自然堂治療室・相談室のDRAMA治療体験記
自然堂治療室で日々くり広げられている、数々のドラマ。
それを1人でしまっておくのはもったいない! もっとみんなにもシェアしたい!
他の人たちはどんなドラマをくり広げているのか知りたい!
そんな多くの要望から、このページは生まれました。
どの体験記からも、読み取っていたただきたいのは、
治療者が何をしたかではなく、
1人1人がどんなに自分の力で治ってゆくものなのか、
人間ってどんなに自分自身で苦境を突破する力を持っているものなのか、
ということです。
実をいえば、ここの体験記に出てくる治療者は、ちょっとカッコよすぎます。
本当に治療者が言ったのか、疑わしいコトバも出てきます。
実際には、治療者はただ、今・ここを共有し、
今・ここまでやれてきたことを一緒に確認し、
今・ここで、これからの足がかりを一緒に探っていただけのことです。
変化はすべて、治療者の力でなく、1人1人の力から生じています。
そのことを読み取っていただけるならば、
1人1人の体験は他の誰にとっても、
貴重な参考となり、励みとなり、大きな力となると思います。
それがこのページを作った最大の理由です。
12. ドメステイック・バイオレンス ドメステイック・バイオレンス
〜どんぐり 東京23区・30代男性〜
11.CPのからだと対話するわたし CP(脳性麻痺)
〜mmm 東京23区・30代女性〜
10-c.気持を表現する私 息苦しさ
10-b. 受け取ることが大好きな私
10-a.私がいます
〜裕悠 東京23区・40代女性〜
9.カウンセリング初体験 対人関係の悩み
〜なずな 東京23区・20代女性〜
8.イメージの贈り物 自律神経失調症
〜kiyo 多摩地区・30代女性〜
7.生きてていいんだよね PTSD・抑うつ
〜フェニックス 東京23区・30代女性〜
6.どこでも“zzz……“ 疲労・喘息
〜AYAちゃん 関東近県・20代女性〜
5.不思議な先生の不思議なテスト ヘルペス神経痛
〜AZ 関東近県・30代女性〜
4-b.愛しい右手 脳性麻痺
4-a.「いま ここ」に・・・
〜なかちゃん 多摩地区・30代女性〜
3.たかが腰痛、されど腰痛 ぎっくり腰
〜N・N 国立市内・40代男性〜
2. 今までのこと、これからのこと 過食症・うつ
〜ライラ 多摩地区・20代女性〜
1.難病を克服して ベーチェット病
〜匿名希望 国立市内・40代女性〜
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〜どんぐり 東京23区・30代男性〜
自分の大切な人に暴力を振るってしまう。
傷つけられた人も、あなたも悲しい。
あんなに楽しかった日々は
もう二度と戻ってこないように思われるかもしれない。
私は妻に暴力をふるってしまった。
夢を見ているようで、
今でもあの時の自分は自分でなかったように感じるが、
紛れもなく妻を傷つけたのは自分だった。
原因は彼女にある。離婚するか。
否、原因は自分にある。
自分さえ変われば、自分自身をもっとよく知れば、
必ず前よりも幸福な生活を彼女とおくれる。
私は自分がなぜ暴力を振るってしまったのか。
彼(津田先生)となら、
とてつもなく苦しいだろう自分の内面への旅を
何とかやっていけるだろうと思った。
彼は(ほとんどボランテイアのような料金で)
私の話を辛抱強く聴いてくれた。
実際、彼がそんなことを話せる唯一の人だった。
助けられた。
彼女とまた幸福に暮らしている。
以前とはもちろん違う新たな関係で、充実した日々を送っている。
一生の内でおそらくもっとも困難な時期のひとつを、
さほど苦しいとも感じず乗り越えられたのは、
彼のガイドがあったからだと信じている。
まるで困難な山をガイドの案内で危険なく制覇したかの様であった。
もちろん歩いたのは私自身だけれど。
今は携帯電話を持ったように感じている。
山で遭難しそうになったら、電話の向こうには彼がいる。
そう思うだけで、新たな山にも果敢にアタックしていける。
暴力を振るってしまうので悩んでいるあなた。
目前の山は到底制覇出来そうもないくらい困難に思えるだろう。
逃げるのは簡単だ。
でもほんの少しでも勇気があるのなら、行こう。
一人で行くのは危険かもしれない。
いいガイドを見つける頃から始めよう。
彼はその人かもしれない。
ただあなたは自分の足で山を制覇しなくてはいけない。
彼はガイドしてくれるだけだろう。
苦しいだろう。
でも、彼のガイドがあればきっと出来る。
(2003/07/03受取)
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〜mmm 東京23区・30代女性〜
津田さんと出会う前のわたしの体は、
脳性まひの緊張から来る肩・腰・首の痛みと
風邪の引きやすさを併せ持っていました。
20代前半に、その頃やっていた仕事が出来なくなるぐらい腰が痛くなり、
わたしは医学に頼るようになりました。
20代後半まではもっぱら病院通いをして、
緊張緩和剤と痛み止めを毎食後に飲み続け、
眠気をいつも感じながら仕事をしていましたが、
体がしんから楽になるような感じは残念ながら味わえませんでした。
病院通いをやめてまもなく、信頼できる人から紹介されたのが津田さんでした。
薬の量が増えていくことが怖くなったのが病院をやめた理由です。
緊張が年を追う毎に強くなるのは自分で予測がついたし、
強い薬にだんだん変わっていくだろうことも知っていました。
もしやめるのなら、
比較的弱い薬を服用している今しかないかも知れないと、
病院通いをうち切ったのでした。
もちろん津田さんの治療が始まっても、薬は捨てずにしまってありました。
いざというときの強めのやつも。
月2回のおつきあいが始まってから半年以上たつころ、
首に時々貼っていたエレキバンも貼らなくなり、
湿布も買わなくなりました。
どんなときに体が緊張しやすいか、痛みが出る時期等、
1か月の波が大まかにつかめるようになりました。
気がつくと緊張や痛みとうまくつきあう自分がいました。
体が苦しいときがなくなったわけではありません。
痛いときは痛いし、調子の悪いときはめちゃくちゃしんどくなります。
大きな痛みはもうありませんが、
ここで薬を飲んだら少し楽になるかも知れないなんて淡い夢を抱くこともあります。
そんなことはないということを、わたしの体の方がよく知っているのですが。
いつだか忘れましたが、わたしは緊張緩和剤を捨てました。
自分の体が許す間、この生き方をしてみたいと思います。
津田さんの力を借りながら、自分の体に向き合えたのがこの5年ぐらいの収穫です。
(2002/12/01受取)
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10-c.気持ちを表現する私
〜裕悠 東京23区・40代女性〜
自然堂に通ってもう2ヶ月が経ちます。
最初の日に津田先生に
「あなたにとってしあわせとはなんでしょう?」と言われました。
「私にとってのしあわせとは、
人の目を気にせずに、思ったように、泣いたり、笑ったり、怒ったりすること。」
と私は答えました。
「気持を伝える私。」
津田先生のカウンセリング中、外で子供が騒いでいました。
先生はふと、外を見ました。
その時「私が外を見たいのをがまんして話しているのに…。」と思いました。
そして、先生の「あなたの6才までの話に興味がある。」と言われたのを、
私は「6才以後の話はしちゃいけないのかな?」ととらえてしまいました。
そして、次回のカウンセリングの予約を夜の8時と言われたとき、
「う…?」と思いながらも「はい。」と答えていました。
家に帰ってよく考えたら、
夜遅い電車に乗るのはいやだと思うこと、
先生が疲れているんじゃないかな?
