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<首都圏自然歩道・高尾山から白河の関へ>
 栃木 編 ・・・栃木・佐野駅から福島・白河の関
期 間:平成17年11月3日から11月8日
 
下野国府庁・前殿(復元)             栃木・蔵の道   
  1 はじめに
 今回のトレイルは住まいに近く以前に行った所が多い。そんなモデルコースは省略して連絡コースを辿る。関東平野の中心地域で平坦路が多いし、短期間で荷物も軽いので距離の割には早くトレース出来るだろう。虫歯の通院で時間が遅れ中途半端な出発となったが日暮れ時に入山駅の東武線・佐野駅に着いた。 
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
 
 
2 行動の記録  
    
 総距離177Km―総行動45時間(実績値)
 第1日目 11月2日(天気 晴):佐野駅から佐野市・関川町公園
               (距離4Km・登行+0m)行動1時間
 前回下見していた佐野駅脇の城山公園で野営を考えたが、少しでも進みたい気持ちが強く「1時間でも歩こう!」と駅前の67号線を東進。秋の日は<ツルベ落し>の通り直ぐ日暮れになったが、交通量の多い舗装道を車の騒音に煽られ進む。
 暮れると公園には照明が灯るので遠眼にも判別し易い。東北自動車道手前のホンダ佐野店裏地に小公園を見つけて大樹の下にテントを張った。
 タイム:岩槻駅(14:01)-東武線・佐野駅(16:00)-関川町公園(17:00)テント設営。


 第2日目 11月3日(天気 晴):関川町公園から国分寺町・しもつけ風土記の丘
               (距離28Km・登行+0m)行動7時間40分
 両毛線沿いのモデルコース9・10・11は、一部以前に訪れたので省略して昨夜に続き県道を東進。岩舟町で67号と別れて両毛線脇の広域農道を通り大平下駅前を経て、栃木駅へ向かう。早朝の電車には殆んど乗客の姿は無い反面、新設舗装道があちこちに出来て通勤車が切れ目なく走っている。
 やがて栃木市内を流れる巴波川(うずまかわ)沿いの<蔵の道>に出る。案内板によると、水深が浅く川縁に綱手道を設けて江戸初期から江戸〜日光間の物資の運搬で繁盛していた水路とのこと。
 市街地を抜けて44号線(栃木・ニ宮線)で再び東進。車が多い割には道幅が狭く歩道も不十分で気疲れを我慢して進み、思川の手前でモデルコース<風土記のみち>に出て国府庁跡に向かう。下野国府庁跡には前殿が復元され天平のロマンを感じた。
再び44号線に戻り大光寺橋で思川を渡り国分町に入ると下野国分寺跡,下野国分尼寺跡及び、古墳類(山王、丸塚、愛宕塚、甲塚、琵琶塚、摩利塚)があり、一帯の中央部は<しもつけ風土記の丘公園>と<天平の丘公園>となっている。
 風土記の丘公園の休憩舎にテントを張って公園内を散策する。今日は文化の日で<菊まつり>出店も出て大勢の見物者で賑わっている。又、併設の資料館は無料・開放され<前方後円墳の名付け親・蒲生君平>を特別展示。江戸時代に前方後円墳と命名した栃木の学者・蒲生君平の足跡と各種の前方後円墳の紹介があった。館内に展示された縄文土器や古墳の説明で自然と共生した古代人の暮らしに思いを馳せた。
 タイム:テント発(4:20)-岩舟駅(6:00)-大平下駅(7:06)-栃木蔵の道(8:25)-下野国庁跡(10:40-11:00)-しもつけ風土記の丘(12:00)テント設営。


