災害と日本人

−「心理的現象」としての自然災害−

仲田誠

<東京大学>
1 はじめに

人間の心理面,あるいは行動面での特徴は,危機状況下での人間の反応・対の分析を通じてより一層明らかになる部分が多分にあるのではないだろうか。ふだんは表面上に現われてこない人間の特性・本質が,切迫した状況下においてはじめてわれわれの目にとらえられるようになるということが十分に考えられるのである。その意味で,自然災害一危機・緊急状況の典型例一に直面した人間の反応の特色・傾向は,われわれ社会科学・人文科学の研究者にとって,貴重な研究材料である。

以上のような間題意識を背景にして,ここでは,日本人と自然災害との関係について考察を試みてみようと思う。考察のポィントは二つある。一つは,自然災害は日本人の前にどのような「精神的・心理的現象」となって現われるか,ということについての検討である。日本人にとって自然災害はどのような意味をもつのか,日本人は自然災害に直面してどのような心理的・精神的反応を示すのか,こうした点について把握しようというのが,第一番目のねらいである。二つ目は,このような日本人の心理的・精神的反応,対応のベースにある日本人特有の価値観・人生観・運命観について考えることである。この二つの課題を通じて,日本人と自然災害との関係を,単に表層レペルのみにとどまらず,さらに深く深層レペルまで掘り下げてとらえてみたいというのが,本稿の最終的に目標とするところである。

2 日本人の災害対応,災害観の特色

I 関東大鯉災と「天譴論」

自然災害に直面した日本人が,どう考え,どう心理的に対応するか,この点についての最適の考察材料をわれわれに提供してくれるのが、関東大震災である。この関東大震災という一つの事例の中には,日本人と自然災害との関係の害との特徴が、凝縮されたかたちで現われているといって良い。直後に書かれた手記,体験記,日記等を材料にして,自然災害に対する日本人の精神的対応、心理的反応の特色を抽出してみよう。

(1)「災害は天譴によるものだ」

1923年に発生した関東大震災は,首府東京およびその周辺地域に多大の人的・物的被害をもたらした。日本の災害史上他にまず例をみないこの大災害が、当時の人々の中に,様々な興味深い心理的反応,対応を引き起こしたのは、まず当然のことであるが,中でも特に注目に値する現象は、「天譴」ということばがこれらの人たちの口から聞かれることが多かったということである。

『日本震災史』(1)によれぱ,「天譴」の思想はもともと儒教主義に基づくものであり、奈良・平安の王朝時代に既にこの「天譴」ということばが用いられているということである。このことばの本来の意味は,「為政者に対するる天の譴責」ということだとされているのだが,大正時代に再びよみがえったこの天譴の思想は、少々異なったニュアンスをもって登場してきている。この改訂版「天譴論」がいかなる内容のものであるかを知るためには,次の「関東大震災から得た経験と感想」と題された文を読めば良いであろう。「……由来日本は余りに順境に育った幸運児であった,連戦連勝,戦争成金国として極端まで人心の弛緩を示していた。奢侈淫逸の風は上下に浸潤し,道義良俗殆ど地を掃わんとしていた、震災前僅か一二ヶ月に起こった情死,姦淫,背任,悖徳事件を数える丈けでも如何に我国の徳義が加速度的に類廃しつつあるかを示していた、・・・(中略)・・・略言すれぱ日本の国民生活は全然無省察な而して空虚なものになりつつあった、……(中略)……もし天に意ありとすれば今次の大天災は国民の惰眠を覚醒して自己に立還らしめる一大警告でないと誰が断定し得よう」(2)(加藤道士)。つまり浮かれすぎ,堕落した人々を懲らしめ,あるいは目をさまさせんがために天が地震を起こしたというのが,大正版の「天譴論」なのである。

