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 *** ペルーアンデスブランカ山群**1985昭和60年8月 **
ウルス峰とイシンガ峰
(5495m&5546m)
                              
  
   登山の準備

◇ ペルーアンデス登山の計画経過
 20才の時、社宅独身寮で同室の先輩に誘われて山岳会(雪嶺会)に入り、山に親しんで今年は25年目になる。その間、色々な生活環境の変化にも耐えて今更ながら「懲りずに山登りを続けてきた」と、自分でもその馬鹿さ加減に感心する。と共に馬鹿さを続けさせてくれた周囲の人達に心から感謝の気持ちが湧いてくる。
 山岳会の山行からは、離れていても「山への憧れ」はつきない。そうした節目として、幾年も前から考えていたペルーアンデス登山(出来れば6,000m峰)の計画を実行することにした。
 なにせ遠隔地でもあり、情報不足は避けられず計画は遅々として進まなかったが、1年ほど前に住まい(岩槻市)で所属する岩槻CS(カブスカウト)隊の若いリーダー仲間・居川氏が同地域に行って色々と調査してくれた。これで、入下山のアプローチも明確になり「チャンス到来!」とばかりに、それこそ万障くり合わせて実現に努めた。
 山行地の情報はシェブランカ・デイスクの佐藤芳夫氏からも入手出来た。

◇ 山行地の決定
 ペルーアンデスと云っても、21の山群があり時間と体力があれば、それこそ無制限の登山活動が出来る。しかし、「期間2週間、体力はヨボヨボの一歩手前」と云う条件では、アプローチの短いポピュラーな山な限定される。雑誌「山と渓谷」等のPR頁でツアーを組んでいる山であれば、私の条件に合う可能性が高い。
 そうした意味において、ブランカ山群の山々が一番適していると思われ、同地域に決めた。参加者の状況により、 ワスカラン峰(6,768m)又は  ピスコ峰(5,800m)を対象の山として詳細の資料を検討した。しかし、最新の情報では「ピスコ峰は頂上部の氷河の状態が悪く登頂出来ない事もある」とか、いずれにしても具体的には、年により異なるので現地で判断するしかない。悪い事にペルーが長期の郵便ストライキとかで、問い合わせたが返事な来ない。

 以上に状況を基本に計画書を作成して雪嶺会の石原代表に提出して参加者を募集する(2月3日)。
 2月27日、雪嶺会から「参加希望者なし」の連絡があり、残念ながら今回も単独山行になる。ともあれ主目的をピスコ峰として準備を進める。

◇ 航空券の予約(3月25日)
 ペルー・リマへ行くには何社かの航空便があるが、価格と時間の関係上、CP(カナダ太平洋航空)便を利用する。窓口は、シェブランカ・デイスクで往復費用は40万円である。オフシーズンであれば35万円程度で入手出来るとのこと。

◇ 食料・装備の準備
 主食は全て国内で購入する。8/13日〜8/17日のリスト<表1>によって購入。これまでの山行時の反省をもとに、出来るだけ種類を少なくして料理方法の広い食材を心がける。
 果物、野菜、肉類、パン等は現地購入とする。スーパで売っているα米(パック御飯)は非常に便利で且つ安価。
 装備はガソリンのみ現地手配。他は日頃使っている国内登山品を持ち込む。医薬品も出来るだけ少なくして、荷物を単純化するよう心がけた。持参装備表はリスト<表3>の通り。
 
 行 動 記 録 

 第1日(8/9)成田からバンクーバー
 約1時間遅れで成田空港を飛び立ったがカナダ・バンクーバ空港には定刻に到着。約8時間の旅であった。ここで半日乗り継ぎ待ちとなり、市内観光ツアーに出かける。
 これはCP社がサービスとして設定しているもので「本当の暇つぶし」と云ったところである。市内の清掃は徹底され豊かな国を感じるが「生活の逞しさ」みたいな生活感がなく肌に馴染めない。夕方バンクーバを後に飛行機は南米ペルーへ南下し約9時間でリマ国際空港に到着予定。


