『宝珠を探すもの』

 昼日中の町中を歩くと言うことに何時までも慣れることのない自分をリサは冷静に受け止めていた。人混みの中で標的を刺す事に特化したモノも組織にはいたらしいが、リサが覚えさせられた殺しはたいてい夜闇を利用する方法に特化されていた。他の方法にも長けていたが、手練れの暗殺者を無駄遣いする気はなかったらしく、回される仕事の大半は得意なやり方でやれる相手が多かった。サイアスも最も得意としていた闇討ちを仕掛けた相手の一人である。
(高が魔導師にいとも簡単に返り討ちにされる程度の腕だったわけだけど)
 己の追憶にあっさりとした評価を下し、リサは取り留めもない思考を止める。(今更詮無きこと。それよりも、今は……)
 目の前にある屋敷を自然な感じで見上げた。ただ、リサの感覚からしてみれば、屋敷と言うよりは要塞であった。どうにも、昨日の屋敷と言い、この街の有力者は何かに畏れて、城塞に篭もっているとしか見えなかった。
 明らかにお上りと思わしき人々もまた、リサの様に屋敷を見上げて感心しているため、しげしげと観察していても余り怪しまれないのは彼女にとってありがたかった。基本的に、彼女が仕事を仕掛ける時は、綿密な下調べと集められる情報を集めるだけ集めて可能かどうかを熟慮し、如何なる死角も見あたらないと確信できる状態でなければ決して動かない主義であった。その為に、必要経費は嵩み、口さがない連中から嘲られたりもしたが、生き延びてこその世界で手を抜くほどリサは愚かではなかったし、見積もりを甘く見て死んでいったものを数多見てきた者としては、他者の主観など気にする問題ではなかった。事実、仕事に失敗して死を垣間見た者としては、かつての自分でさえ調べが足りなかったと考えている。なぜならば、今の相棒はかつての自分よりも用心深く、その状態ですら満足していない石橋を叩いても渡らない慎重居士なのである。そんな男を前にして、自分の下調べを誇れるほどリサは自信過剰でも愚かでもなかった。むしろ、その点においては間違いなく、リサはサイアスのことを信頼していた。仕事で組んできた相手全てが、リサの遣り口を笑い、死んでいったのに対し、サイアスはリサを上回り、屈服させたのだから。
 そのサイアスがどこからか入手してきた見取図を脳内で再生させながら、屋敷の外観に当てはめ、実測を己のものとするために人混みに紛れ込みぐるっと外周を怪しまれない歩調で歩く。見取図になかった空間はないか、忍び込むならどこからか、己の動きを阻害する構造物はないかを想像し、問題がないことを確認する。
(難敵に出会わない限り、問題はないわね)
 そう結論づけ、立ち去ろうとした時、
「おや、これはお嬢ちゃんじゃないか」
 と、後ろから声を掛けられた。
 リサはぴくりとも反応せずに、無視してそのまま立ち去っていく。
「おいおい。無視する対応は間違っちゃいないが、なんで気が付いたのかぐらいは聞いていくのが礼儀ってモンじゃないかい?」
 しれっとした表情を浮かべて、何事もなかったかの様にリサの隣をハヤテは歩く。
「人違いじゃありませんか?」
 昨夜とは顔も姿も、声も違う。それでも気が付かれたと言うことに関しては多少気になるところではあった。危険を冒してまで聞きたいとは思わなかったが。
「気配が変わっていない。魔導師の兄ちゃんには気が付かないだろうが、嬢ちゃんは何処にいてもすぐに分かるね」
 ハヤテはげらげらと笑いながら、リサの内心を読んだかの様に答えた。
「そうですか」
 気配を殺すことに関して言えば誰にも負けない自信があったので、多少衝撃を受けた。だが、相手が本物の剣聖かどうかは兎も角として、日出ずる国発祥の剣技を使う侍であろう事から、気配に対しては一家言あってもおかしくはないとすぐに思い直した。
