TOP
   *** マレーシア・ボルネオ島** 1978・昭和53年・8月 ***
キナバル山(4101m)
  
  
   登山の準備

1−1 キナバル登山の企画

 山岳会の4月・懇親山行の帰途、今夏の合宿について話題になった。山行地は、北ア・笠ケ岳から烏帽子岳を経て七倉岳までの<裏銀座コース>と呼ばれるルートである。烏帽子〜七倉岳と云えば昭和38年の正月合宿で豪雪のため、さんざんな目に遭った忘れがたいルートだ。夏の縦走も楽しいだろナ・・。しかし、勤務先の夏休みと合わず残念ながら諦めていた。
 仲間の高橋、北村も同様の悩みでボヤいていることを知り「ハズレ者同士の夏休み有効活用を!」となり「近くて4000mの山へ」と話が発展して行った。

 ボルネオ・キナバル山については、1年ほど前からマレーシアへ仕事に行った勤務先の者から「登山の対象になる山で道も整備済み」と情報を得て、最初の海外登山の対象として適当な山と考えていた。こうしたきっかけでキナバル登山は具体化することになった。
 マレーシア観光センターの出先機関が日本橋(注1)にある旨情報得て訪問。2階の事務所に4名の女性事務員がノンビリと執務しており、キナバル登山の手続について詳しく説明してくれた。
 主内容としては、
  登山は予約制で現地事務所に返信切手を同封して申請する。
   同地は国立公園で規則尊守。
  小屋使用に制限があるので申請は早い方が良い。

  7・8月は雨季シーズンで毎日降雨有り。
  ルートは確立しておりガイドを1名付けること。
 技術的には初級登山クラスで、アプローチも簡単な模様である。ともあれ、キナバル山のあるサバ州の観光パンフレットとキナバル公園の案内書を入手。帰途、日本交通公社へ行き入山基地のコタキナバルまでの交通網を調べる。
 往路:キャセイ航空・・週2便
    日本―香港―コタキナバル
    日本航空・・週2便
    日本―マニラ―コタキナバル
 帰路:キャセイ航空・・週2便
    コタキナバル―香港―日本
    マレーシア航空・・週2便
    コタキナバル―マニラ―日本
 現地事務所(注2)へ登山申請提出。マレーシア観光センターの助言に従って現地登山事務所に申請書を提出。登山期間は7月30日〜8月6日の8日間で人員は3名。他に山岳雑誌、地図等の資料集めをすると、山の概念が次第に判って来た。
 それによると、10年ほど前から整備され現在ではかなりポピュラーになっているようだ。一方航空券も遠回りになるが割安チケットを使って、マニラまで行き、その先は一般観光客としてコタキナバルへ入る。帰路も同一コースでマニラ経由とする。


1−2 予防接種とパスポート受領(7月21日)
 有楽町の交通会館2Fの都庁旅券課へ。埼玉の場合は県庁第二庁舎1F旅券課へ申請と受領。次回を考えて有効5年間とする。

1−3 準備会(7月23日)
 現地の状況が判らないので出来るだけ国内で食料を購入。パッキングを終えて「いよいよ来週出発だ!」と云う言葉に、写真で見た岩稜のキナバル山が眼に浮かぶ。その反面、マニラ経由の空路は変則であり、加えて復路の予約が取れていないので不安は残る。
 「Y山岳雑誌にキナバル登山の募集が出ていたゾ!」
 「期間は我々と同じ日程で出発予定は29日らしい」
 「もしかして、現地で会うかもナ」と会話は弾む。
 いずれにしても、我々は自分達で企画・実行する<手作り登山>で、これまで通り苦労しても手法は守りたい


  行 動 記 録                                             

 第1日(7/29)成田からマニラ
 昼に離陸と云うのにツアーは「朝8時に日本橋・箱崎のバスターミナル集合」で大変な待ち時間である。しかし、めったにないことだから仕方がない。
 先着2名の仲間と合流。ここでチェックインして¥1900円也のリムジン・バス代を払い一路成田新空港へ向かう。
 過激派対策で警備員が各所にいる空港は、羽田に比べると<田舎>と云った感じで、これから海外へ出るムードではない。予想通り待ち時間2時間の暇を持て余す。フライトは更に遅れ気味で1時間半遅れて離陸。マニラまで4時間の旅である。