 第2日(8/10)バンクーバーからペルー・リマ市内
 早朝、定刻にリマに着く。ドンヨリとした梅雨のような天候で今にも雨が降りそうである。奇しくも機内の隣席にいた日本女性(音楽の調査に来た小学校の先生)が、小生の予定していた宿泊先と同じて、しかも宿主が空港へ出迎えに来ているとの事。話が出来すぎで少々気持ちが悪い位だ。ともかく便乗させてもらう。
 空港から30分でリマ市内に入り、目的地「西海ペンション」に無事到着。
同ペンションは、日本人の学生等が利用する安宿で長期に安心して泊まれる宿泊所である。(一泊2食付き:5US$)。宿主の西海さんにスケジュールを説明して明日の「ワラス行バス」の予約にも同行してもらう。
 今日は休養も兼ねて、一日市内の寺院めぐりをする。



 第3日(8/11)リマ市内〜ワラス
 ワラスへ向けて7時間のバス旅行である。幸いバスは勿論全ての乗り物で酔ったことがない体質(酒にはすぐ酔うが・・・)の為、移り変わる初めての景色を楽しみ時間が過ぎるのも忘れる。
 リマからワラスまでは、最初平地でほとんど砂漠化している。その中を道路が一直線に何処までも続き約1時間ピッチにインデオの集落がある。家は土ブロックである。4時間ほどで内陸部へ道をとり、高度を上げて行く。平地から約4,000m高度のコノコチャ峠へ一気に登る。大型バスは日光のイロハ坂をいくつも継ぎたした様な登路をグングン飛ばして行く。

 峠に着くと景色は草原とその先に氷河を持った峰々が眺めら「アンデスに来た!」と実感が湧いてくる。山々に見とれているうちに終点ワラスに着いた。予定通り日本人の登山者に色々世話をしてくださっている雑貨店を営む谷川氏宅へ行く。ここで、山の情報と宿泊宿を紹介して貰う。
 ピスコ峰については、やはり「今年も登頂が困難」との事。目的の山を変更して、イシンガ谷のウルス峰(5,495m)、イシンガ峰(5,546m)に登頂することに決める。又、直接BCに入らず、谷川さんの強い薦めもあり一度4,000m地へ登り高度順応をする。明日は登山の準備と休養日とする。


 第4日(8/12)ワラス登山準備
 目的のピスコ峰がダメになって残念である。でも、新しい山も資料で見る限り立派な山容であり「とにかくベストをつくす」しかない。
 朝食は、昨夜と同じもの(魚と米のミックスした料理)で腹ごしらえをして、午前中は町内の土地感を得るために街を歩く。遠方にはワスカラン峰、ワンドイ峰が氷河をいただいてそそり立ち、良い眺めである。
 この町が「南米のスイス」と呼ばれる意味が頷ける風景だ。住民のほとんどがインデオとその混血で言葉はケチャ語と云うが何を話しているのかサッパリ解らない。
 午後はガソリンや食料を買って登山準備を完了する。物価(食料)が日本の1/2から1/4なので、ついつい食べ過ぎる。しかし、登山中でもあり冬山に準じて下山まで禁酒にする。


 第5日(8/13)ワラスからリアカ湖・高度順応
 昼食後、高度順応の為に4,000m地点まで行くことにする。場所はワラス近くでヤカ谷の奥の氷河湖で、そこまでタクシーで行く。湖の奥は6,000m級の山がドデンとそそり立ち、素晴らしい景色である。
 タクシーが返えると自分独りの世界になる。少し山道を登ってみるが呼吸が乱れる。やはり高度のせいのようだ。頭痛はしないが、ともかく今夜は一泊して明日朝ワラスへ下ることにしよう。
 夜半息苦しくなって目を覚ます。テントの外へ出ると満天の星座。峰々の黒いシルエットが夜空に浮かび見おぼえのあるオリオンや小熊座を見つけて、ホッとする。


 第6日(8/14)ワラスからリアカ湖・高度順応
 その後寝付かれないまま夜を明かし、夜明けと共にテントを撤収して下山にかかる。5時間程歩いてワラスへ戻る。途中インデオの人家を通る毎に犬に吠えられ追い払うのに苦労した。この犬共は遠慮なく噛みつくので、追い払うのも真剣だ。「・・犬に噛まれて登れませんデシタ」では悔やまれた山行になるので必死である。