「ほんと、表情に出るタイプだねえ、嬢ちゃん。考え方を逆にしてみな。嬢ちゃんは気配を殺すのが上手すぎるから、見つけやすいんだ。あと、顔に出ているわけじゃなくて、気配を殺そうとしすぎて表情を読みやすいってこった。そう云う意味では、あの魔導師の兄ちゃんは曲モンだな。顔にも気配にも表情が出てこない上、何処にでもいそうで何処にでもいない気配を常に出してやがる。お陰で、無駄足だったわ」
 苦笑しながら、ハヤテは肩を竦めた。
「無駄足ですか?」
「ああ。嬢ちゃんと話したところで、嬢ちゃんの本音しか見えねえだろう? すると、折り合いが付けられるかどうかは分かんねえワケだ。ぶっちゃけ、嬢ちゃん達とは真っ向勝負したいとは思わないんでな。勝っても負けても、得るモンは自己満足だけだ。それはそれで構わないんだが、仕事に私情を持ち込むのは趣味じゃないんでねえ。行動方針を持っている方に話を持っていきたかったわけだ」
「成る程。確かに、私ではその様な話は受けかねますね。彼にしたところで、その話を何処まで本当か信じないでしょうし。それに……」
 並の相手ならば、その視線だけで殺せそうな殺気を込め、「ここで貴方が本当にやり合う気がないかなど、実際の所は分かりませんから」と、リサはハヤテを睨み据える。
「おお、怖い怖い」
 茶化す様に笑った後、「俺にはやる気はないが、嬢ちゃんがやるてんなら、相手になるぜ?」と、凄みを利かせた殺気をそのまま叩き付けてきた。
「……止めておきます。どう考えても私には分がありませんから」
 気を抜くと全身が弛緩しそうになる恐怖を堪え、臨戦態勢を解いてみせた。
「それが賢明だ」
 すっと殺気がハヤテから消え失せ、げらげらと笑いだした。
「それで、私に声を掛けてきたのは、からかうためですか?」
「まあ、それもあるな」
 ハヤテはあっさりとリサの疑問を認めた上で、「争うべき敵を知ることも、仕事の一つだろう?」と、見る者を惹き付ける笑みを浮かべてみせる。
「その通りです」
 それにはちっとも反応すらせず、リサは淡々と答えた。
「やれやれ、振られたねえ。魔導師の兄ちゃんなら、乗ってきてくれたんだろうが、あの兄ちゃんを見つけるのは骨だしな。だからといって、嬢ちゃんに頼んでも、絶対に連れてきてくれないだろう?」
「敵と馴れ合う気はありません」
 リサはにべも無く言下に切った。
「俺が敵じゃなくても、嬢ちゃんは連れてきてくれない気がするんだけどねえ」
 ハヤテは苦笑を隠そうともせずに、「ま、いいさ。だったら伝えておいてくれ。俺は今の仕事を国一つ買える額で請け負った。それを考えろ、とな」とだけ伝え、立ち去っていった。
 その後ろ姿の何処にも隙はなく、リサが見守っている内にあっと言う間に雑踏の中に掻き消え、その気配もすっと消え去っていた。
 後を付けることはできないと悟り、逆に付けられない様に気を配りながら、リサは集合場所へと向かうのだった。

「成る程ねえ」
 ハヤテからの伝言を聞き、サイアスは食べていたチョコレートムースのスプーンから手を離す。「随分と太っ腹な依頼人もいたものですね」
「信じるのですか?」
「そりゃあねえ。あの剣聖を相手に、値切る人間なんていないでしょう。少なくとも彼の剣技は並大抵のものではありませんしね。騙りだとしてもそれを見切れる人間がいるわけありません。だとしたら、噂通りならその金額を全額前払いですよ」
「全額、ですか?」
 唖然とした表情でサイアスの方を見る。
「あれ、知りませんでしたか? 少なくとも、数年前に行方を暗ますまでは、剣聖が仕事を受ける条件は全額前払い。正し、受けたからにはキャンセル不能。絶対にその仕事を遂行するという厄介な相手でしてね。敵にしたくない相手として、この業界では有名でしたよ。少なくとも、僕は剣聖の目に止まらない範囲でしか生きてきませんでしたね」
 そう言うと、サイアスは湯飲みの抹茶を口にした。
「そうすると、依頼の内容は私たちの命を取ると云ったものではないのでしょうか?」
「そりゃ僕が聞きたいですね。リサさんはどう思ったんです、彼の話を聞いて?」
「私、ですか?」
