攻めろ、攻めろ、攻めて攻めて攻めまくれ

理想のゴールキーパー
どんなチームにも欠かせないのがゴールキーパー。
 フォワードがいなくてもサッカーはできます。2トップで二人とも退場になったら、よっほど勝たなくてはならない試合でない限り、監督は守りを固めることを優先し、無理してFWを投入しようとはしないでしょう。
 しかし、GKが退場になればそうはいきません。必ずフィールドプレイヤーが一人抜けて控えのGKが出ていきます。
 それは唯一手が使えるという特別な権利を持っているからだけではありません。
 チームの目的が何であれ、その遂行に決して欠かせない存在であるからに他なりません。
 「守護神」という称号はGKだけのもの。
 
 そこで、このコラムの1回目は私の一番好きなゴールキーパーについて。

 その名は、「レフ・ヤシン」

 年季の入ったサッカーファンじゃなければ知らない名前でしょう。なにしろ1960年代の選手で、しかもロシア人(当時はソ連人ですね)ですから。
 ソ連は90年代、国力の低下とともにW杯で苦戦を強いられてきましたが、58年から70年まで4大会連続で決勝トーナメントに進出した強豪国でした。その頃のゴールマウスを守ったのがレフ・ヤシンです。
 
 彼は黒い長袖のユニフォームに身を包んだ姿で世界中の名のあるフォワードを迎え撃ち、跳ね返し続けてきました。
 長い手足とユニフォームから付いたニックネームが「ブラック・スパイダー」
 
 キーパーは反射神経と読みでセービングをするものですが、有名な選手だとディノ・ゾフは読みが、カンポスやチラベルトは反射神経が優れているように見えます。ヤシンはどちらの面でも、世界最高水準を極めていたように思われます。

 かなり昔の選手なので、もちろん私も断片的な映像でしかプレイを観ていません。乏しい情報ながらも私がそう賞賛するのは、彼が唯一、キーパーとして欧州最優秀選手に選ばれたプレイヤーだからです。

 毎年一人だけが得られるこの栄誉は、基本的に攻撃的な選手のタイトルです。そう決まっているわけではありませんが、やはり多くのゴールを決めた選手、チームの中心としてフィールドを疾駆した選手に注目が集まるのは自然なことです。DFでもほとんど受賞者はいません。「皇帝」フランツ・ベッケンバウアーほどの選手でなければ候補にもなりません。ベッケンパウアーはMFとも言えますが。

 並み居る名選手を押しのけ、1963年に彼はバロン・ドールに輝きました。時代は冷戦の真っ最中。ソ連人である彼に対する抵抗が、西洋人主体のUEFAになかったはずはありません。それでも選ばれたという事実が、彼の偉大さを象徴しています。

 そして1994年W杯アメリカ大会。
 ワールドカップに、大会最優秀ゴールキーパーへ与える賞が新設されました。
 その名も、「レフ・ヤシン賞」
 4年に一人しか選ばれることのない、最高の栄冠。
  彼は自らが得た「欧州最優秀選手」という枠を超えたと言っていいでしょう。


 引退後のヤシンがどうしていたのか、私は知りません。知っている人がいたらぜひ教えてほしいと思っています。1990年頃に亡くなってしまったらしいです。幸福で満たされた生涯であってくれればいいのですが。




Number Plusより
管理人が愛読している雑誌、Number。
 W杯特別号第5弾として、「日本代表ベスト16への道」というのが発売されました。
 アイルランド人の私は日本代表のサポーターではないので、メインの記事はどうでもいいんですが、
ヨハン・クライフのインタヴューだけは見逃せません。
 いつもながら明快に、サッカーが何をもたらすものなのかを語ってくれています。
 「勝利には貪欲に、しかし、散り際は美しく」
 「ひとたびピッチに立ったら、人生同様、試合を満喫しないとね」
 いい言葉です。
 そして今回はサイド攻撃について詳しく語ってくれています。中央の守備はいつだって堅いのだから
サイドから攻撃するのは当たり前だと。そのためにはサイドにはウィングとサイドバック、二人が必要になる。一人では長いフィールドを走り続けられないから。とても論理的。
 「ドイツは(サイドに選手が)一人ですが」と問われると
 「私たちと違って、彼らは走るのが好きなんだ(笑)」だって。ユーモアも欠かしません。
 彼ほどの真に偉大なフットボーラーが、サッカー小国日本について語ってくれるのは、W杯開催国
だから。開催国だからこそ注目もされるし、アドバイスもされる。
 この大事なチャンスを、今の日本代表は逃そうとしている。そんな気がしてなりません。
 



ワールドカップ以外
 4年毎にやってくるサッカー・ワールドカップ。世界中から名だたるフットボーラーが集い、トップレベルの技量で私たちを魅了してくれます。
 と言いたいところですが、必ずしもこの大会に出た選手だけが名選手というわけではありません。
 あくまでワールドカップは国同士の戦い。個人レベルでは素晴らしいテクニックを持っていても、チームとして予選を勝ち抜かなければ出場できません。日本でもドイツ・プンデスリーガで活躍した奥寺選手はW杯を経験できませんでしたし、今度の日韓共催大会でも多くの選手が涙を飲みました。

 そんな選手を一人紹介します。

 ジョージ・ベスト。
 マンチェスター・ユナイテッドの背番号7。
 1968年、欧州チャンピオンシップを制したストライカーです。

 良く知られている1958年「ミュンヘンの悲劇」
 マンチェスター・ユナイテッドは欧州チャンピオンシップの準決勝を敵地バイエルンで戦い、圧勝し、意気揚々とイングランドへ戻ろうと旅客機で離陸。そこで墜落事故が起こります。主力選手8人が死亡。マッド・バスビー監督と若きボビー・チャールトンらだけが負傷しつつも生命をとりとめました。

 それから10年後。バスビー・ベイブスと呼ばれた選手たちはフィールドに復活していました。ボビー・チャールトンは66年W杯で主将として母国の優勝に貢献。2年後に再び欧州チャンピオンシップのタイトルに挑むことになりました。

 そのチームに、ジョージ・ベストがいました。しかし、彼はW杯常連国の英国人でありながらW杯の舞台を生涯経験することがありませんでした。それは、彼が「北アイルランド」出身だったからです。

 イギリスには「イングランド」「スコットランド」「ウェールズ」「北アイルランド」の4つのサッカー協会があり、個別に大会予選を戦います。人口も少なく経済力もない北アイルランドは過去3回の出場経験があるものの、ジョージ・ベストの現役時代には予選敗退が続いていました。現在でも、ウェールズ出身であるが故にライアン・ギグスがW杯の舞台に登場できそうもないのと同じです。

 それでも、彼はクラブチームでの活躍で世界に名を馳せ、当時サッカー文化が無きに等しかった日本でもファンクラブができるほどの人気がありました。
 猛禽のような俊敏さ。高速のドリブル。ネットを突き破らんばかりのライナー・シュート。
 68年、ポルトガルのSLベンフィカと雄を競った欧州チャンピオンシップでも1ゴール。4−1で圧倒してバスピー監督以下の悲願であった欧州制覇を成し遂げました。その後も世界屈指のFWとして観客を魅了し続けましたが、結局、W杯には出ることができませんでした。

