皆さま、こんばんは。
反骨のジャーナリストと紹介を受けましたが、個人でやるジャーナリストは4年前にやめ、今は多くの同志を集めメディアをつくり新しいジャーナリストを育てるため「自由報道協会」の仕事をしています。
小泉政権後に誕生した安倍政権、第1次安倍政権ですが、それを倒したのが私だということになっています。いま皆さんが危機感を持っている安倍政権が、このように自由に振る舞うことができる理由の一つがメディアの不作為、怠慢、ジャーナリズム精神を放棄した姿勢にあります。
当時、私は8カ月かけ取材し、それを1ヶ月半かかり「官邸崩壊」という本にまとめ8月半ばに出版したが、その2週間後に安倍政権は崩壊しました。このときはメディアの機能がうまく働いて、スキャンダル合戦(大臣の収賄など8カ月で5人が辞職、1人が自殺)が起こり安倍さんがコントロールできず崩壊していったのです。その後、上杉隆は許せないということで安倍氏はHPで「嘘つきジャーナリスト上杉隆、こんな人間をテレビ局は使わないだろう」などと7年間11ページにわたって連載しメディアに圧力をかけつづけ、それはいまだにあります。
第2次、第3次政権では、この失敗を教訓にこの本を参考にして、メディアコントロールをうまくやれば政権の中身がどうであろうと政権はもつこと、世界で笑いものになっている日本の記者クラブシステムと報道の自由度ランキング世界第72位というひどい情況を利用して今日に来ているのです。
実は、憲法改正などもっと過激に第1次政権ではやりました。国民投票法を成立させ憲法改正の準備をし、毎日のように改正を言っていました。そのとき有効な対応をしなかった痛手が今に至っているといえます。
政権を倒すには、普通の国だったらメディアが政権の天敵であるジャーナリストを毎日のように使えばいいのですが、逆に政権が料亭に報道陣を集め私を批判し、そのジャーナリストを干すということをやる。お金の出所、使い方を知っているのでチャンスがあればいつでも政権に打撃を与えることはできるが、それを知っているのは安倍さんのみならず、政権に従うメディアでもあります。NHKなどメディアが寝返っている現状は言を要しないが、まずメディアコントロールを最初にやる。これを第2次政権、3次政権とやっているということです。
その一つは、記者クラブ制度をうまく利用していることです。
記者クラブとは簡単にいうと、中央にあるテレビ・新聞のエリート記者だけが取材でき、他のフリージャーナリストや海外メディア、雑誌、ネットなどの記者は取材できない。どうしてかというと、官公署全部に記者クラブがあるが、そこに入れるのは権力側が選んだメディアということだけではなく、自分たち仲間で権力のいうことをきくメディアだけが入ることができる、つまり談合みたいにカルテルを結んで権力とか役所とかが発表したことにあまり逆らわないような方針をとり、そこに忠誠を誓ったメディアだけが入れるのです。仮に、その中で朝日新聞や東京新聞などが反安倍みたいな記事を書いたりすると、出入り禁止ということを政治家ではなく同業者(仲間内)がやるのです。私自身、その記者クラブを開放するためにずっと運動も続けているが、これが元となっているのです。カルテルです。
500とも1000ともいわれている日本中にある記者クラブは、建物も働く公務員の給与もすべて私たちの税金です。建物の中にある情報の全ても究極的には私たちのもののはずです。その建物の中に、部屋があり記者会見場をもち、机も電話もFAXもあり、只で使っている公務員(職員)もいて日々ニュースを送っているのがテレビ・新聞です。しかし不思議なことに家賃を払っていないのです。霞ヶ関の一等地、官邸の中にも入っています。そして同業者が入るの防いでいます。何故かというと役人と一体化しているために、役人や政治家の言う情報に逆らうようなことを言うと、放送法による電波停止の圧力をかけたり、新聞だったら再販制度で税金が安くなっているのを利用し「それをなくしていいのか?」と迫ったり、税務調査を仄めかしたり国有地払い下げ(事実上タダ)の一等地本社社屋の土地を「返してもらいましょうか」という脅しだけでいい。
2年前、消費税が5%から8%にあがるとき、国会で審議中に右はサンケイから左は朝日・東京まで全部が賛成したのです。反対の論陣を張ったらどうなるか、「国税」がはいります。税金は財務省のとり組みで「俺たちに逆らうのか」、そして財務省に一番強いのは国会議員、財務大臣、総理大臣です。その方針に逆らわなければいいのです。あれだけバラバラで右だ左だといっている新聞社だって結局は同じなんです。記者クラブのメンバーから外されなければ何でもいいということになります。
