『石垣守の場合』

「石垣守君だね?」
「あなたは?」
 守が被災者キャンプにあたえられた仮設住宅に配給を貰って帰る途中、サングラスを掛けた男に呼び止められた。
「警視庁捜査零課の神月というものだ。今日は君に相談があってやってきたんだが、時間は空いているかい?」
「例の件ならお断りですよ?」
 守は即座に返事を返す。
「全く違うと言えば嘘になるが、他の話だよ。君にも興味深い話になると思うがね」
 神月は動じたところもなく、一枚のCD-Rを取り出す。「これに詳しいデータは入っている。興味があるなら見ておいてくれ。正し、部外秘のデータなんでね。一度見たらデータが破損するようになっている。当然、コピーを取ろうとしても壊れる。パスワードの方は君のメールに送っておいた。オフライン状態にして見て貰えると助かる。ああ、見たことはなるべく他言無用でお願いする。こちらも厄介事は少ない方がありがたいのでね。興味が出たのなら、ここまで連絡してくれ」
 名刺と一緒にCD-Rを受け取った守は、
「見るとは限らないと思いますが?」
 と、正直に答える。
「君は見るね。そういう男だよ。そうでなければ、生き残っていない」
 神月はにやりと笑い、そのまま片手を上げて立ち去っていった。
「……まあ、見るだけはただだしな」
 守はCD-Rを懐にしまい、己の部屋へと戻っていった。

 配給を食し、人心地ついた後、守はCD-Rのデータを見るためにメールをチェックしていた。
 神月が言っていたとおり、パスワードの書かれたらしいメールが届いていた。ただ、一見すると何の変哲もない文章しか書かれておらず首を捻ったが、ある法則を見つけて読み出した暗号を解読した瞬間、好奇心が疼いた。
 手慣れた調子でデコードをかけ、先ほどの要領で暗号を解き、パスワードを手に入れる。
(……これは確かに面白そうだ)
 一瞬だけ頭に掠めた【好奇心は猫をも殺す】という俚諺をあっさりと無視して、オフラインモードでPCを再起動、CD-Rを挿入し、パスワードを打ち込む。
「……っ!?」
 絶句した。
 情報を脳みそに叩き込みながら、守は奇声を上げそうになる自分を必死に抑える。
 そこにあったのは、あり得ない情報。
 どう考えても、今のこの国で作られるはずがない技術。
 しかし、問題なのは、それが御伽噺にしては出来過ぎていること。
 事実、この企画が発動した理由を示す前文の説明は彼も経験済みだった。
 即ち、首都東京を襲っている珍事、伝説神話上の存在であるあやかしが兵器として利用されていると言うことである。
 事件の渦中にいなければ、一笑に付されたであろう【D兵器】対策の兵器計画。
 書かれていることは、守からしても一理も二理もあることであった。
 根本にある考えは、【D兵器】たる悪魔に対し、通常の人間では敵うことはない。
 悪魔と闘う術があるのは、それに特化した技術を持つ者か、同等の能力を持つ存在のみ。
 ならば、戦場に投入される悪魔に対して並の兵では敵わないのか?
 当然敵わない。
 ならば、それに対する術はないのか?
 悪魔を殺せる武器を作る、悪魔を滅する術式を編み出す、悪魔を封じる法具を授かる。
 どれにしろ、ただ人で為せるものはない。
 ならば、いかようにすれば、ただ人であろうとも悪魔を滅することができるのか?
 最低でも、悪魔の動きについて行けるだけの能力が必要とされる。
 肉体強化。
 これが最低限の条件といえよう。
 肉体の強化といえでも数多手段はある。
 されど、人権問題を考えれば、取り得る手段はそうはない。
 薬物による強化、非合法的な人体改造、第三帝国ラストバタリオンで用いられている悪魔との憑依合体。
 どれも我が国で為すには問題が多すぎる。
 ならば、外的要因による人体強化しかあり得ない。
 強化装甲服。
 現状取り得る策の中で最も問題のない方法であろう。
 幸いなことに、現状それに類する民生品が存在しており、それを軍事転用すれば開発の目処は付く。
 問題はそれを量産する技術であるが、こればかりは大量生産をする事による材料費の軽減しか今は考えられない。
 少なくとも、これ以外にあれに対する対応法がないと分かれば、予算云々で横槍が入ることはないだろう。
 よって、これを実験運用するものが必要である。
 それも、熟練した退魔師とまだ戦い慣れていない素人が望ましい。
 この二者で扱えるものと判明すれば、反対勢力も異を唱え辛い状況となる。
 我々に残された時間はさほど無い。
 試作のデータを一刻も早く取らなくてはならない。
「……そんでオレにお鉢が回ってきた、と……」
 思わずにやついた。
 確かに、悪魔退治とやらには興味はない。
 だが、この強化装甲服というものには興味があった。
 実体験から、悪魔と人間が張り合うには何らかの技術が必要である。それも、自分がまだ見ぬより行為の悪魔ならば、どのような技術がいるのだろうか?