 第7日(8/15) 入山 BCまで
 いよいよ入山。日数は既に半分過ぎておりこれから入山ではタイミングの遅れを感じる。事故の対策として、テント・キーパーを1名(エミリオ氏29才・インデオの青年)を谷川さんから紹介して貰う。、また、ヨボヨボ一歩手前の身を考えて、体力はアタックに極力残しておきたいので、BCまで荷物担ぎのロバを雇う。ワタスから約40分タクシーで奥へ入り、そこからロバに荷物を移してイシンガ谷をつめる。道はロバが歩いて行ける位のダラダラした道で、谷間に沿って奥へ奥へと進む。谷行き止まりは大きな河原で高度4,200m位。ここにBC天幕を張る。
 近くに西独人3名が設営しているだけの静かなテントサイトである。 明日はウルス峰へアタックするので、日暮れと共にシュラフにもぐる。高度障害は感じられないので日本の山と同じ状態で眠れた。


 第8日(8/16) ウルス峰アタック
  テント地より直ぐモーレン帯の急な尾根に取り付く。2時間ほど登ると雪面になる。アイゼンを付けクラストした雪面を進む、久し振りの雪山に身が引きしまる。風もなく好天の見本のような天気である。ルートは所々トレースが残っており山全体の感じで登り易い所を捜して高度を上げる。雪面は早朝のせいか比較的に硬い。日陰の部分は氷気味になっており、斜度がきつい所はアンザイレンをしたいが単独行ではムリな話。
 山頂は360度視界が開け、素晴らしい眺めであるがケルンも何もないので、「登った!」と云う気にならない。


 日本の山では想像も出来ない展望が開けている。風もそれほど無く、しばらく写真を撮り名前も知らない周囲の山々を眺める。
 山容を掴めないまま登ったので、下山の取付点を見失ってしまい何度かトラバースしてやっとBCに戻った。冬山式に赤布を使用してルートの確保が必要だった。
 視界がきかない場合の行動は充分に注意しなければならない。


 第9日(8/17) イシンガ峰 アタック
 昨日のウルス峰と谷を挟んで反対側にあるイシンガ峰にアタックする。ルートも今日の方が長いので疲労が心配である。イシンガ湖まで2時間山道をゆっくりと登る。高度が高くなるに従って昨日登ったウルス峰が眺められ記念写真を撮る。天気は明らかに下り坂で雲が増えてくるので、今日一日もつか案じられる。
 8月中旬では、既に登山シーズンとしては遅気味で、ベストシーズンは7月中から8月上旬との事。昨日頂上に立てたので、今日は天候次第で登れる所まで行く事にして無理はしない。

 氷河湖に着いて氷河の末端からアイゼンを付け直登する。30度位の斜度の広い斜面にアイゼンを利かせて登り切るとカール状の台地に出る。ここをトラバースして更に稜に出る為に急な斜面に取り付く。
 スケールが大きい上に山容が単純過ぎルートと時間の感覚がつかめない。ウルス峰に比べ雪の状態が悪く数カ所にクレパスが口を開けており、渡るのにヒヤヒヤする。稜線に出ると周囲の山々が一望出来その素晴らしさに息を呑む。だた残念なことに、北方の峰にはガスが発生して雲の動きが早くなってきたので早目に下山しなければならない。
 クレパスを避けルートを捜しつつ山頂直下の岩場に来る。岩と雪面の間がすっかり広がり何度か渡るルートを変え試みるが不安定な雪で足場が決まらない。この間もガスは増加してイシンガの尾根に近づく。下山のルートを考えると、これ以上時間を費やすことは無理になる。1週間前に登った人の情報では岩へ容易に渡れたらしいが・・・。残念ながら引き返すことにする。
 ガスに追われるように自分のトレースを捜して下山する。雪面が硬い所はアイゼンの跡が薄く確認しづらい。何とか湖に着いてアイゼンを外すてホッとした。後は山道と云っても北アの涸沢から横尾へ下る道のような立派なものであり、歩いておればBCに着ける。短いアタック日数になったが、アンデスの一部を味わい満足感がこみ上げて来た。
 明日は予定通りワラスへ下山する。予想以上に食料を食べたので、明日は残物のお茶と非常食のカンパンだけである。


