第3回 戸別訪問による署名活動 08/7/12(土)
アツーイ!! 猛暑のなか11人が署名活動

 7月12日(土)梅雨の晴れ間、久しぶりにのぞいた太陽はすっかり夏のもの。ジリジリと照りつけ、気温はウナギのぼり。最高気温は33.3度(横浜)まであがりました。この暑さのなか、生田9条の会の戸別訪問による署名活動が行われました。今回は、西生田4丁目地域で(生田教会付近)、午前10時半から1時間ほど行われ、11人が参加しました。

 署名をお願いするチラシを前もって全戸配布しておいたところに、係りが用意した署名用グッズと地図を持ち2人1組で行動開始。さすがに始めの数軒は緊張しましたが、ほとんどの人がこれまで2回、3回と参加し慣れてきており、徐々に対話ができるようになってきています。
 1時間ほどの行動でも汗だくになり、涼を求めて近くの喫茶店へ直行。そこで集計・反省会をおこない、各グループから署名数と特徴的なできごとなどを出し合い、互いに意見を交換しました。(今回は、初参加の方が1人、暑さで体調を崩され途中帰宅された方が1人ありました)
 
 対話ができれば、考えもわかるし工夫もできる

 次に集計・反省会で出た感想などをまとめてみます。
《留守について》
●土曜日の午前中ということでなのか、留守宅が半分以上あった。
●アパートは留守が多いし、面会できても「忙しい」「今、誰もいない」などお決まりの口実で断られることが多かった。
《断られた》
●対話するなかで駅宣用のチラシを見せたところ、「これは共産党っぽい表現だ、あなたも共産党か」と言われたので、「これは私たち生田9条の会が作ったチラシです。共産党がやっている会ではありません」と9条の会のリーフを見せて説明した。
●ある家では、「公明党が与党に入っているのだから、戦争などするはずがない」と言ってきたので、「その与党がイラクに自衛隊を派遣し、違憲の空輸活動をしているのですよ」と反論してきた。
《こんなことも》
●「立場上署名はできないけれども、9条の運動はすばらしいものだと思っています。戦争中は大変な思いをして生きてきたし、今もひどい世の中になってしまいました」と思いがけず共感してくる人がいた。
《署名してくれた》
●ベ平連の活動家だった人の親戚だという若いご夫婦は、好意的に接してくれ、賛同者にもなってくれた。もちろん署名もOKだった。
●日頃、近所で9条の会の活動などをしているHさんの家の近くでは、みんな丁寧に話を聞いてくれうれしかった。署名数も多かった。
●1人暮らしのアパート住まいの青年2人は、熱心に話を聞いてくれ、署名をしてくれ、ニュースも読んでくれるという、今度学習会に誘いたいとも思った。
《事前配布のチラシについて》
●前もって署名をしてくれているところもあり、心強く思った。
●私の担当した地域では、事前に配ったチラシについては、28人中2~3人の人が知っていた。
●チラシを読んでいてくれた奥さんが、家の中にいるご主人に賛同者になってもいいかわざわざ了解をとりにいって賛同者になってくれた。
《9条の会の紹介のしかた》
●全国8,000を越す団体がアピールに賛同しそれぞれの9条の会をつくり活動していて、その中の1つが私たちの会なのだ、と話すと私たちの素性を信用してもらえ猜疑心を解いてもらえるような気がしている。
●「賛同者になってほしい」と話すよりも、「ニュースを配ってもいいですか」と気軽にお願いするほうが相手の警戒心を解くようだ。
《その他》
●9条の会のカラーリーフが、1枚10円もして無差別に配るのがもったいないのであれば、私たちが独自に安くつくったらどうか。このリーフは、アピールが載っていて発起人の写真もあるので、9条の会の運動を説明するのに役立つと思う。
●ともかく暑すぎて、こんどまた夏にやるのだったら、もっと涼しい時間帯を選んだ方がいい。

 初参加の Sさんの感想

 「一戸ずつ訪問してベタに署名をお願いするこのような活動には、初めて参加した。暑くてたいへんだったが、やっぱり足を動かさなければ駄目だと思った。さっきの若い2人など、ニュースも読んでくれるといい、携帯の番号も教えてくれたし、かなり力になってくれそうな気がしましたよ」

 話ができれば40~45%の確率で署名
 今回の活動の集計では、96家庭と対話しそのうちの44筆の署名をいただき、約45%の確率でした。留守の家庭は対話した家庭数以上ありましたが、それでも話ができた半分近くの人が署名に応じてくれるのですから、これは驚きです。ちなみに前回(5月18日)は127軒中51筆の署名で、約40%になっています。
 その場でお願いしても、態度を決められない方や、忙しくて対応してもらえない人、留守の方も含めかなりありますから、私たちのこの活動がきっかけになってあらためて平和や憲法について考え直してくれる方が増えていくものと期待していいのではないでしょうか。息長く続けていくことこそ、その成果が表れるものと思います。

 うまい話し方も、度胸もついてきた
 また、第1回からこれまで参加してきて、初対面の人と話す度胸も、署名をお願いする話し方も数段アップして、始めのころより緊張しなくなり、余裕を持って臨めたという声も出てきています。また、2人でグループになって行動するということで、励まし合い、お互いを頼りに気脈を通じながら、気後れせずに、パートナーの上手なところを参考にしながら“やる気”が出てくるのが不思議です。参加者も3回とも10人を超えています。
 今回のように夏場の行動は、熱中症などの対策をガッチリしながら、事前の配布チラシの工夫もしつつ、この次もいっそうがんばりましょう。

「平和憲法ですね」と応えてくださる人びと
Kさん(三田在住)

 初体験の個別訪問署名活動は、経験者との2人組みで少し安心。新築の1区画を訪ねるが、どこもインターホン越しに話すことになる。顔を合わせてお話できたのは、10軒ぐらい。「事前に配布のチラシ読みました、署名だけでいいんですね」とドアを開け署名してくださった30代男性。車に乗る時に「平和憲法ですね」と快く一筆くださる方。「自民党嫌いだからと一筆、ところで9条って何でしたっけ」と20代の女性にスラスラ答えられず、次回までにポイントが言えるようにしようと宿題をいただく。「球場」と聞き間違えと解り互い苦笑しながら断られてしまう。「多いほうがいいですね」と家族全員を書いてくださった男性。何よりみんなで署名活動をしようと、集ったことをうれしく感じられた1日でした。都合のつくときに参加して行きたい。世界からも選ばれている平和9条を伝えるために。

 みなさんも、ご参加を!
 こんな訪問署名活動にみなさんも参加してみませんか。よし、挑戦してみよう、という方は事務局までご連絡ください。次の日取りなどが決まりしだいお知らせします。

 

戸別訪問による署名活動開始
どきどき、わくわくの戸別訪問!