懲らしめのために天が地震を起こすなどということが実際にあるのだと当時の人々が真底から信じたかどうかはともかくとして、「天譴論」に共感を示す人が、大震災体験者たちのうちに数多く含まれていたということは確かである。たとえば内村鑑三は,日記の中で次のように記している。「呆然として居る。恐ろしき話を沢山に聞かせられる。東京は一日にして,日本国の首府たる栄誉を奪われたのである。天使が剣を提げて裁判を全市の上に行うたように感ずる」。「時々斯かる審判的大荒廃が降るにあらざれば,人類の堕落は底止する所を知らないであろう」(3)。内村鑑三と同じような考え方をずる人は他にもいる。「此度の震災は、物慾に耽溺していた我国民に大なる反省を与える機会であった。堕落の底に沈淪せる国民に対して大鉄槌を下したということは,大なる刺戟と反省とを与えるに十分であった」(山室軍兵「真に国民反省の機」(4))。「……今回の震災は天災には相違ないが,これを天災というも,人禍として反省する必要があると思うのである。又これを単に奢侈、贅沢、軽佻浮薄の天罰なりというは、あたらざる感じがないでもないが,人禍かくの如しとせばこれを天罰と見る事も亦不当ではない」(椎尾弁匡「人類の過失也」(5))。北原白秋にいたっては,「天譴」にその歌心まで揺すられている。白秋は次のようないくつかの「天譴和歌」を作っている。「世を挙り心傲ると歳久し天地の譴怒いただきにけり」。「大御怒避くるすべなしひれ伏して揺りのまにまにまかせてぞ居る」(「大震抄」(6))。

このような「天譴」という考えに,知識人を含め当時の多くの人たちが心を引きつけられけられ,賛意を示したという事実は,われわれに重要な示唆を与えてくれるように思える。「天譴論」の本質は,災害の発生理由に関する原因論である。しかしこの原因論は反省と自戒を含めた自罰的気分が純粋な物理化学的現象の中に混入しているという点で,著しく合理性を欠いたものとなっている。「天譴論」の中味に強い自己反省の意識が含まれているのは確かであっても、そのことは、「天譴論」の持つ本質的非合理性をほんの少しでも薄めるものではないのである。大災害を前にした場合,日本人がいかに非合理的観念、態度に陥りやすいかを,「天譴論」の事例を通してわれわれは知ることができるのである。

(2)「災害は文明,人間存在のはかなさの証明である」

関東大震災の体験者たちの間からは,災害を前にして感じた文明や人間そのものの持つはかなさについての感想もしばしば聞かれる。

芥川龍之介は次のように記している。「応仁の乱か何かに遇った人の歌に、『汝も知るや都は野辺の夕雲雀揚がるを見ても落つる涙は』と云うのがあります。

(p.174:本稿オリジナル版頁数、以下同様)

丸の内の焼け跡を歩いた時にはざっとああ云う気がしました」(「廃都東京」(7))。芥川が味わっている気分は,以下に示す人たちも,それぞれ人ごとに多少内容の変化はあるものの,ほぼ同じように味わっている。たとえば安倍能成は次ように言う。「この大震災,大火災に面して誰しも直に感ずることは、絶大な自然の暴力に対する人間の無力である。……我々は昔から人生の果敢無さを説く人々の詞が,今や面のあたりに,しかもあまりにむごたらしく証しされるのを見た。人間初まって以来常に持つ嘆きは,今更の如く又切実に我等によって繰返されようとする。鴨長明のセンチメンタルな詠嘆は,決して昔の人の嘆のみではなかった」(「震災と都会文化」(8))。また,「私は一日神田明神の高台から燒滅の東京を俯敢(ママ)した。震災後十二日を経てから後のことであった.……(中略)羅馬の廃嘘!誰れいうとなくこうした声が聞えてくる。文明のはかなさ。燐寸箱のような大都会。大自然の前には児戯に等しい磯械文明。あだなりし人間の努力。無意義なりし『価値』と価値論。目的なぎ科学。遊戯にしか過ぎなかった芸術。科学の整理者にしか過ぎなかった哲学。みな等しく過ぎし世の夢ではなかったのか」(室伏高信「私はこう考えている」(9))というや、「…・・・唯あれだけの震動の為に,僅二,三十時間の間に,こんな跡かたもない姿に変ってしまうところの、我々の営みの果敢なさを感じない訳に行かなかった」(宇野浩二「三百年の夢」)という声も,やはり人間の無力さ,文明のはかなさを嘆ずる声である。

