「ねえねえ、薫見て見て。すごいモノ捕まえてきたわ」
「いきなり何を言い出すかと思えば……」
 神社の境内を巫女装束で掃除していた薫は、瞳が首根っこ捕まえて持ってきた生き物を見て驚きを隠せなかった。
「あら、どうしたの、薫。そんな鳩が豆鉄砲を喰らったような表情で?」
 瞳は薫の反応を見て首を傾げる。
「千堂! 誘拐は犯罪とね! 直ぐに自首ばする!」
「酷い勘違い様ねえ。薫、あなた、私のことを何だと思っているの?」
 瞳は深々と溜息を付いて見せた。
「年下趣味が高じた?」
「流石にこの子はストライクゾーンから大幅に外れているわよ」
 苦笑しながら、瞳は少年を地面に下ろす。
「どちらにしろ、同意を得ない拉致は犯罪……あれ、君は?」
 薫は再び驚いた表情を浮かべ、「那美の友達、だった子かな?」と、尋ねた。
 少年はじっと薫を見てから、
「あの時は申し訳ありませんでした」
 と、丁寧に謝った。
「うちに謝られても困る。もし、この先那美に再会することがあったら、その時にお礼を言えばいい」
「那美ちゃん……? ああ、なるほど。この子が噂の、那美ちゃんに膝を癒して貰った上に、風邪を引かせた暴走少年ね」
「だから、俺の膝が痛んでいるのを知っていたのか!」
「あら、知ったのは今よ。正確に言えば、情報としては知っていたけど、それがあなたと結びついたのが今って事だけど」
「……二人とも、うちにも分かるように説明してくれないか?」
 展開している話しについて行けず、薫は困った表情で、首を傾げた。
「そんなに難しい話じゃないわよ。裏山で秘密の特訓をしていたこの少年を一目見た私は、『そんなオーバーワークじゃ、また膝を壊すわよ』と、言ってのけただけだから」
「だから、最初から俺の膝が壊れていたことを知っていたなら、イカサマじゃないか」
「いやねえ。さっきも言ったけど、私があなたのことを薫が言っていた少年だと認識できたのはついさっきよ? それまで、あなたの事を知らなかったんだから、あなたの動きを見切って膝がおかしいのを見立てただけじゃない」
「……なるほど。話はうちにも見えてきた」
 こんどは薫が深々と溜息を付き、「千堂とうちは同じ学校に通っていて、入学した頃から友人付き合いをしている。その関係で、こっちに来た那美とも知り合っていて、風邪で倒れた理由を知りたがったから、掻い摘んで話をした。でも、君の名前もどんな少年かも語ってはいない。那美が作った友達のために無茶をしたという話をしただけだよ」
「そうだったんですか」
 少年は頷いた。
「ちょっと待ちなさい。何で薫の言うことはあっさりと納得するのに、私の説明では首を縦に振らなかったのよ」
 心外そうな表情で、瞳は抗議した。
「人を子猫みたいに扱う人間をどう信頼しろと?」
「正論だ」
「正論ね」
 薫と瞳は少年の言葉を聞いて深く頷いた。
「だったら、何で、俺が膝を痛めたって分かったんですか?」
「それぐらい、動きを見れば分かるわよ。その年齢でそれだけ動ける人間がそこだけ滑らかに動いていなければ、どう見たって そこだけ怪我をしていたと考えるのが自然じゃない」
「……正論だ」
 少年は驚きを隠さずに呟いた。
「ちょっと待って。薫は兎も角、今日初めてあった君からそういう風に言われるのは心外だわ」
「それは、いきなり人の首根っこを掴んで拉致するような方が、真っ当なわけないに決まっているじゃないですか」
「それは正論だね」
 今度は薫だけが深々と頷くのだった。

「なるほどねえ。それで、お父さんみたいになりたくて無理しているわけだ」
 瞳は少年の説明を聞いて大きく頷く。「私も君ぐらいの年齢の時は道場破りしていた口だから、強くなりたい気持ちは分かるけど、もうちょっと身体のことを気にした方が良いわよ」
「千堂の言うことは話半分で、と言いたいところだけど、珍しく正論言っているからちゃんと聞いた方が良い」
「薫、それは聞き捨てならないわね。後進を指導する時は、冗談言わないわよ」
「だから、ちゃんと聞いた方が良いと言った。あと、普段はうちを騙そうと仁村さんみたいに冗談ばかり言っているのが悪い」
「仲良いんですね、お二人とも」
 少年は二人のやりとりを静かに聞いていた。
「そうね。数少ない気の置けない友達なのよ、薫は」
「まあ、うちのことを遠慮せずズカズカと土足で立ち入ってこれる図太さを持った数少ない友人だな、千堂は」
「……一応確認しておくけど、誉め言葉よね、それ?」
「うちから千堂に言える最大限の讃辞だよ。……うちみたいな得体の知れない人間相手に自然体でいてくれることに感謝している」
「こちらの方の方が得体が知れません」
 不思議そうな表情のまま、少年は瞳の方を見て首を傾げる。
「良い度胸しているじゃない、少年? ……そう言えば、名前を聞いていなかったわね」
「俺も名前を聞いていないから、なんと呼びかけて良いか分かりません」
「身の上話を聞いてからする会話じゃなかとね、これ」
 薫は思わず苦笑する。「うちは神ざ──」
「待ちなさい、薫。ここで名乗るわけにはいかないわ」