08.5.20更新

 3月15日の日曜日の朝10時、生田の会で現在すすめている「憲法9条をまもり輝かす」署名の戸別訪問を長沢地域で行いました。事前に署名をお願いするチラシや資料を配布し、参加者11人が2人1組になり訪問。
 初体験の参加者が多く、始めるときは不安でした。勇気をだしてチャイムを鳴らし対話してみると、9条への熱い想いを直に感じることができました。
 今回の訪問活動を積み重ねることが、草の根から9条を守る力になる。これが参加者の実感です。つぎに参加者の感想を寄せていただきました。

●Aグループの感想
 「夫と相談する」「この署名をどこに提出するの?」「忙しいから」「はい、わかりました」と応答は様々です。「署名はできないけれど9条は必要だ」という方もあり、総じて7割が9条に賛成です。
 9条といっても何のことかわからない方もいて、「日本を戦争にさせないための9条です」と訴えると理解してもらえました。
 短時間の活動ですが、地域の方と共感できる楽しさがあります。9条を地域で掘り起こし、地域の方々と一緒に育む活動、これが戸別訪問ですね。

●署名集め、地域に入る
 1時間くらいでしたが、団地を訪問しました。留守が多いと予想していましたが、夜勤明けでも記載した署名簿を出してくれた労働者。お友達をさそって、「戦争は嫌だね」と言って署名してくれたお年寄り。「駅前で宣伝してますね」と言って署名してくれた主婦。歩けば署名してくれる人はいる、という実感が得られました。またやりましょう。
 
●“息子を戦争にとられたくない”
 ほとんどの家が留守で、話が出来たのは8軒ほどだった。事前にビラが配ってあったので宗教団体と間違えられるようなことはなく、この事の重要性を肌で感じた。留守宅には「また、伺います」という名刺を入れて、後日、訪問できるようにした。
 「生田駅での宣伝見てました。家には2人の息子がいるので、戦争になったら困るので署名します。」と言う方もいて、色々と会話が出来てよかったと思った。

●戸別署名活動
 「平和は大切だけど・・。」留守宅が多い中、対応してくれた女性は迷っている様子。「私達は9条を守るの一点で集まっており、特定の宗教や政党とかでなく色んな人がいるんですよ」コンビの大村さんが付け加えると「それなら」と請願署名をし、賛同者にもなってくれました。このような会の性格は大切です。きちんと説明することの重要性を感じました。コンビだと対話を楽しむ余裕が生まれたのも良かったです。

●「9条署名」戸別訪問の 一コマ
 勇気を出してドアチャイムを押し、ドアを開けたご主人にあらためて『署名のお願い』をできないかと頼んでみると「憲法9条ねえ。私は自衛隊OBだけれど、もし攻められたときはどうするつもりなのですか? 交戦権がなければ応戦できないし、友軍も守れないではないか。イラクに派遣された自衛隊は何の戦闘行動もしなかったが、もし攻められたとき集団的自衛権がなければ反撃もできない。一緒に闘っているときに友軍を見殺しにするような卑怯なことはできないでしょう」の答え。私はこれを聞いて次の言葉が出なかった。これ以上話しても無理と思い、その場を切り上げたのだった。
 今でも「友軍を見殺しにするような卑怯な行動はとれない」という言葉が忘れられず、9条の立場とはこのようなときどう答えればよいのだろうかと自問している。初めて「署名」の戸別訪問活動に参加したが、いろいろな相手にパニック寸前だったが、それでもいい勉強をしたように思う。


自・公政権、歴史的敗北
 安倍自公政権による教育基本法改悪や“改憲手続き法”の強行採決は、政権の安定さを示すというよりも、正攻法では無理なので「郵政民営化」選挙で得た多数を悪用しての悪あがきを示していたともいえます。今回の参議院議員選挙では、年金・増税・政治とカネの問題をめぐる安倍政権の姿勢とともに、これらの強引な政治手法と路線に対しても明確に国民の否の意思表示がなされました。しかし、楽観することはできません。安倍首相は政権に居座り、憲法“改正”をはじめ戦後レジームからの脱却という改革の方針は国民の理解を得たと強弁しています。政権運営が厳しくなればなるほど、どうでもよい点では勝利した民主党と妥協をしつつも、改憲の動きを強め民主党を揺さぶることが目に見えています。それに、マスコミの報道の問題もあって国民の目が憲法改悪にまで届かず、護憲の党派が躍進したとはいえない状況は、安倍政権の開き直りが益々進むことを予想させます。
 そうであればこそ、有権者の過半数が、『9条改憲は否』の意思をあらわすことが益々大切になってきています。解釈改憲で9条を完全に骨抜きにする動きと、3年後の国民投票を目指しての9条改憲の動きに対して、私たち国民ひとり一人が明確に否の意思表示をしようではありませんか。自民党の改憲案などの意味が明らかになればなるほど、自民党支持者や企業家も含め、多くの人の間に憤りと危機感が広まってきています。平和の大切さ、改憲案の危険さを訴えていくことで多くの人が9条を守り輝かすことに賛同してくれています。