 ワールドカップはあらゆるフットボーラーの夢。
 ですが夢に届かなかった名選手のことも、憶えていてもらいたいと思います。



大会開催地
 ワールドカップは4年に1回。その間を埋めるように、2年ずらして4年に1回、欧州選手権という大会が行われているのは周知のところ。フランス大会と日韓大会の間では、ベルギーとオランダとの共催でEURO2000年が盛大に行われ、フランスがW杯との連覇という史上初の快挙を成し遂げています。
 次の次の欧州選手権の開催地に、スコットランドとアイルランドが共同で名乗りを上げたというニュースが入ってきました。
 これから招致合戦になるのでしょうが、決定、と言うことになると2000年欧州、2002年W杯、2008年欧州と、W杯2006年ドイツ大会以外はここ最近の大会がやたらと共催ってことになります。

 なぜこうなるのでしょうか。

 第一の理由は、単独で開催できる大国ではもう過去に開催しているので、小国が共同して開催する時期になったということ。これはいいことですよね。どこのサッカーファンだって、自国で開催されれば嬉しいに決まってます。

 もう一つの大きな理由。それはやはり、経済問題でしょう。W杯も欧州選手権も、オリンピックに匹敵する巨大な大会に膨れ上がっています。経済効果があって収益が見込めるイベントですが、それだけに人的物的負担も大きい。人口や経済活動の規模が小さい国では対応できないほどの大会になってしまっているわけです。招致のためにはインフラ整備など、かなりの費用がかかるわけですから。
 これは決していい傾向とは言えません。
 放映権料やスポンサー料は高騰の一途を辿っています。当然それはチケット代や会場でのサーヴィス料金に跳ね返り、幅広いファン層を金銭によって区切ってしまいます。悲しいことではありませんか。

 大会が派手だということは、それほど大事なことでしょうか。
 質素な大会は、プレーの質も良くないでしょうか。
 そんなことはありません。マラドーナの5人抜きがあったW杯メキシコ大会は、本来コロンビアで開催されるはずのところ、政情不安から急遽変更になって行われたものです。豊かな国ではない上に準備の時間も足りず、設備はどこもひどかったらしい。ですが、あの眩い太陽と紙吹雪は永遠の輝きを保っています。

 大会に欠かせないのは、選手と芝と観客だけ。
 一度、原点に戻った大会を開催してもらいたいと思います。EURO2008、アイルランド・スコットランド大会がそうなったら、とても嬉しいことです。



コミックにおけるサッカー
 今ではどんなコミック誌にも一つや二つのサッカー漫画はあります。今のJリーガーのほとんどが読んでいたであろう「キャプテン翼」以降、世界を舞台にしたものからJリーグ、高校サッカー、様々なフィールドが描かれてきました。
 
 昨日、私はヤフーオークションであるサッカー漫画の単行本を落札しました。書店で買わなかったのは、とっくに絶版になってて売ってなかったから。今から5年くらい前に連載されていたもので、セールスも目立つものではなかったので古本屋でも見つかりません。

 その名は「我らの流儀」(アフタヌーンコミックス)作者 大武ユキ

 舞台は県内トップの名門県立進学校。主人公の加納は東大進学を目標にしながら、サッカー部のキャプテンとしてチームを率いています。
 監督なし。学校からは支援どころか学業優先のために引退を強く勧告される日々。成績を維持しながらも、彼を含め3人の3年生は「自分たちのサッカー」を追求します。
 作中でははっきり語られませんが、それはオランダ式のトータルフットボール。随所にそれらしい表現が見受けられます。4−4−2でワンボランチというスタイルは私のツボ。途中で対戦する私立の強豪校が「蹴って、走って、強力なFWに頼って・・・・・」というイタリア式なのが対比的です。
 
 チームに勧誘された生徒が、こう答えるシーンがあります。
「結局は、高校生レベルじゃ運動量と個人技と運だけで勝てるんですよ」
こないだの高校選手権の結果に思いを致さずにはいられない台詞です。
「世界で最も単純で美しい遊び」をすることで「勝つ」という理想を追求する。
いつもどこかで誰かがやってくれていること。
 だからこそ、フットボールは素晴らしい。

 この作品ではサッカーの技巧や戦術だけに留まらず、サッカーというスポーツを介して自分に向き合う高校生の姿が清々しく描写されています。
 「自分はやりたいサッカーがあるから、うまくなろうと思った」
 「なぁ、もう、そんなに頑張らなくてもなにも失くさないよ」
 「このチームは、俺の誇りだ」

 スカイラブハリケーンもファントムドリブルもありません。ですが、この作品はフットボールとプレイヤーが育むことのできる最良の関係を見せてくれています。
 私がこれまでに読んだ、最高のフットボール・コミックとして、「我らの流儀」を推薦します。



ファンタジスタよいつまでも
 まだ一部の報道ですが、セリエAのブレッシアでプレイしていたイタリアの至宝、ロベルト・バッジオが引退することになったとのことです。
 先日コパ・イタリアの対パルマ戦で膝を痛め、全治5ヶ月の診断が下り、W杯出場が絶望になったことが、34歳という年齢以上に理由となったのではないでしょうか。

 私はイタリアのサッカーが嫌いです。守って守ってカウンター。点が取れなくてもやらなければいい。PK戦でも勝ちは勝ち。こんな卑屈なサッカーは醜く、ヨハン・クライフも「あのようなサッカーは滅ぶべきだ」と公言してはばかりません。そのせいで、イタリア人のサッカー選手にもあまり好きな選手はいません。パオロ・ロッシ、ディノ・ゾフ、フランコ・バレージ、アレッサンドロ・デル・ピエーロ。並べてみても、特に称揚しようという気分になりません。

 ですが、ロベルト・バッジオだけは別です。

 90年代、プレッシングとフィジカルに流れ、芸術が輝かせる魅力も技巧の持つ精密さもない、雑でおんぼろな機械的サッカーが幅を利かせた時代。彼は一本のパスで数万の観客に溜息をつかせるほど、魅惑的なプレーをしてきました。ドリブル、ヘディング、シュート、まるでボールは彼の親友であるかのように近づき、忠実な僕のようにグラウンドを駆けました。

 過去3回のW杯で3位1回、準優勝1回。
 特に有名なのは94年アメリカ大会。ブラジルとの決勝戦。PK戦5人目のキッカーはバッジオ。振り抜いた右足。ボールが無情にも枠を大きく外れたあのシーンでしょう。
 準決勝を東海岸で戦い、決勝は西海岸の灼熱のピッチ。疲労を抜けなかったイタリアはいつものように守ってばかりのつまらない試合をしました。攻めるブラジルも、この試合ではさほど見所のあるプレーがありません。スコアレスドローの末のPK戦はイタリアの願うところだったかもしれません。
 しかしバッジオを含めて3人もの選手がPKを外し、彼らは敗れました。
 
 アメリカ大会でのイタリアは優勝に値するサッカーをしたわけではないでしょう。ブラジルに屈したオランダやスウェーデンの方がよほどいいチームだったはずです。そう思いながらも、私は当時、グラウンドにしゃがみ込むバッジオを見ているのが辛くて仕方ありませんでした。彼のプレーは「最低のワールドカップ」と言われるアメリカ大会にあって、数少ない伝説になったと言えるでしょう。

 あれから8年。イタリアのサッカーは相変わらずです。バッジオの美しいプレーも相変わらず。怪我や不調に苦しみながらも、ボールとゴールを結ぶ繊細な糸を芝に描き続けてきました。昨年は次々と得点を重ね、久しぶりの代表復帰も見えてきた矢先に怪我をしてしまい、復帰してすぐに今回の怪我で、ついに諦めざるを得なくなったのでしょう。
 残念です。アズーリなんてW杯に来なくてもいいけど、彼だけは来てほしかった。
 
