『決着』

 【瘴気】を撒き散らしながら中心に直走(ひたはし)る【闇風】を即(つ)かず離れずの距離でアヤメは追っていた。
 【闇風】はアヤメに一顧だにせず、ひたすら駆け続ける。
 アヤメも何も仕掛けず、【闇風】を付ける。
「……いつまで付けてくるつもりだ、小娘?」
 人っ子一人いない、鵜ノ沢の目抜き通りで【闇風】は立ち止まり、アヤメに目を向ける。
「雷刃様が追いつかない場所までは、仕掛けるつもりはありませんでした」
 彼女が知る限り、【闇風】の間合いの外で立ち止まる。
「ほう、敢えて勝利を捨てるか?」
 嘲笑う【闇風】に対し、
「そう取られましても構いませんわ。私は私の意地を通したいだけですから」
 アヤメは静かに構えを取る。
「ほう、なかなか良い腕、だ」
 いつ打ったのか分からない棒手裏剣が、【闇風】の急所という急所に何本も刺さっていた。「だが、惜しいかな。この程度の武具で儂を傷つけることはできぬよ」
「でしょうね」
 アヤメは淡々と相槌を打つ。「雷刃様に【羅刹】の説明を聞いて納得がいったもの。この世ならざるモノに、私の媚蠱の術が通じるわけありませんものね」
「媚術? ああ、お主の奥の手は媚術であったのか。なるほど、部下が儂の思い通りに動かなかった訳よ」
 今更納得がいったという口調で、【闇風】は嗤(わら)う。
「……? 私の能力に気付いて、私だけ生かしていた訳じゃなかったの?」
 怪訝そうな口調で、探るようにアヤメは尋ねる。
「さて、何でだったかな……。部下に宛がう女が必要だったからだったかの……」
 揶揄するかのように、【闇風】は軽口で返した。
「そう……。どちらにしろ、一族の仇には違いないもの……。やることは変わらないわ」
 無駄話を続けていても相手の術中に嵌(はま)るだけと思ったのか、一切の感情を消し、アヤメは冷徹な瞳で【闇風】を見る。
「無駄なことをする……」
 どうでも良いとばかりに、【闇風】は構えすら取らずに対峙する。
「無駄かどうかは、やってみるまで分からないわ」
 アヤメは一気に間を詰めると、再び手裏剣を打つ。
 【闇風】は避けようともせずに、アヤメに殴りかかる。
 人間と懸け離れた拳は狙い違わず腹部にめり込み、そのまま近くの家屋の壁まで吹き飛ばす。壁はアヤメを受け止めずに砕け散り、瓦礫となってアヤメを埋める。その衝撃で近くにある天水桶が崩れた。
「……くぅ……」
 呻き声を上げながらも、瓦礫の下からアヤメは立ち上がる。「今のままでは……届かない……」
「届いたところで無駄よ。まだ分からんのか?」
 流石に呆れた口調で、【闇風】はアヤメを嘲(あざけ)る。
「分かったとしても、その程度で諦めがつくほど、私の想いは安くない……」
 ふらつきながら、アヤメは懐に手を入れ、「……使うしかない、か……」と、呟く。
「ほう、まだ何かあるのか? どうせ、死ぬのだ。好きなだけやるが良い。死体は有効活用してやろうぞ?」
「お断りよ」
 アヤメは懐から取り出した紙包みを口にしようと、手を動かした瞬間、「っ?!」と、顔を歪めて、右手を左手で突然押さえる。
 息を切らせ、肩で呼吸をしている雷刃が、
「ふぅ、何とか間にあったかい」
 と、何かを投げた姿勢のまま立ち尽くしていた。
 雷刃とアヤメを結んだ線の延長上にある板塀に一本の小柄が紙に包まれた何かを縫い付けていた。
 アヤメがそれを取り戻す前に、雷刃は素早くそれを手に取り、中身を確認する。
「やはり、【戮沙(れきさ)】の秘薬かい……」
 雷刃は深々と溜息をつくと、粉薬を地面に撒き散らし、下駄で掃き散らす。
「雷刃様ッ!」
 仇敵を見るかのような眼差しでアヤメは睨み付ける。
「悪いが、世界で一番こいつが嫌いでね。俺の目が黒いうちは、こいつを使わせるわけにはいかねえなあ」
 それに怯むことなく、さらに厳しい目つきでアヤメを睨み返す。「こいつは最悪最低な麻薬だ。常日頃から刻み煙草に混ぜて服用し、体の隅々まで行き渡らせておく。そいつは常日頃は何の力も発揮しないが、ある粉薬を飲んだ時に真価を発揮する。常日頃の力からは想像も付かぬ圧倒的な力を発揮できるが、一刻(いっこく)も立たぬうちに全身が溶けて死ぬ。愛した女を抱けぬ姿で失わせる悪魔の薬よ……」
