かなしい親分

PM/飛ぶ教室第16回公演
2001.5.10.(木)〜13.(日)
AT:扇町ミュージアムスクエア

定吉とん



誰の足でしょう?

登場人物が多く、人間関係と誰が亡くなったのかを把握するのに時間がかかった。


              ★浮気相手の女性(韓国人)   
              ┃                
              ┣── 娘・小夜 (韓国人)
              ┃                
     ┌───────親分━┳━★(病没)──┐    
   弟分・藪内      │   │        妹・流子     
          ┌───┤ 娘・わらび          
        友人・石丸 │                
              │                
      ┌───┬───┼────┬────┬────┐    
【子分達】五月雨  茂一  ★荒木  ★カツ  辰次   秋雄
      │            │    │
     妻・すばる        妹・フジ 姉・スモモ
                              

【人物の説明】

  ★:台詞には名前が出てくるが、役者としては登場しなかった人。
 赤字:女性
 青字:抗争で亡くなった組員。
 親分の妻は10年前に病気で亡くなっている。
 妻の妹・流子が組員の世話をしている。一緒に住んでいるが、親分と男女の関係はない。
 弟分・藪内は、親分が一家を興す前に世話になったおじの組員。
 友人・石丸は組の抗争を手伝う為に呼ばれて、親分の家に10日前から住んでいる。
 娘・小夜は重要なキーパーソンである。


【あらすじ】

親分が電話で話している。誰か、外国からのお客さんが来る様子。

10日前に荒木が撃たれて、また、カツがやられてしまった。
親分の「王手組」は祭りのテキ屋という商売で、薬もチャカ(拳銃)もばくちも入れ墨も関係ない、カタギの人には迷惑をかけない、夢を売る商売だと自負している。
秋雄もやられた。理不尽な組の抗争に巻き込まれ、大切に預かっている組員を次々と殺され、ほとほと嫌気がさした親分は組を解散したいと言うが、組員たちは殺された仲間の仇を討とうとする。
そして更に殺される人間が増えていく。

電話の主は、親分と知り合った女性が国(韓国)へ帰って一人で生んだ子、小夜。20才。
父である親分に会いに来た。韓国の娘・小夜がオモニ(母)に習った歌だと、「君をのせて」(沢田研二)を口ずさむ。たぶん親分が女性に教えたのだろう。親分も思いだして一緒に歌う。ひとときばかりの昔の思い出に心なごませる親分。しかし、「すまなかった」という思いで涙ぐむ。
本当の娘・わらびに紹介する。
韓国の娘・小夜がやはり居づらいと、ホテルへ帰ろうとする。親分は引き留めるが家を出て行く。
そして・・・。組の抗争に小夜も巻き込まれた・・・。小夜が「オモニが摘んだ花です。」と親分に渡した花が一筋のライトに照らされて終わる。
【感想】

うしろ姿の演技が多かったのは、やはり意図があったのだろうか。

「救いようがないんです。」と雀三郎さんは言われた。呆然としたまま、芝居が終わってしまった、という感じがする。しかし、蟷螂さんは「何か」を訴えたいはずだ・・・それは何なのか・・・ただ、悲しいというよりは、「なんで、こんな芝居を描いたのか?」という思いのほうが強かった。

蟷螂さんの芝居は伝統的なしゃべくり漫才のように、ていねいな台詞で登場人物をしっかり描いていると思う。あまりたくさんの芝居は見てないが、流れとしてやはり「漫才というよりはコントになった」ような、奇抜な芝居も多い中、ていねいな描き方だと思う。役者の演技力もたいしたものだ・・と感心する。だから、殺し合いだけをテーマにするはずがない、そういう思いが強かった。

自分ではおぼろげながらわかったような気はしていたが、OMS CLUBというパンフレットに載っていた文章を読んで、胸に落ち着くものを感じた。以下転載させていただく。

「今まで舞台に幽霊を出すことで生者と死者とが共存する芝居を書いてきたが、今回はその方法論を一旦封印して、生者しか出てこない芝居で“生と死”を描いてみようと思っている」と語る蟷螂襲率いるPM/飛ぶ教室。死と隣合わせの極道の世界を舞台に、任侠社会に身を置く男性の生き様と、男達に翻弄される女達の姿を通して、蟷螂がこだわる“生きていることには、いつも死が含まれている”という永遠のテーマを描き出す。ハードな題材の中にも蟷螂ならではの情景豊かな台詞がちりばめられている。


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