 マニラ空港は、事前にガイドブックで調べたのと雰囲気が違い戸惑う。ホテルは予約していないのでこれから捜すとして、その前に復路のマニラ〜成田間の予約が先決。到着口付近はポン引が群がり、まるで終戦直後の混乱を思わせる。ホン引達を掻き分けて公衆電話を探して、予約確認をするが「まだ空席なし、再度電話を!」とつれない返事だ。人相判断で人の良さそうなポン引氏を選び彼の車で、明日のコタキナバル便のチケットを購入すべく市内のマレーシャ航空事務所へ向かう。しかし、今日は土曜日で事務所は30分前に閉店(空港内の出発棟に同社事務所があり。ここで入手出来たらしい)。
 マニラ〜コタキナバル間は週2便(日、水)のため今のシーズン時期は、予約なして乗れるか案じられる。明日乗れなかったら日程上登頂は厳しい。ともかく、チケットは明朝空港で購入することにして宿へ向かう。
 日本でも馴染みのあるYMCAに車を走らせる。

 第2日目(7/30)マニラからコタキナバル
 ホテルの前庭で若者達が早朝テニスをやっている。日中は暑くて、この時間帯にスポーツをするのだろう。
 朝食を兼ねて散歩に出る。YMCAは市の北寄り、シテイーホールの近くにあり、通りの突き当たりはロハス公園で公園沿いに行けばマニラ海岸に出る。

 今日は日曜日のため、大勢の市民が夕涼みならぬ朝涼みで歩いていて、祭のような人出だ。広場では、中学生位の男女が100名単位で数組、兵士から軍事訓練を受けている。
 ホヤ・リサール記念碑の前で、トミーと名乗る20代の現地人が「日本人?」と声をかけて来た。近日中に日本へ行くそうで色々聞いてくる。我々も、昨日の航空券の予約の話をすると「後でホテルに相談に行く」とのこと。
 出発予定は15:30で昼過ぎにはホテルを出る。荷物を整理していると先程の青年が空港事務員と2人で部屋へ来た。「我々におまかせ下さい、希望通りにしましょう」と調子の良い話だけで具体性がない。観光客相手のポン引の類とウサンクサク思えて「自分達で解決するから」と言って引き取ってもらう。
(後で、フロントへ聞いたら「良くある話で知らない人を部屋へ入れてはダメ」と注意された)。
 マニラ空港・出発棟のフイリッピン航空カウンターで無事チケットを入手出来ヤレヤレだ。しかし、自国のペソでなくUSドル決済だ。
 予想通り予約は満員でキャンセル待ちでイライラするが、何とか空席にありつく。苦労したかいがあって3名中2名はファーストクラスの座席をゲット。

 離陸後1時間半でコタキナバルに到着。空港事務所は田舎の国鉄駅の雰囲気。旅行者も少なく簡単に税関を済ませてロビーへ出る。
 空港内の案内所で帰路の座席確認を済ませる。ロビーにいたポン引氏の案内で1泊1000円也の安宿・中央酒店へ行く「ここまで来れば登頂も80%完了」とユトリが出てくる。
 日曜日のため、ホテル近くの広場でバザールが開かれており、出店は衣類・日常雑貨が主であるが、貝や木工品の郷土細工店もあり面白い。マニラにはない市民の観光ズレしない生活に溶け込む。ビールの酔いも手伝って実に良い気持ちになる。
 明日は、物資の購入をしていよいよ入山である。車で4時間ほどで国立公園の入り口迄だから急くこともない。


 第3日目(7/31)コタキナバルから国立公園
 コタキナバル市内は観光ズレしていないので安心して行動出来る。地図は持参していないが、道は判り易い。
 「帰りの宿は、疲れてきるから少し上宿にしよう」とマングス・ホテルを予約する。その後、MAS(マレーシヤ航空)事務所へ復路の確認をする。
 コタキナバルから国立公園までは、毎日1往復(行きは8時発)あるが、食料の購入があるのでタクシーにする。料金は1日貸切で15M$(約1200円)。コタキナバルから1時間ほど先のテンポハイ村から山道になり大型乗用車に乗り換える。2時間ほど尾根沿いの道を一路国立公園へと向かう。