われわれが,このような声から連想することのできるのは、死んだ人に対する「悔やみ」のことばである。「悔やみ」は死者に対する免罪符としての一面を持つ。「悔やみ」を口にすることによって,人は死者に対する関係を絶ち切り、生き残った者が死んだ者に対して感ずる「うしさめたさ」に似た気持ち解消することができる。だが,「悔やみ」の中には、死者を生き返らせようとするする願望は,まずもって含まれていないのである。

死者一文明,東京一を嘆く声ばかりが耳につき、死者の復活を願う声がまれにしか聞かれないのは,日本人にとって災害が一体何であるかを、暗示しているものようだ。

(3)「われわれにできることは、あきらめることだけだ」

和辻哲郎は、『風土』の中で、「きれいにあきらめる」ことが日本人の心的特(175)性であり、淡白に忘れることは,日本人が美徳としたところであり,今なおするところである」(11))と述べているが,和辻哲郎のこのことばは、関東大震災に関しては高い妥当性をもっているように思われる。「今さらどうこうしても仕方がない。ただあきらめるしかしようがない」−このような考え方をする人は,震災体験者たちの間でかなり多かったようである。次に記すのは,「雑感」と題された武者小路実篤の手記の一部であるが,ここに「あきらめ」の意識の典型的例が示されているといえよう。「自分は大地震の時日向にいたので何にも知らなかった。だから地震や火事の恐ろしさをまのあたり知ることは出来なかった。しかし来てからいろいろのことを聞くにつけて、随分恐ろしい出来事だったと思った。死んだ人の話なぞには正視できないようなことがいくらでも起ったことを知った。しかし皆過ぎてしまったことである。もう自分達には如何とも出来ない。勿論前に知っていたとしても,逃げることより他,別にいい知恵が自分にあるとも思わないが,すぎてしまえば、生き残った者は生きのこったよろこびを味わって生きてゆこうと努力するより仕方がない。」(12

(4)「災害など大した意味をもたない」

関東大震災直後に書かれた手記・体験記の類を読んで気がつくことは,史上稀な大災害を経験したにもかかわらず,比較的冷静な反応を示している人が意外と多いということである。あるいは,書き手と大震災との間に精神的な隔りがあるように感じさせる記録,文が多いということである。これは,日本人と自然災害との関係を考える上で大変興味深い現象であるが,次に示す寺田寅彦や正宗白鳥の文にも,同様の傾向をはっきりと見出すことができるように思える。

寺田寅彦は,大正12年11月4日付(大地震の発生は同年9月1日である)の小宮豊隆宛ての手紙の中で,大震災に関する自分自身の所感を次のように記しているが、寺田寅彦が,大震災に対してどのような見方をしているかがよくわかる。「地震の災害も一年たたない内に大抵の人間はもう忘れてしまって此の高価なレッスンも何にもならない事になる事は殆んど見えすいて居ると僕は考えて居ます、来年あたりから段々人気は悪く風俗も乱れ妙な事になって来るだろうと予想して居ます、唯市街が幾分立派になるかも知れんがそれも結局は従来と大(176)した変りもなく,ゴチャゴチャとしたものになり,今後何十年か百何年かの後にに、すっかりもう人が忘れた頃に大地震が来て又同じような事を繰返すに違いないと思って居ます。……(中略)……いつ迄たっても人間は利口にならないものだと思って居ます」(13)。正宗白鳥も,同じょうなことを言う。大正12年10月28日発行の『週刊朝日』の中で,彼は,「災厄に面した際にには、,これが世の末だと思っても、少し日数が立っと,太平楽を唱えて元気のいい所を見せるのは、文学者ばかりではないのである」と言い,また,「方丈記の心読されるのもその当座だけである」,「災厄に会って,今更らしく無常を感じて、道徳によって無常が消え失せるように思ったりするのは,左次郎や出目助には滑稽に見えるに違いない」(14)と語っているのである。

寺田と正宗のこうしたことばの裏側にあるものとして,自然災害に対するあきらめの意識と無力感を指摘するのは,さほど難しいことではないように思われる。

以上、関東大震災に関する体験記・手記等々を分析して、日本人が自然災害に直面した時,どのような心理的反応を示し,どのような意識、考えをもつのか,その典型的ケースについてながめてきた。上でながめた事例は数の上では必ずしも多くはないが,代表的事例について確認するという目的のためには、恐らくこれで十分である。上で見た事例の中には,自然災害に直面した場合の日本人の対応・反応の特徴が、いわばエッセンスのかたちで示されていたと考えて良いであろう。われわれが確認した人々の姿は,大災害を前にして「非合理的な思考プロセス」を示し,「はかなさ」,「あきらめ」を感じ、「無力感」にさいなまれている,そうした姿であった。