私は15年前、3年間ニューヨークタイムズに在籍して、それ以来フリーランスで活動してきました。サミットなどの国際会議にも90カ国くらい取材にいきました。その時、総理大臣会見とか大統領会見で入れなかった国が一つありました。日本です。
日本では、私はフリーランスで官邸の正式な記者会見には一回も入っていない。サミットもイタリア、カナダ、アメリカ、イギリスの取材には全部出ています。唯一入れなかったのは北海道洞爺湖サミットです。政府側は出てもいいというのですが、記者クラブがダメという。日本のメディアが俺たちのものだといって排除する。私だけではなく全世界の記者たちがそれで怒っています。怒っているからこそ報道の自由度ランキングが昨年61位に下がり、今年は72位に下がっています。先進国の中ではダントツのビリです。こんなことは、G7のなかでは当たり前、OECD参加国のどこにもありません。なぜかというと、安倍政権は特定秘密保護法案や原発報道などへの対応が非常に厳しいからです。ところが日本で11位に上がったときがあり、それは民主党政権(鳩山内閣)のときで、原発事故前、秘密保護法前、安保法制前だった。その前の第一次安倍政権では52位、小泉政権では30〜40位代だった。
報道の自由度ランキングといっているが、これは報道の自由意識ランキング、成熟度ランキングのことで、メディアに向けたランキングのことなのです。記者クラブ制度は日本だけにあり、韓国では2003年に消え、アメリカでは1930年代にすべてのジャーナリストに公開すべきだとなっており、フランスでは1800年代の作家バルザックなどが反対してなくしたものだ。フランスで200年前になくした制度が唯一残っているのが日本で、この事実を知らないのが日本人だけで、それをメディアが伝えないからなのです。
自分たちのウソ・醜聞には目をつむり、他人さまの失敗は大きく叩く、自分たちが失敗したときは1週間くらい寝かせて三面記事欄にベタ記事で小さく訂正する。これをくり返して50年以上、日本の国民は記者クラブという問題を知らず、それが政権にとって最もコントロールしやすい道具として使われていることもわからずに今に来ているのです。そこを変えなければ、たとえ安倍政権が弱くなろうが倒れようが、また同じ政権が出てくるということです。
憲法論議だって普通にしていいのです。護憲であろうがなかろうが公平(フェア)に土俵に乗せるのです。記者会見にも入れて、たとえば「週間金曜日」とかそういう記者たちも含めて丁々発止の論議をやらなければならないのです。ところが、安倍政権に厳しい質問をする記者・ジャーナリストは、先ほどの記者クラブシステムというものがあって政権に刃向かう記者を仲間はずれにして、あいつはインチキだ、頭がおかしい、ウソつきだというようなかたちで排除する。安倍政権に厳しいことをいう人には、毎年9月と3月にカタタタキが来るのです。私も知人を通して、昭江夫人から安倍さんに「安倍さんとごはんでも食べようか、お金は私が出しますから」と伝えてもらったところ、「上杉隆だけは絶対に許さない」と言われたということです。これは6年前、民主党政権時代のことですが、その後総理になったので今でも絶対に許さないでしょう。
私を絶対に許さないということは、安倍政権に厳しいということを彼が知っているからです。その厳しさに対応できるような総理大臣でなくては、私たち国民を納得させることはできないのです。気持ちいい空間にいて、言いたいことだけ言っていれば誰だって総理になれます。何か失敗したら、認識していなかった、承知していなかった、勘違いだった、これで全部済むんだったらこんな楽な商売はありません。
もともと憲法を変えるためにつくられたのが自民党です。1955年、鳩山一郎内閣で保守合同があって、党の綱領で自主憲法を制定するとしています。ですから自民党が憲法改正するというのは当然なのです。ただ自民党のなかでも護憲派というのが生まれてきましたし、さらには憲法は変えていいけど九条だけは守ろうというグループもたくさんいました。そこを一緒くたにして改憲の方向に行かないようにした人たちも確かにいました。その時に憲法は論じてはいけないという言い方をしたものだから、過去の蓄積がなく、いいように政治に使われるという今のような情況になったのです。
