定吉とんについて
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【桂雀三郎さんとの出会い】
雀三郎さんの落語をはじめて聞いたのが1989年6月18日、知り合いのギタリストが個人宅で開かれた落語会。「枝雀の弟子が落語やるで!」と言われて「お知り合いになったら、ゆくゆくは枝雀さんに会えるかなあ・・・」なんて下心があって行きました。
その日聞いたのが「淀五郎」「帰り俥」、地味ながら引き込まれていきました。しっかりサインももらいました。“電気が走る・・・”というようなショックはなかったのに、なんでかわからんけど2ヶ月に1度開かれる落語会へはほとんど行きました。出会いとは不思議なものやとしみじみ思います。それ以来、枝雀ファン転じてしっかり雀三郎ファン!!
1990年(H.2)4月に近くの中学校に来てもろたときは、メッチャメッチャうけましてな、PTAのお母さん方は、もう笑ろて笑ろて、涙流してハンカチでふきながら、「だれぇ?!こんな面白い人呼んだんは!」とよろこんでくれはりました。そのときのネタが中島らも作「明るい悩み相談室」でした。

【こんばんは、米朝事務所です】
1990年〜1992年、雀三郎さんは「こんばんは、米朝事務所です」というラジオ番組を持っていて、桂吉朝さんといっしょにDJをしていました。私は毎週欠かさず録音テープとともに聞いて、セッセセッセとはがきに宿題を書いて投稿していました。3年間がんばりました。というても、野球のオフシーズンだけの番組でっさかい、半年×3回で正味1年半ですけどね。

【定吉とんというキャラクターについて】
私が「定吉とん」を名乗っているのは、桂雀三郎さんという「だんさん」にお仕えする「丁稚」であることを表現したいためです。
*定吉とんとは*
上方落語によく出てくる丁稚の名前。子供。
だんさんのおつかいで出かけたり、番頭さんに頼まれてだんさんの話を立ち聞きしてくるが、いつもトンチンカンな覚え方で笑いを誘う。
「蔵丁稚」「口入屋」「寝床」「質屋蔵」「七段目」などなど定吉の出る話は多い。
「とん」というのは「さん」という意味で目下の者につけて呼ぶ語。

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