語る資格はないんですが、よその山や、県外の山へ、たまに行った時など、山と温泉を愛用しています。地元の温泉も親戚が来た時や、職場の会、法事などの折りには、たまに行きます。
 そんな範囲の知識ですからご承知ください。山と温泉の通の方には、前述の「湯旅、山旅」などの本をお読みください。
この地区で温泉といえば、やはり別所温泉が一番大きいです。テレビなどでもよく紹介される事があります。次が鹿教湯泉です。その二つは、いわゆる温泉街を形成して、食堂やみやげ物屋などもある温泉です。しかし山間の素朴な雰囲気で、いわゆる俗悪な雰囲気は全くありません。
 霊泉寺温泉、田沢温泉、沓掛温泉、などはより鄙びた感じで何軒かの旅館がかたまっている所です。角間温泉や、岳の湯温泉等は、渓谷の一軒屋です。より自然の中へ入っていきます。
 でもどの温泉もそれぞれ歴史が古く周辺の歴史もあり、有名な公共浴場があったりして、周囲の景観もそれぞれに趣があります。また、四阿高原などにもホテルの温泉があります。
 さらに日帰りの方には、自治体が作った公共の湯があります。真田町、「ふれあいさなだ館」。東御市「湯楽里館」。「ゆうふるTANAKA」。上田市、「室賀温泉ささらの湯」。上田市丸子「丸子町温泉センタークアハウスかけゆ」、「野天湯・湯福の里湯」。長和町「やすらぎの湯」。上田市武石、「武石温泉うつくしの湯」。長和町和田、「湯遊パークふれあいの湯」。等々新しく広い温泉のようです。日帰り登山にいいと思います。温泉について、詳しくは、概念図のページにある「上小エリアマップ」を。

富士山から見た鹿教湯温泉
30山の自然
 自然についても、理科が専門でないので詳しい話ではありません。感想や雑談だけです。
 30山を登っていると動物によく出会います。山道には小動物の糞がよくあります。
 動物で一番よく見るのはかもしかです。人を警戒しないのかも。虚空蔵山の南尾根でお互いに鉢合わせした事もありました。30山の南部には鹿が多いようです。かもしかは、千曲川右岸の山でよく見ます。
 熊も大道山で見ました。熊だなは烏帽子山麓、独鈷山安曾岡山で見ました。
 きつね、りす、てんかいたち?うさぎ等も見ます。たぬきは、山麓の道路などで、轢かれているのを見ます。小牧山で見たのはあなぐまみたいでした。
 私はもっと北の更埴市で育ったのですが、その頃は山にうさぎが多く、山にはうさぎの糞がうんと多くあり、雪が積もれば足跡が多くあったのですが、今は本当にうさぎが少ないような気がします。これは,山が荒れ,ヤブ化して、木の下に生える,うさぎの食べる下草が少なくなったからとの事,また最近以前気配の無かった,猪がけっこう出てきた感じです。これは,温暖化で,冬の積雪量が減って,猪の活動範囲が北上しているらしいです。
 植物については、この辺の山(特に高原)の特徴はやはり冬の低温と日本の中では降水量が少ない(冬の積雪量も少ない)ので、明るく乾いた植生の景観があると思います。ある年職員旅行で尾瀬を歩いてきた次の日、烏帽子岳に登ったのですが、ああ、やはり乾いた景観だなあと感じました。自然や植林の落葉松も特徴的です。独鈷山と同じ標高の北信の高社山などと比べてもそんな感じ(乾いた)がします。シベリヤに抑留された上田出身の伯父の回想文の冊子をもらったら、そこに、ある土地に移送され、そこの雰囲気が、故郷の高原の風景と似ていたという文がありました。
 地質的には、火山と新生代の地層が主のようです。理科の専門の方と一緒に山に登った事がありました。話を聞きながら、観察しながら登ると自然の物語に目が開かれるような楽しみがありました。植物や野鳥、地質などの知識も持てばいっそう楽しい山歩きができるようになるといつも思いますが・・。
 詳しくは上田、小県の自然のホームページなどを。

まつむしそうとクジャクチョウ(蓼科山麓、
ちょっと30山とはずれますが)
狩猟の話
 上田市武石在住のO先生(退職されてかなりたっていますが,臨時に来られていた。)が「罠」の免許を取り,狩猟していると話してくれました。そこで,罠を見せていただいたり,武石の狩猟についてお聞きしました。
 それによると,狩猟には甲種,(罠,写真のもの,檻,とらばさみ)乙種(猟銃)丙種(空気銃)があり,それぞれに免許を取得する事が必要です。猟期は11月25日〜2月15日ですが,有害鳥獣駆除の申請が許可されると猟期以外にも一定の期間許可されるそうです。
 武石では,鹿,猪,が中心で,たぬき,きつねなども獲れるそうです。鹿は年間150頭,猪は70〜80頭くらい獲れるそうです。熊,かもしかは禁猟となっています。猟をする人は70〜80人くらいいるそうですが,もちろん猟を職業とする人はいません。道楽としての猟だそうです。
 O先生は昨年,お宅の畑に仕掛けた写真の罠で,鹿を一頭獲りました。鹿の肉もまあまあだそうですが,肉は猪の肉がおいしいそうです。ということで,春休み中(子どもが)の一日,職場の皆が写真の猪の肉をごちそうになりました。これは,檻でとれたものだそうです。ごちそう様でした。
 罠については,「罠」を見て下さい。

         猪の肉です。
三角点探し
 小学校3年生の社会科の勉強では、自分達の町を調べる学習があります。その始めに学校の回りの様子を調べたり、絵地図にまとめたりする単元があります。その勉強をさせようと、学校の回りの2万5千図を見てみたら、学校のすぐ近くに、664,0mの三角点がのっていました。
 近くに住んでいる子に聞くと、「そんなようなの見たことある。」との事、皆で探しにいきました。そこは、新しい住宅地になっていましたが、ほんのちょっとした、公園のような一角に、三角点がありました。この時、中々見つからなくて、見つけた感じが、何か宝探しのようで、結構おもしろいゲーム(教材?)になるなあ、と思いました。
 三角点について自分でも調べてみようとして、リンクにものせた上西氏のHPを見つけ、三角点について色々と勉強させていただきました。その中で、国土地理院のHPで、各市町村ごとの、三角点や水準点が分かったり、それぞれの三角点の戸籍である「点の記」が閲覧できることも知りました。
 さっそく山に囲まれたこの勤務地の町(学区)の三角点をその表で調べると、表には35個もありました。
 そこで、地図で、確認した後、点の記の略図を見たりしながら、課外や、人によっては親子で三角点を探す活動をしましたが、公共の施設などで無くなっている場所も多く、小学生では、行けないような山の中などは、無理でしたし、思ったより難航しました。でも、ちょっとした丘や尾根の末端、別荘地の奥の稜線などで10個くらいは見つけ、結構楽しい活動になりました。初歩の登山や探検の要素もあるような気がしました。
 クラスには、自宅の前に1289mの三角点がある子もいて、さすが長野県。
 親の方が夢中になってしまって、町の三角点を夏休みの課題で親子でまとめられたり、家族で探された方もいました。
 三年生の学習としては、やや無理がありましたが、私も子ども達もそのレベルなりに三角点に興味を持てたし、自分の住んでいる土地を知る楽しい課外活動としてよかったと思いました。
 (自分の町の三角点を調べるには、国土地理院のHPで、基準点成果等閲覧サービスで調べます。)

学校の近くの664,0mの三角点を見つけたぞ。
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