海外では大きく異なります。タブーというものはつくらずにメディアが危険なものも含めてすべてを出す。その上で、国民全体が知ることになり、結果としてそれが危ないなら危ないという意見も見せながら論議していくのです。今の民放テレビ、新聞社、NHKがそういうことをやってこなかったために片方に行くと、そちらの方に走るというシステムを作ってしまったのです。これが記者クラブです。
記者クラブのことでもう一つ話すと、教育にも関わるが日本の新聞、テレビというものは正しい報道、客観報道という言い方、あるいは公正・中立な報道という言い方をします。最近さかんに政治家も言っています。何が正しいか、私がNHKにいたときの大先輩もよく言っています。
私がニューヨークタイムズに14年前に入ったときにそのことを言ったのです。ニューヨークタイムズの訂正欄は毎日10箇所くらい訂正しています。日本ではありえない凄いことです。たとえば、昨日AとBに聞いたが、今日Cという意見が出てきた。Bに聞いてみたらCのほうが正しそうだからCに訂正する、と。その下には25年前チャレンジャー号爆発(1986)の記事でピューリッツァー賞をとったが、25年後に公文書が公開されてNASAの発表とは異なるニューヨークタイムズの記事があったので訂正します。もっとすごいのは、1863年(161年前)ニューヨークタイムズは当時の黒人奴隷の苗字をスペルミスをしていたのを発見したのでお詫びと訂正その理由を書く、というように不断に自分たちをチェックしています。
1999年、私も入局してビックリしました。世界最高峰の新聞ジャーナリズムのニューヨークタイムズが、こんなに毎日まちがいを起こしているのであれば、読者の信頼を失うだろうと当時の支局長に聞いてみたのです。支局長はこう言いました。「何を言っているんだ。私たちはジャーナリストだし、ミスというものは極力避けるべきだと思う。だが、ジャーナリストである前に人間である。人間というものは必ずミスを犯す。完璧な人間はいない、その人間が新聞を作っているのだ。だからミスは避けられない。ミスをしないことは重要だが、私たちに最も大事なことはミスをしたときにそのミスに謙虚であること、つまり誤りを認めることだ。だから訂正欄で毎日ミスをチェックしている。君が10回ミスをしても20回ミスをしてもニューヨークタイムズは君を解雇することはない。ただし一回でもミスを隠そうと思って嘘をついたときは、君は永遠にこの業界から追放だ」こう言われたのです。ミスを犯しても新しい情報を不断に提供すれば、読者は納得するだろうという考え方があるのです。
ニューヨークタイムズの話しをしましたが、日本のメディア以外このような訂正欄は全部あります。「アルジャジーラ」も中国の新聞も。なぜ日本にできないか。日本の記者たちは皆エリートです。大卒者しか記者になれないのは基本的に日本だけです。海外にいけば中卒であろうが高卒であろうが、それぞれ違う職種の出身です。ワシントンポストの記者には、高卒でスラム地区から出てきています。そういう人たちが何でいい記事が書けるのか。私だったらこう言います。「君が東大を出ているとかハーバードを出ているとかではなく、国会議員の秘書を5年間やっていたという政治の人脈や知識がある。わからなくとも押すボタンを知っている。君がスーパーエリートだったらタイムズは採用しない。それぞれの持ち場で一流の記事が書けること、これが多様性を生む。この世の中に正しい記事なんてない。完璧な人間がいないのと同様、完璧なメディアもない。仮に日本の新聞が間違いを犯さないのであれば、それは新聞のおごりだ」と。
客観・中立公正というものは海外のメディアは今はいっさい言いません。これは神以外はできない。人間とくにジャーナリストがこんなことを言ってはいけない。おごってはいけない」これが世界のジャーナリズムの真実です。たとえば池上さんが「これが正しいようですね」という言うとき、ものすごいおごりだと思います。NHKで「これが正しい」なんて言ってはいけないのです。
客観・公正・中立報道というけれど、どうやってやるのかと聞いてみると、「Fact BaseにもとづいてData主義でやります」。解釈をすると財務省などのエリート官僚に作らせた表などのデータにもとづいて報道しているとのこと。この官僚はまちがえないのかと聞いてみると「まちがえないよ」と言う。この時点で日本の記者クラブ問題が見えてきます。