 第3日目 11月4日(天気 晴):しもつけ風土記の丘から真岡市・口ノ町公園
                (距離29Km・登行+0m)行動6時間40分
 出発は夜明け前だから1時間程は遠近感の無い山影と道路脇のライトだけの世界を歩く。昨日の展示館影響か「この闇の雰囲気は縄文時代と同じでは・・」と遥かな時代を想像してしまう。南東の空から夜明けが始まり、吐く息が白く慌ててヤッケを被る「予報通り今日も好天」で冷え込みが厳しい。
 入山時から一貫して東進し今日も44号線をニ宮町目指して歩く。ニ宮からはモデルコース<名刹と旧跡を訪ねるみち>に進む予定だったが、古代の風景を想像しボーツとして歩いていたら真岡鉄道沿いの県道294号線を辿っていた。終点の白河の関まで北上の一途だから他少の迂回は問題ないが名所の専修寺を見そこなった。
 真岡鉄道の寺内駅で休んでいたら駅前のオヤジさんが「何処まで行くの?」と訊ねたので行き先を言ったら「ソリャー大変だ!」と同情気味の顔をされた。しばらく歩いて今度はおばさんが「おはよう」と挨拶をして同じ質問を受けた。続けて声をかけられるのは珍しい事で、(顔に何かついているのかナ?)と不思議の思った。
 真岡市内に入り五行川沿いに進む。野営の時間帯になったので(適当な休憩舎がないか・・)と捜していると真岡女子高と五行川の間に口ノ町公園が見つかる。人家に近いのが難点だが余り目立ないので野営地に決めて水道で身体を拭き下着を洗濯。10分ほど先の機関車をイメージした独特の真岡駅へ行き大型スーパで食材と酒を購入する。
 夕方、下校時の小学生が数人休憩舎に来て「ここで宿題しよう」とノートと宿題帳を出し30分ばかりワイワイ云いながら、4年生の算数・少数点の加減算、国語は漢字の書き取りをゲーム感覚でやっていた。屈託ない素直な子供達と話が出来るのも旅の醍醐味だ。
 タイム:テント発(4:20)-自治医大前(6:15)-谷地賀橋(7:10)-星宮神社(7:40)-二宮役場(9:15)-寺内駅(9:55)-口ノ町公園(11:00)テント設営。


 第4日目 11月5日(天気 晴):口ノ町公園から茂木町・並松運動公園
                (距離30Km・登行+0m)行動7時間40分
 寝静まった真岡市街を出発。道路灯を頼りに257号線を進み、小林交差点で166号線に入って益子町へ向かう。途中、西田井小学校の手前で<十二社神社・本殿>に立ち寄る。間口・奥行共に1mほどに小さな社だが一間社の流造りとかで、十二権現を祀ってあるとの事。
 今日まで坂らしい所もなく直進路が多いので歩数も110歩/分前後(4,5km/時程度)で歩いているが低い気温のせいか汗も出ない。陶器関連の看板が目立つ益子町を通り今日の目的地・茂木町へ向かう。
 益子駅から1時間ほどで御霊神社に着く。社伝によれば景行天皇(日本武尊の親)の創建によるそうだから1600年前頃になるのか?平成10年記念に整備され<敬神崇祖>の碑が鳥居脇にあった。
 茂木駅の手前に<道の駅もてぎ>を通ると、連休行楽の催しでブラスバンドが賑やかに演奏してお祭り騒ぎだが立ち寄る用事もないので通過。
 並松運動公園は茂木町外れの広大な台地に野球場、テニス場、サッカー場、及び立派な体育館がある。一回りして山林のなかに休憩舎を見つけて野営地にする。体育館のシャワーで「お湯が使えるか」と期待したが時間外で冷水に震えながら身体を洗う。
 タイム:テント発(4:30)-小林交差点(5:30)-十二社神社(6:10)-益子駅(7:25-30)-高霊神社(8:40)-木幡交差点(10:00-10)-道の駅もてぎ(10:58)-並松運動公園(12:10)テント設営。