2万筆を目標に 署名活動開始
 生田9条の会の運営委員会では、政府や国会議員に憲法99条の憲法擁護義務にもとづき、9条を守り輝かすことを求める署名活動に取り組みましょうと、賛同者をはじめ多くの方々や団体に呼びかけることにしました。生田地区有権者の過半数約20,000人を目標にした壮大な運動です。
 9条の会アピールは、「一人ひとりが9条を持つ日本国憲法を、自分のものとして選び直し、日々行使していくことが必要です。」と訴えています。憲法16条に保障された請願権を堂々と行使し、生田地区有権者の過半数をめざした請願署名を成功させるために、みなさんのお力とお知恵をお貸し下さい。

1
資料チラシのご活用を  署名用紙とともに、「ご存知でしょうか? 憲法9条がどう変えられようとしているか!」と題して、自民党改憲案を分析した資料チラシを作成しましたので是非ご利用下さい。(必要数を事務局へご連絡下さい)
2
できるところから  まずは、ご家族友人などできるところから始めませんか。15歳以上(“改憲手続き法”施行時には18歳で有権者)生田地区在住であることに必ずしもこだわりません。千里の道も一歩から、まず始めることが大切と考えています。署名をして頂けた方にはさらに署名活動に取り組んで頂けないか頼んでみましょう。署名の輪が網の目になった時、署名は加速化され目標も達成されます。記入した署名用紙は、最寄りの運営委員・事務局員に連絡いただければとりに伺います。また、署名用紙をFAXで事務局へ送ることもできます。
すでに署名活動を始めた方もおります。ご近所の方から10筆集めた74歳のHさんは、無理だろうなと思っていた知人が快く署名してくれたと喜ぶとともに、過半数までやらなければと意気ごみを見せています。その他、20筆を集めた南生田のHさん15筆集めた栗谷のFさんなど、みな顔が輝いておりました。最初の一歩をふみだすことが大事のようです。

 

 


 

「わが子が戦争にいく夢をみました」と署名する女性も

 9日の生田駅での宣伝活動には、週の始めの月曜日にかかわらず13人が参加、「9条を守り、輝かす」署名活動や、「9条大好き」チラシなどを手渡し、ハンドマイクで平和を守り9条の改悪の動きにストップをかけるため参院選挙はとても大事ですと訴えました。
 この日の宣伝では、国民投票法(改憲手続き法)が成立したすぐあとに、安倍首相はいままでの政府解釈で禁じられてきた集団的自衛権を行使できるようにするための方法を研究すると称して有識者懇談会なるものをつくりましたが、この動きも日本を戦争に導く9条の実質的改悪への危険な企みとして指摘されていました。
 生田9条の会では、国民投票法を改憲にふさわしい国民的な議論を保証し、公平で民主的なものにしてほしいと、総力をあげて宣伝活動をつづけてきました。国民投票法が強行審議、強行採決のあげく18項目もの付帯決議を付け5月14日に自民・公明の賛成で成立してしまいました。これでひとまず国民投票法への集中的なとり組みは終わり、今後、カレンダーで「9」のつく日(毎月9・19・29日)に宣伝活動を行うことになりました。戦争はイヤだ、平和憲法を守ろうという運動がいよいよ本番を迎えました。
 生田駅南口の平日の夕方6時半過ぎといえば、勤め帰りと、明治・専修の大学生の帰宅時間とかさなり、電車が到着したときには一瞬ですが、階段がいっぱいになるほどの通行があります。この中、勤め帰りの女性が、署名活動をしているのを見つけて立ち止まり、「昨日の夜、夢を見ました。私の子どもが戦争にいく夢だったんです」と言って署名されていきました。一人の母親としての願いをこめてボールペンをとったのだそうです。この思いをなんとかして国会に届けたいと思います。


6月19日(火)生田駅にて宣伝活動を行いました


 昨年10月27日、『生田9条の会』を立ち上げて以来約7ヶ月、小田急線生田駅頭、読売ランド駅頭などで「日本国憲法と9条を守りましょう」と訴えてきました。
 生田9条の会は思想、信条、与党支持者、野党支持者を問わず、“戦争に反対し憲法9条を守る”という一点で結集し活動をしています。参加する皆さんがそれぞれ仕事を持っているので、次の宣伝日をいつにするか決めるのが困難でしたが、そんな中でも国民投票法成立までは臨戦態勢で宣伝を続けてきました。
 6月からは「9」のつく日に宣伝活動をやろうと決め、皆さんに連絡を取りました。急な取り決めにもかかわらず、6月19日(火)午後6時半には、生田駅頭に13名も集まりました。さすがボランティア精神に厚い「生田9条の会」の皆さんです。
 宣伝用具として定番となったのぼり旗(3)、ハンドマイク(2)、カンパ箱(シルクハット)、9条グッズなどを持参。
 南口、北口の両方で、ハンドマイクで各人が訴え、恒例になった「9条」シール投票も手際よく集められるようになり、さらに今回から初のお目見えの「9条署名」もとりくまれ、「大好き!! 憲法9条」のチラシも手分けして通行人をひとりも逃さぬように配られていきました。

 ・シール投票結果…9条を「守る」41名、「守らない」0名、
             「わからない」1名
 ・9条署名…10筆
 ・カンパ…200円
 ・チラシ配布数…約350枚

 今、配っているチラシは検討に次ぐ検討、実際に配ってみてさらに練り直すなどの結果、読みやすく、わかりやすいものができました。
 「憲法9条を守りましょう」「憲法9条をよろしくお願いします」などの声をかけながらチラシを配りますが、受け取ってくれた方には「ありがとうございます」「みんなで憲法9条を守りましょう」などお礼の声もかけています。中には「頑張ってください」と返してくれる人もいて、それがだんだん多くなっているように思います。チラシを配ることは、自分と受け取ってくれる方との、チラシを通じての会話です。

 このところ、国会では多数の横暴がつづいています。昔から「人の噂も75日」と言われてきましたが、年金問題や住民税増税、不透明な政治資金問題、天下り問題など12日間あれば国民を騙せるかのように国会の会期延長まで強行しました。国民はそんなにバカではありません。皆さん、がんばりましょう。

 