と考えながらカウンセリングを受けるのは、いやだ。
と思っていることがわかりました。
私は、先生に、今まで何カ所かで、カウンセリングを受けてきて、
この人とはあわないと思ったらすぐにちがうところに変えてきたことを、話しました。
「そうならないように気をつけているのですが、
もし、何か感じることがあったら、その時に話すようにしてください。」と言われました。
私は、それまでに津田先生のカウンセリングによってかなり調子が良くなっていたこと、
そして今までの、信頼関係を無にするのはいやだと思いました。
そして、先生に、いやだと感じていることを伝え、日にちの変更をお願いしました。
そして、先生のとても静かなゆっくりした口調での対応に、
私は、とても驚きました。
考えてみたら、今まで私はいやだと思うことを相手に伝えると
(私の伝え方には、問題がありましたが…。)、
たいていは、大きな声、甲高い声、責めるような口調で、返されることばかりでした。
そんなことばかり繰り返されたので、
私は、たいていのことは言わずに我慢するようになってしまったのだとわかりました。
こういう冷静な対応ができる人が世の中にはいたのか…?と私は驚きました。
それから、私は津田先生に対して、
こういうふうに感じるから、こういうところを認めて欲しい。とか、
こう思うから、こう変えて欲しいと
クライアントとしての私の欲求を伝える練習をさんざんさせてもらいました。
先生に辛抱強く付き合ってもらった結果、
私は自信を持って私の気持を伝えることが出来るようになりました。
それから、私は、
今まで相手の反応が恐くて出来なかったことをいろいろ伝えて楽しみました。
うれしいこと、悲しいこと、つらいこと、など、
いざ、伝えてみると、
思っても見なかったやさしい反応や、うれしい反応がかえってきました。
そして、いやだと思っていること、違うと思っていることを伝えるとき、
…これは、ちょっと勇気がいります。
なかなか相手に伝わらなくて、頭がカーッとするみたいな血が引くみたいな感じで、
顔が赤くなり、胸がどきどきすることもあります。
それでも、伝え終わったとき、とてもスッキリさっぱりするのです。
伝えることができた私を、誇らしくさえ思えます。
さっぱりするので、
相手の言っていることも理解しようとする余裕もでてくるみたいです。
とても、楽しい経験でした。
言い終わった後は、相手のことがもっとよくわかるようになり、
よりよい友達になれることがわかりました。
そして、私は、穏やかに接してくれる人以外には、
近づかないことも大事なのではないかと思いました。
「私は怒り 感謝する。」
私は、思ったことをなんでも口にしてしまうので、誤解されやすく、
「そういうつもりじゃないんだけどなぁ…。そんなこといってないんだけどなぁ…。」
と悲しい思いを何度もしました。
「違う!!そうじゃない!!」という気持を
何度も何度もぐっと飲み込んできました。
津田先生に、ある勉強会のシェアのときにそういうことがあったことを話しました。
その時私は、「違います!」とはっきり言うことが出来ましたし、
少し反論することもできました。
そのことを津田先生に「よく言えたね。」とほめてもらったことが、とてもうれしかったですし、
私は「それは、違います。」って言ってもいいんだという自信を持つことが出来ました。
ただ、「その人を目の前にいると思って怒ってみる?」とすすめられたことに対しては、
ものすごい抵抗がありました。
誤解されたことを悲しむこと、悔しいと思って涙を流すことはできました。
私は、その人に抗議の手紙を書きたいと言ったとき、
「書いてもいいけど、出しちゃダメだよ。
手紙を書くなら、
思いっきり制限なく、好きなだけ、怒りを表現したものを書くように、
そして、それを最低6ヶ月しまっておくように、
6ヶ月たって読み返すように、それでも、まだ出さないように。」
と言われました。
私は、今まで、あまり人に対して怒ったことがありませんでした。
なぜか知らないけれど、怒りを感じても平気なふりをしてきました。
私は、小さい頃から、血が出て変形するほど爪をかんでいました。
爪をかむのは、怒りを表現することを抑えているためと何かに書いてありました。
家に帰って、怒りを思いっきり書いて見ました。
………。こ、これは…・。恐ろしい…・・。恐ろしすぎる…・・。
こ、こんなものを表現せずにいたなんて…・。
こ、こんなものためこんでいたら、憤死も可能だ…・。
そう思いました。
安全な場所で、安全な形で、怒りを表現するのはとても大事なことだと心から思いました。
その次の週、自然堂に行くときに、電車に乗って考え事をしていました。
足を横に出していたら、お年を召した女の方が、私の足につまずきました。
私は、あわてて軽く会釈して、足を引っ込めました。
その方は私の顔をわざわざのぞき込んで、
「おんなのくせに、ぎょうぎがわるい。」と
一語一語はっきりとおっしゃいました。
私はカチンときました。
そして、すぐに眠っていて聞こえないふりをしました。
私は津田先生の前で、ひとしきりその怒りをぶちまけて、
最後に「おぎょうぎはよくしたほうがいいですよね。」と笑ってすっきりしました。
「守られている私」
私は自然堂で、私の中の傷ついた子供に会いに行き、
小さい頃にあったとても恐いことを思いだしました。
私は、その子のかわりに
恐い目にあわせた相手を怒りお説教をし、
その子を安全なオリに入れました。
その子はすぐに安心して、日だまりの中、積み木で遊びはじめました。
そのオリは選択透過性で、
私を愛してくれる人、大事にしてくれる人、私にとって必要な知恵を教えてくれる人、
以外は入れないオリにしました。
その日、自然堂の帰りに友人宅で話し込み、朝帰りになってしまいました。
混んだ電車に乗ることを考えると、少し怖かったのですが、
不思議なことにちっとも恐いと感じませんでした。恐い目にもあいませんでした。
オリの効果は「ばつぐん」のようです。
(2002/10/22受取)
10-b.受け取ることが大好きな私
〜裕悠 東京23区・40代女性〜
今、私は、自然堂に通うことができて良かったと心から思っています。
こんなに早く私を生きることができるようになったのは、
やっぱり自然堂で津田先生にあえたからだと思います。
そして、自然堂のHPを見つけることができた私がいたから…・。
最近、私は、とても寂しがりやで、へなちょこになってしまいました。
そしてそれをがまんすることができなくなってしまいました。
寂しくて寂しくてどうしようもなくなりますし、
へたれて、へたれて自分ではどうしようもなくなります。
そんなときは仲のいい友達に
「寂しいよぉ。」とか「へたれてるの。」とメールを書きます。
友達は、電話をくれたり、一緒にご飯を食べてくれたり、
元気になるようにパワーを送ってくれたりします。
それは、とてもうれしいことでした。
「他の人にしてもらうこと」自体もうれしいのですが、
「他の人に頼むことができるようになった私」と、
「相手の、その気持を受け取れるようになった私。」がうれしいのです。
私は、何日か前に急にすごい疲れを感じました。
ちょうどボランティアの仕事のメールを作成しているときでした。
横になっていると、
「体の中にほとんどエネルギーがないような感じ。
すっかすかな感じ。」がしてきました。
私 いったい何やっているんだろう…・。
そう思いました。
今、私は、このエネルギーがない感じ、
すっかすかな感じを自分では、どうすることもできない。
そう思いました。
それで、やっと友人達に、
助けを求めることができるようになったのです。
今までの私は、「受けるより与えることが幸いである。」とばかりに生きてきました。
育ってくる間にそういうことを自然に身につけたようです。
そうしないと生きていけない、人に認めてもらえない、
そう思っていたのだと思います。
与えて与えつづけて、自分にないものまで与えようとがんばり、
欲しいといっていない人にまで与えようとがんばりつづけました。
そして、今、ようやく疲れ果てました。
芯から疲れ果てました。
激流を素手でかきわけて生きてきたようなものです。
なんという無茶な生き方だったのでしょう。
私は、「よく、今まで生きてこれたものだ。」
そう思います。
今 私はこんな生き方をしてまで、
がんばってきた私をねぎらってあげたいと思っています。
ゆっくり、お風呂に入ってやさしく体を洗ってあげたり、
好きな香を楽しんだり、きれいな花や石や自然を見たり、
映画や散歩や講演会に参加していろんな経験を楽しんだり、
楽しいお友達と楽しい時間を過ごしたり、
きれいな部屋で心地よく過ごしたり、
私が表現したがっていることを、表現したり、
自分ではどうにもできないことは人に助けを求めたり…。
数え上げたらきりがありません。
「受けるより、与える方が幸いである。」かもしれない。
そして、「今の私は受け取ることが大好き」である。