 それを量産する技術があるとすれば、一体如何なるものなのだろうか?
 工学者の卵として、それには好奇心をそそられた。
「だが……手伝うって事は闘うってことだからな……。そいつは面倒くさい……」
 ごろりと寝転がり、天井を見る。
 ふと、古本屋の店主から紹介された英国貴族の女当主の言葉が頭をよぎった。
「……運命、しゃらくせえ」
 ごろりと床を転がり、一回転して大の字になる。「そんなもんで腹も脳もふくらみやしねえ。一日中ネットやって、情報かき集めていた方が脳の足しにならあ」
「だが、物足りないだろうねえ」
「!?」
「おっと、失敬。ノックはしたんだが、返事がなかったんで邪魔させて貰っているよ」
 窓枠に腰掛けた男は妙に芝居がかった口調で答える。
「……あんた、何もんだ?」
「何、弟子が君の世話になったそうだからね。少しばかり挨拶に来たわけだよ」
「弟子?」
「伊和島隆信。あれの符術の師でね、僕は」
「こっちが一方的に世話になった気もしますけどね」
「なに、あれも一人じゃどうにもならない事態ってのを知っただろうから、君の協力にあれにしては珍しく、海よりも深く、天よりも高く感謝しているだろうさ。変なところで義理堅い男だからな、あれは」
 くすくすと笑いながら、窓枠から男は外に出る。「ああ、それと、パワードパペットの件で同僚になる人物を見ておきたかったというのもある。期待通りで楽しそうだな、君は」
「?!」
「驚くことはないさ。我が心友とは常に死線を共に越えてきた仲。情報は筒抜けさ」
「心友?」
「ああ、武人だよ、武人。知っているだろう?」
「いや、ちっとも」
「……おかしいなあ。武人が直接君にそれを渡したと言っていたんだけどなあ、さっき、そこで」
「さっき? そこ?」
「うん。君が呼び出された場所」
「……神月さん?」
「ああ、それそれ。いつも武人でしか呼ばないから、名字忘れていたよ」
「はあ」
「うん、武人と鷹景の三人で昔はぶいぶい言わせていたんだよ、代々木の方で」
「はあ」
「君たちとはちょっと世代が違うから、知らないだろうがねえ。今でも三人揃えば敵なしさ。僕以外は忙しいから、一線からは退いているみたいだけどねえ」
 肩を竦めながら、男は首を左右に振る。
「で、あなたは誰なんですか?」
「……ああ、名乗っていなかったか。僕の名前は紙代剣一。しがない、漢方薬店の店主さ」
「ああ、あなたが」
 守は伊和島隆信が師匠の話をしていたことを思い出した。名前までは聞いた覚えがなかったが、実力者だとは言っていた気がする。
「で、どうするね?」
「どうする、とは?」
「うん。実はね、君が協力しない場合、僕が君の記憶をちょいちょいとつつかないとならないんだよ。実は余り得意じゃなくてねえ。まあ、なんだな。余分な記憶までごっそりと抜け落ちたら御免ね、と言いに来たわけだよ」
「断るもの、と?」
「ん~、武人やアリアちゃんは君のこと期待しているみたいだけど、僕からしてみると、君はどうにもめんどくさいことが嫌いみたいだからねえ」
「何でそう思うんです?」
「莫迦弟子の一人と同じような顔しくさっていたから」
「莫迦弟子?」
「うん。ひねくれ者で、面倒くさがりで、斜に構えている癖に、自分のことより人のために体が動く莫迦者。何でも効率重視で動く癖に、自分にとって興味深いことになると採算度外視で動く阿呆。ぶっちゃけ、伊和島隆信のご幼少の砌」
「今は?」
「負けず嫌いの方が顔を出しているから、鷹景の弟に張り合っているみたいだねえ」
 けらけらと笑いながら、懐から札を出す。「君は、良くも悪くもそういうところがないからね。断るに決まっている」
「断らないって選択肢はないんですか?」
「あるのかい? 自分の命を賭けてまで、そいつと心中したいと思うのかい? 理解しているとは思うが、そいつに関わったら、まず真っ当な道を歩めなくなる。それでも、進むと言い切れるのかい?」
「…………」
 守は再び天井を見る。
 確かに、紙代の言うとおり、ここは断った方が得策だろう。
 冗談交じりに話しているが、紙代は自分と同じ道を歩むのは辞めておけと遠回しに言っている。
 全く持ってその通りだと守は思った。
「紙代さんは、こいつが実用化された場合、ただの人間が悪魔に勝てるようになると思いますか?」
 守は天井を見たまま、真剣な口調で物の先達に尋ねる。
「そうだなあ……。人工筋肉への伝達回路として【ギヒヒイロカネ】を用いた疑似神経を使うだろう? 計画通り上手くいけば、人間の能力の底上げだけではなく、術の増幅装置としても使えるだろう。術素養を持っている人間は少ない上、それを鍛え上げられる才能を有する者は少ない。そう考えると、ある程度の術者であろうと、悪魔に対して有効な術を放てるようになるこの計画は、術者としてみれば大いなる第一歩だと考えるよ」