 第10日(8/18)  下山
 夜明けと共に天幕を撤収。テントキーパ氏も里心がついたのか早足で下る。入山時はロバのお陰で楽であったが下山は2人で荷物を分けて担ぐ。腹が減って力が入らないが、すっかりガスで視界もない谷道を追われる様に下る。ほとんど休む事もなく5時間ほど歩いて車道に出た。


 第11日(8/19)ワラス〜リマ市
 11日にワラスへ着いて1週間が過ぎ、すっかり町にもなじんだ感じがする。厳しい環境で生活する人々の逞しさを肌で感じ異文化の世界を味わえた。
 往路と同じバスに乗って草原の世界から高度を下げ砂漠地帯へ入る。疲れも手伝ってウツラウツラしている間に夕暮れのリマに着いた。
 再び西海ペンションに投宿。明日の夜半までに空港へ行けば良いのでゆっくりと土産品でも捜すそう。


 第12日(8/20)リマ〜リマ空港
 リマ市街のはずれにインデオ民芸専門の観光売店があり、そこへペンションの仲間2名と行く。
 午後は明日に備えて宿で仮眠。指定された時間に空港へ行くと、今夜はオーバーブッキング気味とかで乗り遅れまいと大勢の乗客で大混乱である。何とか搭乗券は入手したが、混乱のせいかパスポートに入れておいた入国時の入出国カードを紛失する。天下の一大事と知恵を絞って、何とか出国手続きを済ませ機内に入ったのは出発15分前であった。最後に危ない橋を渡ったものだ。


 第12日(8/21)リマ市〜バンクーバー
 朝バンクーバーに到着。午後2時出発まで入山時と同様にバンクーバー市内見物。特記することもなく時間を費やして空港に戻り一路成田へ向かう。


 第13日(8/22)バンクーバー〜成田
 夕方予定通り成田着。入国手続き、税関の混みようにウンザリして空港を出る。成田から上野へ、車窓から町並みを眺めていると明日からの仕事が脳裏をかすめ、これまたウンザリする。

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 あとがき と ・教訓

 1)ピッケルの機内持込:前回、ザックに付けていた為ピック部を破損されたので、今回は機内持込にしたところ、危険物扱いで「機長預かり」になった。
 結果ザックは終着のリマまで直送出来たがピッケルはバンクーバー止りになりピッケルだけ搭乗手続をせねばならず手間がかかった。ザックとピッケルを大きな厚手の布カバーに入れて一体物にしたパッキングが良い。


 2)地形の把握:山のスケールが国内の地形と比べて大きい為に距離の把握に苦労した。スケッチ等をして十分にルートを確認して行動しないと視界が悪くなった場合BC地点を見失う恐れがある。特に降り口や分岐点には赤布などの目印が必要。

 3)高度順応・体力訓練:技術上の問題以前に充分な体力、気力及び高度順応が不可欠である。特に高度順応については国内ではあまり体験出来ないので、慎重に対応し計画に組み込むことが大事。

 4)登山情報の収集:登山情報が入手し難い初めての山行では国内外に限らず慎重に臨みたい。長年かけて継続するつもりで最初から取り組むことにより、安全で山の楽しさも倍加することになる。その為に「時間、体力等のゆとりがどれだけあるか」と云うことになる。

 5食料:テントキーパーを加えたので、大幅に不足した。現地で追加の買出しえをしたが、現地人の食欲が旺盛で予想以上であった。荷揚げにロバを使用したので、大目に持参すべきだった。
 水は氷河(硬水)の為必ず沸かした。朝夕にタップリとお茶を飲んで行動中は殆ど補給しなかった。このパターンはインデオ氏も同じ。

 6装備:好天で風も弱く持参したテントで良かったが。天候がくずれると降雪もあり、強風になるとか、準冬山用の装備が必要である。炊事用具は一人前しか用意しなかったので、キーパー用は蓋等で代用した。料理も一人前と二人前では作り方も違い不便な思いをした。燃料用ガソリンは荒物店で入手。国内の白ガスと同質であった。

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