U 現代社会の中の「天譴論」

関東大震災に関する手記・体験記の分析という方法によって、われわれは既に日本人と自然災害との関係について一定の知見を獲得た。ただこの知見は、関東大震災という限られた材料から得られたものだけに、それがどの程度の一般性を持っかという点については、若干の不安を残さないわけでもない。この不安を打ち消し,また,われわれの得た知見の中味をより豊かなものにするために、今一つの資料をとりあげてみることにしよう。

p.177

今一つの資料とは,筆者を含めた「『災害と情報』研究会」が,昨年(1981年)岩手県大船渡市で実施した『災書観に関ずる意識調査(15)』である.この調査の主要な目的は,自然災害に関して人々が常日頃からどのようなことを考え,感じているのかを把握することであったのだが,自然災害と日本人の関係を考える上できわめて貴重なデータが、この調査の結果として得られている。自然災害は日本人にとつて独特の意味をもつ現象であるらしいこと,日本人は特有の「災害観」をもっているらしいことが明らかになったのである。

1)「『天譴論』に共感できる」

『災害観に関する意識調査』(以下『災害観調査』と省略しよぶことにする)で明らかになった興味深い事実のうちの一つは、「天譴論」は関東大震災から60年近くを経た今日においても依然根強く生き残っているということである。表1の数字がそのことを示している。表1は、「大正12年、関東大震災が発生し、大きな被害が出ました。この災害の直後に、『災害が発生したのは、世の中が

表1

1.全くばかげた意見であり,共感できない

53.4%(329人)

2.ややばかげてはいるが,一部共感できる部分もある

34.6(217)

3.かなりの程度共感できる

8.1(51)

4.全面的に共感できる

1.6(10)

5.DK・NA

3.3(21)

 

 

堕落し、人々が浮かれすぎたからだ。天がこれをこらしめるために,地震が起ったのだ』という意見が一時広まりましたが,あなたご自身としてはこのような『天がこらしめのために災害をおこす』という意見について,どう思いすか」という質問に対する回答をまとめたものだが,表の数字が示すように、注目すべき結果が得られている。「全くばかげた意見であり,共感でぎない」という人は,5割をわずかに越えた程度しか存在しない。つまり被調査者のうち約半数は程度の差こそあれ,「天謹論」に対する共感の意識を何らかのかたちで持っていることになる。「全面的に共感できる」人と「かなりの程度共(178)感できる」人を足した合計の割合,つまり,「天譴論」に強い共感を示す人の割合も,約10%という決して低くはない数値になっている。1977年に米国で実施された調査では,「災害は神が人間をこらしめようとしておこる」と答えた人は0.9%であるという結果が出ているが,この日本と米国双方の数字の差は、非合理的観念が日本人の中にいかに深く根をおろしているかを物語るものであろう。なお,ここで見落すことのできない事実は,「天譴論」に関する共感の度合いは,被調査者の属性によってほとんど左右されないということである。つまり、性差、年齢,職業,学歴,災害体験といった属性の壁を超えて、「天

譴論」への共感は住民の間にまんべんなく広がっているということである。

また,表2は,「『災害は神がおこすのではなく,全くの自然現象である』という人がいます。このような意見についてあなたはどう思いますか」という質問に対する回答をまとめたものである。つまり,「天譴論」をべつの角度からたずねた質問と考えて良いのだが,一般市民の中に「天譴論」を受け入れやすい下地が存在することが,この表によっても明らかになっているといえよう。

 

表2「災害自然現象論」への賛否

1.「災害は全くの自然現象である」という意見に対して全くそう思う

68.2%(428人)

2.ある理度そう思う

21.5(135)

3.あまりそうは思わない

7.3(46)

4.全くそうは思わない

2.2(14)

5.DK・NA

O.8(5)

 

 