 第5日目 11月6日(天気 曇り):並松運動公園から馬頭町・富谷橋
               (距離27Km・登行+100m)行動7時間20分
 予報では午後から降雨らしい。その兆候の朝焼けが広がる中をモデルコース<鯉と山あいのみち>を辿る。この県道27号線の茂木・烏山町間(17,5km)は愛称<和の道>と呼ばれ昭和42年に整備、道路脇には千数百本の桜並木が続くので花見シーズンは人気があるポイントらしい。現在は那珂川沿いの294号線・バイパス道が主流で旧道の車は少なく、静かな尾根巻き道で徒歩者向けのコースに満足。
 川辺集落付近でワゴン車が止まり、定年前後の夫婦が「こんにちは、何処まで?」と興味深く言葉をかけて来た。新潟の人で車に炊事道具を積んで国内を探訪している様子だった。自然歩道を紹介して現状を伝えて別れたが1時間ほど進むと、昼食準備中の同じ車に会い「丁度ミソ汁が出来たので、如何ですか!」との好意に甘えてご馳走になった。自由な時間の活用を模索しているそうで、最近はキャビンカーで夫婦連れの<遊行(ゆうぎょう)>が増えているそうだ。徒歩と車とでは行動範囲が違うが夫々の利点を生かせば良い旅が出来るだろう。
 大瀬集落以北は福島県の白河の関まで連絡コースになっている。雨の事を思うと今夜は屋根下の野営したいが、道沿いは民家ばかりで公園らしき所がない。しかたなく、パイパス道への架橋を物色して、舟戸集落の富谷橋にテントを張る。大橋で河原まで空間があるので本降りになったら横からの吹き込みで余り効果は無いかも知れない。
 日没頃から本降りになり夜半中風雨。案じていた通り、天井の橋は役に立たずテントを濡れ放題。加えて橋の樋から集中的に雨水がテント下に浸入して最悪「明日は晴れるので、早目に設営して濡れ物乾かすことにしよう」と近くの酒屋で買った地酒を飲んで横になった。
 タイム:テント発(4:20)-西内バス停(5:30)-大瀬橋(6:07)-川辺バス停(8:30)-烏山大橋(9:40)-富谷橋(11:40)テント設営。


 第6日目 11月7日(天気 晴):富谷橋から黒羽町・総合運動公園
             (距離26Km・登行+100m)行動6時間40分
 小降りの中、雨具を装着して出発するが、夜明けと共に晴れる。トレイルは昨日の延長で和の道を北上するだけで迷う心配はない。2時間ほど進むと<道の駅・ばとう>に着きこの先は、小口・黒羽線(298号線)となる。やがて馬頭温泉郷に着くが早朝で入浴はムリ。10時からオープンの町営・ゆりがね湯は¥500−で日帰り入浴出来るが今日は月曜日で定休日だ。隣地に休憩舎もあり野営に最適なのに残念!今回は温泉に縁がない。
 片田小学校の交差点に<白河まで42km>の道路標示があり、今回のゴールが見えて来た。那珂川に沿って北上して黒羽町に着き野営予定の総合運動公園へ向かう。
 途中、昨日同様に地酒を購入する。旧道沿いの集落で食料店は大型スーパの進出で店仕舞いしているが、酒店は細々と営業している。
 公園に併設して町立・五峰の湯があるが<月曜定休日>で今日も温泉とは縁がない。休憩舎近くに無料の<足湯コーナ>もありテントサイトには最適な環境だが休館日が羨ましい。
 タイム:テント発(4:50)-久那瀬(6:00)-道の駅ばとう(6:45)-片田小学校(9:10)-黒羽役場交叉点(10:30)-総合運動公園(11:30)テント設営。 


 第7日目 11月8日(天気 晴):総合運動公園から白河の関・白坂駅 経由 岩槻駅
                 (距離30Km・登行+300m)行動8時間
 最終日も好天に恵まれてルンルン気分で出発。山間部になって気温が低いせいか南部よりも紅葉しているようだ。伊王野集落で県道27号線は76号線(坂本・白河線)と名前を変えて北上する。いずれも新道・294号線を車は通るので、旧道は地元の車が時々通るだけ。伊王野集落から県境の追分集落までは<義経伝説のみち>と案内標識が数ケ所あるで興味のある人が訪れているようだ。
 沓石集落は、大石に義経の馬の足跡が残る<沓石>に由来。近くに弁慶が使用した<わらじ石>や<たらい石>があったが今は道路の拡張で道の下との説明。又、県境の追分明神(境の明神)は、関東道の東山道と東北道の境にあり峠神として創立は791年・坂上田村麻呂が征夷時に勧請したと解説されていた。
  峠を3km下るとゴール地・白河の関に到着。白河駅行きのバスの時間まで2時間弱あるので、一番近い駅の白坂駅まで6km歩く事にする。手持ちの地図にこの区間がないので、土産店のオバサンに道順を聴く。途中までは、昨年白河駅から入山したルートで問題なかったが、途中で判らなくなり農作業のオヤジさんに再度教えてもらう。白坂からの道は<奥の細みち>を通るので古道のようだった。
 駅近くで反対方向から熟年夫婦と会ったので、お互いの行き先を確認することが出来た。
 タイム:テント発(4:20)-黒羽JA(5:40)-小滝(6:30)-伊王野(7:00)-坂本(7:30)-蓑(8:30)-沓石(9:13)-追分(9:50)-白河の関(10:30-40)-JR白坂駅(12:20-25)-大宮駅(14:45)。


