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   *** 北アの積雪期・初登攀** 1967(昭和42年)1月***

赤沢山・中央ルンゼ左俣ルート

 期日:1967(昭和42年)1月3日 (天気:風雪) 
 パーテイー:飯星宏徳、他3名


  ネコの耳の基部を回り込み中央ルンゼに入り、ネコの耳側を左俣からのデブリが100mも続いている中をラッセル。視界は50m程で急斜面に不安はつきまとう。
 本流には泡雪崩が出はじめて沢芯を登る限界感じ右側のフエースに取り付き、20m程直上しさらに雪壁を15m登る。とたんにすごい泡雪崩が上部より発し必死で雪面にしがみつく。


 アイゼンとピッケルが頼りで、頭上の雪を払わないと引き落とされそうになる。雪崩が一段落したスキをみて全力で50m上部の岩影めがけてラッセル登行。

 安全地帯に着き、今後のルートを探すも風雪が強く視界ゼロでどうにもならない。だが、天候はさらに悪化しているので、とにかくルンゼをつめて「終了点に立つことが一番安全」と、パーテイーの間隔を広く取って登行開始。40m登るとブルーアイス帯に出る。この氷滝を登り切るとルンゼも消えてフエース状になり、雪崩の危険性もなくなる。何よりも上部の様子が判り見通しがついたのが喜びであった。
 60m直上すると見覚えのあるリッヂに出てその上部が左俣の終了点である。

 上部のカン木帯は急な雪稜となり大木だけが所々に立っているだけである。ルートを左にとり、ハイ松の見えるクラストした雪面を強引に直上して赤沢山の山頂に立った。                   (雪嶺会45年誌より抜粋)

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