私の表現したいことのひとつに、セラピストとしての私があります。
私はバッチ博士のフラワーエッセンスとレイキを1999年から使いはじめ
2002年3月にレイキの認定ティーチャーとなり、
4月にバッチ博士のフラワーエッセンスセラピストとして、認定を受けています。
しかし、いまひとつ、それを表現することにためらいがありました。
「私自身がその効果を感じることができなかった。」からです。
ひとに伝えるときに、
教科書通りのことしか伝えられないことにためらいがありました。
私は私の経験を伝えたかったのです。
私のセラピーを受けてくれた人は、その効果を私に伝えてくれるのですが、
「本当に私のセラピーの効果なのかな?」と、今ひとつピンとこないのです。
その様子を見ていた知人に、
「あれじゃあクライアントさんが、興奮や感動・感謝を
あなたと分かち合いたいと思っても、冷めちゃうわね。
クライアントさんがかわいそうよ。」といわれました。
そんな調子なので、セルフヒーリングもあまりしませんでした。
自然堂に通いはじめて、ある日ふとエッセンスの名前が浮かんできました。
スターオブベツレヘムとセントーリです。
スターオブベツレヘムは「あらゆる心の痛みを癒す効果」
セントーリは「ノーと言えない人。」の為のエッセンスです。
8月18日から、飲み始めました。
9月2日からはウイローを追加しました。
「自分以外の全てを否定する人。」に効果があります。
9月9日あまりにいろんなことを考えて
気が狂ってしまうのではないか?と言う恐れを感じたとき
「チェリープラム」を追加しました。
「突飛なことをしてしまうのではないかという恐れ」に効果があります。
9月16日は調合を変えました。
ホリー「愛と反対の否定的な感情…嫉妬や嫌悪、憎悪などに苦しんでいる人に。」
アグリモニー「表面はいつもニコニコしているが内側の自分を表現できない人に。」
クラブアップル「潔癖をめざしすぎる人に。」
クレマチス「夢見がちで現実の世界を生きることができない人に」
アスペン「目に見えないものに対しての恐れに」
ワイルドオート「なにをすればいいのか迷っている時に」
ウォールナット「変化の時期に」
ここ1週間くらいやっとレイキのセルフヒーリングもするようになりました。
目がとても疲れたので、目に手を当てていたら、とても楽になったからです。
頭もすっきりします。
私が、とても早くいろんなことに気づくことができるようになり、
そして、変化することができるようになったのは、
フラワーエッセンスやレイキのサポートがあったからかも知れません。
それにしても、丸2年ものあいだ、なんの効果も感じられなかったのです。
自然堂に通って「いろいろな私を感じる」ことができるようになったことが、
フラワーエッセンスやレイキの効果を感じることにつながったと思います。
そして、セラピーをするとき、
私は「人の話を聴くことが出来ない私」を悲しく思っていました。
今、思うと、頭の中は、私の考えでいっぱいでした。
ひとの話の入るすきまなんかなかったのです。
私は、津田先生に「ひとの話を聴く姿勢」を見せていただきました。
そして、「ひとの話はこうやって聴くものなのか。」と納得することができました。
私は、「良い教師を目の前にすると、勉強熱心になる私。」にも気がつきました。
今まで何をお手本にしてきたのだろう?と悲しくなってしまいます。
いろんな人と話す機会が増えました。
いろんな話を、楽しく聴くことができるようになりました。
私はこれから、いろんな私を表現していきたいと思います。
今、やっと、「私を 表現する」ことができそうなのです。
以前息苦しさを感じたとき、横になって目を閉じました。
ただただその感じを感じていたとき、私ののどからみぞおちにかけて、
筒状の通路のようなものがあり、一面に何かがべったり張り付いていました。
呼吸とともに白い玉が上下していました。
それをただただ感じているうちに、
それは茶色になった、飲み込んでしまったことばや思いでした。
そして、その中にピンクや緑色の宝物のようなものが含まれていました。
飲み込んでしまっていたものは、いつの間にか、宝物へとかたちを変え、
私がそれを表現するのを待っているような感じがしました。
それは、とてもうれしい感じでした。
あの時は恐くて表現できなかったけど、
今なら、うれしい気持で、表現することができる。
そう思いました。
(2002/09/26受取)
10-a.私がいます
〜裕悠 東京23区・40代女性〜
自然堂に通って6回目のカウンセリング後
「今どんな感じ?」と言われて、
「今週は自分の今の感情を見つめ続けようと思います。」
と答えている私がいました。
自然堂に行く日の朝、
いつものように、頭の中では、
ものすごくいろんな思いが、
わっかの中のハムスターのようにすごい速度で、
くるくるくるくるまわっていました。
つらかった出来事や失敗したことが浮かんできたかと思うと、
どうしてあんなことが起きたのか、
原因は何?誰が悪かったのか?
私はあのことが起きないように出来たのではないか?
私が何かしたから、あるいはしなかったからいけなかったのか、
このことを知ったらあの人はどう思うのだろう。…等々。
とどまることをしらないかのように果てしなく続きます。
まるで「皮をはがれたイナバのウサギが
スポーツカーで高速道路を突っ走っているみたい。」でした。
そういう時、私は、すぐに、ベッドに横になります。これは、
「イナバのウサギはブレーキをかけることを覚えた方がいいのではないか?」
という先生からの提案で、私が考えた方法。
横になって目を閉じていると、ふっと浮かんでくることがあります。
そうすると、「なんだぁ。そういうことかぁ。」ととっても楽になります。
とどまってしまっていてどうにも動けなかったのが、
それをきっかけに、動けるようになります。
その朝、浮かんできたのは、
「私は、このくるくるまわる果てしない状態をもう自分では
どうにも出来ないんだなぁ…・・。」ということでした。
「私は、自分の思考さえ、思うようにできない。」ことを、
始めて自覚した瞬間だと思います。
それと、自分の感情を見つめるのとは、どう関係してくるのか?は、
私にはよくわかりません。
ただ 「あの時」「あの場所で」言ったことに意味があるんだろう。
そして、あの時、自分が選んだことを尊重しよう。そう思いました。
自分の気持ちに焦点をあて続けながら帰りました。
「ムッとしている。」「不安を感じている。」「面白いと思っている。」
「嫌だなぁと思っている。」「恐いと感じている」
と浮かんでは消えていく流れるような動きと、遊んでいました。
しばらくして、漠然と浮かんできたことがありました。
それに気づいたとたん「あっ!」といってしまいそうでした。
……・・それらのことを感じることは、私にとっては「敗北。」だった???
……私はそう感じることを、敗北と見なし、感じないようにしてきた???
……・・それを感じるということは、私は「敗北」を認めるっていうこと???
それに引き続いて、あっという間に、
「生まれて始めて、自分の敗北を認める。」という経験は、
……なあんだぁ 私負けちゃったのかぁ…。
苦笑いとともに、肩の力が抜け、身体が軽くなるような、視界が開けるような、
うれしい、ホッとした、なんともふんにゃりした経験でした。
長い間あれほど怖れていた、全てを失ったり、辛い思いを伴うものではありませんでした。
気がついた時には、なぜか他の人の視線も、そんなに気にならなくなっていました。
「私は何もしなくていい。」
私にはとても疲れる友人(?)がいます。
彼女から電話がくるとゆううつになります。
彼女との電話で、いつも私は聞き役か、アドバイスをしていました。
でも、毎回毎回同じような話なのでいい加減うんざりしてしまいます。
しかも、「私は過去にすごく傷ついた。」というので、
断ることもできず、
どうしても傷つけないように気を使ってしまいます。
そして、なんだかぐったりしてしまいます。
電車に乗って私を感じているとき、向かいの女の人が眉をしかめていました。
「何か辛いことがあるのかなと思っている」
そしてすぐに「何かしてあげることはないかな?と思っている…………・???。」
……ぎょっとしました。その時見つけたのは。
「常に人にしてあげることを考えている私。」でした。
「人にしてあげることであなたは何を得ているのでしょう…・。」
「感謝されたい。」「自分がいい人だと思われたい。」「見返り」
「その人に、してあげることで、その人をつなぎとめておける。」
私が、彼女にしてあげることで得られるものは…・・。
「無力感」「疲労感」「不快感」
???私はこれらのことを得るために彼女との関係を続けている?
しかも、もしかしたら好んで?
私は私を無力だと思いたくて彼女との関係を続けているの?
あれほど、私は傷ついてきたのに、一番私を傷つけてきたのは私?
私は、私を傷つけるために彼女を必要としてきたの?