6月9日(土)の登戸駅初の宣伝行動


生田9条の会が、JR登戸で宣伝活動をするのは初めて
新しくなった駅舎の広いエントランス(?)の上で、午前11時からちょっとドキドキしながらも「大好き!!憲法9条」の手作りのビラを1枚1枚、声掛けしながら渡しました。
生田・読売ランドの宣伝活動だと10数名の会員の参加があるのに、今回は7名といつもよりちょっと少ない人数で残念。しかも、マイクは使えないので、1時間の間アコーデイオンの伴奏といつもの旗と看板に支えられ、恒例となった「シール投票」も行いました。結果は「憲法守る」が35票、「変える」が2票、「わからない」1票でした。初めてだからか生田駅よりビラの受け取りは少なく感じましたが、わざわざ「下さい」と寄って来る人や、わりと中・高生の受け取りが良かったように思いました。

 たま9条の会の呼びかけで多摩川で行われた「9の日」行動は、小田急の電車から見てくれた方いらっしゃいますか? 如何でしたか? たまたま、電車が事故の影響でゆっくり走っていたので、もしかしたら思ったより見てくれたかも・・と思っています。横断幕の前で円陣を組んで電車に手を振ったり、活動紹介や、歌を歌い、なごやかに集いました。
 とにかく、いろいろなことを試しながら、楽しく9条の大切さ、平和のありがたさを少しずつでも伝えていきましょう!!


国民投票法成立後も運営委員・賛同者による宣伝活動活発に



 国民投票法案が成立してしまいましたが、これからは本腰を入れて、現行憲法を守るというアピール活動をしていかなければなりません。そこで事務局で、「憲法9条」の良さをアピールするチラシを作成しました。(下の見本参照)
 5月29日(火) 生田駅南口で6時から1時間ほど、駅頭宣伝活動を行いました。宣伝には、11人が参加しました。シール投票もいっそう熱が入ります。


左は、シール投票をお願いし、チラシを渡します。上は、この日のシール投票の結果。

 

【大好き!! 憲法9条チラシ 1面】

【大好き!! 憲法9条チラシ 2面】

 



5月26日(土曜)午後4時から5時、読売ランド前駅で宣伝活動



14日に、国民投票法が通ってしまいましたが、ここで、気落ちしているわけには行きません。3年後に18歳以上になる子達には、特に憲法9条の問題に関心をもってもらいたく、継続して訴えていく必要があるということで、新しく分かりやすいチラシを作り、シール投票も含め行いました。



生田駅、読売ランド前駅でシール投票を含めた駅頭宣伝

 

5月9日(水)夕刻5:30-6:30生田駅(南口・三田口)
13日(日曜日)、夕刻4:00-5:00読売ランド前駅(南口)

 

 改憲のための「手続き法案」許すな、の宣伝活動を行いました。13日は、日曜日という、初めての試みでした。 両駅ともシール投票という新しい宣伝方法が盛り込まれ注目を集めていました。<写真>
シール投票という宣伝を体験したお二人から感想が寄せられました。

若者よ、憲法9条に無関心でいないで!

箕輪 幹夫(南生田在住)

 


 5月9日(水)午後5時半から6時半までの一時間、生田駅南口で、「憲法9条を守る・変える・わからない」のシール投票行動を行いました。私はちょうどこの日、平和行進で高津から宮前・多摩・麻生区と歩き沿道の人々に「核兵器をなくそう、憲法9条を守ろう」と、一日中訴えてきた余韻もあり、いつになくこのシール投票にも力が入ってしまった。
 夕方で勤め帰り・買い物帰り、中高大学生など大勢の人が通りすぎていく。手造りのノボリ旗を建て、ハンドマイクで「国民投票法案は、問題がいっぱい。ストップさせよう。憲法9条は世界の宝」と、交代で訴える、チラシを配布する。青・赤のシールを持ち「憲法9条守った方がいいですか?。変えた方がいいですか?。分からない」どれでしょうかと、聞き集計表にシールを貼っていく。会のメンバーは知らず知らずの内に分かれて宣伝を行っている。
 私はシール係りとなって訴え始めた。最初、集計表は旗ざおにくくりつけていたが、反応が今一つなので、エエイとばかり、集計表を手に持って「さあ、あなた、日本国憲法第9条、守った方がいいか、変えたほうがいいか、わからないか、どっちなの。シールを貼って答えてください」と行き来する人たちに呼びかけていった。
「守った方がいいです」「そう、じゃここに青のシール貼って」「変えるべきです」「はい、ではこっちに赤のシール貼って」「ところで、なぜ変えた方がいいか良かったら理由聞かせて」「北朝鮮や中国が軍事力を強めているから‥」「ありがとう、このチラシ読んでください」「‥‥」無言で通りすぎていく青年、大学生、若い男女。「憲法9条知ってますか?」首を左右に振る若者。「日本はもう二度と戦争はしない。軍隊は持たないと決めた戦争放棄の条項ですよ」こちらも必死に呼びかけた。
 多くの人が青のシールを貼ってくれたが、中には先の理由などで赤のシールを貼る人もいた。一番くやしいのは、若者が何の反応も示さず通り過ぎていくことだった。未来を担う青年、やがて父親・母親となる人が憲法9条に無関心でいてほしくない。そんなことを強く思ったシール投票行動でした。

読売ランド前駅でのシール投票

(Yさん)


 13日(日)読売ランド駅でのシール投票、全体的に人が少なかったし、私の気の弱さもあって応じてくれた人は3人だけでした。あとは「いそがしい」とか断られることが多かったです。
 チラシを読んでいて応じてくれた男子学生2人とも「変えるべき」「今の案はあいまいだけど自衛のため、自衛軍は必要」とのこと。
もう一人賛成してくれた女性は「いつも家族で話している」「生田9条のHPを見てみます」と言ってました。
 若い人は「自衛は必要」で「変える」が多いのかなあ・・・

 


