【輝かしい日々よ、ありがとう】



作:藤和 価格:1100円 文庫サイズ 68ページ

とある街に訪れたとあるオペラの一座。そこには天使の歌声を持つという歌手が居た。
これは、その歌手が街で過ごしたとある一年の話。

--本文サンプル--

第一章 オペラ一座がやって来た

 肌を裂くような風が柔らかくなり始めた頃、オペラの一座がその街を訪れた。
 国内で上演が許可されている音楽院はただひとつで、そこに所属する歌手や演奏家が、 首都以外の街を手分けして巡回する。
 毎年同じ歌手が同じ街へと赴くわけでは無い。今回この街に来るグループに配属されたドラゴミールは、 三年ぶりにこの地を踏んだ。
 劇場の近くの宿舎に荷物一式を置いたところで、ドラゴミールは舞台装置職人が集まっている部屋へと行き、 ドアをノックして大きめの声で中に話し掛ける。
「おーいシルヴィオ、一杯引っかけに行かない?」
 初めて聞く者は、きっとその声を少年の物だと思うのだろう。だけれどもドラゴミールはもう成人で、 オペラの一座の中でそれを知らない者は居ない。むしろこの舞台装置職人達は聞き慣れているくらいだ。
 声を掛けてから少しの間、 部屋の中からざわめきが聞こえた。もしかして荷物の整理が終わっていないのだろうかと思ったが、 その場を離れる前にドアが開いて、同い年くらいの青年が顔を出した。
「引っかけに行きたいのは山々だが、こっちはまだ荷物が落ち着いてないんだ」
「えー、じゃあ落ち着いたら俺のとこに呼びに来て」
「面倒なことを要求するな」
 素っ気ない返事を返すこの青年が、ドラゴミールの友人のシルヴィオ。職人としてはまだ若いが、 丁寧な仕事で仲間内からも信頼されている。
 二人が友人になったきっかけはとても些細で、 なんとなく舞台装置がどうなっているのかが気になったドラゴミールが、たまたま話しかけたのがシルヴィオだった。
 ドラゴミールはデビューして間もない頃から人気の高い歌手だ。歌の技術が高く、 努力した末の物か天性の物かは定かで無いが人並み外れた美声の持ち主で、 舞台の時は必ずクライマックスのエールを担当している。
 そんな人気歌手から話しかけられるなどと言うのは裏方の人間からすると畏れ多いと感じるようで、 気を遣ってか満足な会話が出来ないことが多かった。けれども、その中でシルヴィオだけは、 ドラゴミールに対して対等な立場を取った。
 歌手にプライドが有る様に、職人にもプライドがあると当然のように言い切ったのだ。
 自分の立場のせいで身近に友人という物が居なかったドラゴミールは、 その事にとても喜んだ。自分にも友達が出来るのだと。
 それ以来、二人は外部にも友人を作りつつ、交友を深めていた。
 シルヴィオに誘いを断られて不満そうにするドラゴミール。しかし、 シルヴィオはその反応が返ってくるのがわかっていたようで、ドラゴミールの頭を撫でながら笑って言う。
「この街には確か、仕立て屋の友人が居るんだろう?
舞台が始まるとシーズンが終わるまで会えなくなりそうだし、今の内に挨拶に行ったらどうだ?」
 それを聞いて、ドラゴミールも笑って答える。
「そうだな、じゃあまずはそっち行くわ。
お前も荷物の整理頑張れよ」
 お互いの手のひらを重ねてぱちんと鳴らし、シルヴィオは部屋の中へ戻り、ドラゴミールは宿舎の外へと向かった。

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