そして、「人の世話をするのは、
時にはその人が自分で立ち直ろうとする力を奪う。」と
何かに書いてあったことを思い出した。
私は、彼女の世話をし続け私を頼らせることで、
彼女が自分で立ち直ろうとする力を奪っていた。
「私は、彼女に対してひどいことをしていた。」
このことを認めるのは、「ひどいことをする事もある私。」を認めること。
そんな私を認めるのもつらいけど、
「私は私を大事にしたい。」という思いの方があっさりと勝ち、
「ひどいことをする事もある私」を、認めてしまいました。
四谷の駅の階段を昇りながら「私は、なにもしなくていいんだぁ…・。」
そう思った時、近くの教会の鐘が鳴り始めました。
「ピンポ〜ン 正解です!!」っていっているみたいに。
「私はとんでもない人?」
「新しい私が恐くて仕方ない。」そう言ったとき、
津田先生に「それはそうですよ。」と
とても力強く言われたことを思い出します。
いろんな私に出会う度に、「私を知らなかった私」を思い知らされます。
「うわわわわ…。私ってこういう人だったんだ!!!。」と思うことばかりです。
私はよくやさしいとか親切だかといわれます。
自分でもそう思っていたのですが、
彼女に対してしていたことを思うと、そうとは言えません。
以前の私は、掃除や整頓ができませんでしたし、きらいでした。
「片づけられない私。」なのだと、思っていました。
部屋は、本当にとんでもない状態でした。
部屋のことを考えると友達づきあいもおっくうになっていました。
散らかっていてごめんねと平気な顔もできませんでした。
それが、1回目か2回目のカウンセリングで、
部屋が片づかなくてゆううつなことを話しました。
津田先生は「汚くても平気なんじゃない?」みたいなことをいわれました。
「なんてことを言うのかしら、失礼な。」と内心ムッとしながらも
「いいえ きれいなほうが好きです。」と答えました。
その時、旅先のホテルの、整頓された居心地のいい感じを、思い浮かべていました。
それから、なんだかよくわからないうちに、
1週間でとってもきれいな居心地のいい部屋になっていました。
いつまで続くのか心配でしたが、
1ヶ月経った今でも、居心地のいい状態が保たれています。
何が良かったのか?
「きれいな部屋が好き。」だという私に、気がつくことが出来たこと。
そして、相反しているみたいだけど
「そうじはきらいな私。」「めんどうくさがりな私。」を認めたこと。
そうじや整頓をしようとする時、必ず
「あ〜汚い…・・。めんどうくさいよ〜。やりたくないよ〜。」
と思っている私は健在です。
それでも、部屋はきれいになるなんて、おもしろいと思います。
そして、カウンセリングを受けることで、
気持も整理できたことも大きな理由だと思います。
なんだか思いっきり度が合わないか、くもった眼鏡で私を見ていたみたいです。
少しずつ度が合い、くもりがとれ、見えてきた私は、
今まで考えていた私とは、とんでもなく違います。
びっくりしたり、苦笑いしたり、大いに反省したりと、
充実した毎日を、過ごしています。
「こうなったことの何がよかったのか?」
津田先生はよくこう問いかけてくれます。
私は一人でいるときでも、
何度も何度も「なにが良かったのか?」問いかけました。
問いかける度に、良かったことが少しずつ増えました。
少しずつ出来ることが増えました。
そして自信を持つことができるようになってきました。
そして、津田先生のカウンセラーとしての共感する能力や
先生が自己一致に向かっている姿勢などが、
私に大きな影響を与えました。
そして、私は 安心や信頼 認めて欲しいなどの欲求を満たすことができました。
そして「とってもよく頑張った私」が、いたからである。と思います。
ううう、「とってもよく頑張った私」なんて書いたら
他の人がどう思うかなぁ?と気にしている私がいます。
(2002/09/14受取)
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〜なずな 東京23区・20代女性〜
私はもともと内向的ですし、
小さい頃から人間関係が得意でなかったので、
カウンセリングというものにずっと興味はもっていました。
とはいっても、大学時代までは学生相談室などに行くこともなく、
どうにかこうにかやりすごしてきました。
それが去年の秋ぐらいから、
会社でちょっとしたイジメまがいの人間関係のトラブルがあって、
会社の人たちだけでなく、だんだんと人間全体に不信感が出てきてしまって・・・
カウンセリングに行ってみようと思い、インターネットであちこち検索していました。
それで偶然、自然堂さんのホームページを見つけたのですが、
自然堂にいってみようと決心したのは、
コンセプトのところに共感できたのもありますが、
掲示板での先生の受け答えがとても暖かく、丁寧で、
信頼感を持てる感じがしたのが一番大きかったです。
実際にお会いしてみると、思っていたより細身の方で、
ちょっとヒッピー風の個性的な服装でしたが、
(実は私あまり得意なタイプではない・・・)
人間的には掲示板で伝わってくる通りの、そのままの方でした。
特に、お話を聞いていて下さるときの、深いうなずきと優しい笑顔とが、
いまも目の前に印象的に焼きついています。
その安心できる雰囲気のおかげだったのでしょうか。
他の人にただありのままに受けとめて聞いてもらうということが、
こんなにもホッとできて、自由で、刺激的なこととは、思ってもみませんでした。
これは絶対に、体験した人でなければわからないと思います。
私も自然堂以外でのカウンセリングは知らないのですが。
先生は大抵は、ただ頷いたり、
「あー」とか「うん」とか「はいはい」とか言っていて、
私が笑うと一緒に笑ってくれます。
私が涙が出てくると、じっと待っていてくれます。
そして何回も、ほんとに何回も何回も、
「おー」とか「へえー」とか「すごいねー」とか目を丸くして驚いて、
「どうやってできたの?」「何がよかったのかなあ」ときいてきます。
今も耳にこびりついているぐらい。
でも私の話に変な決めつけも方向づけもせずに、
時々私の話を的確にまとめてくれて、
それから時々意表をつく質問をしてきます。
「奇跡の一日」のイメージとか・・・
はじめは考えるのもバカバカしいと思いましたよね。
他にも、考えたこともなくて、ちょっと答えるのが難しい質問も結構あったけれど、
でも何か頭を使ってるって感じじゃなくて、頭はもちろん使ってるんだけど、
何ていうか、クリエイティブに頭使ってるて言うか、刺激的でしたよね。
そして必ず新しい発見がある!