「そう、貴女。僕はこれでも女の勘は信じる方なんですよ。特に、貴女の勘は」
「そうですね……。嘘はついていなかったと思います。ただ……」
「ただ?」
「こちらの何かを測ろうとしていた気はします。今のところの本音ではあるが、先の本音とは限らない……。正直なところ、あの男に関して云えば、私は相性が悪いみたいなので自信がありませんが」
「いえいえ。それだけでも十分」
 サイアスは一口分チョコレートムースをスプーンで拾い上げ、「貴女相手に嘘をつける人間なんてこの世にいませんよ。嘘をついたところで、貴女の目を欺せるものなどいないのは僕がよく知っていますから。それだけ分かれば十分ですよ」と、笑いかけてから、チョコレートムースを頬張る。「いやあ、チョコレートムースに抹茶は最高に合いますね。貴女もどうですか?」
「いえ、私は甘いものは苦手ですから」
「そうですか。美味しいものなんですけどねえ」
 ニコニコと笑いながら、サイアスは上機嫌のままチョコレートムースを頬張り続ける。(さて、ここからが本題なのですが……)
(はい)
 唐突に念話に切り替えたサイアスに対して、動揺も見せずに念話で返す。
(申し訳ありませんが、貴女に見に行って貰った大地の宝珠は諦めます)
(分かりました)
(物分かりが良すぎますね。理由は聞かないのですか?)
 苦笑じみた思念をサイアスはリサに送り込む。
(貴男の判断を疑う理由が見あたりません)
(それは高い評価ですね。それでは、それに便乗させて貰いましょう。下調べが甘いですが、もう一方を先に強襲します。僕の考えが正しければ、ハヤテ君は貴女が調べていた屋敷を今夜当たりに強襲するでしょうからね)
(根拠は?)
(まずは貴女に接触したと云うことが一つ。貴女を見つけるためではなく、貴女と同じ目的でその場にいたから偶然話しかけてきたって事でしょう。次に、昨夜、僕たちを見逃していると云うこと。僕らの命が目的ならば、何よりもそれを優先してきたでしょう。最後に、これが大きいのですが、依頼料の値段が高すぎると云うこと。僕の知っている限り、剣聖の依頼料の相場から云えば、僕ら二人の命の代価としては高すぎますし、リサさんの正体を知っていてその値段ならば安すぎます。だとすれば、宝珠が本物であり、その収集に正統な値を付けたと云ったところでしょう。それならば、あの値段も納得がいきますし、一時的に我々をこの仕事から降ろさせたかったという態度も納得できます。まあ、所詮は推測に過ぎませんが、次に鉢合わせたら正直勝てる自信がありません。多少は勝てる算段を持ってからぶつかり合うとしましょう。故に、知識の宝珠を優先させます)
(相手が裏をかく可能性は?)
(否定はできませんが、そこまでする理由があるかどうかと云うところです。こっちに取引を持ちかけようと見せかけている時点で、無駄に力を使うのを嫌っていると思いましたが、こっちを誘っているとも取れますね。まあ、リサさんの直感も含めた僕の推論が正しければ、ハヤテ君は襲ってこないとは思うんですけどねえ)
(それはなぜ?)
「だって、楽しみは取っておくものでしょう?」
 チョコレートムースを名残惜しそうに食べきると、抹茶をゆっくりと口にするのだった。

 急拵えとはいえ、サイアスの計画は相変わらず微に入り細を穿つ実に綿密な計画であった。それでいながら、突発事態に対しても対応可能な余裕すら残している。
(ざっとこんな所ですかね)
 得ている情報を念話でリサに直接譲り渡し、サイアスは手で合図を送ってきた。
 リサは行動を持って返事となし、音もなく木の枝を伝って三階の窓に辿り着く。用心深く窓を開け、サイアスの元に縄を垂らした。サイアスは見かけによらず素早く縄を伝って三階に辿り着き、ふわりと着地する。それと同時にリサは縄を片付け、静かに窓を閉めた。
(まずは第一関門突破ですかね)
 左右に目を配りながら、サイアスは気配を押し殺したまま念話を送ってきた。
(宝珠の場所は?)
