【最期に辿り着く者】



作:藤和 価格:500円 文庫サイズ 26ページ

これは遥か未来の話。物語を管理するAIと物語を読む者。
そのふたりが出会い、作り上げた最期の物語。

--本文サンプル--

 第一章 イルラキの決断

 森の奥の湖の畔。そこにある小さな家に、私はひとりで住んでいた。
 私はこの家から一歩も外に出たことが無い。昔は両親と一緒に暮らしていたけれども、両親は早死にしてしまい、 今は遺体ごとデータ化し、メモリを兼ねた小さな宝石に収めてある。その宝石は、 3Dプリンタを使用して作ったチタンの指輪に据えてある。
 この家にひとりで住み、外にも出ないけれど、生活で困ったことは無い。家の地下倉庫には百年分の保存食料があるし、 それ以外に十年分の携帯食料が蓄えてある。衣料品は、 定期的に必要な分だけ宅配ボックスに届けられる。大量の食料があると言うことと、家から出ることが無いという事以外は、 一般的な生活を送っているはずだ。
 何故私が一歩も家から出たことが無いのかというと、理由は出生時に例示された、 青年期の予想画像にあった。その画像が出力されたとき、そのあまりのうつくしさに、その場に居合わせた技師や医者、 看護師が次々に正気を失ったという。そして、今思うと両親も正気を欠いていた様に思える。その予想画像は、 私も何度も見たけれど、確かに私は、何事も無ければこの様になるのだろうなと感じたし、 成長するにつれて画像に近い面持ちになっていった。
 両親は特に仕事らしい仕事はしていなかったけれども、数世紀前にベーシックインカムが施行されてからは、 慎ましやかに暮らすだけなら、仕事をする必要は無くなっていたので、無職である事に別段不思議は無かった。
 遙か昔、学校という物が有った時代には、私のような生活は認められていなかったのだろうけれども、 今は全部インターネットとVRで教育をすませられる。
 教育プログラムVRを使用している間は、皆アバターを使っていたけれども、 私のアバターは常に仮面を被っていた。その仮面が不気味だと言われたことはあるけれど、 私はその仮面がお気に入りだった。両親が私のために用意してくれた、病を避ける仮面。
「これを着けていれば、嫌な物は寄ってこないからね」
 お母さんが縫合し、お父さんがレンズを填めた、長い嘴を持ったそれは、ペストマスクと呼ばれる物だった。

 私の日課は、国立のストーリーデータベースという、色々な物語を収録している場所にアクセスし、沢山の物語を読み、 そしてそれらが繋がっていたらという空想をし、自分で楽しむ事だ。
 物語の読み込みはほんの一瞬で、どんなに膨大な物語も記憶に刻まれる。勿論、脳の記憶容量には限界があるので、 追加メモリを挿しているとはいえ、物語を読み込めば読み込むほど、忘却していく物もある。
 何を忘れていくのか、ある程度それを指定出来るので、私は覚えている記憶の中からもう必要無い物にチェックを入れ、 消えていくがままにしていた。
 そんなある日、ストーリーデータベースを管理しているAIからこう告げられた。
「ハロー、親愛なるイルラキ。
あなたの要求する未知の物語ですが、こちらには既に該当する物が有りません」
「え? ユガタ、どう言うこと?」
 ユガタというのが、AIの名前だ。白髪に白い服、 それに小さな体が特徴的だ。そんな彼に要求している物語の検索条件は、『私が知らない物』という、 たったその一点だけだ。
 ストーリーデータベースは、ありとあらゆる物語をその身に蓄える。それが喩え、 子供を寝かし付けるときに即興で作った辻褄の合わない、その場限りの物であっても、だ。
「あなたは、この世界に存在する全ての物語を知ってしまったのです」
「全ての物語を? まさかそんな」
 とてもにわかには信じられない言葉だったけれども、あり得ないこととは言いがたかった。何故なら、幼い頃、 物語に触れるようになり始めてから、ユガタが提示する残りファイル数は徐々に減って行っていて、 平均すると右肩下がりになっていたからだ。
 まだ暫くは自分の空想の中だけでも遊べるけれど。そう思っている私に、ユガタは言う。
「イルラキ、私の元へ来ませんか?」
 VR空間の中でそう言った彼は、私と彼の間に地図を表示させる。地図を見ると、 私の家からユガタが居るはずのストーリーデータベースが設置された施設は、随分と離れているように見えた。
 ユガタに直接会いたい気持ちはあったけれど、家から出たことが無い私が、 ひとりで彼の元まで行けるとは思えなかったし、何故私を呼ぶのか、その真意もわからなかった。
「なんで私に行って欲しいの?」
 そう訊ねると、彼はこう答えた。
「今この世界で、物語を紡いでいるのはあなたひとりです。
なので、あなたの物語を、私に入力して欲しいのです」
「でも、それは直接行かなくても出来る事じゃない?」
「はい、可能です。けれども」
「けれど?」
「私は生身のあなたに会いたい」
 そう言われて、胸を捕まれる心地がした。私も、長年仲良くしてくれているユガタに、直接会ってみたいのなら、 今こそ勇気を出すべきなのではないかと、そう思った。

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