だから毎回(といっても私は4回で終結したのですが)、
終わるととっても元気になって、
自分で生きる目標ができてくるのが不思議でした。
先生も一応、終わりに次までの課題とかを出して下さるのですが、
それは大抵もう、話の中で私自身が考えていたり言っていたりすることばかりだったので、
あらためて先生に言われるまでもないことでした。
でも一番驚いたのは、あの「奇跡の一日」のイメージで答えていた通りに、
会社の同じ課の先輩と、本当に帰りに食事に行って、仲直りできてしまったことです。
イメージで答えていた通りのお店で。
この先輩とは、一番難しいかなと思っていたのに・・・
それから、最後に私がどうしても書いておきたいのは、
本当に誠実な人というのはこういう人のことを言うんだなって、納得できたことです。
もちろん先生のことですよ。
先生はとてもまじめだけど、でも全然型にはまらない。ていうかかなり型破り。
私も、すごくまじめだけどすごく型破りっていう人をめざそう! って、
目標(?)ができたのも自然堂で得た大きな収穫でした。
本当にありがとうございました。
先生もお元気で。いつまでも今のままでいて下さい。
(2002/06/07受取)
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〜kiyo 多摩地区・30代女性〜
自然堂はとても静かなところ。
駅から近いのに、駅前の喧騒とはまるで別世界のよう。
いつもすぐに深い静寂に沈むことができる。
からだとこころの、内側からの声を聴くことができる。
私のからだのさまざまな症状。
慢性頭痛。めまい。喉のつかえ。肩こり。手のほてり。
背筋のこわばり。お腹の不快感。冷え性。etc.・・・
まるで病気の博物館・・・
「自律神経失調症」とお医者さんには言われ、
いろんな種類の薬でごまかしてきた、うっとおしいお荷物。
でもそれらにこの静寂で耳を澄ますと、
一つ一つが私への痛切なメッセージではないかと思えてくる。
泣き叫ぶ、私の子どもたちのように思えてくる。
「今日はどの感じに焦点を当てたいかな?」
と津田さんに聞かれるままに、自分のからだとの対話が始まる。
ゆったりと呼吸をしながら、からだの隅々を一つ一つ感じてゆく。
私はこのフォーカシングのやり方が大好きだ。
津田さんは、座って対話方式でやって下さることもあるし、
ベッドに横になって、足の指をほぐし、足首に軽く手を置きながらやって下さることもある。
どちらにするかは、私の感じで決めさせてくれる。
少しずつ始めて行くと、
からだの内側や、閉じた眼の前や、それからからだの周りに、
いろいろなイメージが広がり、
できては消え、できては消え、またできては消えてゆく。
何か自分が、宇宙の無限の闇に静かに浮かんでいるよう。
広大な海の深くに、静かに伸びやかに浮かんでいるよう。
母親の胎内で、母の鼓動を感じながらゆったりと浮かんでいるよう。
そこではあのお荷物たちは、もうただのお荷物ではない。
津田さんに導かれながら、その日一番気になる症状の一つに
「こんにちわー」って挨拶をしてみる。
「今日あなたのそばに少し一緒にいてもいいかなー」
お荷物と思っていたものが、子どものようになって、
声を上げはじめるのはこの時だ。
たとえば頭痛。
涙で顔をくしゃくしゃにした子どもが、両手に鐘と金属のばちを持って、
私の頭のてっぺんの少し左側をガンガンガンガンと激しく叩いている。
叩かれる身としては、たまらなくつらい立場だけど、
なぜか頭じゅうに鳴り響く鐘の音は妙に心地よい。
いっそ私も子どもと一緒に叩く側にまわってみたら?・・・
すると意外にも、楽しくなってきた。
子どもも嬉しそうに、みるみる笑顔になってくる。
二人で一緒に鐘を叩いていると、叩きながら、
もっと頑張っていいんだ〜
もっと堂々と頑張っていいんだ〜
もっと自信をもってやっていいんだ〜
そんな言葉が自然と口をついて出てくる。
そうだ!
自分のやってること、もっと堂々と自信もってやっていいんだ!
仕事にも趣味にも、何事にも自信をもってやれたことが全然ない私。
そう言えば、遠慮して我慢して、すごく力をセーブしてしまうような時ほど、
よく頭痛が出ていたかも・・・
頭痛は厄介なお荷物なんかじゃないんだよね。
すぐおどおどしてしまう私を、必死に叱咤激励してくれる頼もしい子どもなんだ。
なんて健気でいとおしい子ども! いつも心配かけてごめんね。
別の日には背筋のこわばり。
背中をそらしても丸めても、つっかい棒が入っているようでいつも苦しい。
その感じにも焦点を当ててみた。
すると・・・
私の背骨の両側には、太くてしっかりした綱が渡されている。
相撲の土俵のような、ものすごく頑丈なやつだ。
崩れ落ちないように、はちきれそうに緊張して、背骨を支えながら、悲鳴をあげている。
不思議に思って、下の方に目を移してゆくと、この2本の綱は、
何と金太郎みたいな子どもの両手!
金太郎は私の腰のあたりで、本当に真っ赤な顔で歯を食いしばって、
押しつぶされそうになって、両手の重みを支えている。
悲鳴はここから出ていたのだ。
「その悲鳴に何かせりふをつけるとすると、何て言ってる?」と津田さん。
しばし耳を澄ます・・・
すると・・・
いいかげんに気づいてくれよ〜
もっと胸を張っていいんだ〜
もっと堂々と背筋を伸ばしていいんだ〜
もっと自分の足で立っていいんだ〜
早く自分の足で立って、解放してくれよ〜
ここにも、自信なさげな私を必死に叱咤激励してくれる、頼もしい子どもがいる!
ああ、ごめんね、ごめんね。
ここでも、あなたも、いつも心配してくれてるんだね。ごめんね。ごめんね。
こんなふうにして、
私のからだじゅうの子どもたちを、一人一人抱きしめて回るのが、
自然堂での毎回でした。
でもこれは、自分の全部を一つ一つ抱きしめてゆくこと。
そのたびごとに、少しずつ少しずつ、
自分に自信めいたものが育ってくるのがからだで実感できました。
そしてありがたいのは、
このフォーカシングのやり方なら、だんだん慣れてくると、
一人でも家で少しやってみることができることでした。
自分で困った時に、すぐに自分のからだと対話できるのは、すごく便利だし幸せなこと。
それでもやっぱり、
あの静寂の空間で、津田さんというナビゲーターがいて、
安心してゆったりとおまかせしながら、
自分のからだと向き合えるのが、何と言っても一番の幸せ。
だから自然堂は、
いつでも私たちが必要な時に帰って行ける場所で、
いつまでもずうっとなくならないで、いてほしいですよね。
(2002/05/24受取)
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〜フェニックス 東京23区・30代女性〜
わたしは10代の間ずっと、身内の者から肉体的、性的な暴力を受け続けてきました。
と、こんなことをこんな公の場にカミングアウト(?)できるわたし・・・
これも、自然堂でのセッションのおかげと言っていいと思います。
わたしの自然堂との出会いは、ずばり、わたしの人生を変えるものでした。
早いもので、わたしが自然堂に通っていたのは、かれこれもう2年半以上も前のことです。
自然堂のことは、時々顔を出していた自助グループで、お友達から教えてもらいました。
それまでも本当に色々な所に顔を出し、でもどこに行っても満たされるものがなかったんです。
今だからこそ言える事なんですが、わたし、自然堂に行ったってどうせまたダメだろうな、
ダメだったら、もうそろそろ生きてるのはいいかなあって、
死んじゃってもいいかなあって、思ったりもしていたんです。
大げさではありません。本当にそのくらい毎日がイヤでイヤでしょうがなかった。
その気持ちもぜんぶ伺った最初に先生にお話しました。
わたしなんか死んじゃってもいいんですって。
我ながらよく言ったなあと今振り返って思いますけど。
必死だったですよね。
でもそれに対して、先生もよく言ったなあと今でも思うんですが、
わたしの話を聞いて、静かに先生はこう言ったんです。
「もし死にとげられたら、あの世でどんな楽しい事をしていると思いますか?」
このことばを聞いてわたしは、急に喉が苦しくなって息ができなくなり、
海の中に溺れてもがいているような感覚になって、
ゲホゲオと咳が何回も出て、
そうしたら今度は急に濁流が堰を切ってあふれてきたみたいになって、
急に息ができるようになったと思ったら、ものすごい勢いで爆泣!してしまいました。
そのあと涙ながらに夢中でいろんな小さいときの恐かったことを話したと思うんですが、
もう何を話したかあまりよく覚えていません。
1時間半話しまくって、ぐったりしていた最後に、先生がたしか、
「本当によくここまで生き抜いてきました。
あなたのどんな力が、それをひきおこしたのでしょう」というような事を聞いてきて、
ポンと1枚、大きな壁を突破したような衝撃を受けたのを覚えています。
わたしの力? え?
そうなのかあ… わたしの力。
そうだよ、わたしにだって力があるんだよね。
わたしの力で生きてきたんだよね。
わたしも生きてていいんだよね。
それ以来わたしは、生き返ったというか、本当に生き始めたのだと思います。
今わたしは、やっと2歳半なのです。でもしっかりと自分の足で歩いているんです。
(2002/05/20受取)
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6.どこでも“zzz……”
〜AYAちゃん 関東近県・20代女性〜
津田さんの治療を受けて一番変わったのは、疲れたらすぐに眠くなること!
いつでも、どこでも、すーっと眠ってしまいます。
以前は、無理して、
後でかぜをひいてしまったりしていたけれど(けっこうひんぱんに)、
かぜは、ここ2,3年ひいていないかな。
体が“もう休みなさい”と教えてくれるので、助かっています。
それから、20歳の時に、急になってしまった喘息
(漢方を1年半程、朝晩飲み続け良くはなったけれど、
まだ季節の変わり目にはヒューヒュー出ていた)
が、治療を受けたら、出なくなりました!