4月28日(土)、国民投票法案の参議院徹底審議をもとめ、
生田駅で緊急宣伝行動

 4月13日に衆議院で強行採決され、参議院で審議されている国民投票法案の徹底審議と廃案を求める宣伝行動が、生田駅で6時から1時間ほど行われました。直前の雷雨にもかかわらず、12人が参加し、それぞれハンドマイクで訴え、チラシを配布しました。
 土曜日の夕方ということで駅利用者は平日より少なめでしたが、ハンドマイクで国民投票法案のどこに問題点があるのか訴える言葉には自然と力がこもります。事務局で独自につくった「ストップ 国民投票法」のチラシも完成、自由法曹団のリーフや「5・3平和のつどい&パレード」への参加を呼びかけるチラシも、路上でセットされ手渡されます。道路の端には「憲法を守ろう」などのスローガンが入ったビニール傘もならびました。これは、「平和のつどい&パレード」に参加するため、生田教会での「映画 日本国憲法」の上映会(4/22)のあと有志で趣向をこらして作ったものです。


改憲手続き法案の緊迫した国会情勢にらみ、
連続の駅頭宣伝
(ニュースNo.4より)

 国民投票法案の反中立・不公正な内容を住民に知らせ、直ちに行動に立ち上がろうと呼びかけるともに、衆議院での強行採決に抗議し、参議院での国民投票法案の徹底審議、廃案をもとめる生田・読売ランド前駅頭での緊急の宣伝活動が連続してとり組まれています。

4月5日(木) 読売ランド前宣伝は、11人が参加
4月14日(土) 「国民投票法案」が13日衆議院で強行採決・参院送付となり、急遽、生田駅午後3-4時の緊急宣伝行動を当日朝によびかけ、16人を超える参加者
4月17日(火) 午後4時~5時、生田駅南口の予定が雨天中止
4月19日(木) 午後6時~7時、生田駅南口。12人参加(初参加者あり)
4月21日(土) 2時~3時、読売ランド前、7人参加



3月23日(金)生田駅前にて緊急宣伝行動

 3月23日の生田駅頭での宣伝行動(夕刻6-7時)では、事務局から2日前の連絡にもかかわらず、11人が参加し、国民投票法の「自由法曹団」のミニ・リーフと、あわせて、ファクス行動を訴えた「生田9条」の小さいチラシをまきました。1時間で550枚もまき、行動参加者もびっくりです。


3月10日(土)読売ランド前駅で国民投票法案を廃案に、
憲法9条を守れと宣伝

 3月10日の読売ランドの駅宣は、運営委員会の前に14人が参加し、自由法曹団のパンフを配りました。
 この日は東京大空襲の日でもあり、1時間に430枚くらい受け取ってもらえました。新しくできたのぼり旗や、「戦争はコリゴリ」と書いたゼッケンをつけたゴリラのぬいぐるみなど通行者の目を引いていました。

 


3月2日(金)「ストップ・ザ改憲法案」日比谷野音に参加して


 集会の内容は共産党・社民党代表挨拶で「負ける闘いではない」と。日弁連の弁護士さんが改憲法案の不当性を訴えました。また、コメディアンのニュースペーパーが、阿部首相の物真似で面白おかしく、改憲を鋭く批判していく漫談がとてもよかったです。アピールを読み上げ、その後衆議院と参議院まで抗議のデモ行進をしました。
 生田9条の会から8名参加。「2000名の集会だった。60年安保の時に比べたら少なくてがっかりした。酒もタバコも止めて長生きしてこの9条を守りたい。」という小林さんの元気な感想がありました。
 FAX運動とともに改憲手続き法案阻止、廃案へ、さらに大きく行動を起こしていきましょう。


2月24日(土)生田駅にて宣伝行動

生田駅南口・北口にて、憲法改悪反対と国民投票法の廃案を求める宣伝行動を行いました。冷たい風の中13人が参加、1時間余りで430枚の国民投票法に反対するチラシを受け取ってもらいました。拡声器2台、幟旗も2旗用意し交代でスピーチし、アコーディオンと歌もありました。新しい方が2人参加しました。