「僕以外に、素人の候補者はいるんですか?」
「残念ながら、現時点ではそう多くはないね。冷静に状況を観察し、レポートすることのできる人間ってのは多くないもんさ」
「ふむ……。今俺が立候補すれば、プロトタイプは俺専用に調整されるんですよね?」
 守は紙代をしっかり見る。
「そうなるらしいね。一応今の時点で用意できている核の【ヒヒイロカネ】と君の精神を同調させ、君の体格に合わせたフレームの強化装甲服を作ることになるって聞いている」
「データは一日も早く欲しい、と」
「そうだねえ。敵の増援が早くて二ヶ月後に上陸してくるって話もあるから、それまでには第二陣の試作品を送り出したいらしい。それに、初心者のデータを集めるのは小康状態の今しかないだろうしねえ」
「二ヶ月後に来るとされる増援はそんなに強いんですか?」
「多分、第三帝国の連中が、データ採りに来るはず。護衛は最強の切り札を使うと推測される。そうなると、こっちも斬れる札を切るしかなくなるんでね。余裕のある真似はできないんだな。僕と鷹景の分はその頃に間に合うよう調整されている。そうはいっても、計画はこの事件前から動いていたんで、君の調整よりはかなり進んでいるんだが、なにぶん、規格外生物だからねえ、僕たちは。遅々として進まないんだよ。だから、基礎データが欲しいわけさ。最初から、応用を通り越したデータでこねくり回すのは無理があるからねえ」
「理想的なのは俺が協力すること。次点は、他の候補者を使うこと、何ですか?」
「冷静に物事を考えることができる人材で且つ悪魔に臆しない者。滅多にいないわけだよ、そんな初心者。だから、武人は何が何でも君を巻き込みたいらしい」
「だが、紙代さんは違う」
「まあねえ。理不尽なことで人が死ぬのを見るのは、流石にもう勘弁して欲しいんでねえ。
 ふっと笑いながら、「人間、自分の痛みには慣れるんだが、他人の痛みには無自覚になるかさらなる痛みとして自分に跳ね返ってくるかのどっちかでねえ。幸せなのは無自覚になることだろうが……それはそれであまりにも、ねえ」と、肩を竦めて見せた。
「僕は死にますか?」
「この業界は確固たる信念のない者から死んでいく。純粋な闘争、弱肉強食の世界だ。勝って生存することに無頓着な者は割りとあっさり死んでしまうさ。偶にそれが良い方向に働いて死人となる者もいるが、そんな例は滅多にないものさ。君は、何が何でも生き残るという理由を持てるかね?」
「確かに、今のままではないかも知れません」
「それが理由だよ。それとも、何か戦いに対して意味を見いだしたり、その向こう側にある何かを見つけたとでも言うかい?」
「いいえ」
「ふむ、ならばなぜ断らない?」
「気が変わったからですよ。事件前の日常が帰ってくるなら、俺は一も二もなく断ったと思いますが、レポートを見たときから変な違和感があったんですけど、あなたと話していてそれがはっきりと見えました。もう、二度とあの日常は帰ってこない」
「ほぅ、なぜ?」
「戦争が始まるから。第三帝国と北が【D兵器】を用いて、世界に対し挑み懸かる時代が来るからです」
「だとしても、君がこの戦いに身を投じる理由にはならない」
「いいえ。今、この開発に身を投げ、来るべき戦争に備えないと、俺は最前線で血を流し、命を落とさなくてはならなくなる。だったら、今の内にそれに備えるべきだ」
「ふむ。君は、先に血税を払うということかね?」
「それと、就職の内定を」
「それならば納得がいくねえ。ただ、掛け金は戦争の時の最前線並みになりかねないが、いいのかね?」
「どうせ命を賭けるなら、自分で判断できる場所に賭けた方がいい。命の無駄遣いを嫌う連中が上にいる組織で戦った方が最終的な生存率が高まるという者ですよ」
「冷静な判断だ。代償は高そうだけどね」
「別に構いません。徴兵と違って、自分で選んだ道を歩けるんですから、これはこれで得ですよ。それに、逃げ帰っても、データのためと言えば許されるんですから、戦場よりはなんぼもマシって奴ですよ」
「君は恐ろしく冷静な考え方をするな。敵前逃亡が許される戦場を選ぶ、か。確かに、命の無駄遣いはなさそうだな」
「こんなに面白いことが多い世の中、まだまだ死にたくありませんからね。それじゃ、連れて行ってくれますか、職場に?」
「当然だとも、石垣君。君と一緒に働けることを嬉しく思うよ」
「こちらこそ、よろしく」