 あなたのプレーを、私は生涯忘れることがないでしょう。お疲れさま。そしてありがとう。


2月8日の付記
 昨日の新聞で、バッジオがまだ現役を続ける意向だという報道がありました。W杯には間に合わなくても、まだサッカーへの情熱は消えていないということなのでしょうか。まだ真偽は不明ですが、一試合、一秒でも長く、フィールドに立っていてほしいと願います。
 



黄金のレフティー(前編)
 「黄金のレフティー」と言えば、誰を思い浮かべますか?
 中村俊輔を挙げる人もいるでしょうし、名波浩を挙げる人もいるでしょう。ヨーロッパサッカーのファンなら折る指が足りなくなるかもしれません。しかし、古いサッカーファンならこの名前をためらわずに挙げるでしょう。
 「フェレンツ・プスカシュ」
 ハンガリーがかつてサッカー大国だったことは、あまり知られていません。過去W杯で準優勝2回、ベスト8に3回という強豪でしたが、最近は4大会連続で出場権を逃していますので、知られていないのも無理のないところです。

 ハンガリアン・サッカーが絶頂期を迎えたのは1950年代前半。なんと50年から4年間、代表チームは無敗。プラジルでも越えることのできない最長記録で、もはや破られることはないでしょう。なんと40勝7分け、1試合平均4得点。イングランド代表が、それまでここで戦えば負けることがないと不敗神話を豪語していた聖地・ウェンブリースタジアムに乗り込んで、6−3で撃破したのがこのチームです。さらにブダペストに迎えた再戦では7−1という凄まじい返り討ち。

 「マジック・マジャール」(ハンガリーはマジャール人の国)と世界に名の轟かせたチームの主将であり中心だったのがプスカシュでした。左足のプレーがあまりにも巧みであったため「黄金のレフティー」と言われましたが、実は右足でのプレーも凄かった。フリーキックでもシュートでもパスでも、両足を魔法の杖のように振るって相手の守備陣を切り裂きました。

 彼は18歳で代表入り。20歳で国内リーグ得点王。52年ヘルシンキオリンピックで金メダル。瞬く間に世界の最高峰へと登りつめていきました。

 そして1954年。ワールドカップスイス大会。

 開幕前の優勝予想は、もちろんハンガリーがダントツ大本命。両雄と並び称されたストライカー、コチシュとマジック・マジャールの圧倒的な攻撃力を担うプスカシュ。予選リーグでも同組になった西ドイツ、トルコ、韓国を全く問題にせず、トップで通過。西ドイツ戦では8対3という楽勝ぶりでした。
 そして決勝トーナメント。ブラジルを4−2、前回大会優勝のウルグアイも4−2で粉砕。決勝の相手は予選でハンガリーに完敗しつつもトルコとのプレイオフで決勝トーナメントに進出した西ドイツでした。

 実力の差は既に予選で明らかでした。しかしこの試合、ハンガリーは敗れます。

 ここまで、まともにやったのではハンガリーに勝ち目なしと見た敵チームは、プスカシュの足を執拗に痛めつけました。脛当てもない時代です。予選の段階から度重なるファウルで足は腫れ、決勝トーナメントの出場を断念せざるを得なくなるほどでした。
 そして決勝戦。チームのために、祖国のために、プスカシュは雨のピッチに立ちました。そして彼に鼓舞されたマジック・マジャールは開始8分で2点を挙げたのです。
 しかしドイツも反撃に出ます。ぬかるみに苦しむプスカシュの足を蹴りまくり、握られたペースを取り戻すために敢えてファウルをして、ゲームを切ります。そして終了6分前に、勝ち越しのゴールを奪い取ったのです。
 そして終了2分前。プスカシュが痛みに耐えながら前線に飛び出し、ゴールネットを揺らします。

 しかし、判定はオフサイドでした。
 66年イングランド大会決勝でイングランドのハーストが決めた決勝ゴールと並んで、W杯における疑惑の判定となったシーンです。
 はっきり言えば、これはオフサイドではありませんでした。当時の映像がちゃんと残っていて、どう見てもプスカシュはオフサイドポジションにいません。ゴールだったのです。

 試合は終わり、優勝杯は西ドイツの手に渡ってしまいました。

 そして程なくして世界が揺れることになります。



黄金のレフティー(後編)
 1956年。
 ハンガリーの陸軍兵士を中心とするクラブチーム、ホンベドは西欧への遠征中でした。チームの主力だったプスカシュの元に、驚愕するニュースが届きます。

 ハンガリー動乱。

 教条的共産主義から脱却し民主化を志したハンガリー政府と市民に対し、東側陣営の盟主ソ連は正規軍を動員し、国境から戦車部隊を押し立てて侵攻してきたのです。抵抗する勇敢な市民に砲弾が降り注ぎ、ブダペストは血に染まりました。そして武力で擁立された傀儡政権が統治を始めます。

 プスカシュは、亡命者となることを選ぶしかありませんでした。占領された祖国に帰っても、西側との交流を持った選手たちが好意的な扱いを受ける可能性は極めて低かったのです。幸いにも妻と子供が遠征に同行していた彼は、これまでの選手生活で蓄えた資金もあり、風光明媚なイタリアの下部リーグでサッカーをすることにして、引退後のことを考えていたようです。

 そして1958年。彼の元にレアル・マドリードから入団の誘いが舞い込みます。当時のレアル・マドリードはディ・ステファノという名選手を擁して欧州チャンピオンズカップ3連覇という偉業を成し遂げていました。
 ペレ以上と称する人もいるアルゼンチン人ディ・ステファノは、守備でも攻撃でも最高だという全能の天才でした。大きな違いは、ペレが「王様」ならば、彼はいわば「独裁者」だったこと。なにしろ自分の思い通りに動かない選手にはパスを出さずに、干してしまうほどでした。「枯葉」と呼ばれた鋭いフリーキックで名高いブラジルのババなどもそうしてチームを去った一人です。

 いい選手と見ればとにかく欲しがってしまうベルベナウ会長でしたが、その端からディ・ステファノが追い出しているような構図があって、その挙げ句に半ば引退状態のプスカシュにオファーが届いたのです。本人は気楽にサッカーを楽しんでいて、でっぷりと太っていたそうです。入団前に減量を命じられ、1ヶ月に7キロ落としたと言われています。

 そして始まった58−59シーズン。本来司令塔だったプスカシュとディ・ステファノは衝突が運命付けられているようでしたが、プスカシュはよくチームを分析し、自分の役割を定めました。それを象徴する伝説的なエピソードがあります。

 シーズン最終戦。プスカシュとディ・ステファノは得点王を共に22得点で争っていました。ゲーム終盤にプスカシュに決定的なシュートチャンスが訪れると、彼は敢えてシュートせずにディ・ステファノへパスを出します。楽々と決めたディ・ステファノは得点王を譲られご満悦でした。

 チームが最も力を発揮するために何が必要か。それを見分ける慧眼を持っていたのがプスカシュでした。もっとも、彼にっては1度の得点王を譲るなどたいしたことではなかったかもしれません。なにしろ、この翌年からの5年間で彼は4度もリーグ得点王に輝いているのですから。レアル・マドリードの欧州チャンピオンカップ5連覇にも貢献しています。5連覇を決めた試合ではフランクフルト相手に4ゴールを叩き込み、決勝最多スコア樹立のおまけつきでした。

 マラドーナがイングランド相手の5人抜きで世界を瞠目させた時、彼は左足でしかボールに触れていません。今の私たちがプスカシュを連想するためには、マラドーナをもっと素早く、右足も左足と同じくらい鋭く振れて、冷静で深みのある人格を備えた選手を思い浮かべなければならないでしょう。