第2回学習会
お話 伊藤 清さん

(参考:伊藤真執筆「中・高生のための憲法教室」V24、雑誌「世界」掲載)
伊藤さんのレジメはこちらからダウンロードできます→クリック


 去る2月17日(土)に、第2回学習会が読売ランドの喫茶「モンタナ」で開かれました。あいにくの冷たい雨にもかかわらず19名が参加し、この日のテーマである「日本国憲法と天皇制」について伊藤清さん(南生田在住)のお話を聴き質疑応答を行いました。学習会初参加の方も3人出席し伊藤さんのレジメに沿った1時間あまりのお話に耳を傾けました。
 伊藤さんが天皇制のことを考えるきっかけになったのは、司馬遼太郎の「日本の歴史は、天皇の問題をはずすと物事がよく見えるね…」という文に接してからで、たいへん驚きを禁じ得なかったこと、逆に「天皇の問題をはずすと物事が見えなくなり、こだわると歴史がなんとなく見えてくる」と感じていたのだった。事実に即して問題を捉え、若者の想像力を刺激するようなことを投げかければ、より多くの若者が改憲阻止の運動に参加してくれるだろう。
 伊藤さんは、まず憲法で決められている象徴天皇制とそのあり方についてご自分の意見から述べました。
1.「象徴」について……象徴・シンボルとは抽象的観念的で形のないものを形のあるもので表現することだから、天皇であれ過去の偉人であれ「生身の人間」が象徴にはなりえないもので、その上象徴天皇は国民の上に天皇を位置させるもので、国民主権という憲法の基本的原則に違反する。
2.「世襲」「男系男子」について……皇位は、憲法第2条で世襲のものとし、皇室典範第1条で皇統の男系男子が継承すると決めているが、世襲とは身分出身による差別であり、男系男子というのは性による差別であり、門地身分による差別を禁じ両性の平等を原則とする憲法に違反している。現憲法には、差別を内包しているという矛盾がある。
3.「女帝」について……両性の平等原則から女帝を認めるのが憲法に則る。皇太子に男の子がいないということで象徴天皇制が揺らいでいる。今ほど天皇について論議されたことはこれまでになかったこと。「男系男子」という皇室典範の継承方法では、悠仁親王の誕生で皇位が東宮家から秋篠宮家に移ることになる。
 以上3点を述べたあと伊藤さんは、安倍首相は、あくまで男系男子を堅持し、自民党「新憲法草案」の前文でも冒頭に象徴天皇制を維持することを明記し、国民主権よりも上位に扱い「天皇を中心とした神の国」路線の強化を貫くだろうと指摘し、次にレジメをもとにお話を進めました。
4. 天皇制タブーについて……中世から「聖(天皇)」と「穢(え・けがれ)」という差別をつくり出した。明治になって大日本帝国憲法第1条で「大日本帝国ハ、万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とし、第3条で「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラス」とし、統治権と神聖不可侵性を憲法で決めたことと、その半年後に発布された教育勅語により天皇への無条件服従を強いたことで思想差別、天皇制タブーが強固になりほとんどの人が天皇崇拝と国体(天皇制)護持を肉体化したともいえる。さらに家父長的家族制度で家族のなかにまで天皇制が徹底され、のちに徴兵制、国家神道、不敬罪、治安維持法などで天皇制を支える支配のしくみが完成した。こうして天皇制を批判することはタブーとされていった。
5.国のはじまりと天皇制について……2000年前は弥生時代、2600年前は縄文晩期で、天皇どころか日本という国さえなかった。6~7世紀にかけて大和で統一政権ができ、7~8世紀初めにかけて古代律令制と天皇制が成立、少し遅れて「日本書紀」が誕生したというのが日本という国のはじまりの定説である。天皇号については、初めて使ったのは40代天武天皇からだったし、古代末期から明治前までの875年間使用されてこなかった。正式に外交文書に使用されたのは1936年(昭11)だった。また、継体天皇は渡来人だった(?)という説、皇位継承争いで天皇家は血に塗られていること、摂関政治全盛期には殿上人さえ摂関家の動向に左右され、室町末期には日々の食事に事欠くことさえあったなど、天皇がいつも支配的な地位にいたわけではなかった。
6.日本国憲法成立の背景──象徴天皇制と戦争放棄について
(1) 第2次大戦末期、敗北必至の情勢の中、天皇はもう一度戦果をあげてからの和平交渉をねらったり(45.2)、三種の神器を心配してポツダム宣言受諾を引き延ばした(45.7)ことにより沖縄戦、東京大空襲(45.3)、広島・長崎原爆投下(45.8)へと決定的な攻撃を受けることになり、さらにポツダム宣言を受諾し降服したと発表しなかったことで大阪大空襲(45.8.14)へとつながり被害を広げていった。それにもかかわらず敗戦を「終戦」といい「ポツダム宣言受諾」を「共同宣言受諾」といい(45.8.14~15)、戦後初の外国人記者会見で天皇は「米英開戦の責任は東条にあり」と声明を出し(45.9.25)戦争責任回避と天皇制維持に狂奔した。
(2) いわゆる人間宣言(46.1.1)についても、「現人神」という天皇の神格性は否定したものの、天照大神の末裔であり、国体を奮い起こせと宣言したし、食糧メーデー事件でも「朕はたらふく食っているぞ」と書いた青年を国体護持のため逮捕した。
(3) 政府、政党だけでなく民間でも憲法論議は活発に行われ10案が出され、なかでも憲法研究会のものをGHQは高く評価した。明治憲法を少しいじっただけで天皇の地位を温存した政府案は不評。政府に期待できないと判断したGHQは1週間で草案を作成(46.2.5)し政府に渡す(46.2.13)。
(4) マッカーサー元帥は天皇無しの占領には「少なくみても100万の軍隊が必要であり、それを無期限に維持」しなければならないと本国を説得、天皇制の維持とその利用を図るため象徴天皇制として憲法に残すには、日本の天皇制存続に反対するソ連、豪、中国などが入る極東委員会を説得できないと判断し、日本が再軍備ができないようにする戦争放棄と戦力不保持(9条条項)を決めた。さらに、GHQは、国民主権で非武装・戦争放棄の民主的憲法を天皇の意志でつくられたものだという勅語(46.3.6)を出させた。
(5) 天皇は、貸与という方法で沖縄を半永久的に米国の軍事基地化することを米国に提案。(沖縄メッセージ、47.9)その後も「近隣諸国に比べ、自衛力が大きいとは思えない」「旧軍隊のよい所をうけついで軍備を発展させるよう」内奏する(73.5.26)など違憲の行為をしてきた。
 伊藤さんは、無関心層の取り込みをはかる安倍政権に対し、事実を直視し、想像力を刺激しながら若い人を9条の運動に引き込むことが大事だと再度強調してお話を終えました。天皇制の歴史から現代の象徴天皇制と9条の誕生について、史実を検証しながらギッシリ詰まったお話に、司会から休憩が告げられるとようやくホッとした空気が流れました。
 
●質疑応答
Q 民間研究団体「憲法研究会」の案では、天皇制はどのように扱われていたのか。
A 1.統治権は国民より発す 2.天皇は国政を自らせず、国政の最高責任者は内閣とする 3.国民の委任により国家的儀礼を司る 4.即位には議会の承認が必要、としていた。
Q マッカーサー元帥の「政府案では世界は日本の真意を疑う……。戦争放棄すると声明してモラル・リーダーシップを握れ」という文の出典は何か?
A マッカーサーの実際の発言です。
Q 天皇はマッカーサーと会見したとき「国民を救うために自分は殺されてもよい」と申し出たと、戦後聞かされてきたがどうなのか? それでマッカーサーの心証をよくして象徴天皇制が残ったのか。
A マッカーサーが日記に書いたのが広まったが、その後いっさいこの証拠はない。通訳の記録にも残っていない。
Q 南京大虐殺や朝鮮人強制連行の話を知ったのは最近で、知らされてこなかったのでは。
A 南京大虐殺が教科書に記述されたのは家永三郎氏の三省堂・高校教科書からで、その他の教科書でも叙述が一般化したのは家永裁判以後である。「従軍慰安婦」の話がすべての中学校教科書にのったのは1996年版だが、その後の教育の反動化でまた消えてしまった。多くの一般国民が南京大虐殺について知るきっかけになったのは、1971年、本田勝一氏の「中国への旅」などの著作が影響したが、教育・マスコミの中では政府の圧力の下で十分に知らされていない。
Q テレビや週刊誌などで流される愛子さま報道など、ファッション天皇制ともいえる風潮の流行はどう見るか?
A 天皇家は暖かい家庭だという報道は、真実を伝えていないと思う。実際は、美智子皇后が嫁いできたときには死にそうになるなどの事件があった。かなり閉鎖的でもある。年間300億の皇族予算、大嘗祭に23億円拠出、一夜で舞台を取り壊すなど問題も多いと思う。