「それでも……」
 猶も言い募ろうとするアヤメを制止し、
「俺の前でその薬は使うな。良いか、使うな」
 と、きっぱりと言い切る。
「茶番は終わったかね?」
「終わっちゃないが、お前さんを殺した後に続きをするさ」
 雷刃はアヤメを庇いながら、【紫電丸】を抜く。
「無駄なことをしようとしておるな」
 【闇風】の哄笑を受け流し、雷刃は青眼の構えを取る。
 相変わらず、【闇風】は構えも取らず、【瘴気】を放ち続ける。
「狗狼、吼え続けろ。【瘴気】を打ち消せ」
 雷刃は【闇風】より目を離さないまま、愛犬に命ずる。「まあ、辺りに人はいないがな」
「なんだと?」
 流石に【闇風】は驚きの声を上げる。「確かに人の気配がせぬのは怪しいと思っておったが……いないだと?!」
「何が起こるか分からなかったからな。町方と新徴組に協力して貰い、ここいら一帯の町衆は避難させたさ」
 雷刃はにやりと笑い、「まあ、地獄絵図を作る計画は諦めてくれ」
「お主、どこまで読んでいたのだ?」
「何、怪我の功名さ。一応、鵜ノ沢が火の海に沈む最悪の状況をも考えていたんでねえ。救出と火消しを同時だと時間が掛かりすぎるだろう? 流石に、鵜ノ沢が延焼したらこの時期に前線に出ている者達が動揺するだろうからねえ。それを避けたかったってだけさ」
「……どちらにしろ、お主はあの御方にとって邪魔だな……」
 【闇風】は突如姿を消し、雷刃の死角に瞬時に現れる。
「技は優れていても、使い手が莫迦では話にならんな」
 先読みしていた雷刃は【闇風】が現れるや否や、斬りつけて跳び退る。「一本調子の技では、俺を捕らえきることなどできぬよ?」
「問題ない」
 斬り裂かれた腹をぐじゅぐじゅと湿った音を立てながら再生させ、「儂に疲れはないが、お主に疲れは生じる。いつまで保つかな……」と、再び死角へと瞬時に移動する。
「ま、我慢比べかね」
 大して面白くもなさそうに呟くと、【闇風】の攻撃より前に斬り付け、跳び退る。
「我慢比べ? 儂を討つ手立てがないのにか?」
 【闇風】は嘲笑いながら、豪腕を振るわせ、今度は真正面から仕掛けてくる。
「さて、本当にないのかねえ? 本当にないのであれば、俺に拘らず、他の手を打っているんじゃないのかい? 何も、俺に拘らずとも、鵜ノ沢を落とす手だてなどいくらでもあろうに」
 軽やかにその剣呑な一撃一撃を交わしながら、雷刃は何か探る目つきで【闇風】を観察する。「まあ、俺としては、俺にかかずらってくれる方がありがたいがねえ」
「若造。……儂がそんな鎌かけに騙されるとでも思っておるのか?」
 【闇風】の攻撃を紙一重で避け、
「さて、余裕がないのはそっちに見えるからねえ」
 【闇風】が再び消える前に腹を十文字に切り開く。
「……クッ……」
 慌てて【闇風】は間合いを取る。
「ほらな。俺の攻撃は当たるが、お前さんの攻撃は当たらない。お前さんは【羅刹】で、俺は曲り形(なり)とも【神刀流】剣士。さてはて、本当の意味で焦っているのは、どっちかな?」
 にやにや笑いながら、雷刃は【紫電丸】を突きつける。「俺は未熟だが、爺様はこいつで悪鬼羅刹を斬っていたって云うぜ? 俺が疲れ果てるのが先か、こいつを爺様のように使いこなせるようになるのが先か、面白いとは思わないのかい?」
「……そうか、ならば、これはどうだ……?」
 雷刃の挑発を受け、【闇風】はそう言って駿足移動でアヤメの側に立つ。「これでも、その余裕は崩れぬかのお?」
 豪腕がアヤメに襲いかかる前に、雷刃はアヤメを抱き上げ、【闇風】の間合いの外まで駆け抜けていた。
 豪腕は虚しく地を穿ち、土煙を巻き起こす。
「雷刃様。あの程度ならば、私でも避けられました」
 雷刃の腕の中で抗議するアヤメに対し、
「何、事のついでだから気になさんな。それに、無謀な行動をされると流石に困るんでね」