今日は痛いだろうな〜と思うと、
ほんとうに親指とか「イタタタッ〜〜!!」と叫んでしまう程でしたが、
じっくりほぐしてもらうと、次第に柔らかくなっていくのが、不思議です。
ゆらゆらと足から気を入れてもらう時間が、とても気持ちよかったなー。
治療以外に、津田さんが、否定せずに「うん、そうだね」と
聞いてくれるのもうれしかったです。
気になることなども気軽に相談できたし、体のことだけでなく、
今日は“あのこと話そう”と、
自分の近況についてとりとめもなく話すのが、楽しみな時間でした。
大きな心で受け止める、丁寧な仕事ぶりが、人気の秘密ですね!
(2002/ 05/ 11受取)
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〜AZ 関東近県・30代女性〜
自然堂さんのことは、前から噂で聞いて知っていました。
私だって、心も身体も調子がいいわけもなかったけれど、
でも私の家からはちょっと遠いし、ものぐさな私は、すぐには行かずじまいでした。
ところがです。
そのうちに、今まで頭痛というものになったこともなかった私が、
後頭部によく頭痛が走るようになり、
おまけに歯ぐきや顎のほうまで痛くなってきて、
物を食べるのまで苦痛になってきてしまいました。
近くの鍼に行ったりカイロに行ってもダメで、
漢方薬も前から飲んでいたけどあまり効き目がありません。
あ〜あ、嫌いな病院にも行くかぁ…。でもあんまり埒あかないだろうなあ…
どうせ「ストレスでしょう。静かにリラックスした生活を心がけなさい。」とか言われて、
痛み止めをもらうだけで…。
確かにその頃、勤め先の人間関係のごたごたがあり、
退職しようかどうしようか迷っていた時ではありました。
でもそれはすぐにどうにかなるものではありません。
でも痛みはすぐにでもどうにかしたいのです。わがままかもしれませんが……。
そこで思い切って、自然堂さんにお世話になることにしました。
津田先生は私の訴えに一通り耳を傾けると、
「あー」と、何か察しがついているような様子で受けとめて下さり、
「とにかくあなた自身の身体に聞いてみましょう」と言われました。
はぁあ?――何のことか私にはさっぱりわかりません。
そして、「親指と人差指で輪っかをつくってください。
そうそう、あ、キツネじゃなくて、お月さまの形でね」と指示されます。
いやあ、オモシロイ先生だなあ。影絵? なんかやるはずないしなぁ…
すると、「せーの、でこうやって引っぱりっこするから、しっかり力を入れてね。
まず練習だよ。ハイ、せーの! う。そうそう。もう一遍ね。」
という具合で、輪を作った指が開いたり閉じたりします。
そしたら今度は、割り箸やら針金やら、
何だか難しそうな横文字の入った細長いプラスチック(?)やら、
ビニール袋に入った薬草やら、いろんなものが出てきて、
そのたびに指をパカパカやって、
何度もいろいろやってから、津田先生は言いました。
「あー、やっぱり。ヘルペスウィルスっていうのがね、
いるかもって、あなたの身体は教えてくれてるよ。
ひょっとしたら水疱がでてくるかもしれないけど、
病院に行けばハッキリ診断してもらえるよ」
ウ、ウィルス!? それって、うつるの? エイズじゃないよね?
「アハハ。あのね…」
無知な私の愚問に、先生はとても丁寧にわかりやすく教えてくださいました。
えー、でも病院行きたくな〜い。そのために自然堂来たんだぜえー。
原因はどうでもいいから、どうしたらいいかを教えてくださいよー。
「あー、それも体が教えてくれてるにはねー」と津田先生。
「ビワの葉がとてもいいみたいだから、ダメモトでやってみる?
ダメだったら、病院行ったら抗ヘルペス剤があるよ。」
そしてビワの葉を使った温熱療法のやり方を教えてくださいました。
ビワなら家の近くに、大きな木があります。
帰り道にちょっと葉っぱを失敬して(スミマセン)、
早速やってみて、まず驚いたのは、葉っぱが真っ黒になることでした。
でもおかげで、たしかに翌日から痛みの方は目に見えて和らいでゆくのがわかりました。
ところがその後3日目ぐらいだったか、
本当に唇の横に白い小さな水疱ができていて、痛むのに気がつきました。
「あなたこれ、ヘルペスでしょう」
勤め先のお友達にそう言われて、へぇー、2度びっくり!!
(あなた知ってるんだ、ヘルペスのこと!)
聞けば彼女も、疲れると時々、唇の端に水疱ができるのだとのこと。
(えっ、そうだったっけ!? そうだったんだあー)
そう言えば津田先生も、最近すごく多いって言ってたっけ。ストレスや過労でなりやすいって。
でも、ストレスや過労で無理しすぎてるよってサインだと思うと、
ヘルペスもちょっとありがたい存在だよね。
そして、真っ黒になって私の異常を知らせてくれるビワの葉の存在もありがたい。
ついでに、病院に行くかわりに私の「診断」をしてくれたお友達もありがたい(!?)
今はちょっとそんな風に思えるよい子の私です。
(2002/ 04/ 18受取)
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4-a.「いま ここ」に・・・
〜なかちゃん 多摩地区・30代女性〜
(2001・5・12〜)
最近「自然堂」の治療師
(このような呼び名でいいのだろうか? とりあえず、この表現で…)
の津田真人さんが「自然堂」のホームページを起ち上げた。
私が自然堂の治療に通うようになってから、東洋医学に関心をもち始めた。
特にインターネットのメールマガジンで、東洋医学系のメールを読んで楽しんでいる。
以前幾度か治療を受けながら、
「自然堂のホームページをつくって欲しいな」などと話したことがあった。
その時は津田さんも「そのうちにね…」と微笑んでいらした。
自然堂のホームページは津田さんの手作りで、
ホームページの雰囲気も自然堂治療室の風景に似ている。
津田さん自身が今まで培われてこられた知識や技法があふれている。
そしてその『掲示板』にも、自然堂へ行き交う人たちの様子が伺われ、
読んでいるうちにいろいろなイメージが、心の中で広がっていく。
ホームページの治療理念の箇所に「いま ここ」という言葉がある。
この言葉、今ここにいる自分、とイメージを繋げてみたら、何かが心に響いてきた。
2000年のはじめに、突如として首や肩の痛みを感じ、
いよいよ脳性マヒの二次障害だと思った。
とりあえず、脳性マヒの二次障害の治療をしている整形外科の病院を探して受診してみた。
脳性マヒの二次障害というのは、
子どもの頃から、自分のことを自分でできることは、
何よりも良いことだと頑張ってきたことが、
中高年に差し掛かるあたりに首や肩、腰に痛みが生じることを指す。
あの時は何の前触れもなくあらわれた身体の痛みに、動揺していた。
また同時期に(パートナーの)耕治さんにも似たような身体の痛みがあったので、
どうにかして対応策を見つけたいと必至になった。
整形外科では、レントゲンで頚椎の5番と6番がずれているだけで、
まだ二次障害には至っていないという診断だった。
二次障害には至ってなくても、首や肩が痛い。
自分の身体が痛いだけなら、まだ我慢できた。
しかし、いつも一緒にいる耕治さんも、
私と同じように首や肩などに痛みを感じていた。
その姿を見るのが、とても歯がゆかった。
〜この身体の痛みを何とかしたい〜
確かDPI女性障害者ネットワークの定例会の前だった。
いつも定例会は夕方の6時頃から始まるので、
食事をしていたら、久し振りにKちゃんと会った。
「なかちゃん、元気?」と声をかけられ、身体の不調を話した。
身体に障害をもつ私たちの中では、避けては通ることはできないプロセスなのだろう。
Kちゃんは動じることなく、ごく当たり前のように、
「なかちゃん、私がかかっている自然堂へ行ってみれば?