(2)「災害にあって生きるか死ぬかは運命によってきまっている」

『災害観調査』で明らかになった今一つの重要な事実は,かなり多くの人々が災害を運命としてみているということである。「災害にあって生きるか死ぬかは、ー人一人の定められた運命によって決まっている」という意見に対して賛成であるか否かを大船渡市民にたずねたところ,表3のような結果が得られた。「災害発生時の生死は運命によって決定されている」という意見に「非常に賛成だ」とする人と、「どちらかといえば賛成」という人を合計すると、649%(179)といういう高いパーセンテージになる。つまり,3人に2人近くの人は,災害に関して運命論的な見方をしているのである。

 

表3「災害運命論」への賛否

1.「災害発生時の生死は運命によってきまっている」という意見に非常に賛成

35.0%(220人))

2.どちらかといえば賛成

29.9(188)

3.どちらかといえば反対

18.6(ll7)

4.非常に反対

13.4(84)

5.DK・NA

3.0(19

 

現代社会の人々の間にこれほど多くの「災害運命論者」がいるということは,大変驚くべき事実であるが,同時に,この事実はわれわれに重要なヒントも与えてくれるもののようだ。自然災害の災厄を前にしての日本人のあきらめの良さも,防災対策に関する腰の重さも,この「災害運命論」と決して無関係なこではあるまい。

(3)「大災害が発生したら神に頼る」

『災害観調査』の結果のうちで,特に注目に値すると思われる三つ目の事実は、人々の間で神や仏に頼ろうとする意識がかなり強く見られるということである。表4の数字がそれを示している。これは,「もし,この町の大勢の人たちが死んだり,大ケガをするような大災書がおこって,自分の身に重大な危険

 

表4災害発生時における神仏依存

1.(大災害発生時には神仏に頼りたい気持ちに)きっとなると思う

35.5%(223人)

2.ある程度なると思う

40.0(251)

3.あまりならないと思う

15.3(96)

4.全くならないと思う

8.9(56)

5.DA・NA

0.3(2)

 

p.180

が迫ったとしたら,あなたご自身は,神や仏に頼りたい気持ちになると思いますか」という質問に対する回答の分布を示す表である。この表の上にも,われわれの関心を強く引きつけるような興味深い数字が現われている。「(神仏に頼りたい気持ちに)きっとなると思う」と答えた人,および,「ある程度なると思う」と答えた人の割合は,それぞれ35.5%,40.O%という数字になっている。すなわち,大多数の人間は、「いざとなったら神仏に頼りたい」と考えているのである。

この表の数字を見て言えることルは,多くの人々にとって,自然災害との関係は直接的な関係ではないということである。つまり,彼らと自然災害との間には、超人間的な力、あるいは超自然的な存在,つまり神や仏といった仲介者が座を占めているということである。少なくとも人々の意識の中においては、自然災害との関係はそのような間接的なものとなっているのである。われわれはこの点に,十分な注意を払う必要があろう。

 

表5「神仏無意味論」に対する賛否

1.「災害発生時に神仏に頼ることは無意味だ」という意見に非常に賛成

36.3%(228人)

2.どちらかといえば賛成

31.2(196)

3.どちらかといえば反対

21.8(I37)

4.非常に反対

7.6(48)

5.DA・NA

3.0(19)

 

また表5の数字は,「大きな災害が起こった時に,神や仏に祈って救いを求めようとしても,結局,それは全く意味のないことである」という質問に対する賛否を集計したものであるが,「神仏に頼るのは無意味だ」という意見に「非常に反対」,あるいは,「どちらかといえば反対」と答えた人は,合計で約3割ほどの割合になっている。人々の中には,「(災害発生時に)神仏に頼りたい」と考え、しかも「それは無意味なことではない」と思っている人がかなりの割合で含まれているらしいことが、表5および表4の数字を見ることでわかる。

(4)「自然災害は人間の力では防げない」

p.181

 

関東大震災に関する体験記・手記の分析から得られた知見の一つは,自然災害の前で日本人は「あきらめ」と「無力感」を強く感じているという内容のものであった。『災害観調査』でも,この知見を裏づけるデータが得られている。