(少々お待ちを)
 サイアスは複雑な印を切り、二言三言小声で呪文を唱えると、(感じからして、二階ほど上層のこの辺りですかね?)と、目的地に印を付けた見取図をリサの心に直接送り込んできた。
(分かりました。先行します)
 リサが動こうとした時、
(ちょっと待って下さい。小細工を先に発動させます)
 と、サイアスはリサを引き留め、傍の小部屋に忍び込んだ。
 リサもそれに続き、扉を閉め、サイアスに行動を促す。
 サイアスは素早く部屋の四隅に札を貼り、簡易な結界を築くと、気配を殺そうともしない大胆な動きで印を切り、呪文を唱えた。
 暫くして、彼らが忍び込んだ棟とは正反対の棟から轟音が鳴り響き、
「火事だー!」
 と、大騒ぎになった。
 リサは外の廊下に聞き耳を立て、騒ぎの方に足音がいくつも掛け去っていくのを確認した。
「ざっとこんなものですかね。遠隔発動の術なんで、さほど持たないでしょうが、陽動ぐらいにはなるでしょう」
「私たちの居場所をあの男に教える様な気もしますけどね」
「ま、何事も一長一短ですよ。とりあえずは、人での大半が向こうに動くまで暫く待ちますか」
 一つ大きく息をつくと、サイアスは近くの椅子に座り込む。「まったく、行き当たりばったりすぎて、心臓に悪いですよ、今回は」
「その割りには手慣れていますね」
「昔はこんなもんでしたから。貴女という協力者がいることで、自由度が増したから自分好みの流儀を行えるってところがありますしね」
「誉め言葉と受けて止めておきます」
「誉め言葉ですよ。正直、貴女の万能さ加減には舌を巻きますからねえ」
 へらへらと笑いながら、「さて、良い感じに時間も経ちましたし、態勢を整えてから参りますか」と、サイアスは立ち上がった。
 リサは一つ頷き、外の気配を探る。
 その間に、サイアスはいくつか相手を阻害する術を発動させ、リサの合図とともに結界の為に四隅に張った札を剥がし、静かに部屋を出た。
(どうやら上手くいったようですねえ。先ほどより人の気配が減っています)
(ここからは強行突破ですか?)
(いえ、なるべく危険は避けていきましょう。宝珠の傍に行き着くまでは見つかりたくありません)
 リサは一つ頷くと、気配を殺して騒ぎが起きている方向とは逆のルートを進行する。
 サイアスも手慣れた様子で気配を殺してリサに続く。ハヤテに言われなければ再認識できなかったことだが、一般的に知られている魔導師像や、仕事で相対してきた魔導師に比べて、サイアスは規格外なところが多かった。そう言う部分で不覚を取り、返り討ちにあったはずなのに、行動を共にすることが長くなってきた所為か、そのことに不自然さを感じなくなってきた自分に違和感を感じなくなってきていた自分に対して、リサは愕然としたものを感じた。まるで、それを考えることを意図的に逸らされていたかと疑いたくなるぐらいである。
(そんな事していませんよ)
 甚(いた)く自尊心を傷つけられたとばかりにいじけた思念をリサに送ってきた。
(違うのですか?)