等々、議論は迷走しながらも、終了時間がきました。終わりに、伊藤さんは、21歳で軍隊に入り23歳でフィリピンのルソン島で戦死したマンガ家・詩人の竹内浩三の詩「骨のうたう」を朗読してお話を終えました。
 この1週間に「すげ九条の会」の岩田行夫氏の「検証──憲法九条の誕生」という講演会、NHK教育テレビの「憲法研究会」の憲法改正案ができる過程を追った番組、さらにこの伊藤さんのお話ということで、まさに憲法が誕生する過程を扱ったものが揃い踏みし、ここで憲法が押し付けられたものではなく、まさに国民の中から生まれ、国民に歓迎されたものだったことがよくわかった、という感想もありました。
 

「想定問答集」編纂について

 次に、9条の運動を広め賛同者広げていく上で住民と気軽に対話をするさいに有効と思われる「想定問答集」についての説明が事務局からありました。担当者の中から11項目の質問事項が出てきたが、このほかにあれば追加募集します。また、それへの回答もできるだけわかりやすく具体的に出典も明示して出してほしいということで、回答の募集も行います。具体的な経験談も可とのこと。次回運営委員会にて議論します。
 以下、質問事項を列挙します。
1 アメリカの押し付け憲法ですよね?
2 制定後60年も経ち、時代に合わない条文があるよね。
3 敵が攻めてきたらどうするの?
4 日本のそろそろ「普通の国」になるべきでしょ。
5 人間同士でも、やったらやり返すこともあるでしょう? 国どうしでも同じでは?
6 主権国家として、国が自衛権を持ってどこが悪いの?
7 自衛隊は、すでに他国と比べても大きな軍事力を備えているよね。軍隊と憲法に明記するほうがすっきりしない?
8 軍隊として海外派兵できるようにすることが、国益にかないませんか?
9 国際社会での安全・秩序維持を図るため、国連がその役割を果たすべきと考えるなら国連軍への軍利力提供は国際社会の一員として当然じゃない?
10 実質、軍隊である自衛隊をどうするの? 今すぐ、解散? つづいて、現在、国会で審議されている国民投票法案について情勢報告と事務局からの訴えと緊急行動の要請がありました。

国民投票法案について


●国民投票法案の問題点(すべて与党案をカッコ内に記す)
 1 狭すぎる投票権者の範囲(20歳以上)
 2 「過半数」の基準(有効投票数の過半数)
 3 国民投票成立のための最低投票率の設定(なし)
 4 改憲条項の一括投票について(関連する事項ごと)
 5 有料宣伝広告(原則自由)
 6 投票運動の期間(2~6ヶ月)
 7 公務員、教員の運動制限(地位利用による国民投票運動の禁止)
 8 国民投票無効の異議申し立て(東京高裁に30日以内)
 9 法案成立後の「憲法審査会」では、いつでも改憲が可能となり政府・国会議員の憲法順守義務が軽視されるおそれがある。
 などです。
●なぜ、急いで国民投票法の成立を狙うのか
 日本を世界的な規模で米軍とともに「戦争ができる国」にするため、9条を破壊したい一貫したねらいがある。
●「国民投票法」の必要性の主な理由は、「立法不作為」論
 「国民投票法」がないため(立法府の不作為)に、96条が認めている憲法改正の権利が侵害されていたという事実はない。そもそも、国民投票法とは、改憲のため国会の発議があってから検討されつくられるものである。
 以上の理由により、生田9条の会でもこのような国民投票法に反対し、廃案に追い込むための個人でできる緊急の運動を提案します。安倍首相の指示どおり国民投票法を5月3日までに成立させるため、国会では修正案をめぐり与野党の攻防が活発になっていて、このなかでとくに民主党が鍵を握っているので、民主党を修正の議論にのせないためにFAXや手紙を使った廃案要請と抗議の意志を伝える緊急の運動を起こしたい。そして、他の野党には激励の文書を送りたいと思います。
 この提案は、出席の皆さんにより承認され、さっそく実行に移されることになりました。


1/8(成人の日)生田駅・
1/27(土)よみうりランド前駅で
駅頭宣伝

 生田駅では休日の昼過ぎ2時から1時間、よみうりランドまえ駅では土曜日の夕方1時間を、来る2月3日の第1回企画の催し物「中込璋講演とフリートーキング」の宣伝と憲法改悪を訴えるために駅頭宣伝活動が行われました。
 前国会の会期切れ直前に教育基本法が改悪されてしまったこと、今国会では憲法改悪のための手続き法案が継続し審議されること、与党は5月3日の憲法記念日までに成立させようと目論んでいること、それが成立すると加速度的に改憲の動きが早まることなど、参加者がマイクをリレーでつなぎながら訴えました。はじめはマイクを握ることを尻込みしていましたが、いざ話し出すと改憲になぜ自分が反対するのか、それぞれの立場から真剣に話します。
 演説者の隣でのぼり旗を持つ人、チラシ・リーフを配る人、九条の会アピールの賛同署名をお願いする人など、アコーディオンのメロディと歌が励まします。生田駅では17人が参加し終了後、近くのファミレスに集まり反省会を含めた懇親会がありました。懇親会には1人のあらたな参加もあり、運動への新しい参加者の紹介やニュースの第1号も配られ、自己紹介に続けて新年の抱負や今後の活動について歓談しました。
 よみうりランド前駅では、9人が参加。新しい手作りの白いのぼり旗が夕なずみに目立ち、アコーディオンと平和の歌が流れるなか「9条を守りましょう!」と訴えました。

第1回学習会を開催。なんと21名が参加、熱く討論!

