【はらぺこテーラー】



作:藤和 価格:900円 文庫サイズ 54ページ

 近世西洋で働くワークホリック気味な仕立て屋さんのお話。 兄弟3人で協力し合って生活を送ります。
最後の方で少し不穏な空気が流れますが、頑張るお兄ちゃんが見たい方へ。
『花暦』と言うお話のサイドストーリーですが単品で読んでも大丈夫です。

「製本直送.com」で受注生産を受け付けております。

--本文サンプル--

第一章 仕事の一日

 ある日の事、朝起きて部屋で着替えるなり朝食も食べずに仕事場に向かおうとするカミーユの首根っこを、 パンの焼ける匂いのする台所から顔を覗かせたアルフォンスの、細いけれども力強い腕がすかさず掴んだ。
「カミーユ兄ちゃん。仕事は飯食ってから」
「あれ? 食べなかったっけ?」
「そんなにお腹鳴らしながら良くそんな事言えるね?」
 アルフォンスの言う通り、ほかの兄弟二人と比べて華奢なカミーユのお腹が、きゅるきゅると鳴っている。
 毎回の事なのだが、仕事が大詰めを迎えると、カミーユは寝食を忘れて作業を続けるので、 弟のアルフォンスとギュスターヴの二人で時計を睨み付け、作業のきりの良い所で引きずってきて食事を食べさせ、 寝かし付けるのだ。
 肩の下まで伸びた髪を紐で束ね、バンダナで前髪を上げながらカミーユは台所の隣に有る居間へと入る。
テーブルの上に乗っているのは一枚のディッシュに盛られた目玉焼きと、マッシュポテトと、 ベーコンの入ったほうれん草のソテー。
それからカゴに入ったきつね色のブレッドと、カリカリに焼かれたバゲットだ。
「兄貴、早く飯食おうぜ」
 既に椅子に大柄な身体を預けているギュスターヴがそう声をかけると、カミーユとアルフォンスも席に着く。
指を組み、食前のお祈りをし、それから各々料理に手を伸ばす。
 黙々とほうれん草を食べるカミーユの様子を少し嬉しそうに眺めながら、マッシュポテトを食べるアルフォンス。
ふと、後から後からブレッドに手を出すギュスターヴに、アルフォンスが手をはたいて言う。
「ギュス兄ちゃん。パンばっかり食べないでほうれん草も食べる!」
「えー、俺ほうれん草嫌い」
「嫌いでも食べる!」
 そうしている間にもカミーユはディッシュの上の物を食べ終え、パンには手を着けずにそそくさと席を立とうとする。
すると今度はアルフォンスがカミーユの腕を掴む。
「カミーユ兄ちゃんはパン食えよ!」
「えー。僕ブレッド嫌い」
「だからバゲットも用意してんだよね?」
 とにかくパンを食べないと仕事をする体力が付かないだろうと、 もう何度目かも解らない説得をされたカミーユは、渋々バゲットを囓る。
 好き嫌いは諸々有る様子だが、庶民にしては比較的裕福な食事を食べられるのも、 カミーユのおかげだと言う事を他の二人は解っている。
 この三兄弟は両親の後を継いで仕立て屋をやっては居るが、裁縫が出来るのがカミーユだけなのだ。 本来なら、何人もお針子を抱えて数人がかりでやる様な依頼でさえ、カミーユは一人でこなし、尚且つ納期も破らない。
 その状況を作っているのは、無茶とも言えるようなカミーユの労働状況だ。
朝早く起きてすぐに仕事に取りかかり、作業の手を止めるのは出来上がった時か、日付が変わる直前辺り。
 『別に辛いと思った事は無い』そうカミーユはいつも言っているが、時折顔色を悪くしたり、 溜まっていた仕事を片付けた後に泥の様に眠ったりしている兄を見て、ギュスターヴとアルフォンスは心配を隠せない。
 けれどもカミーユはこのスタイルを崩す事は無いのだろう。
だから、なるべく力が付くような料理を作るにはどうしたら良いのか、アルフォンスは何度も町医者に聞きに行っている。
 そんなアルフォンスの努力の結晶である朝食を食べ終わったカミーユは、手を軽く拭いてそそくさと作業場へと向かう。
同じように、何とかほうれん草を口に詰め込んだギュスターヴも、 先日出来上がったばかりの依頼の品を届ける準備をしようと席を立ち、兄達の食事が済んだのを確認したアルフォンスは、 食器をカゴに入れて街中にある水場へと食器を洗いに出かけたのだった。

 カミーユが仕事場に籠もって数時間。
ひたすらに針と糸で布を縫い合わせる作業を続けている。
布を裁断する為の作業台が四台ほど置かれ、一人で使うには広すぎるのでは無いかと思われる作業場。
そこには明かり取りの為に大きな窓があるのだが、陽の光は布を傷めてしまう。
なので、窓には薄手のカーテンが掛けられていて柔らかな光が仕事場を照らしている。
 窓の外から聞こえる街の喧騒。それと、微かな衣擦れの音に包まれながら、 作業台の内一台に布を乗せてカミーユは口を開かずにただただ手を動かす。
 布の一片を縫い終わり、一旦糸の通った針を針山に刺した所で声が掛かった。
「兄貴、採寸の仕事だよ」
 その声を聞いてドアの方に振り向くと、そこにはドアを開け、いつの間にか後ろに立っているギュスターヴの姿が。
「わかった。今行く」
 手元にあった布の塊を、床に付かないよう注意しながら作業台の上に置き、カミーユは作業場を出た。

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