表6の数字は,「災害に対しては,万全の対策をたてさえすれば大きな被害はくいとめることができると思いまずか。それとも,いくら対策をたてても、やはり大きな被害がでるだろうと思いますか。まず,大地震についてはどうですか。……では,大津波についてはどうですか」という質問に対する回答の分布を示している。表の数字を見ればわかる通り、一般住民は,大地震についても大津波に関しても悲観的見方をする煩向が大変強いのである。「万全の対策をたてても,なおかつ自然災害は大きな被害をもたらす」という悲観論の中には、「あきらめ」と「無力感」とが,少なからぬ割合で溶け込んでいるように思われる。

 

表6-1「自然災害は防げるか」(大地震)

1.大きな被害はくいとめられる

33.8%(212人)

2.いくら対策をたてても,やはり大きな被害は出る

64.3(404)

3.DK・NA

1.9(12)

 

表6-2「自然災害は防げるか」(大津波)

1.大きな被害はくいとめられる

45.2%(284人)

2.いくら対策をたてても,やはり大きな被害は出る

52.2(328)

3.DK・NA

2.5(16)

 

さて以上,『災害観調査』の結果を参照しながら,現代社会の日本人にとって然災害はどのような意味をもっているか,人々の目には自然災害がどのようなかたちでとらえられているのかという間題について考えてきたわけである。ここで得られた知見・情報は,先に関東大震災の体験記・手記を分析して得られた知見・情報と内容的に重なり合う部分が多いと考えて良いであろう。「非合理性」、「運命論」、「あきらめ」、「無力感」といいた既に確認済みの諸傾向を、われわれはここでもまた再度確認することができたのである。日本人と自然災害との関係は、関東大震災当時でも、それから半世紀以上を経た今日においても、

 

p.182

ほとんど変化していないということがいえるようだ。

 
3 人生観・世界観と災害観・災害意識

T「天譴論」の基盤にあるもの

われわれはここまででもう既に一つの重要な成果を得ている。日本人にとって自然災害は独特の意味を持つ現象であることを確認し,この独特の意味がどのような中身のものであるのかも大体把握し終えたのである。しかしこの成果をより一層意義深いものにするためには,われわれはさらに一段深く問題を掘り下げて追究してみる必要があろう。「自然災害に対する日本人特有の意味づけ,心理的・精神的対応を生ゑ出しているものは何か」という新たな疑問が,上での考察,分析の結果,半ば必然的なかたらで生じてくるのである。

この問題を解決するための糸口は,これまでの考察の過程の中で,既に見出されているように思われる。結論を急ぐならば,日本人と自然災害との関係,あるいは日本的災害観の基盤には、日本人固有の,そして世代から世代へと受けつがれてぎている伝統的な価値意識,人生観,世界観が存在するということである。

災害研究者の間で,この点を明確に指摘した人は,これまで恐らくほとんど存在しなかった。だが,このことは,人間の災害行動を一定以上の注意力をもって観察する者なら多分誰でも気がつくはずの,明確な事実なのである。

上でとりあげた関東大震災にっいての体験記の中で,芥川龍之介は,丸の内の焼け跡の前を通った時の心境を描写していたが,芥川がながめている焼け跡の情景は,明らかに,伝統的な「もののあわれ」という情感で染め上げられた情景である。芥川は彼の心中にある「無常観」というフィルターを通して外の世界をながめているのである。この芥川の体験記というただ一つの事例の中にも,日本的災害観の基盤にあるもの,日本人と自然災害との関係の根底にあるものをわれわれに気づかせる手がかりが,ほとんどむき出しのかたちで呈示されているのである。

それでは,自然災害に対する人々の反応の基盤にある価値観,日本的災害観のいわば下部構造にあたる人生観・世界観とは一体いかなるものであろうか。

p.183

この問題の解決に関しては、幸運なことに、われわれは既に楽観的な見通しを立てることができる状態にある。『災害観調査』が,この間題を解決するためのデータを,ここでもまた,豊冨に提供してくれるのである。『災害観調査』で得られた知見を,すべてこの場で明らかにずる余裕はわれわれにはないが,「天譴論」についてながめてみるだけでも,「災害観・災害意識」と「人生観・世界観」との関わりについて,一定の了解が得られるであろう。

 