 ちなみに、彼の誕生日は1927年4月2日。ここのサイトの設立日と一緒なんですよ。
 



スポルティーバ
 3月25日、SPORTIVAという雑誌が創刊されました。中心はサッカーやメジャーリーグなどのようですが、総合的スポーツ誌というジャンルに入るのでしょう。ま、内容としては目新しいものはありません。広告が多くて、記事の文章にはNumberのような格調の高さがないし、少なくとも私は続けて買う気はありません。
 しかし、私は創刊号を買いました。
 なぜか。

 付録に「FIFAワールドカップベストゴール56」というDVDソフトがついていたからです。

 再生するとゴール前でリフティングをして、鋭くシュートする17歳のペレから始まりました。エウゼビオ、ボビー・チャールトン、ゲルト・ミュラー、ベッケンバウアー、そして空飛ぶオランダ人クライフ。次から次へと名選手がゴールネットを揺らし、ジーコやマラドーナはもちろんのこと、ジダンがヘディングシュートを決めるまで16分、私は一瞬たりとも目を離せませんでした。
 とんでもなくイカしたDVDです。これ。
 この一枚のために雑誌を買う価値は必ずあります。

 プスカシュとかジュスト・フォンテーヌの映像がなかったり、クライフ率いるオランダが西ドイツに爪先一つ触れさせずにPKを得たプレイが収録されてないなどの残念な点はあるにしても、フットボーラーの身体はこれだけのことができるという究極形態が目白押し。

 とりわけ管理人お勧めなのが98年フランス大会のオランダ対アルゼンチンの決着を付けたゴールです。

 自陣左サイドでボールを受け取ったオランダ主将フランク・デブールが、遠く前線へクロスボールを上げる!
 その先には全力疾走するベルカンプ!
 追いすがるアルゼンチンディフェンダー!
 鋭く高く上げた右足は、信じられないほど柔らかくトラップ!
 落としたボールをワンタッチして鮮やかにディフェンダーをかわすベルカンプ!
 角度はない!
 ゴールキーパーが詰める!
 右足から放たれる銃弾のようなライナー・シュート!
 
 1秒の何分の1かの時を経て、サイドネットが揺れていました。
 
 このゴールは永久保存に値する人類の文化遺産です。さぁみんな、本屋に急ぎましょう。DVDプレイヤーがない人は電気店に行きましょうね。



バッドニュース!
 いよいよワールドカップも近づいてきて、今度のこのコラムでは理想の日本代表やらチケットの入手状況やら、予選リーグの突破予想なんかを書くつもりでいたんですが、ここでとんでもないニュースが飛び込んできてしまいました。

 デイヴィッド ベッカム骨折。

 左足首。全治2ヶ月。

 今イングランドは深い絶望に満ちていることでしょう。本大会まで50日を切ったこの時期に2ヶ月の怪我はあまりにも重い。たとえ出場できても、本来のプレーができるはずもない。監督もチームメイトも国民も全幅の信頼を置くキャプテンの離脱は、イングランドから莫大な可能性を奪うことになるでしょう。

 私は予選リーグF組をイングランドが2位で通過し、決勝トーナメントの初戦でフランスと激突すると予想していました。ベスト8を巡る試合で最も激しく美しい試合になると期待していました。実力は互角と言ってよく、世界王者フランスといえど、全力を注がねば勝てないゲームになるだろうと。
 しかし、もはやそれは望むには遠すぎる夢。ベッカムなきイングランドは予選を突破することすら難しいでしょう。

 願わくば、彼の負傷が予想よりも軽いものでありますように。
 治療が成功して、万全の姿で日本のピッチに立てますように。
 



ワールドカップチケット狂想曲
 ワールドカップもいよいよあと40日ちょっとと押し迫ってまいりました。
 各国の代表チームは親善試合を重ね、調整に余念がありません。完璧な形で開催日を迎えたいという熱意が感じられます。それはサポーターであれキャンプ地の人たちであれ、サッカーを愛するものに等しく共通しているものでしょう。
 しかし、そうでない存在があるようです。

 JAWOC。日本ワールドカップ組織委員会。

 ここの連中はどこぞの外務省と同レベルの無能揃いなんでしょうか。

 第一次、第二次とチケット販売をやってきて、その度に不手際によって混乱を招いてきました。

 第一次では用意した応募用紙があまりにも足らずに多くの人が申込みすらできない有様。
 第二次ではどの試合も同じ電話番号で受付をしたため全く電話が繋がらない状態で、挙げ句にチケットが売れ残り、事前登録者のみの販売だったチケットを一般で売るというていたらく。

 そして第三次販売が、大惨事販売になるかもしれません。
 これは海外販売で売れ残った席を国内で販売するものですが、電話で予備抽選に応募して、
通過したら本抽選の対象となり、そこを越えて初めてチケットが買えます。

 私の実例を交えて話を進めますが、私は携帯電話と固定電話で予備抽選に申し込みました。この段階で希望試合(第3候補まで選べる)と席種を選ぶことになっているので、私はアイルランド対カメルーンの試合を指定しました。17000円の席を各2枚申し込んだので手数料800円と合わせて、
34800円です。

 そして締め切り後に電話で予備抽選の当落を確認。幸いにも私はどちらでも通過していました。
最大で4枚買える可能性を手にしたわけです。本抽選の登録には、予備抽選で通過した分のチケット代金を手数料込みで払わなくてはなりません。落選したら返金されるんですが、なんと、その返金手数料はこっち持ち。おい、じゃあ800円の手数料はちゃんと全額返すんだろうな。

 JAWOCの発表によるマスコミの報道だと、予備抽選の平均倍率は17倍だったそうです。そして全応募者の54%が、日本の予選ラウンド3試合と決勝戦、そしてイングランド対スウェーデン戦に集中していたとのこと。
 そうなると、日本開催32試合のうち5試合に54%が応募したわけで、残りは27試合に46%。
5試合の平均倍率は計算上で約57倍。一方27試合の平均倍率は1倍から2倍程度ってことになります。
 この計算はあくまで、一試合当たりの販売枚数が全て同じという前提です。実際は試合をする国の国民がどれだけ日本まで見に来るかという要因でかなり差があるはずですが、目安にはなるでしょう。
 アイルランド対カメルーン戦の場合、アイルランドは最近好景気だとはいえEU有数の貧国。カメルーンも発展途上国。サッカー熱は高くても、地球を半周して予選ラウンドを見に来る人は少ないと思われます。ですので、私が2口申し込んでどちらも通っていることからしても、1倍から2倍という数字は実態に近いのではないでしょうか。

 そして今日の毎日新聞。抜粋します。
 「海外売れ残り枚数連絡なく  3次抽選遅れも
  FIFAから通知されるはずの残り枚数の報告が19日までになく、JAWOCが26日以降に予定している当選者本抽選が遅れ、来月上旬に予定しているチケット発送に影響が出る可能性が出てきた。
 FIFAは4月初旬、JAWOCに売れ残り枚数を8万8000枚と通知。しかし、代理店バエロム社を通じて申し込んだ枚数のうち代金未納のものはこれに含まれておらず、正式な枚数の特定には至っていない。JAWOCは急遽バエロム社に幹部職員を派遣し特定を急いでいる。
 JAWOCは概数の報告がないまま、58万3800件の申込総数を約10万件に絞り込んだ

 わけわかりません。
 枚数の連絡がなかったから幹部を派遣した? 相手任せにしてるからそんなことになるんだ! 予め派遣しておいて、進捗状況を把握するのが当然だろうが!
 あと、応募総数58万でチケット8万8000枚? だったら倍率7倍だろうが。どこから17倍って数字が出てくるんだよ。
 10万件に絞ったということは、本抽選の倍率は1倍ちょっとってことで私の試算と近いですが、とても信用できるものではない。

 結局のところ、購入しようとする私にとって不利な内容の記事ではありません。代金未納分のチケットがあれば販売枚数が増えるわけで、予備抽選を通った私には確率が高まるってこと。しかし、チケットの抽選や送付が遅れるというのが迷惑です。
 既に私は宿の手配を済ませ、5月の初頭には交通機関の手配もします。もし買えなかった場合、早めにキャンセルすればキャンセル料は発生しませんが、遅れればそうもいきません。しかし、この時期になると宿の確保は至難です。実際新潟市内のビジネスホテルは軒並み満室ですから。いざチケットが確保してから動いたのでは遅いのです。もう開催まで時間がない。少しでも早く情報が必要なのです。

 それがまるでわかってない。
 こういう、観戦者への配慮に欠けた対応ばかりがJAWOCには目立ちます。
 そもそもこの記事になった事態すら、一切ホームページには掲載されていないのです。
 まったくふざけ話だと思いませんか?