(違いますよ。流石にそこまでする理由がありません)
(貴男なら、敵を騙すにはまずは味方からと云って、私の無意識に介入していそうな気がしたんですが)
(そんな無粋な真似をするものですか。人の意志を改竄すると云うことは、それまで積み重ねてきた人生を無に帰しかねない危険なことなんですよ? 確かに、人を誘導することは趣味ですがね、僕は人がどう行動するかを見るのが楽しみなのであって、人を壊すことには興味はありませんよ。それにね、リサさんみたいな面白い人をなまじいじって壊してしまったら元も子もないじゃないですか。そんな勿体ない事、どうして僕にできると思っているんですか、全く)
 不機嫌きわまりない思念をリサに送った。
 リサが何か言い返すか悩み出した瞬間、人の気配を感じて合図を出そうとするのと同時に、
(どうやら、お遊びはここまで見たいですね)
 と、サイアスが緊迫した念話を送ってきた。
 気配を感じられる近距離で念話を感知されたら危険なので、手で留まる様に合図を出し、細心の注意を払い、気配の方へと近づく。目的の部屋と思わしき扉の前に、見張りが二人気を抜くことなく立ちはだかっていた。
 そのままサイアスの元に戻り、
(見張りが二人います)
 と、心の中で呟いた。
 サイアスは大きく頷き、天井を指で差す。
 リサは首を左右に振り、天井裏が存在しないと伝えた。
 渋い表情を浮かべ、サイアスは悩んだ後、首筋を手刀で叩いた。
 リサは首を縦に振り、見張りの死角まで慎重に進む。
 サイアスが後ろに来たのを確認してから、
(仕掛けます)
 と、再び心の中で呟いた。
 サイアスが気付いたかどうかは確認せず、見張りが瞬きする間に一気に間合いに入り、一撃の下に昏倒させる。
 もう一人がそれに気が付き、呼び子を鳴らそうとした時には既にサイアスが後ろに回り込み、同じく昏倒させていた。
 大きな音が立たないよう、見張りをゆっくりと壁に背を預からせる形でしゃがませ、扉の向こう側の気配を探る。人の気配がない事を確認し、扉に罠が設置されていない事を用心深く調べてから、音を立てない様静かに扉を開ける。猫の様にしなやかに部屋に忍び込み、扉をゆっくりと閉じる。
 その間に、サイアスは最小限の魔力で探知の呪文を構築し発動させていた。
 リサがサイアスの方を見ると、
(その戸棚にあります)
 と、正面の大きな戸棚を指差していた。
 リサは流れる様な動きで静かに戸棚を開き、サイアスが指差した方向にある豪奢な箱を取り出す。その間にサイアスは再び簡易結界を構築し、さらなる強固な結界を築いていた。
 慎重に結界の真ん中に箱を置くと、サイアスは魔術的な罠が仕込まれていないかを手早く確認する。一息ついてから、
「どうやら、問題なさそうですね」
 と、言ってサイアスは片膝を付いた。
「限界ですか?」
 リサはサイアスの態度を見て尋ねる。
「いえ、多少辛いですが、まだ何とかなるレベルじゃないですかね。流石に昨日の今日なので、いつもよりは辛いと云ったところですか」
 苦笑しながら、サイアスは答え、ゆっくりと立ち上がる。
 リサにとって魔術や魔導は門外なので詳しくは理解していないのだが、サイアスの話に寄れば、この世界に存在しているモノの総和は常に等しく、欠けたり増えたりしないモノだという。魔術は、この世界に存在するモノの形を変えて、己の望むモノを得る為の技術だと言う。その代償は望む行為によって異なるとの事だが、世の噂とは違い、術の行い方さえ知っていれば、誰であろうと発動させる事ができるのだという。即ち、魔術の遣り方さえ知っていれば、誰でも魔術師になれるというのだ。
 一方、魔導師とは何者かと言えば、この世とは異なる法則を持って起こりえない法則を創り出す術──即ち魔導を知る者だという。この法則を用いて、魔術によって起こりうる効果を最大限に活用している為、魔術を使うのが魔導師だと一般に考えられがちなのだという。リサがそれでも分かり難い顔をしていたら、
「なんとなくイメージしにくいなら、梃子の原理や滑車を使って巨石を楽に動かそうとするでしょう。魔術は巨石を動かす為の力で、魔導とは梃子の原理や滑車の様に力の方向性を変える為の道具だと思えば良いんですよ。魔術だけでは効率が悪いから、何かしらの法則を組み合わせる事でより望ましい力の発現を得る為の技術というわけです」
 と、サイアスは説明した。
 ただ、梃子で巨石を動かす場合の代償は人間の労力だが、魔術で動かした場合の代償はなんなのだと聞いたら、