 下山時のタクシーを予約して公園事務所前で降りる。ここからキナバル山群が一足投である。公園内の宿舎・フエローシップ・ホステルに荷を下ろし出発の準備をする。ホステルは、ドイツ1名、英国1名、コタキナバ高校生と現地ガイドが数名が居た。
 明日の行動は、標高3300mのニューハットまで標高差1800mの登りである。今日までの航空便の面倒を考慮して1日早く下山したい。

キナバル山 登山 入山中の行動は、概略以下の通り。

4日目 登山事務所〜ニューハット
5日目 ニューハット〜サヤサヤハット〜ローズピーク〜アレキサンダーピーク〜サヤサヤハット
6日目 サヤサヤハット〜ローズガリーの監視人ピーク下よりローズガリー〜ギングエドワードピークへ途中敗退〜サヤサヤハット
7日目 下山、サヤサヤハット〜登山事務所

 第4日目(8/1)登山事務所〜ニューハット
 午後になると、決まって大雨になるそうだから午前中に行動を終わらせたい。登山事務所で20歳前のガイド氏(名前:タイシン・カダサン族)を紹介され、我々は4名のパーテイーとなり登山口へ向かう。
 パワーステイションまで3kmの道は車が使えるのでM$20を支払い時間を稼ぐ。ガイド書によれば徒歩85分かかる。15分ほどジープに乗って登行開始である。耳慣れない鳥の声に異国の山を感じる。
 歩き始めて直ぐ30mのカーソンス滝の側を通る。涼風が吹き記念撮影と少休止。ここからは国内の山行同様1ピッチ1時間のパターンを繰り返す。荷物は各自20kg前後なので、それほど重くは感じない。ただ登りが急で且つ連続しているのはグラリする。
 例えば、奥多摩・ツヅラ岩への最後の急登が続と云った気持ちだ。下山する数パーテイーと会うが、入山組は我々だけのようだ。3ピッチ目が終わった所がカーソンズキャンプと呼ばれる小屋に着く。
 ここは、見晴らしも良く雨水が流れているので、ホエーブスで湯を沸かす。今夜の泊地まで後2ピッチである。腹こしらえをして「雨が来ないうちに!」とファイトを出して出発。
 3千米を越えた所に水場の案内がり、水筒を満タンにする。ここから40分程汗を流してニューハットに着く。30分遅れて最後尾のT君とガイドが到着。小屋はアルミ合金板製で2部屋・16人のベットがある。
 やがて賑やかなグループが折からの雨の中を登って来た。山渓で募集していたキナバル隊で26名の編成にガイドとポータが加わり大所帯だ。彼らは20分程上部の小屋に泊まるそうだ。ここまで来て賑やかな山とはウンザリする。山渓パーテイーのガイドとポーター達は我々の小屋に泊まるようで、夕方から現地人の宴会が始まった。
 明日は3時出発だから早々に就寝。時折り雨足が激しく金属屋根を叩く。


 第5日目(8/2)ニューハット〜登頂〜サヤサヤハット
 予定通り、朝と云うより夜中1時起床して食事の準備。タイシンが「早く出てご来光を山頂で見よう」と誘うので、午後の雨に濡れるのを避けるために、小雨の中をライトを頼りに早々に出発。
 山渓組はまだ眠っているようで静かなパララマン小屋を過ぎて、更に急になった胸突き八丁を30分登ると森林帯を抜け岩稜に出る。
 各所にフイックス・ザイルやクサリが設けてあり、それらを使って上部へ向かう。岩肌は濡れているがザラ目でフリクションが良い。長い1ピッチでサヤサヤ小屋に到着。サヤサヤとは現地語で<我々>の意味とか、名前通りコンパクトで本峰最高地の小屋だ。月明かりの中にドンーキーズ・ピークが冴え冴えと眺められる。山麓を見るとラナウ村の灯しが眺められる。
 小屋に荷物をデポしてサブザックだけで山頂・ローズピークへ向かう。
ローズピークの直下でご来光を仰ぐ。周囲のピークを赤く色どり、ボルネオの山々は立ちこめた雲海の中で頂部だけ朝日を受けている。登行を止めて、その変化に身を預ける「本当にキナバルに来たんダ!」高度の影響か体がだるいが初めての海外登山に気分は上々。
 ローズピークはキナバル山群の最高峰であり、山頂でマレーシア国旗と道標で記念撮影。他に数峰周囲に4000m級のピークがあるので、私とk君はその中の一つアレキサンダーピ−クへアタック。体調が悪いT君はサヤサヤ小屋へ下山。