 去る1月27日(土)夜6時から、よみうりランド前駅から2分の喫茶店『モンタナ』の2階で生田9条の会発足後はじめての学習会が行われました。
 今回は初めての学習会ということで運営委員を中心にして行われました。雑誌『世界』連載記事「中・高生のための憲法教室」(執筆・伊藤真)の第5回目「攻められたらどうするの?」がテーマです。学習担当のレポーターが15分ほど発表し、その発表についての質疑応答からはじまり、司会をはさんでフリーな意見交換というかたちで進行しました。
 テーマが我が国の防衛政策に直結し、さらに「九条」をどうとらえるのかと世論を二分・三分するものであるため、ディベイト(賛否に分かれて討論する)方式でやったら意見が出しやすいと、特定の人が自発的に改憲論の立場に立ち討論が進みました。また、今後の運動の展開次第で憲法擁護の署名を、各家庭を訪問してお願いするときに、いろいろな賛否両論に出会うことになり、的確に対応できるようにしておきたいという位置づけもあり、討論は白熱したものになりました。改憲論の典型的なものがいくつか出てきて、それへの反論も十分に説得力のあるものが出てくるなど議論の中味は濃いものになりました。

 まず、レポーターの報告を要約します。
1.無防備は最大の防備であること。無防備都市宣言についても
2.日本国憲法は古くなったか? 日本の進むべき方向を示してはいないのか。
3.日本国憲法の4つの存在価値
4.国際貢献・協力、国益、愛国心ということばには要注意
5.良心的軍事拒否国家としての日本の将来
6.改憲は国内問題だけではない、国際問題でありとりわけ中・韓からは注視されている。
などです。
 議論は、無防備都市ということから始まり、「エネルギーを求めて植民地戦争を始めるが、防備のあるところよりも無防備のところのほうが植民地化しやすいのではないか?」という疑問が出され、さらに第2次大戦中のいくつかの無防備都市はどうだったかの報告があり、軍隊は軍の作戦を最優先し無防備宣言を蹂躙するということが指摘されました。
 次に、「北朝鮮が攻めてきたらどうするのか? 攻めてこないというが、説得力をもつように論理化する必要があるのではないか」という意見が出て、「基本的には日米軍事同盟からの離脱と核廃絶が大事。今、攻められる可能性のある国はイラン・北朝鮮であり、攻める可能性のある国はアメリカではないか。大戦後のアメリカの戦争は地域紛争であり防衛戦争であって、宣戦布告による戦争ではなかった」と北の脅威論よりもアメリカのほうが戦争をしかける危険を指摘する意見がでました。
 北朝鮮脅威論の克服は大事だという観点からの発言もあり、北朝鮮の海軍力では日本を攻めることはできないという意見もだされました。 それに対して、「大戦中のヒトラー・スターリンの出現をみれば、一国の指導者の暴発ということもありうる。今の北朝鮮にも、それはありうるのではないか」と、なんらかの防衛力を持つ必要も出ました。
 「北朝鮮は、何を利益として日本を攻めるのか? 日本を攻める理由が見あたらないではないか。また、軍隊は国民を守ったことはない」という意見が出され、北の脅威は喧伝されているだけで、それにどう対応するかは、軍事にたよらないという方向が見えてきました。
 また、「市民生活の中で、いきなり殴られたら誰だって殴り返すだろう。やられっぱなしでは気がおさまらないのではないか」という意見が出て、身近な生活感覚からの防衛論議も行われました。個人の生活レベルの喧嘩と国家間の戦争とで混同する議論があることが指摘され、急迫不正な暴力に対しての緊急避難による正当防衛権は刑法でも認められている権利だから、国どうしの戦争にも当てはまるのではないか。そのときの防衛方法とはいったいどういうものなのか、という質問も出されます。これに対して「正当防衛権にもとづいた1国の個別的自衛権は認められるが、これと報復戦争とは全く別ものだ」という意見が出ました。
 次に、北の脅威論を現実的に解決するにはどうしたらいいのかということに論点が移りました。国内の北の脅威論は、北朝鮮による拉致事件を利用し煽ることによって成り立っている。6カ国協議では、日本の戦中の強制連行も同じ拉致事件として考えており、これには日本が北朝鮮との国交正常化への外交努力を、米・朝間には朝鮮戦争後休戦状態になっているので平和条約を結ぶ方向での双方の誠意ある交渉の努力が大事だということで、軍事力によらない歴史的事実にもとづいた外交交渉による平和的解決への方向が示されました。
 それにともない、「日米同盟による軍事的優位と核の傘によって日本の平和が守られてきたのではないか」という意見には、日米安保でアメリカに従属し、基地を提供しこれからも増強していくことで逆に戦争に巻き込まれる危険を大きくしていると思う。憲法が戦後の日本の平和を守ってきたのはたしかだろう、などの意見がだされました。
 また、「私たちはこれまでにいろいろなかたちでの憲法違反とたたかってこなかった。できることからやらねばならないだろう。それが9条の会の運動だ」「レポーターの指摘するとおり国際貢献・国際協力、国益、愛国心などの言葉を安易に使い世論を改憲へ誘導するメディアの堕落は目に余る。真実が伝えられていない」など貴重な意見も出されました。
 「攻められたらどうするの?」というテーマから、議論がいろいろな方向に展開し焦点が絞れきれないもどかしさはありましたが、防衛論議から改憲論につながる代表的な意見がいくつか出て、それについて考えてみる絶好の機会になったのではないでしょうか。
 次回は、2月17日(土)「中・高生のための憲法講座」第24回『女性天皇の是非も私たちが決める』を中心に行う予定です。次回も是非ご参加ください。