「ああ、基本的には同じですよ。その代償を変える為に魔導でより払いやすいものには変えますけどね」
 と、あっけらかんとした表情で答えたものだった。
 だが、共に行動をしている内に、その代償が精神的疲労や肉体的疲労だけでは説明の付かない時もあり、時としては寿命すら代償にしているのではないかと疑いたくなる時もある。本人が笑って誤魔化すから、リサはそれ以上追求できなかったが、便利だからと言う理由で、魔術を乱用させる気にはなれなかった。
 例え相手が、自分の望みを阻害していようと、だ。
「本当に問題ないのですね?」
「信用ありませんね」
 サイアスは苦笑しながら背伸びをし、「多少だるいだけです。無理をしなければ数日で回復しますよ。まあ、この件が終わるまでは随分と無理をしなくてはいけなさそうですがね」
「貴男が死ぬと私が死ねなくなるのですから、無理はしないで下さい」
「分かっていますよ。無理矢理貴女をこの世界に縛り付けたんですから、その責任ぐらいは果たしますよ」
 サイアスは楽しそうに笑い、「それでは箱を開けて下さい。カラクリ細工の方があるかどうかは流石に分かりませんから」と、リサを促した。
 リサは一つ頷き、慎重な手つきで箱を探る。
「鍵が掛かっているだけですね。戸棚自体にも罠はありませんでしたから、この様に奪われるという想定はしていなかったのでしょう」
「成る程。それでは、お願いします」
 サイアスに促され、リサは箱の鍵を開け、蓋を開く。
 中には淡い緑色をした宝珠が一つ鎮座していた。
 サイアスは暫くじっと観察し、
「どうやら、これも本物臭いですねえ」
 と、渋い表情を浮かべた。
「そうですか」
「そうですよ。これは、僕たちがはめられたか、それとも、何らかの意図を持って僕たちがこの事件に関わる様に持ってこられたのかを疑う時期が来たみたいですねえ」
 自分の思考にどんどん沈み込んでいきそうになるサイアスに、
「とりあえずはここを出てから考えるべきでは?」
 と、リサが注意を喚起した。
「それもそうですね」
 一つ大きく頷いてから、箱を閉じ、何らかの術を施した後でサイアスはそれを虚空に仕舞い込む。「さてと、あとは証拠を消しませんとねえ」
 二重に張った結界を解き放ち、懐から取り出した拳ほどの大きさの丸いモノを箱が仕舞われていた場所に置いた。
 それから、印を切り、術を唱え、
「あとは、これを確認しようとした人へのお楽しみという事で」
 と、にへらと笑って、リサに部屋を出る様に促す。
 リサは一つ頷き、外の気配を探ってから、音もなく扉を開け、見張りが気絶したままなのを確認してからサイアスに合図を送る。サイアスが同じく気配を殺して動き始めたのを見て、侵入してきたのとは違う道筋で予定している脱出口へと足を向けるのだった。

 屋敷の火災を見に来た野次馬に紛れ込み、二人はその場をゆっくりと離れ始めていた。
「いやはや、物騒ですねえ」
 周りの野次馬の騒ぎで、狙って盗み聞きし辛い状態なのを良い事に、サイアスはリサにだけ聞こえる声で話しかけていた。
「何がですか?」
「良く周りを見てご覧なさい。この街の領主の兵が屋敷を守っていますよ。むしろ、入れない様に塞いでいるだけかも知れませんね。門の中に入れて貰えないみたいですし」
 サイアスの言う通り、門は固く閉ざされていたが、その前にこの街の衛兵らしき集団が門の中と外を厳重に見張っていた。
「私には中から逃げ出せないようにしているように見えますが」
「それも正解でしょうが、何者を逃がさない様に見張っているんでしょうね。全く、どうにもこの町は物騒でならない……」
 火災が治まりつつあり、なんの変化もない事から、野次馬が解散しようとした矢先に、屋敷の上の方から轟音と共に大きな火が上がった。
 再び火災が起きた事で、帰りかけていた野次馬が再び屋敷の方へと足を運ぶ。その隙に目立たない様に外へ外へと二人は進んでいた。
「随分と派手な証拠消滅ですね」
 呆れた口調でリサは呟く。
「派手かどうかは兎も角、試金石にはなりますよ。訴え出るか、失火として家の中の事として片付けるかどうかの、ね」
 人の悪い笑みを浮かべ、サイアスは屋敷へと振り返る。「まあ、どちらにしろ……僕たちの依頼人を確認しないといけないようですね。どうにも、厄介毎に首を突っ込まされた気にしかならない」
「私たちの様なしがない便利屋に御大層な事ですね」
「ええ、だからこそ、確認するべきなんです。何が目的なのかを、ね」
 深刻そうな表情を隠そうともせずに、サイアスは隠れ家へと向かうのだった。