 ピークの中央部のルンゼを詰める。3ピッチをアンザイレンでガラ場をつめると容易に山頂に出られた。アレキサンダーピ−クからは、ボルネオ海が眺められ
「あの付近がコタキナバルかな」
「マニラがこの方向だから日本はこっち」など、しばらく展望を楽しむ。
 アンドリューピークの垂直壁を日本人の登攀者と思われるクライマーは半分程登っている。又、先ほど登ったローズピークに山渓パーテイーの姿が見える。

 明日は、今日と反対側のキングエドワード・ピークへアタックしたい。しかし、各自高山病のためか、体調は悪い。T君は相変わらず風邪薬を飲んでいるが、入山後毎食の炊事当番を引き受けてくれて助かる。
 ガイドのタイシンとも山頂で別れて下山したので今夜は我々だけの貸切小屋だ。夕方から雨は一段と激しくなり、上部も下部も視界はなく取り残されたような夜となる。


 第6日目(8/3)キングエドワード・ピーク
 今日のルートはトレースがないので、夜明けを待って出発。前日偵察したローズピークの監視人と呼ばれるピーク下のコルへ進む。傾斜のゆるいフエースとガラ場を進み、ノーザイルで1時間半でコルに着く。
 コルからローズガリーに入ると両側は300mほどの垂壁に囲まれ、シーンとした静寂の沢になり1時間下る。目標のキングエドワード・ピークまで、地図によると2時間はかかるようだ。時折りガスが沢に沿って上がって来る。天候は悪化の方向だ。
 始めての土地でもあり「ムリは禁物」と視界が悪くならない内に引き返すことにする。ガスに追い立てられてコルに戻り早々にサヤサヤ小屋に帰る。

 明日は、下山する。行動が半日のせいで、午後からの時間を充分に楽しめる。体調は皆良くないが、下山すれば回復するだろう。


 第7日目(8/4)入山 サヤサヤハット〜登山事務所
 毎日決まって降る雨に遭ったら、下着まで濡れてしまうので出来るだけ避けたい。その為には、早く出発して昼前に下山したい。
 短い日数であったが、キナバル山の山肌を充分堪能出来た。後は無事に下山することである。
「早く下ろう」
「2000m下るのはつらいゾ!」と云うことで、足元がやっと判る早朝に出発。

 シルエットのピークは、森林帯に入ると少しずつ姿を隠していく。キナバルとの別れである。パナラマン小屋は無人で、次の客を待っているようだ。500m/時の速度でグングンと高度を下げて行く。往路の山道が懐かしく感じられる。
 パワーステーションの車道に出て小休止。ダラダラした車道をカンカン照の中をバテ気味になって登山事務所に到着。
 今日も雨に遭わず、今回の行動は大成功だった。何はともあれ、下山を祝ってビールで乾杯。疲れのせいか一度に酔いが出て、全員宿舎で仮眠。
 さて、明日から航空券のトラブルが待っているが、様子が少し判ってきたので何とか成るだろう。夜はブルネイから来た10名ほどの若者で賑やかだ。


  帰国の途へ

 第8日目(8/5日)登山事務所からコタキナバル
 今日登山するブルネイの若者達が起床して準備を始める。ボツボツ起きようかと考えていると、二段ベットの下で寝ていたT君が急に心臓ショックに襲われ「ウウ・・・」と云って意識不明になる。驚いて身体をさすり、胸を広げてやるが本人は意識がなく「・・ウーウー」と唸りながら悶える。呼吸が苦しそうである。原因は何であるか判らないが兎に角、意識は戻ることを祈るばかり。
 近くに居たブルネイの若者に「事務所へ行って来て」と応援を頼む。しかし、時間が早いので事務所は閉っているとのこと。
 そのうち本人の意識が戻りホッとする。ショック時に全身が痙攣したので節々が痛むのと、頭痛がするらしい。事務所が開いたので、係員に相談すると、
1)医者はコタキナバルと途中のラナウ村に居るがコタキナバルの病院が良い。
2)緊急の場合ヘリコプターが利用出来るが、交信は9時からだし交渉は自分でやらねばならない、又先約があれば遅れる恐れあり。
3)車を予約しているならユックリ下れば車が安全で確実。
 幸い予約した車は待機しているので予定通り車で病院へ向かう。本人の顔色も元に戻り意識もはっきりして、自分で歩けてので、急に悪化することもないようで安心する。