電話番号を教えるから、留守電が多いけれど、必ず返事をくれるわよ」
とKちゃんは自然堂を紹介してくれた。
ほかの障害をもつ数人の友人たちも自然堂の治療を受けていると聞き、
その治療が私達に合うかどうかは、受けてみないとわからないと思った。
とりあえず、自然堂へ電話をかけた。
面識がないところへ電話をかけるのは、
言語障害が気になり、大抵は介助者に代弁してもらう。
たしかあの時も、はじめは介助者から伝えて、
ところどころ会話の内容を教えてもらいながら話していたが、
途中からは自分が電話に出て、津田さんと直接に話をした。
果たして電話を通して、私が話す言葉が
津田さんに聞き取ってもらえるかが、少し心配をしていた。
しかし思いのほか、すんなりと会話ができたので、安心した。
本当は私よりも先に耕治さんに受診してもらおうと思ったが、
「気功」というものを全く知らないので、
「先になかちゃんが受けて、様子をみてから受診するかどうか決める」
というので、私が先に受診した。
初めての治療の時は、90分間ずっと緊張していたのを覚えている。
いったいどんなふうに行うのか、不安で一杯だった。
治療台にあがり、両足の指をおしたりひっぱったりと治療がはじまった。
その時はとにかく痛くて、堪えるのに精一杯で、
これからどんなことをするのか不安と緊張の連続だった。
そんな気分で治療を進めていきながら、
だんだん身体が温かくなっていくのを感じていた。
というよりも身体の中の血液が、グルグルと動いているような感じを覚えた。
90分の治療もあっという間に終わり、とにかくとても痛かった。
翌日、なぜか右手の甲が痛くなり、その痛みが何日か続いた。
後日、脳性マヒの二次障害に関する報告集を読むと、
マッサージなどのあとに揉み返しが起こると書いてあったので、
ずいぶんあとになってからだが、自分自身で納得できた。
自然堂へは二週間に一度の間隔で、治療のために通うことにした。
通いはじめた時は、
治療が終わってすぐに身体を動かすことがとても辛く感じた。
そして幾度か我が家まで出張治療をお願いしたこともあった。
自然堂での治療の時間は、時計の針の音が聞こえるほどの、静かな空間。
津田さんはたんたんと治療を行い、その間の私は自分の身体に耳をすませている。
自分の身体に耳をすましてみるなんて、不思議な言い方かもしれないが、
身体の中の動きがよくわかるような気がする。
いつも治療中に、腰などどこかしらに痛みを感じはじめる。
治療を受けはじめたころは、いくら痛くても「痛い!」なんて言ったらいけないと思っていた。
そのことを津田さんへ伝えると
「痛いなら痛いって、言ってくれたほうがいいよ。
痛いということも、治療には大切な情報なんだよ」
と言う答えが返ってきた。
それ以来、治療の間は自分の身体の状態を、じっと見つめるようになった。
毎回違うところが痛くなったり、
同じ腰の痛みが左側か右側へ移行したり、
その痛みがなくなったりする。
そんなふうに身体の状態を直視していたら、
「これって、文章を書くことに似ている」と気づいた。
私が文章を書く上での大切な恩師であった近藤 徹先生のお顔が思い出された。
近藤先生は、「文章に書きたいことを、とことん細かく丁寧に書きなさい。
そうすることであなたの文章が、一般社会の障害をもたない人たちへ、
障害をもって生きることはどういうことかを、
主張していける大きな力になりますよ」と言う励ましの言葉をかけて下さった。
子どものころから言語障害がある私にとって、
文字を連ねて自分の意思を他者へ伝えられるということは、
いちばんの宝物だと改めてそう感じている。
私 「身体の動きをみつめることって、文章を書くことに似ているね」
津田さん 「えっ、そうなの?」
私 「でも、最近なんだか文章が書けないの。書きたいと思うけど、書けないの」
津田さん 「どうして、書けないの?」
その問いかけに、私は答えようとしたけれど、なぜだか声より先に涙があふれてきた。
私は文章を書くことが好きで、
文章を書くことを自分の生きる証しにしたいと思っているが、
時折自分の気持ちと行動が伴っていかない現実に、文章が書けなくなる。
本当なら、自分の辛い気持ちをすらすらと文字にできたら、どんなにか楽になれるだろう。
もしかしたら自分を癒すために、私は文章を書いている。
それもよくわかっていた。
しばらく間を置いて、再び津田さんが「どうして、書けないの?」とひと言、問いかけた。
今にして思えば、あの津田さんの問いかけが、私の心のフタをあけてくれたような気がした。
それまでの私は、自分の心を伏せることが自分を守れるとおもっていた。
私はやっとの思いで、「津田さん、すみませんけど少し、泣いてていい?」と言葉を発し、
津田さんは「あぁ、いいよ。気がすむまで、泣いていいよ」と答えて下さった。
そのあとひとしきり、私は泣いていた。
私が泣いている間も、津田さんは黙々と治療を進められていた。
それにふと気づき、自然堂はカウンセリングの場でもあるから、クライエントになりきれる。
自然堂での治療時間の90分は、私に与えられた一瞬のように思う。
自分の身体と向き合ってもいいし、
たわいのない話を津田さんに話すのも楽しいし、
黙って物思いにふけって夢心地に・・・。
あの瞬間から、自然堂という空間が、私だけのオアシスになった。
(2002/04/02受取)
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3. たかが腰痛、されど腰痛
〜N・N 国立市内・40代男性〜
健康と体力には人一倍自信があり、およそ病院というものにかかったことのない自分も、
ついにどうにも動けない屈辱を味わなければならなくなった。
忘れもしない、昨年の8月初めの事である。
連日の猛暑の中、仕事から帰ればクーラーをフル回転させ、
好きな野球を見ながらビールを痛飲する快楽は、何ものにも代え難い。
いつものようにほろ酔い気分(?)で床に入ったその翌朝、
目覚まし時計をうらみながら布団から半身を起こし、クシャミ一発!
するとどうだろう。腰にズキッと鋭い痛み。ぎっくり腰になってしまったのだ。
行こうと思っていたトイレにもとても行けたものではない。
そして会社にも。
会社にはぎっくり腰が理由では情けない気がして、
風邪ということにして、初めて病気で欠勤することになってしまった。
「Nさんも馬鹿じゃないという証拠ですよね」
などと冷やかされるに決まってることを考えると非常に悔しかったが、もう後の祭り。
そんなことより早く動けるようにならなくては・・・
そこで前に家内の友人のご主人が、ぎっくり腰で動けなくなったのを、
1回で治してもらった治療院があることを思い出し、
さっそく家内に連絡をとってもらった。それが自然堂だったのである。
家内に車で送ってもらって、ほうほうのていでやっと辿り着くと、
緊張と痛みで身を屈めていた私を、先生はあたたかく迎えてくださった。
先生は若く見えたが、実は自分とあまりかわらぬ同世代だそうだ。
先生と話していてまず驚いたのは、
この時期、真夏は真冬と同じく、ぎっくり腰が多いのだということ。
そしてみんな、冷たいビールとクーラーのせいだと、
患者自身が告白しているのだそうだということ。
冷えが腰に入るのだそうだ。
そしてもっと驚いたのは、
こんなに痛くても楽に動ける動きがあり、
それに合わせて息を吸ったり吐いたりしていると、
なぜか痛みが和らいでくることだった。
「操体法」と言う方法らしい。
来た時はお辞儀もろくにできない感じだったが、
帰る時はしゃんと背筋が伸びて、前を見ることができた。
本当に1回で動けるようになったのだ!