 JAWOCというぬるま湯に浸っているような組織によって、サッカーの祭典が汚されないことを願うばかりです。



理想の日本代表
 大会が近づいて、どこの国もメンバーを固定して試合に臨めるよう調整しています。
 日本については、私は別に今の日本代表を応援していないのでどーでもいいんですが、ここを読んでくれている方のほとんどが応援しているでしょうから、私なりの、現在の日本代表にできるベストな布陣を検討してみました。

 まずはご覧下さい

FW           柳沢 敦        中山 雅史

      小野 伸二       中田 英寿       廣山 望
MF
                    名波 浩

DF   服部 年宏  大岩 剛        秋田 豊  市川 大祐

GK                  楢崎 正剛

 控えメンバーはこう。
 FWは肺が治っていたら高原、本調子でなければ久保。
 MFは藤田、三都主、中田浩二。小笠原。
 DFは森岡、名良橋、中澤、明神。
 GKは川口。

 システムは4−1−3−2。最近主流の4−2−3−1と違ってワンボランチ。より攻撃的なシステムで、3点取られても4点取りに行くスタイルですね。点を取りに行ける選手を優先的に選んでいます。 最も負担のかかるボランチは、名波が疲れたらすぐに小笠原に替える前提です。
 中田が欠けたり、守備的になる場合には藤田を入れます。
 三都主はFWとしても使います。
 GKは本来の才能からすれば川口でしょうが、彼の好不調の波は激しく、試合勘が鈍っているとW杯のような大会では不安です。

 100人いれば100種類の代表メンバーがいるんでしょうが、私が応援したいチームはこういうアグレッシブなチームです。少なくとも、今のトゥルシエジャパンより世界で戦えると思います。平均年齢が高いようですが、W杯は短期決戦。ベテランの技の方が大事です。

 名前がない選手としては中村、鈴木、稲本、そしてフラット3の申し子たちですね。この戦術では彼らの出番はないのでしょうがありません。

 もしこんな代表だったら、開催国として魅力ある試合を展開できて誇れるんですがね。 

 追加。右サイド、廣山の代わりとして森島を入れるのを忘れてました。     



ワールドカップはどこへゆく
 いよいよ開幕まで1週間を切り、ほとんどの代表がキャンプ入りを終えました。これを書いている今、日本はスウェーデンと最後のテストマッチを行っています。選手登録も終了し、どのチームも大会本番に向けて調整よりは怪我人を出さずに本大会を迎えようとしています。

 まだ一部のチームには主力選手の出場が微妙だったりと不確定要素も残りますが、そろそろ大会の展望をirishman的に分析してみたいと思います。

 まずは予選リーグの突破国を選抜します。


グループA
フランス セネガル デンマーク ウルグアイ

 フランスの1位突破は確実。ジダンが出られなくてなおかつデンマーク戦で退場者が出るような事態にならないかぎり、他のチームでは歯が立ちません。

 2位がどこかとなると、これは難しい。セネガルは少し力が落ちますが、デンマークとウルグアイはともにチーム戦術が確立していて、大きな隙はありません。実力も均衡しています。フランスがさっさと2勝して決勝進出を決めた場合、3試合目となるデンマークがかなり有利。
ですが、ウルグアイでもデンマークでも、決勝トーナメントの大勢に影響はなさそうなのが悲しいところ。個人的にはウルグアイを応援してます。


グループB
スペイン スロベニア 南アフリカ パラグアイ

 戦わない間だけ無敵艦隊と呼ばれて、いつもW杯で期待を裏切る、というか予想通りに姿を消してしまうスペインですが、さすがにこの相手で予選落ちはしないでしょう。1位突破と予想。まとまりがなく実力的に劣る南アフリカに出番はなく、選手の高齢化が目立つパラグアイよりもザホピッチが牽引するスロベニアが出てくるのではないでしょうか。


グループC
ブラジル 中国 トルコ コスタリカ

 この相手ならブラジルがトップで抜けてくるでしょう。昔日の面影がなくてもセレソンはセレソン。ちょっと他の3ヶ国には荷が重い。
 次ぐ実力を持っている国としては、北米・カリブ海地区をトップで出てきたコスタリカよりも、トルコに注目したい。国内リーグが強化され、ガラタサライなどが欧州を席巻している国だけに侮れない。ですのでトルコが決勝トーナメント進出と予想します。


グループD
韓国 ポルトガル アメリカ ポーランド

 当然ポルトガルが出てきます。残る椅子を争う3ヶ国はどこも近い実力。となれば地元の利が生きると考えたくなります。アメリカもポーランドも、さほど目立った戦力で予選を戦ったわけではないですし、ここは洪明甫の悲願達成を期待したいところです。


グループE
ドイツ アイルランド カメルーン サウジアラビア

 まず消去法でサウジは脱落。大会に出てくるのが不思議なくらいの貧弱な戦力ですので。
 アイルランドは強い。贔屓目もありますが、ポルトガルと互角に戦ってオランダを蹴落として出てきたチームですし、主力の選手は世界U−19の優勝メンバー。
 しかし、ここにきて主将でありチームの心臓でもあるロイ・キーンが監督と大喧嘩して追放されてしましました。アハーン首相自ら仲裁に当たるようで、復帰の可能性があるのですが監督は「戻すくらいなら私が辞める」と言っているとか。アイルランドの成績はこの問題が解決しない限り予想が難しいです。
 カメルーンは、アフリカチャンピオンらしい強さを発揮できるかどうかが鍵ですが、アフリカ勢は好不調のムラが激しいので予想しにくいとこがあります。しかし、ドイツがあまりにも状態が悪い。唯一の光明であったダイスラーの欠場が決定し、とてもこのチームではベスト16進出は無理でしょう。2006年へのいい教訓になるのではと思います。
 カメルーンが首位で突破して、アイルランドがなんとかしぶとく出てくると思いたいところです。


グループF
アルゼンチン イングランド ナイジェリア スウェーデン

 こんなんわかるかいっ!
 アルゼンチンは国内経済が破産しましたが、めげずにトップで出てくるでしょう。この強豪相手でも
3タテする力があります。
 ナイジェリアですが、ここは相変わらずのお家騒動。個々人を見ればかなりの戦力ですがチームとしての力は発揮できないでしょう。
 アルゼンチンの足をすくう可能性が最も高かったイングランドですが、ベッカムがどの程度回復するかが試合になってみないとわからない。かなり上向いてはいるのでしょうが。あと、スウェーデンと相性が悪いのが懸念材料。ラーション、アンデションらを揃える堅調なスウェーデンの2位突破と見ます。