U「天譴諭」の構造

筆者らの「『災害と情報』研究会」のメンバーは,「災害観調査」において,日本人に特有の災害意識・災害観と,日本的世界観・人生観・自然観との対応聞係について分析を試みた。日本人と自然災害との関係に影響を与えていると思われる世界観・人生観をリストアップし,これらのいわば「説明変数」と,災害意識・災害観,すなわち「被説明変数」との相関関係を調べたのである。その結果,「天譴論」にっいても,これがある一定の世界観,人生観,価値意識と結び付いていることが朋らかになったのである。

「天譴論」と関係を持つ世界観人生観の一は,「人間が幸福になるためには,定められた運命に従って行くべきだ」という「消極的運命観」である。表7は、「消極的運命観」の持ち主と,「積極的運命観」(すなわち,「人間が幸福になるためには,自分の運命をきり開いて行くべきだ」という運命観)の持ち主とで,「天譴論」に関する共感の度合いがどう違っているのかを示す表であるが,数字が示している通り,「『天譴論』に共感できない」とする人の割合は、明らかに,「消極的運命観」の持ち主の間でより低い。つまり,「消極的運命観」の持ち主は,「積極的運命観」の持ち主より,「天譴論者」である場合が多いということなのである。「消極的運命観」と「天譴論」との間にこうした関連性が認められるということについては,不思議な点は全くないであろう。「自然災書は天の意志に基づくものだ(従って,運命として定められたものだ)」という「天譴論」の主題と,「運命は定められたものであり,これに従わなけれぱならない」という意識とは,明らかに心理的距離の上できわめて接近しているように考えられるからである。

「天譴論」は,日本の伝統的世界観・人生観の一つである「無常観」とも関

p.184

 

表7「天譴論」×「積極・消極運命観」

 

(天譴論に)

共感できない

一部共感できる

かなり共感できる

全面的に共感できる

% (N)

積極的運命観

56.4%(297)

35.3(186)

6.8(36)

1.5(8)

100.0(527)

消極的運命観

37.5(27)

40.3(29)

19.4(14)

2.8(2)

100.0(72)

(χ二乗、p<0.01

 

連している。表8は,「人生はむなしく,富や名誉や幸福は,はかないものだという人もありますが,あなたご自身は,こういうむなしさを心に感ずることがありますか」という質問に対する回答と「天譴論」に対する共感の度合いとをクロスさせた表であるが,「人生はむなしく,富や名誉や幸福は,はかないものだ」という「無常観」を持つ人は,一般に「天譴論」に共感できないとする人が少ないことが,表の数字から読みとれる。「(人生のむなしさやはかなさ

 

表8「天認論」×「無常観」

 

(天譴論に)

共感できない

一部共感できる

かなり共感できる

全面的に共感できる

% (N)

(人生のむなしさ、はかなさを)しばしば感じる

46.1%(41)

42.7(38)

10.1(9)

1.1(1)

100.0(89)

時々感じる

52.3(136)

36.5(95)

10.4(27)

0.8(2)

100.0(260)

あまり感じたことはない

58.5

(137)

33.8

(79)

5.1

(12)

2.6

(6)

100.0(234)

一度も感じたことはない

64.7

(11)

11.8(2)

17.6

(3)

5.9

(1)

100.0(17)

(χ二乗、p<0.05

 

を一度も感じたことはない」という人はかなり少数なので,これを一まず除外して考えることにすると,「無常観」と「天譴論」との間には,かなりはっきりとした相関関係があることが,表8の数字からわかるのである。「天譴論」の下部溝造とでも言うべき人生観・世界観に,「無常観」が含まれていることが確かめられたわけだが,これはなかなか興味深い事実であると言えよう・

また、これは,世界観・人生観とは必ずしも呼べないものであるが、「迷信深さ」も,「天譴論」と関連性を持っていることが明らかになっている。表9

 

p.135

の政字が示している通り,「祈祷師や巫女に相談したことがある」という迷信深い人は,「天譴論」に共感する傾向が強い。

 

表9「天譴論」×「迷信深さ」

 

(天譴論に)

共感できない

一部共感できる

かなり共感できる

全面的に共感できる

% (N)

(祈祷師や巫女に)相談したことがある

48.8%(119)

37.3(91)

11.9(29)

2.0(5)