 と、笑いながら、アヤメを地面に下ろす。「ま、お陰でやっと見つけられたさ。狗狼ッ、勝負をかけるぞ!」
 雷刃の呼びかけに、狗狼は低く唸り声で返すと、これまでで最大の大きさの遠吠えを上げる。
「くっ、な、何をした……」
 突如、体が言うことを聞かなくなった【闇風】は驚愕の声を上げる。
「本来の退魔の遠吠えってのはな、【太陽神】の妹たる【月女神】が己の眷属である狼たちの中でも力あるものに与えた、【魔】を退ける高位の術法よ。極めれば【魔王】すら退く秘法中の秘法。まあ、極められる眷属ってのは天狼と狼人だけって話だがな。で、俺の相棒は今や数少ない純血の天狼、【魔】を滅ぼすためだけに【月女神】が作り出した生粋の狩人って訳だ」
 動きが止まった【闇風】に向かって歩き出すと、【紫電丸】を右肩に担ぐ。
「……その様ななまくらで、儂を倒せはせんぞ?」
 多少動揺をにじませながら、【闇風】は虚勢を張る。
「さて、やってみなければ、分かるまい?」
 雷刃はゆっくりと一歩、一歩近づいていく。
 【闇風】を間合いに入れた瞬間、狗狼の遠吠えが終わった。
「愚かな。切り札なしで、どうする気だ!」
 体の自由を取り戻した【闇風】が雷刃に襲いかかろうとした瞬間、
「誰も、退魔の遠吠えが切り札と云った覚えはないがね」
 と、言うや否や、最初に【闇風】を両断した踏み込みで懐まで入り込み、振りかぶっていた【紫電丸】で袈裟切りにする。
「効きはしないと──」
「当たり前だ、これは通り道を作っただけだからな」
 【闇風】に最後まで言わさず、【紫電丸】を左手で振りきる。「本命はこっちだ」
 いつの間にか【紫電丸】から離していた右手で、腰間の小太刀を抜くと、躊躇無く【紫電丸】で斬り裂いた部位に小太刀を突き入れる。
「覇ッ!」
「っ?!」
 雷刃の気合い声とともに、その小太刀は眩く光り輝く。
「お、お主ッ……。な、何を……」
 体の中を走る衝撃を受け、【闇風】は動揺する。
「俺が何も考えず斬り付けるだけだと思っていたのか? 最初から、お前さんの【魔】の力が一番濃い場所を様々な方法で探していたのさ。退魔の遠吠えはな、お前さんの力を包み隠している【瘴気】を払うって目的もあったが、一番【魔】の力が濃い場所に当たりを付けるための方便に過ぎんよ」
 雷刃はにやりと笑い、「あとは、この【鵺斬り】でそいつを祓えばいい。さっきも云った通り、爺様ならば【紫電丸】で斬れるんだろうが、俺は未熟者でね。【陽緋色金】で鍛え上げられた武具じゃないと、濃い【魔】を祓えないのさ」と、さらに【鵺斬り】に気を篭める。
「ぬ、【鵺斬り】だと?! や、やはり、お主の正体はあああああああああああああああああああっ」
「悪いが、知りすぎたお前さんは俺にとって邪魔でね。──滅しな!」
 【鵺斬り】に篭められた莫大な気が【陽緋色金】の刀身を旭日のように輝かす。
 狗狼の遠吠えでも消しきれなかった【瘴気】もろとも、【闇風】は光に溶けていき、消え去った。
 右手と左手に構えた【鵺斬り】と【紫電丸】を軽く振るい、そのまま鞘に収める。
 何事もなかったかの如く、【青嵐】を腰から右手で抜き、
「さて、帰ろうか?」
 と、アヤメに左手を差し出した。
「……は、はい……」
 【鵺斬り】の発光を直視してしまったアヤメは、目をしょぼつかせながら、恐る恐る雷刃の手を取る。
 狗狼は慣れたものとばかりに、雷刃の左足に頭を擦り付け、ぐるぐると二人を中心にして回り出す。
 それを見て、雷刃は口をほころばせながら、
「それにしても……」
 と、思わず呟く。
「はい?」
 ようやく目が慣れたらしく、アヤメは雷刃の方を向いて尋ね返す。
「……ン、いや、大したことはないんだがね」
 右手で握った【青嵐】でいつものように肩を叩きつつ、「なに、【青嵐】を投げつけるのも、【紫電丸】で斬り付けるのも結局は本命の一手を隠すための同じ技なんだが、二回も引っかかっるような莫迦が相手で助かったと思ってね」と、大笑いするのであった。