グループG
イタリア クロアチア エクアドル メキシコ

 くそったれなイタリアがクジ運に恵まれやがりました。不愉快ですが1位で勝ち抜くでしょう。前回大会3位のクロアチアの突破も順当。つーかエクアドルとメキシコの試合なんかチケットめっちゃ余りそう。あまり波乱は起きないと思いますが、イタリアが脱落したら嬉しいなぁ。


グループH
日本 ロシア ベルギー チュニジア

 この時期に監督更迭なんてやってるチュニジアは問題外。ロシアが頭一つリードしています。堅実にトップで出てくるでしょう。2位争いは、古豪の巧さか地元の利かってとこですが、ベルギーの方が力は上。どっちにしてもその後は大した違いはないです。



予選ラウンドはこんな形で、わりと順当な予想じゃないでしょうか。欧州予選もそうでしたが、好きなチームばかり組み合わせが悪くて、嫌いなチームほど楽な展開。なんか不満を感じる大会です。



 続いて決勝トーナメント。
 まずは日本ラウンド

 まずフランス対スウェーデンというベスト16における最激戦が行われます。でもベッカムの絶好調なイングランドならともかく、さすがにフランスには勝てないでしょう。

 日本かベルギーにはブラジルが待ち構えているので、前途真っ暗。優勝候補じゃなくてもこの程度の国に負けるブラジルじゃありません。

 デンマークかウルグアイのどちらかがアルゼンチンに挑むわけですが、これも好勝負になってもアルゼンチンの優位は動きません。

 ロシアはトルコの挑戦を受けますが、これも見所があります。なにしろ第6次まで続いた露土戦争で侵略したロシアとされたトルコですから、後のことなど考えずにトルコが闘志を燃やしてくるでしょう。能力的にもひけをとっておらず、激戦必至です。


 そして準々決勝最初のカードはフランス対ブラジル。前回大会の決勝の組み合わせ。しかし今のブラジルじゃ前以上に勝ち目は乏しいですね。ここは苦戦はしてもフランスでしょう。

 もう一試合はアルゼンチン対ロシアかトルコ。これもまた、南米王者の敵じゃない。楽勝とは言いませんが、格が違う。

 準決勝は事実上の決勝戦と呼ばれるでしょう。フランス対アルゼンチン。世界の半分ずつを制覇しているような両国の試合は、激しく、且つ素晴らしいものになるはずです。
 フランスは予選リーグで楽をして、決勝トーナメントで強豪と対戦します。一方アルゼンチンは予選で苦労してトーナメントでは楽。移動で楽なのはアルゼンチンで、日程が楽なのはフランス。この辺がどのように作用するかも鍵の一つです。



決勝トーナメント 韓国ラウンド

 カメルーンはスロベニアと対戦。スロベニアはフランス大会の欧州予選ではグループ5位だった国で、急成長してきたチームですが、カメルーンの破壊には屈してしまうのではないでしょうか。

 スペインとアイルランドの対決は見物です。実力ではスペインが上回っているのでしょうが、強い敵になるほど強くなるのがアイルランド。我慢比べになるとスペイン弱いし。でもやっぱりスペインがタレントの力で出てきますかね。

 イタリアが韓国と戦うわけですが、ここまで韓国が来てたらスタジアムの熱狂ぶりは凄まじいものでしょう。かなり苦しめてくれるのではないかと思いますが、堂々と戦ってこすっからいイタリアに負けてしまうんでしょうね。残念。

 そしてポルトガルはクロアチアと。侮ってはいけないクロアチアですが、フィーゴ率いるポルトガルを止めることはできないでしょう。


 まずベスト4を争うのはカメルーンとイタリア。奔放に攻めるカメルーンとセコくく守ってカウンターのイタリアという図式になるのは必至。そこで鍵を握るのがカメルーンのソングでしょうかね。守備の要であり攻撃の起点となるこのキャプテンが、醜いイタ公のサッカーを粉砕してくれるでしょう。

 準決勝への最後の切符を巡るのはポルトガル対スペイン。勝った方が決勝まで進みます。隣国同士で交流が深い分、互いのことも熟知しているはず。戦術的にも攻撃的で似ていますし、ぎりぎりのところで勝敗が決まるでしょう。現段階では怪我人の少ないポルトガルを推します。正GKカニージャスの欠場が痛すぎます。



準決勝はカメルーン対ポルトガル。ここまで健闘してきたカメルーンですが、さすがに層が薄い。日程的にも楽なポルトガルが勝って、カメルーンは旋風を起こしつつも残念ながら3位決定戦に回ることになると思われます。


3位決定戦。

カメルーンとフランス又はアルゼンチンの組み合わせ。まともにやったらカメルーンに勝機なしですが、どうも優勝を狙っていたチームは3位決定戦にまるでやる気を持てないようです。
ワールドカップの3位って、オリンピックの銅メダルと違ってあまり目立ちませんからねぇ。一方、カメルーンにしてみれば歴史上最高の成績となるわけで、かなりマジで試合に臨むはず。ですので、ちょっと大胆にカメルーン3位と予想しましょう。

決勝戦
以上の分析により、フランス対アルゼンチンの勝者 対 ポルトガル という組み合わせになると想します。

 敢えて絞れば、アルゼンチン対ポルトガル。
 結果がどうなるかなんてわかりません。ただ、基本的に決勝戦は疲労のピークでやるので、内容的にはあまり面白くないことが多い。足が動かないとサイドへの展開とか減りますしね。層の厚さという点だけを判断基準にすれば、アルゼンチンですかねぇ。

 実際は全然違った展開になるでしょうし、そうならないとつまらない。スーパープレイヤーが何人も怪我や出場停止で脱落するはずですし、運悪く雨中の試合が続いて疲れてしまう国があったりするかもしれません。そこにこそドラマが生まれるわけで、勝敗以上に心に残るプレーを見て、心に刻んでおきたいものです。



チケットはどこへ行った?
 まだ始まっていないのに、既に失敗してしまったのが今回のワールドカップでしょう。

 なにしろ、5月25日現在、私の手元には当選したはずのチケットが届いてません。

 韓国では20万枚以上のチケットが売れ残り、販売しようにもインターネット販売は不具合が多発して希望者がろくに接続できない状態。なんとか売りさばくためにチケットの記名方式すら止めてしまい、個人確認もしないことになりました。
 日本でも合わせる形で個人確認はやらなくなり、名義人変更も容易にできるようになりました。つまりは入手してしまえばこっちのものってことです。

 そもそも第一次販売から第3次販売まで、チケット販売は失態の連続でした。それについてはもうこのコラムに書いてあるので繰り返しませんが、その後の対応もお粗末そのものでした。

 そもそもチケットが届かなかった原因は発行するバエロム社にあったことは確かです。この会社はアラブ人だかが数人程度で経営する小さな会社で、こういう世界的イベントの仕事など全く未経験だったのに、FIFA関係者との密接な関係によって独占販売権を入手したらしいです。

 しかし、それでJAWOCが責任転嫁できると思ったら大間違いです。不安要素は最初から分かっていたのですから、予め対策を打つのが仕事ってもの。だいたい10月に売り出した第1次販売のチケットが5月になっても届いてないのに、ぼけーっと待っている方がおかしいでしょう。
 そして第3次販売のチケットの枚数が確定しないという騒ぎになってから、ようやく人員をバエロム社に派遣。しかも、それから半月過ぎてからようやく「緊急対策本部」なるものを作ったのですが、その時にも担当者を派遣している。じゃ、最初に行った連中はただ手ぶらで帰ってきただけなんですね。ガキの使いかい。アホが。