日本で客観・公正・中立というのは警察にしろ財務省にしろ役所にしろ、政治家、権力側その主観もまじえて作ったものを客観と言っている。ですから、こうしたものを報じるといきなり免罪され、ある日いっせいに「わかった、わかった」ということになります。そうでなければ嘘だ、デマだと言われます。今の舛添さんの報道など、はるか昔にわかっていたことです。
私の経験だとちょうど5年前メルトダウンという言葉について言えます。2011年3月11日の東京電力福島原発事故の翌日13時28分最初の発信をしたのですが、その後TBS、文化放送などが発信しました。最初は新聞・テレビもそう発表したのですが、それは原子力保安院の中村審議官がそう言ったからです。そして官邸のなか、東電のなか、米軍のなか全部そう言いました。ところが15日、東電、官房長官などを含めてメルトダウンという言葉を使うなとなりました。理由は一つ、「原賠法」に基づいて事象5になると事故になりIECA、IEEAその他への報告義務があり住民への賠償責任がある、それを避けレベル3に落とし「事象」としたいためにメルトダウンという言葉を使うなということなのです。
ジルコニウム崩壊でバーストといえばメルトダウンだということは誰でもわかります。中学生でも物理学を習っていればわかります。にもかかわらず日本全体がメルトダウンという言葉を使っちゃいけないということになった。私はその中にあって敢えて言いつづけました。最初メディアも報じたからいいなと思っていたが気がついてみたら梯子をはずされていたのです。3月後半からは「放射性物質は出ていない」「放射能は笑っていれば飛んでいく」こんな報道が始まりました。そのあとも言いつづけたらメディアは全部東電側につきました。
何故かというと、日本の民放の広告費の3位はトヨタで500億円、2位パナソニック700億円、1位電事連886億円。これは東電などの電力会社の集まりです。この数字を見つけて3月末から批判したのです。トヨタ・パナソニックは競争相手もあり、海外での広告費も含めていますが、電力会社は886億円を1年間でテレビ局に払っているのです。東電は独占企業体で、公益性を持ち、ライバルゼロです。海外売買ゼロ、つまり広告費いっさいいらない企業体なんです。それが広告費として賄賂を渡していたのです。そういう意味で東電などの政策に反対するところはゼロ、反対するコメンテーターは次々と下ろす。なぜなら経団連、連合を含め民主党政権のなかで日本全体がそこに逆らってはいけない、テレビもそこで成り立っているのです。こういうふうに自分たちに都合の悪いものは徹底的につぶしていくのです。
安倍政権が消費税、憲法などについて勇み足的発言がくり返しているが、権力に都合の悪いことを報じるどころか、NHKだったら国会の予算・決算で予算を通さない、民放は「記者クラブからはずす」、さらに「批判する記者を上の役員の友達を通じて排除してもらう」などということをくり返しながら安倍政権はうまくやってきました。うまくやれたのは安倍政権の力ではないのです。はっきり言って安倍政権は力はない、政策もムチャクチャで言っていることも日々変わる。それを許してきたのはメディア、記者クラブなのです。
最後にニューヨークタイムズの話しに戻すと、訂正欄をつづけることによって人間のおごりはやめる、まちがえたら素直に認めるということを学んできました。しかし日本のメディアは、自分たちの間違いを認めません。安倍政権の間違いを報じても自分たちのまちがいになってしまうので必死に隠すのです。こんなメディアがある以上、この後も何が起こっても第2、第3の安倍が出てきます。民進党政権になっても変わらないです。同じことがくり返されることになって、どの政権がなるにしてもメディア、報道の自由度ランキングは72位は、世界から見た日本のランキングというより、日本人の成熟度が問われていると考えて、ぜひこの数字に注視していってほしいと思います。
憲法改正など論議があると思いますが、メディアを通す情報というものは右も左も関係なく必ず役人のフィルターがかかっているという認識で、どのメディアもまちがいを犯すということを念頭おいて見ていただければと思います。どうぞ皆さんも、自らの信念にしたがってやっていっていただきたいと思います。
(HP担当者が、当日のビデオをもとに概要をまとめたものです)