 3 あとがき(教訓と所感)

1)今回のトレースで東海自然歩道の終点・高尾山から東北自然歩道の起点・白河の関までをつなげた。これで鹿児島・佐多岬から自然歩道を辿って青森・竜飛岬までのトレースも残りは青森県内だけになる。環境庁が策定した長距離自然歩道は日帰りコースを主眼に並行コースや行き止まりコース等、多彩に設定され全てを踏破することは難しい。しかし、九州の東ルート、中国の瀬戸内海ルート又、東北の日本海ルート等は、完歩に拘らず一期一会の縁を大事に歩きたい。3年前、軽い気持ちで東海自然歩道を歩き初めたが「芋ズル式?」にテーマが広がるのも、素晴らしい魅力がこの国にあるからだろう。

2)今まで、重量軽減のために酒は焼酎かウイスキーを持参していたが、今回からテーマのひとつに<通過地の地酒の試飲>を加えた。小さな集落では食料店はないが酒店はあるので、ワンカップ位なら荷物にも影響は少ない(ガラスカップはプラスチックカップに詰替要)ヨーロッパのワインに相当する日本酒は、食文化のひとつと云えるし、テント設営後の一杯は左党ならずとも心身をリラックスさせてくれる。こでまで、多くの銘酒地を通過したので、気が着くのが遅すぎたようだ。 
 今回の試飲は、6日:烏山町・島埼酒造の<東力士>、7日:黒羽町・渡辺酒造<旭興>。

3)関東地域は人口が多いので、トレース中はハイキング特に中高年・熟年の人と出合った。自然との触れ合いは加齢と共に重要な要素になるので好ましい傾向と思える。北米や欧州のレベル迄にこの国も成熟して「荷物を担いだ変人」と物珍しいがられる時代から卒業して欲しい。

4)自然歩道のポイントである「史跡探訪」で、神社仏閣関連には余り興味が湧かないが古墳や古代遺跡には立ち寄りたくなる。特に縄文時代や先土器時代のそれは悠久のロマンを感じる非日常的な空間になる。これまで野営地として、神社仏閣が私有地のせいもあるが泊まる気がしない。しかし、遺跡等は公園になっていることが多こともあるが抵抗無くテントを張って来た。一晩の宿泊とは云え、場所の雰囲気は重要な要素で両者のランク差は大きい。「人は独りでは生きられない」と云うが、実は「人間は人間だけでは生きられない」と云う古代人からのメッセージ<自然との共生>をそこに泊まることで受け取るようだ。

5)体脂肪の消化を予定に入れて行動食料を減らして計画した。行動中は体脂肪燃焼に必要な糖分取得に配慮し有酸素運動の範囲内での行動に努めた。結果は、摂取/消費がバランスして大幅な体脂肪の消化はなかったようだ。理由としてA)平坦路が主流で且つ、季節柄発汗量も少なく距離の割には消費カロリーが少なかったB)これまでの入山時の荷物重量は17Kg程度だが日数が少ないことや装備の軽量化(極力品数を減らす)で14Kg程度であった。
今後は、体脂肪燃焼時の必要糖分熱量比を低くする(50%から30%へ)体質に努めたい。
 概算総摂取カロリー(Q)=17,440 KCAL
 概算総消費カロリー(E)=17,540 KCAL

6)食料・装備について
1:主食の洗米220gを夕食に作り、1/2を翌朝&行動食用に残す。昼はラーメン+餅。
2:行動食はビスケット、チョコレート、煎り大豆、ソーセイジ、マシュマロ、飴を2時間毎程度に摂取。
3:テフロン材のシュラフシーツを新作、夏用薄シュラフと併用(合計重量=1、1kg)。
4:入山時総重量=14kg/7日分(軽量化の効果有り)。
5:サック用雨具試作(ビニール袋+保護シート)重量=350g。保護シ−トを更に軽量化要。
6:燃料ガス使用量=80g(総時間180分=6泊)。
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