 現在のところ、チケットの殆どは日本に到着し、遅くても28日には宅急便で観戦者に届くということですが、これもまだわかったものじゃないので安心できません。JAWOCは言う事コロコロ変わるし。そもそもこんなに遅れてしまっては、購入者は宿やら交通手段の手配やらでてんてこ舞いでしょう。私は当選前から確保しておいたし、都内からは利便性の高い新潟の試合なので悪影響は少ないですが、大分の試合などでは大騒ぎのはず。既に飛行機のチケットは全然入手できないらしいし。

 本来、サッカーファンが心から歓迎し、良い思い出にできるはずのワールドカップ。
 しかし、このままではため息混じりにしか思い出せない大会になりかねません。赤字はほぼ確定だしね。JAWOCの連中がどう責任をとるつもりなのか、よく注視していかなくてはなりません。



ワールドカップ徒然、その1
 グループリーグがあって決勝トーナメントがあったわけですが、まず予選の結果から思うところを書いてみたいと思います。

 出場国32が半分にふるい落とされたわけですが、これは暫定的に今現在の世界トップ16を示しています。脱落したところはFIFAランキングや国力に関わらず、代表チームの実力として突破した国に及ばなかったと見なさざるを得ません。

 もちろん、この評価に納得しない方も多いでしょう。アルゼンチンやフランスを中国やサウジと同列に扱うわけですから。確かに、今大会は実力国でありながら予選落ちの憂き目を見た国があまりにも多くありました。では、なぜそうなったのかを分析すべきでしょう。

 マスコミ、評論家は欧州クラブシーンの過密日程や中心選手の不調、審判、運などに理由を求めています。まぁ実際そうなんでしょう。ですが、それだけではない点があるのではないでしょうか。

 突破国と脱落国のリストを眺めていると、一つの傾向が浮かんできます。
 地域予選との懸隔です。

 ポーランド、ロシア、イタリア、ポルトガル。これらは欧州予選を無敗で楽々と勝ち抜きながら、グループリーグ敗退もしくは脱落寸前まで行った国々です。南米予選で圧倒的な強さを発揮して首位突破したアルゼンチンも脱落。中南米予選首位だったコスタリカも敗退。日韓の不在で無風区だったアジア地区から危なげなく出場したサウジ、中国も完敗という成績だけを残して帰国の憂き目を見ています。

 一方、激戦区やプレーオフを突破してきたアイルランド、イングランド、ドイツ、スウェーデン、
ベルギー、トルコ、ブラジル、メキシコなどはしぶとく勝ち点を重ねてベスト16入りを果たしました。
 予選の結果をそのまま持ち越して突破したのはスペインぐらいです。

 この理由をどこに求めるべきか。
 やはり月並みながら、鉄は鍛えることで強くなるということでしょうか。
 フランスがジダン欠場に対応できなかったのも、予選免除によって不測の事態への耐性をつけることができなかったのが一因でしょう。タフでなければたどり着けない決勝トーナメント。サッカーの神様は、ひたむきに苦労してきたチームをちゃんと見ているのかもしれません。




陽炎晴れた瞬間
 J2で、大分トリニータが、ついに夢を叶えてJ1昇格を決めました。
 3年連続で最終戦、勝ち点1に泣いたトリニータの選手・監督・スタッフそしてサポーターの喜びはいかばかりのものでありましょう。
 「上がれるときに上がらないと」という言葉が、サッカーの降昇格の世界にあります。たとえ実力があっても、1度目のチャンスを逃すとなかなか上がることができないという意味です。「あと一歩」が続けば、気力も勢いも衰えてしまうからでしょう。
 ですが、今年はそんな一般例など吹き飛ばす、素晴らしいシーズンでした。
 ひたすらに高みを目指して、悲願を達成するにふさわしいチームでした。
 これで九州にJ1チームが復活です。トリニータが日本のサッカーをもっともっと強くしてくれることを心から願います。

 おめでとう。大分トリニータ。



2002年ナビスコカップ決勝観戦記
 2002年11月4日、東京は国立競技場にてナビスコカップの決勝戦が行われました。
 対戦するは、鹿島アントラーズと浦和レッズ。
 不肖このirishmanも、足を運んで参りました。

 ここまで対照的な経歴のチームによる決勝戦とは珍しいかもしれません。
 片や、Jリーグ加入すら危ぶまれながら創設され、開幕と同時に翼を得たように日本サッカー界に君臨することに成功した常勝軍団。
 片や、日本リーグ時代からの名門で大企業がスポンサーでありながら、Jリーグ発足から低位置を彷徨い、ついにはJ2陥落という辛酸まで舐めています。

 一方、大きな共通点を持つチームでもあります。
 それは熱心なサポーターに支えられていると言うこと。
 今日の試合も、5万6千人というナビスコカップの動員記録を塗り替える超満員のスタジアムで行われました。もう一つの共通点であるチームカラーが、客席を赤く染めていて、美しかった。

 観戦したサポーターの比率で言えば、レッズファンの方が多かったです。4:6くらい。ホームは鹿島という事になっていますが、やはり初タイトル獲得に地域が一丸となって燃えていたと言うことでしょう。

 しかし、鹿島ファンの私ではありますが、中立的に見てもレッズの勝ち目は薄いと思っていました。
 現在セカンドステージでは鹿島より上位にあって首位ジュビロを追うレッズではありますが、サッカーの内容はと分析すれば、攻撃はエメルソンとトゥットにボールを集めるだけで、守備は残り全員でやる、という前時代的なシステムと判断できます。攻めのバリエーションは二人の身体能力の範囲内でしか変動せず、守備ではマンマークに頼るためボール奪取がしにくくボール支配率を下げてしまう、というわけです。

 とはいえ、こういうシステムでも徹底すれば力になるわけで、相手が決め手を欠くならば、それがジュビロでも勝つことができるとセカンドステージで証明しています。レッズのあの試合のボール支配率は、わずか38.8%。普通ならボロ負けの数字です。でもストライカーがディフェンス陣に競い勝てば点が取れるわけです。

 レッズが初の栄冠を手にするためには、何も最高のサッカーをする必要はありません。鹿島よりほんの少しだけ上回っていればいいんです。では、その鹿島はどのような状態で今日を迎えたのでしょうか。

 前節のリーグ戦まで、主力の半分を欠いて苦しんでいたアントラーズでしたが、この日に照準を合わせたかのように、怪我人が戻ってきました。
 ファビアーノ。名良橋。本山。小笠原。エウレル。
 札幌戦で負傷してしまった熊谷さえいればベストメンバーが組めるほどです。

 特に重要なのが、ファビアーノでした。秋田と並んでディフェンスラインを担う彼は一対一に強く、ハイボールへの対処もベテランの巧さがあります。攻撃陣の充実で本職の左サイドバックに復帰したアウグストとのコンビネーションもブラジル人同士で円滑ですし。
 結果的にも彼が試合を左右するキープレイヤーとなりました。


 午後2時のキックオフ。
 快晴で程良い気温は、絶好のサッカー日和でありました。

 前半、攻撃の流れに乗ったのはレッズでした。
 3−5−2のシステムを生かし、中盤の数的優位からこぼれたボールを前線に送り、名良橋の裏を狙ってエメルソンを走らせた作戦が効果的でした。故障明けの名良橋はスピードがなく、何度も振り切られてクロスを許します。
 特に前半20分から35分くらいまでは浦和の時間帯でした。幾度もコーナーキックのチャンスを奪っては鹿島ゴールを脅かします。

 しかし、ここで立ち塞がったのがアントラーズの誇る鉄壁のセンターバックでした。秋田とファビアーノはエメルソン・トゥットの鋭い突破とシュートを跳ね返し続け、前半を0−0で折り返すことに成功します。