「でも無理してはいけませんよ」と先生には言われ、
自分でやれる方法も教えて頂いたのだが、
無礼ながら翌日から涼しい顔をして会社に出勤したことは言うまでもない。
こういう不真面目な患者でも許してくれる、
不思議な自由さというか包容力を先生はもっている。
しかし先生の顔を二度と拝まないですむのが、もちろん自分には最大の目標である。
さて今年の夏は暑いだろうか。
(2002/ 03/ 26受取)
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2. 今までのこと、これからのこと
〜ライラ 多摩地区・20代女性〜
初めての自然堂の印象・・・
「うっ・・小さい・・しかもマンションじゃん・・・」
そして、初めての津田先生との出会い・・・「大丈夫かな・・・この人・・・」
これは、先生にも言ってなかった事ですが、(今思い出しました)
診察室のドアが少しだけ開いていて、
そこから絨毯のごみを拾っている手がちょろちょろ見えていて・・・・
「おいおい・・・見えてるよ」と思いつつ、大変失礼ですが、
不安と不信をいっぱい胸に抱いて、診察室の中に入りました。
私がここにたどり着くまでに、9年かかりました。
私は、過食症でした。
どんなに食べても、その時だけの心地よさだけで、
後はもう余計に自分のことが嫌いになる・・・
そして、周囲の目を気にしてダイエット。
でも、どんなに痩せても、まだここが太い、まだ私は太っている、
という思いから逃れることはできず・・・・悪循環の9年間でした。
痩せている私を知ってる人とは、太ってしまうと顔を合わせたくなくなり、
その内、外に出ることが苦痛になり、
他人との関わりも、仕事も、責任も、世間体も、
そして自分も何もかもが嫌になってしまいました。
過食を治そうと通っていた心療内科で、
うつ状態で3ヶ月の休養を要すると診断されました。
本当に何もかも、投げ出したんです。責任重大な仕事でした。
休んだ当初は、仕事を休んでいる自分を責め、
同僚に迷惑をかけている自分を責め、
昼間から寝たきりの自分を責め、
眠っていない時は、ひたすら悲しくて苦しくて、涙していました。
でも、実際に外出はおろか、電話の音、メールすら恐怖を感じる状態だったので、
1ヶ月半程、自宅に閉じこもっていました。
抗うつ剤が効いてきたのか、その1ヶ月半を過ぎた頃には、
自分なりに今のこの時間を有効に使えるように考えるようになりました。
そこで、この自然堂のホームページを見つけたのです。
私の話を聞いた先生は、
「今までよく頑張りましたね・・・よくここまでたどり着きましたね・・・」
とおっしゃったのを、今も覚えています。
不安も不信もいっぺんに。吹き飛びました。
もっと頑張れって、頑張りが足りないんだって
言われてきたのに・・・今まで。
その時は、頑張ってないと答えた気がします。
でも、私は頑張ってきたんだと、今は思います。
心の中の、もう一人の自分が、
色んな物にグルグル巻きにされて、手足だけ出してもがいてる、
そんな自分を他人に見られたくないから、
元気で、明るくて、ムードメーカーで、誰とでも仲良く話せて、
自分の意見を言うときはきちんと言う、
面倒見がよくて、頼り甲斐のある「自分」であるために、
頼まれてもいないのに、誰かを助けようとして、感謝されたくて、
睡眠時間を削ってまで人の話を聞いたり、お祝いの品物を作ったり・・・
そんな事をするたびに、グルグル巻きが大きくなるのにも気づかず、
これまた悪循環の日々でした。
あの時、休んでいなかったら、死んでいたかもしれない。
大袈裟ではなくて、自分という存在を消してしまいたい、という気持ち、衝動はありました。
ベッドに横になって、先生に足をマッサージしてもらいながら、
思いつくことを話してきました。
(話さないでおこうと思ったことまで話してしまったり・・)
先生は、何も決め付けない、私がその都度気づいたこと、反省したこと、悲しいこと、
むかついたこと、色んな感情を、受け止めてくれました。そして、認めてくれました。
薬で解決できない心の問題は、いったいどうしたら解決するのでしょう・・・
今の私が言えるのは、
心の問題は、「問題」じゃなくて、
そう自分が思い込んでいるだけのことかもしれないと言うことです。
感情ですら、人間は自分で決めると本で読んだことがあります。
だけど、その思い込みからは逃れられない時、
自分一人ではどうしようもない時、
自分の感情をそのまま受け止めてくれ、認めてくれ、
そして、違う見方を示してくれる人がいるかいないかでは、
心の状態は大きく変わってくると思います。
私は、色んな感情、周囲の反応、状況の変化のうねりの中にいました。
毎週自然堂に通い、少しずつ少しずつ、グルグル巻きがほどけていって、
ある日いつもの様にマッサージしてもらいながらベッドに横になっていたら、
グルグル巻きになっていた心の中の小さな私が、
ゴムのようにニュウーーっと伸びて、大きくなって、
今の自分と一体になったイメージがわきました。
今までは弱い自分なりに、頑張ってきたんです。
でも、頑張り方が合ってなかった。
だから結局だめな自分!!と思ってきました。
今は、「無理しないで頑張る」という考え方になりました。
矛盾してるけど、私の進み方はこうなんだろうと思ってます。
だめな自分もいるけど、でも、今の自分は昔ほど嫌い!と思いません。
こう思えるようになったのは、自然堂で津田先生の治療を受けたおかげだと思っています。
そして、冒険してみよう!という心を失わなかった、苦しかったときの自分のおかげ。
だって、最初に自然堂に行こうと決めたこと自体が冒険だったのですから。
これからは、自分のペースを確認しながら(考える前に行動に出てしまう所があるので)
のんびり、自分と付き合っていきたいと思っています。
こんなに心が落ち着いていて、平和な今、それだけで幸せです。
(2002/ 03/ 20受取)
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1.難病を克服して
〜匿名希望 国立市内・40代女性〜
自然堂治療室のご繁栄とご発展のご様子、心よりお喜び申し上げます。
私が津田先生の治療にひとかたならぬお世話になっていたのは、
まだ自然堂を開業しておられず、出張専門でやっていらした頃のことです。
自然堂を開業されてからは、私は大変失礼にもまだお伺いしておりませんので、
こんな拙文をお寄せする資格があるのかどうか、全くお恥ずかしい限りで御座います。
もうかれこれ10年近くのことになります。
当時の私の苦痛は、とても筆舌に尽せぬものでありました。
ご存じない方も多いかと存じますが、私は「ベーチェット病」という、
厚生省で特定疾患として指定されている難病に見舞われておりました。
どんな病気かといえば、
私の場合、とにかくまずひどい口内炎に悩まされました。
普通の口内炎からは想像もつかない、それはそれはひどいものでした。
大きければ1円玉ぐらい。真ん中がえぐれることもあります。舌先にもできます。
そして、治ったと思ったらまたできて、それをくり返します。
手足には気味の悪い大きな紅斑が、やはりできたり消えたりし、陰部には時々潰瘍。
連日の高熱。頭痛もひどかったです。
ブドウ膜炎といって、目がかすんできて、一時は失明の危機に怯えていました。
読書を無上の喜びとする私にとって、これほどの恐怖はありませんでした。
このうえ目まで見えなくなったら、一体私の人生、何が残るというのか・・・
しかもベーチェット病で失明された方は、患者仲間でも少なくないのです。
ベーチェット病の治療法は恐らく今も完全には確立していません。
当時はプレドニンなどのステロイド剤、温清飲などの漢方薬を処方されましたが、
決してはかばかしいものではありませんでした。
回りには、ステロイドで目の症状が悪化して、失明なさった方もありました。
西洋医学以外の可能性も探ってみたくなるのも自然なことではないでしょうか。
その時、知人から、自宅にも来ていただける先生が居られるということで、
津田先生のことを紹介していただきました。
津田先生は、オーリングテストを駆使して、
食べ物、飲み物や健康食品はもちろんのこと、
衣服や建材、電灯まで調べてくださって、
本当に親身になって一生懸命治療をしてくださいました。
一番驚いたのは、化繊の衣服と蛍光灯が
症状の悪化に大きく関わっている事がわかったことでした。
特に、皮膚の紅斑は化繊の衣服をやめることで、
しつこい頭痛は蛍光灯をやめることで、大きく改善されました。
そしてもっとありがたかったのは尿療法です。
尿療法はあの当時、奇跡を呼ぶ究極の民間療法としてマスコミで騒がれていて、
それを津田先生に教えていただきました。
迷ったり拒んだりする余地が、当時の私に残されていなかったのは、言うまでもありません。
それにしても、これは本当に効きました。
毎朝の尿を飲むのも勿論ですが、一番助かったのは、尿の点眼でした。
スポイトで1滴2滴差すや否や、かすみ始めていた目の症状が、
信じられないほど劇的に消失してしまったのです。
それ以降現在に至るまで、目についてはほとんど心配なく過ごしております。
口内炎は今もできやすいのですが、それ以外の症状はほぼ消失しており、
専門の病院でも一応「治癒」と診断されております。
まことに津田先生なしには、私のこの回復は絶対にありえませんでした。
津田先生は真に人生の恩人で御座います。
どれほど言葉を費やしても足りないことは承知の上、
改めてここに感謝の意を表して結びとさせて頂きます。
(2002/ 03/ 11受取)
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