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   **** 太陽の国・メキシコの霊峰**1980・昭和55年・9月 ****
ポポカテペトル峰(5452m)
  
  

 登山の準備

 ◇ ポポカテペトル登山の計画経過
 1)山岳会の仲間2名と「国内にはない4千米峰を登ろう」との熱い思いでマレーシア・キナバル山へ登山して2年が過ぎた。
 我々にとって初めての海外登山だったので苦労も多かったが、国内登山にはない魅力を満喫することが出来「次は何処へ行こう」とチャンスを待ったが、参加者の休暇や都合を調整する内に時間だけが過ぎた。結局、隊編成を放棄して単独で実行することにして期日と目的地を決めた。
 2)対象の山として、標高5千米級でアプローチが短く、技術的には国内の残雪期登山ベースを基準にする。海外登山の代理店・シェラブランカ社のガイド書や海外の山岳紹介書から、メキシコのポポカテペトル峰(5452m)に決定。
 3)山の詳細を入手するために、メキシコ大使館から現地の山岳会を紹介してもらい6月26日にメールで登山資料と登山の予約。
 7月17日に上記の返事が届き「ホッ」と一安心。資料では上部は氷河帯でピッケルとアイゼンが必要、登山シーズンは10月から2月、トレイルは数ルートありその内の一般ルートはトラマカス小屋から標高差約1500mで距離は長いが技術的には容易らしい。
 4)仕事の都合上10月以降はムリで時期的には少し早いが9月中旬出発とする。
 5)航空券・割安チケットをHISへ申し込む。往路はシアトルとロスアンゼルス乗換えでメキシコ・シテイ。帰路はロスアンゼルス、ハワイ経由便になる。


 旅の経過とメモ 

 第1日(9/13)
 
W便で成田空港から約8時間、シアトル空港に到着。ここから乗り継ぎでロスアンゼルス空港で更に5時間乗り継ぎ待ちとなる。
 夕方、メキシコ航空便でロスアンゼルス空港を後にメキシコへ南下し、約4時間でメキシコ・シテイ国際空港に到着。空港出ると英語圏外だ、言葉が通じず当初はYMCAに投宿予定だったが場所が判らず市内のホテルに変更。


 第2日(9/14)
 ホテルのフロントで明日のバス・ターミナルを教えてもらい偵察に行く。ホテル以外はスペイン語で当然とは云え先が思いやられる。
 ホテルを出て市内地図を頼りに歩ける範囲で土地感を養う。市内の各所にスペイン侵略以前のインデオ文化財が残され興味深い。帰路の市内見物が楽しみ。


 第3日(9/15)
 早朝、昨日偵察したバス・ターミナルへ行く。円状の大きなターミナルは文字も言葉もスペイン語の嵐でチンプンカンプン「サテどうしたものか!」と戸惑うばかり「キップを買うのが先決」とそれらしき窓口に行き「トラマカス?アメカメカ?」と目的地や途中の町を連呼して周囲のアンチャンに窓口を聴いて無事ゲット。発着バスのゲートも教えてくれたが理解出来ず広場に戻る。

 朝の出勤帯で広場は混雑している。その中にボーイスカウト姿の若者達を見つけて「トラマカス行きのバスゲートは?」と聞くと「ボク等もポポカテペトルへ行く」との返事。地獄に仏で「よろしくネ」と彼らの後に従う。ほどなく満員のバスは発車し山の方向に向かいヤレヤレだ。休校で数日自由になった若者達はバスの中でもワイワイ賑やかだ、一段落して水筒を出し「呑め・・」と云う。お互い呑んでいるので「毒入りではなさそう」と口にふくむと強烈なアルコールが口中を被う。テキーラを初めて飲んだが一口で充分だ。10代からの飲酒は合法だろかと思うが、周囲の乗客も平気な顔をしていた。
 3時間ほどバスに揺られて目的地のトラマカス村に到着。世話になったついでに「君達の宿に泊めてヨ」と後に続く。宿には先着の若者が居て中年のリーダーに登山の旨を伝えると「日本からは珍しい、宿泊OK」と快諾を得た(宿泊料は無料)。この小屋はボーイスカウト専用の宿泊所で利用時以外は閉鎖されているようだ。
 対岸のイスタシワトル峰(5290m)が山頂部に氷河をまとい「メキシコに来た」実感が湧いてくる。この山は女性が横たわっている山姿から別名「眠れる女」と呼ばれるらしい。


 第4日(9/16)
 終日濃霧でアタック日和ではない。高度順化の為に2日間は休養日の予定だから、丁度良い。しかし、適期に半月早いので「この天候が1週間も続いたら登頂チヤンスは無いナ・・」と不安が湧いて来る。昨日のスカウト達も停滞で暇を持て余し、ベットに来ては食べ物や装備品に興味を示す。又、ボーイスカウト活動の意見交換が出来て登山以外の時間を楽しんだ。


 第5日(9/17)
 昨日同様の天候で視界はゼロ。予定では明日アタックのつもりだが、スカウト・リーダーの予報では「しばらく好天は期待出来ない」とのこと。
 彼らも日程上、明日にはアタックしたいらしい、度々外へ出ては山の様子を伺っていた。入山時に眺められた対岸のイスタシワトル峰も終日ガスの中。
 明日の好天を期待して早めに夕食を済ませてシュラーフに入る。


 第6日(9/18)

 期待も空しく小屋の壁を叩く強風で目覚める。アタックに残されて日は明日1日だけ。資料の通り登山シーズンは10月以降のようで仕事上とは云え半月早く入山したことが悔やまれる。しかし、登頂出来なくても山麓まで無事来れたので「次回につながる」と自分に言い聞かせる。
 ボーイスカウト達も明日には下山のつもりらしい。