 2時間半でコタキナバル到着。MASへ立ち寄り明日のフライト確認後病院へ行く。受け付けてから1時間半待ってやっと診察。今朝からの病状を説明するも「疲れたのだろう」との診断で3種類の薬を貰う。ショックが再発しないようにホテルで静養しよう。
 ホテルに着いて無事下山した旨東京へ連絡を入れると、連絡を待っていたように「k君のお母さんが2日に他界された。至急自宅へ電話をして欲しい」とのこと。永い間闘病中だったらしい。
 直ぐ電話をして帰国の日程を伝える。それにしても<何かを得るためには、何かを失うのか>今回の山行は我々にとって貴重な体験になった。


 第9日目(8/6)コタキナバルからマニラ
 再び日曜日が来た。コタキナバルの海岸沿いに肉や野菜、魚類のバザールが開かれていた。幸いK君も元気になったので見物に出かける。航空券の確認もOKとなり2時まで自由時間である。日程があれば2・3日ユックリしたい土地である。何よりも物価が安い(1/2〜 2/3)のが魅力。早目に昼食を済ませて空港へ行く。
 離陸直後、コタキナバルの町とキナバル山が窓越しに見えて良い別れとなる。

 マニラ到着後、今回はオタオタせずに出発棟へ行って成田行きの確認を取る。YMCAホテルに荷物を置き、夕暮れのマニラ市街を地図を片手にタクシーで案内してもらう。しかし、キナバル山の旅情に比べると、何処もパッとせず、見物を止めて食堂を捜す(我々はやはり登山者だ)。
 「せっかくマニラに来たのだから名物を食べよう」
 「マニラはスペイン料理が美味い」と運転手に案内してもらうが適当な店がない。結局、腹が減り「このメキシコ料理にしよう」となる。



 第10日目(8/8)マニラから成田空港
 航空会社の都合で7日発の予定便が欠航。代替え便は8日7時発のパキズタン航空となる。今夜の宿は空港近くのホテルを航空会社で負担となる。今まで泊ったことのない一流ホテルで違和感がある。
 変更便も大幅に遅れ成田に夕方ようやく到着。土産品で入山時と同じ位膨れた荷物を抱えて空港を出て家路へ。この時が何より充実した時間でもある。
            * * * * * * * *

   あとがき と ・教訓
 1)文献によるとキナバル山を現地で「アキナバル」と呼び、<死者の聖地>の意味で、死者の魂がこの山に眠ると信じられているそうだ。我々も短い日数であったが、この山に入って敬虔な気持ちになった。特に上部岩稜地帯のガスの中に浮かぶ岩峰は独自なものがあった。

 2)今回初めての国外登山で、トラブルは覚悟していたが、K君の下山時のショックは予想外で当惑した。たいした後遺症もなくホッとした。その他、航空券、座席予約のトラブルは良い勉強になった。いずれにしても、国内登山と基本は同じであり、常に自己を失わず自主的に判断し行動すれば、必ず道は開けると思えた。

3)山岳会代表始め、在京会員、特に委員会のメンバーには色々と心配をかけ、又お世話になったことを感謝します。最後に同行した2名の仲間もリーダーを助けて協力してくれたことが登頂山成功の第1の要因だろう。今回の体験をステップとして、更に充実した登山をしたい。

 注1)マレーシア観光案内センター
   電話:03-2783801.&2
 注2)The Park Warden
    P.O Box626 Kota Kinabaru Saba Malaysia
   Tel:54452&51595
                                            (雪嶺会・会報92号より)
                 * * * * * * * *
                                                  
NEXT:タイム・会計等の資料編
TOP