 この時点で、レッズの不利は明らかでした。
 よく言われる「鹿島の勝負強さ」とは、相手の良い時間帯に失点せず、自分たちの良い時間に得点するというものです。前半のチャンスを掴めなかったレッズは、後半、必ず訪れるアントラーズの時間帯を守りきるという困難に晒されることなりました。

 後半開始から、アントラーズのサイドバックが牙を剥き始めます。主体となったのは左サイド。ファビアーノとアウグストがトゥットをほぼ完璧に封じたため、ここから反撃に転ずる機会が増えたのです。エメルソンへのボールも、中盤から出るボールが単調で得点に繋がらなくなったところで、鹿島の反撃の舞台が整いました。

 後半15分に均衡を破ることになった小笠原のゴールは、浦和DFに当たって方向が変わったといういささか運に背を押されたゴールではありましたが、中盤から本山・小笠原・中田・柳沢が自在に動くことで浦和の守備を崩した結果の一点でした。フィールドプレイヤーほぼ全員がゴールを目指すアントラーズの攻勢を支えきれるほど、レッズの守備陣は成熟していませんでした。

 こうなるともう主導権は動きません。
 井原を下げて高さのある室井を投入し、ロングボールの効果増大を狙ったオフト監督の采配も効果を上げず、最大のチャンスとなったトゥットの突破も曽ヶ端のスーパーセーブで遮られます。そしてタイムアップ。

 MVPはゴールを挙げた小笠原が選ばれましたが、私はファビアーノに1票です。

 チームとしての組織力では、レッズの方が上でした。先発メンバーが揃ったのが一週間前の鹿島は、試合中に何度もコミュニケーションがすれ違う場面がありました。レッズは攻撃も守備も、いつものようにできていました。
 はっきり言ってしまえば、この試合の鹿島の勝利は個人の勝利でした。日本代表クラスと大当たりの外国人がずらりと並ぶこのチームに挑むには、オフト監督はカードが何枚も足りなかったのです。エメルソンもトゥットも健闘して、両者のパスワークは何度も危険なシーンを演出しましたが、アントラーズ守備陣を押しのけて彼らをサポートできる日本人選手がいなかった。福田も存在感を示せていません。

 こうしてアントラーズは9個目のタイトルを獲得しました。エウレルも小笠原も本調子ではなく、柳沢は決定的なシュートを外すなど仕事ができていません。そんな中でもトーナメントを勝ち抜いて栄冠を得ることができたのは、負傷者の穴を埋めていた内田や池内や長谷川に負うところが大きかった。スタメンの機会を待って練習し続けていた彼らの見えない努力こそ、今日の勝利に繋がったもののように思えます。

 帰ってゆくレッズファンは口々に悔しさをこぼしていましたが、Jリーグが発足してから10年。タイトルを獲得した経験のあるチームは鹿島・磐田・横浜・東京ヴェルディ・名古屋・清水・広島・柏・消滅したフリューゲルスと半分ほどです。今回、いかに頂点に至る道が険しいものかを体験したことは、いずれ栄冠を掴む日の糧となるでしょう。



2002−2003 マンチェスター・シティ総括
 結局ベッカムで始まってベッカムで終わってしまったかのような今シーズンのイングランド・サッカー。
 本命と思われていたアーセナルの連覇はならず、最強の対抗馬だったマンチェスター・ユナイテッドが見事栄冠を獲得しました。中盤まで突っ走ったアーセナルに死角はないと思われていましたが、実際に終盤の3月から5月にかけて引き分けがいくつかあるだけで負けてたわけではなかった。ただマンUが全然取りこぼしをしなかったんですよね。

 しかしまぁ、優勝争いなんか管理人にとっては別世界の話。
 我が愛するマンチェスター・シティがいかにこのシーズンを戦ったかが大事です。

 そもそも一昨年はあっさりとDivision1に降格してしまって嘆かわしかったわけですが、翌年は史上稀にみる圧倒的な攻撃力で優勝。颯爽とプレミアに戻ってきて管理人を喜ばせてくれました。なにしろ46試合やって108得点。失点52。得失点差56って凄すぎます。一試合平均2点は取っているわけで、攻撃サッカーを信奉する私にとって夢のようなチームとなっていました。

 しかしそれがトップリーグでも通用するほど甘くない。
 フロントもそれは分かっていて大型補強に乗り出し、レアルやアーセナルで問題児として悪名を馳せたニコラ・アネルカや老いてなお輝く守護神ピーター・シュマイケルらを獲得して臨んだ今シーズン。

 中盤の要ワンチョペの負傷による長期離脱などのマイナス要素は多かったものの、あくまで攻撃サッカーを貫くケビン・キーガン監督の元で果敢に強豪に挑んでいったシティは、昨日の最終戦を終えてリーグ9位の好成績を収めることができました。

 昇格組でありながら降格の危険どころか、一時はUEFAカップ出場圏内すら視野に入ったほど上位をキープできたのは、「別に狙ってない」からだった気がします。

 勝ち点を積み重ねるためには、まず負けないこと。
 そして勝ちやすいチームに勝って勝ちにくいチームには引き分ける。
 ホームは勝って、アウェーはドロー。
 これが一般論。

 ですがマンチェスター・シティにそんな発想はなかったようです。
 とにかくどの試合でも勝ちに行く。どんな相手でも守りに入らない。そのせいでアーセナルやチェルシーにはかなりボコられて0−4とか1−5とかで負けてましたが、ホームで0−3で負けた強豪リバプールにアウェーで2−1と借りを返すこともできました。
 そして最大のライバルであるマンチェスター・ユナイテッドには1勝1分けで勝ち点4を獲得。多分今年のマンUが奪われた最多勝ち点でしょう。
 これが裏目に出て弱いとこに負けたりもしてたんですが、優勝を望めないチームのファンとしては姑息な引き分け狙いのゲームなんかされるよりよっぽど格好良かった。

 チームをぶっ壊すんじゃないかと懸念されたアネルカはすっかり優等生で、コンスタントに点を取って得点ランキング7位。得失点差はマイナスになりましたが、大事なゲームでは守備陣も健闘して難しい試合を勝ちに結びつけていました。

 9位。これは誇っていい成績だと思います。

 まぁリーズから大枚はたいてロビー・ファウラー買ったりして、財政的にかなり厳しくて会長が辞任したりときな臭い臭いもするんですが、今は気にしないでおきましょう。

 今年のマンチェスター・シティのエンブレムには「MAINE ROAD 1923−2003」と刺繍がされています。これは、「メイン・ロード・スタジアム」を1923年から80年間、ホームグラウンドにしてきたということです。この歴史は今季までで終わり、来シーズンからは「シティ・オブ・マンチェスター・スタジアム」に本拠地を移します。残年ながらラストゲームを勝つことはできませんでしたが、最後となるシーズンをファンに支持される形で終えることができたのではないでしょうか。


 こんな愛すべきチームにサッカーの神が味方してくれるかもしれません。
 順位的には及ばなかったUEFAカップに出場できるかもしれないのです。
 私もついこないだまで知らなかったのですが、UEFAカップの出場枠には「フェアプレー枠」ってのがあるんですね。どういうのかって言うと、ヨーロッパの各国リーグから3ヶ国が、リーグ全体の状況から「フェアプレー国」に選ばれて、それぞれ1チームを出場させることができるんだそうです。
 そしてプレミアシップではマンチェスター・シティがその候補の一つなんだとか。

 そうそう選ばれはしないんでしょうが、発表の日を楽しみに待ちたいと思います。


 





トップへ
戻る