100.0(244)

相談したことはない

57.9(210)

34.7(126)

6.1(22)

1.4(5)

100.1(363)

(χ二乗、p<0.05

 

以上見た通り,「天譴論」は,それを信ずる人の心理・精神の内部においては、ある一定の人生観・世界観と結び付いているのである。そしてこのことは、「天譴論」に関してだけではなく,それ以外の災害意識・災害観についても、あるいは恐らく日本人の災書行動全般についても,あてはまる事実なのである。

自然災害に対する日本人の心理的・精神的対応,および日本的災害観が,日本人特有の人生観・世界観によって強く規定されているという,われわれが到達したこの結論は,われわれにいくつもの重要な示唆を与えてくれるように思われる。少なくとも,目然災害に対する既成の定義づけ,イメージに修正をほどこすことは最低限必要であろう。

日本的な人生観・世界観が日本人と自然災害との関係のあり方を規定しているということは,ことばを換えて言うならぱ,自然災書の本質は,きわめて文化的な現象であるということである。人生観・世界観という基本的価値意識,あるいは基本的なものの見方によって仲介されて,自然災害は日本固有の文化と深く結びついているのである。自然災害とはきわめて文化的な現象である−自然災害に対する従来の定義づけの中に,われわれはこの頂目を新たに盛り込む必要があるであろう。

 
4 要約

 本稿では、関東大震災関係の体験記・手記および『災害観調査』という二つの資料に基づきながら、日本人と自然災害との関係について考察してきた。わ

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れわれが得た結論をごく簡単にまとめるならば,次のようになろう。

(1)日本人は自然災書に対して特定のイメージ,観念を持ち,災害に直面した場合に,独特の心理的・精神的反応を示す傾向がある。これらのイメージ・観念,あるいは反応は,「非合理的」,「運命論的」,といったことぱで形容できるものであり,また,「無力感」,「あきらめ」,「はかなさ」,といった心理的基調を持つものである。

(2)日本人と自然災害との関係の土台,日本的災害観の基盤には,日本人固有の人生観・世界観が存在する。日本人の目に映っている自然災害の姿は,「もののあわれ」,「無常観」,「消極的運命観」等々の人生観・世界観というフィルター越しにながめられた像である。

 

<注>

(1)『日本震災史』,日本歴史地理学会(編),大正12年,日本学術普及会。

(2)『女性』,大正12年10月号。引用は『日本大雑誌,大正篇』(昭和54年,流動出

版)による。

(3)『内村鑑三著作集第20巻』,昭和33年,岩波書店。

(4)『太陽』,大正12年11月号。

(5)『太陽』,大正12年11月号。

(6)『大正大震火災誌』,山本美(編),大正13年,改造社。

(7)『文章倶楽部』,大正12年10月号。引用は『芥川龍之介全集』(昭和53年)岩

波書店)による。

(8)『思想』,大正12年11月号。

(9)『改造』,大正I2年大震災号。

(10)『新潮』,大正12年10月号。引用は『宇野浩二全集 第12巻』(昭和48年9中央公論社)による。

(11)和辻哲郎『風土』,昭和10年,岩波書店。

(12)『改造』,大正12年大震災号。

(13)「寺田寅彦全集 文学篇第14巻,書簡集1」,昭和12年,岩波書店。

(14)「蝋燭の光にて」,大正12年10月28日発行『週刊朝日』。引用は『正宗白鳥全集第10巻』(昭和42年,新潮社)による。

(15)『災害観に関する意識調査』(仮題),「災害と情報」研究会(東京大学新聞研

究所内)。なお,この調査の調査対象者は,岩手県大船渡市在住の20〜69歳

の男女800名である。調査期間は,昭和56年9月19日〜24日であり,調査方法は個別面接法,回収率は800票中628票(78.5%)であった。この調査の報告書は,昭和57年2月現在発行準備中である。(「災害常襲地域における住民の「災害観」に関する調査報告―その1―」、19823月)

(16)”Earthquake Threat”,R.H. Turner et al.,1979, Institute for Social Science Research (University of California, Los Angeles).

 

 

(本稿初出:仲田誠:『災害と日本人』、『年報社会心理学』(日本社会心理学会)、第23号、pp.171-1861982