 第7日(9/19)
 夜明け前に冷え込みが厳しく目覚める。隣室から物音が聞こえる(・・・アタックだ!)。戸外に出ると満点の星座と山頂のシルエットが迎えてくれた。急いで戻って出発の準備をする。
 スカウト達が出発して静かになった小屋を後に一般ルート・ラスクルセス(十字架)を登る。火山灰の登山路は富士山のトレイルを思い出させる。やがて高度が高くなると氷河帯になるが、アイゼンを付けるほどの急斜面でもなく靴のまま腐った雪面を直上する。トレイルがあり、荷物が軽いので高度を稼げる。高度病の影響を受ける前に山頂の火口縁に着き、山頂まで縁沿いに右手方向に巻き込んで山頂に着いた。火口芯部から煙が湧き出ている(長居は無用)と周囲をひと眺めして下山開始。視界が良い内に氷河帯を抜けようと大股で駆け下りる。程好く腐った雪面がクッションになり快適に下れた。火山灰のトレイル道からルートを間違うこともないのでホット一息。登頂出来た喜びにひたる。
 標高差1500mを下り、トラマカス小屋に午後2時ごろ到着したので10時間ほどの行動になる。先着したスカウト達は下山の準備をしている。リーダの顔を見ると思わず熱い思いが湧き出て「本当にありがとうございました」と何度もお礼を云い「私も下山します」と別れを告げる。

 入山時と同じバス便でメキシコ・シイテへ向かう。しかし、入山時と違い数人の乗客で乗車時に車掌が運賃を集めに来たので現金を支払う。途中の部落から順次乗り降りして車内な混んで来て、車掌が再度バス代を集めに来たので「始発地で払ったヨ」と云ったが「もらっていない、払え!」と催促する。二度払いする気はないので「冗談じゃない、アンタは受け取った!」とスツタモンダ。結局近くにいたオジサンが「彼は払った」と助け船を出してくれ一段落(スペイン語が話せずとんだ苦労を経験)。キップを貰わなかったのが災いした。
 ともあれ、入山時のホテルに投宿。明日は1日市内見物にする。フロントで「テオテワカン(神々の都)遺跡」を紹介してもらいツアーに参加することにした。


 第8日(9/20)
 ツアーのマイクロバスは3ケ所のホテルを廻り7名の観光客を乗せて一路目的地へ。テオテワカン遺跡はメキシコ・シイテの北東51kmに位置しメキシコ高原最大の古代宗教都市遺跡だそうだ。紀元前200頃から200年かけて築かれ、繁栄したのは2世紀から7世紀にかけて推定人口10万人都市。しかし、この文明の起源も都市の衰退も、又どの民族かさへ謎らしい。
 ツアーのメンバーはフランス、英国、エグアドル、ブラジル、そして日本人の私と国際色豊かで、お互いにオノボリさん丸出しでガイド氏の説明を聞く(スペイン語訛りの英語は1割も理解出来ないが現物は言葉を超えて説得力がある)。遺跡を君臨する中央部の大きなピラミットに登ると、穏やかな風が吹いてくる。麓の土産店から物悲しい生のケーナが風に乗ってくる。シーズンオフのせいか観光客も疎らで、ユックリと2000年前の往時を偲ふことが出来た。


 第9日(9/21)
 今日は市内を見物する。ソロカ広場やアルメダ公園付近の旧市街は何処へ行っても歴史を思わせる建造物やモニュメントを眺められ飽きることがない。近くに国立歴史博物館があるとのことで、行ってみる。広いスペースで1日では全部見物出来ない。スペインの侵略者・コルテスが先住のアステカ王朝を滅ぼしこの地を植民地にした。その歴史の経過に「日本も一歩間違えば・・」と歴史の重みを感じた。


 第10日(9/22)
 近郷に遺跡や名所が多くあるようで、数日過したい気持ちを押さえてメキシコ・シイテー空港から帰路に着く。今夜はロスアンゼルス泊だから、ダウンタウンのホテルに投宿しよう。


 第11日(8/23)
 離陸は13時だからユックリ出来る。朝食と散歩がてらにリトル・トウキョウ街へ行く。
 支庁タワー前の公園でファーストフードのサンドウイッチを食べて「次回の参考に」とチャイナタウンまで足を延ばしてみる。
 昼頃、予定通りホテルを後に空港へ向かう。後は飛行機が成田へ運んでくれるだけだ。初めての独り旅を無事に達成して満足感で顔もほころぶ。
 翌日、ハワイで燃料を補給して成田空港に夜8時到着。

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 あとがき と ・教訓
 1)初めての単独海外登山だから、出発までに出来るだけ資料を集めようと努めた。メキシコ大使館から情報を得て現地山岳会への打診、国内代理店・シエラブランカ社へ資料入手と訪問して情報を得た。パックツアーに参加する訳でもないのに担当者から親切に情報を提供され感謝した。
 現地では勿論、国内でも多くの人の善意があって成功出来たと思う。今後もパックツアー等で安易な旅をせず手作りで充分な計画の元に実行したい。


 2)登山を専業とすれば、時間も自由になり大きな登山が可能だが、社会から逸脱せずに自分の環境の中で最高の登山活動を今後も志したい。

 3)キナバル山で4千米峰を今回5千米峰をトレース出来た。次は6千米級の山になるが、焦らず夢を追い続けたい。

 
4)単独山行に不可欠な条件の一つに、言葉の弊害を克服しなければならない。英語は勿論スペイン語も簡単な会話はクリアーしたいものだ。仕事上にも役立つことだから、登山を<人参>に見立てて学習したい。

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