「……藪から棒に何を言い出すね、千堂」
 薫は怪訝そうな表情で瞳を見た。
「この子はまだ、私たちに名乗る資格を得ていないわ」
「何を言い出すかと思えば……」
 薫は頭を抑えながら首を軽く振る。
「落ち着いて考えてみなさい、薫。この子は既に私たちに敗北しているのよ?」
「まあ、そうなるね」
「私たちは現代に生きる武芸者。ならば、実力の足りない者の名前を聞くものかしら?」
「……その理屈は分からないでもないが……」
「そう言うわけで、私たちの名前を知りたい、もしくは名前で呼ばせたいなら一本取ってからすることね!」
「で、本当のところは?」
「その方が面白いじゃない」
 満面の笑みを浮かべる親友に対して一つ溜息を付いてから、
「あー、何というか、気を悪くせんといてね」
 と、少年に詫びを入れた。
「ええ、まあ……」
 とびっきりの変わり者に目を付けられたことに気が付いた少年は、どう対応したものか困ってしまった。
「まあ、本気半分以上の冗談はさておき、今時殺人剣を覚えるなとは言えないけど、覚えるからには膝がちゃんとしてからやった方が良いと思うわ。武芸に人生を懸けた先達からの忠告」
「うちも、那美の行動を無にするような真似をしないで貰いたい。それに、無茶をするなら身体ができてからにした方が良い。育ちきる前に身体をこわしては元も子もない」
「理屈は分かりますが、それで止まれるなら止まっています」
 気を取り直した少年は、鋭い目つきで正直に答えた。
「そりゃそうよねえ」
 すこぶる真面目な少年を見て、瞳は苦笑する。「私も、耕ちゃんに似たようなことを言われた時、同じような返事を返したもの」
「うちはそこまで酷くなかったぞ?」
「剣は、でしょう? 裏稼業の方は無茶していたんじゃないの、体格関係ないんだから」
「……ノーコメント」
「裏稼業?」
 不思議そうな表情で尋ねてくる恭也に、
「気にせんでいいね。今は関係なか」
 と、ぶっきらぼうに薫は答えた。
「ま、そうね。私たちが見つけたからには無茶させる気はないわ。それでも無茶をしたいなら、私たちを倒してからにしなさい」
「どこの少年漫画ね」
 瞳の宣言に薫は苦笑するも、反対の意思を示す様子はなかった。
「俺の意志は無視ですか?」
「この際無視よ。流石に、ほっとくと壊れるまで無茶しそうな子を無視できるほど心臓に毛が生えてないのよね」
「まあ、千堂に勝てるぐらい強くなったら、うちも止められないから、その時は何も言う気はなかよ。ただ、うちらが強い間は従って貰う。この世界、強者が絶対的な真理。それに対しては文句なかよね?」
「分かりたくないですけど分かりました。……ところで、武器はどこまで使って良いんですか?」
 少年は真面目な顔で、二人に尋ねた。
「えっと、さっきの思い出話からすると鋼糸とか、体術込みだっけ、最大は。小太刀二刀と体術なら、護身道でも対応できそうね。流石に、鋼糸はなしかな」
「うちも同じかな。鋼糸を使われると、本身を使わないと多分対応できない。流石に、都合の良い手加減ができる相手でもなさそうだからね」
 瞳と薫は考えながら返事をした。
「分かりました。……それではお願いします」
 少年はそう言うと、小太刀の長さの木刀を無造作に構えた。
「あらあら、せっかちね。私もそう言うのは嫌いじゃないけど。薫、境内借りるわね。後、今日は時間押しちゃったから、一本だけよ」
 どこからとも無く、護身道の棍を取り出すと構える。
「ま、ほどほどにな、千堂」
 薫はそう言うと、階段の掃除をしに向かったのだった。

「まだまだ!」
「はいはい、頑張りましょう」
「……よくやる」
 緋袴姿で少年をあしらう瞳を見て、薫は首を横に振った。
 瞳が少年を捕まえてきてから一週間近く経ったが、一度たりともまともな勝負になったことはなかった。
(まあ、鋼糸有りにすればいい勝負になるかも知れないが、それじゃ意味がないからな)
 薫は秒殺し続ける瞳を横目で見ながら、留守番業務を淡々と片付けていた。
「さて、ここで休憩とるわよ。膝のテーピングをちゃんと確認しなさいよ」
 置いていたタオルで汗を拭いながら、少年に注意した。
「……大丈夫です」
 軽く膝を確認してから、少年も縁側に腰を下ろした。
「一人でやるよりは何か見えてくるでしょう?」
「壁しか見えません」
 瞳の言に即座に少年は反論した。
「壁が見えれば大したものよ。あとはどうやってかして突破すれば良いんですもの」
「……簡単に言いますよね」
「悪気はないんだ。本人がそうやって実践してきているから質が悪いだけで……」
 薫が大きく溜息を付いた時、
「あら、どうやら私のお客さんが来たみたいね」
 と、瞳が立ち上がった。
 次の瞬間、飛来してきた何かを、瞳は棍で叩き落とす。
 間髪入れず、違う方向から飛んできた物を全て叩き落とし、飛びかかってきた何者かをあっさりと迎撃する。
 ぶつかり合った得物と得物の反動で後ろに飛ぼうとしている相手を瞳は掴むと、そのまま投げ飛ばした。
「珍しく分かり易い奇襲だったわね、御剣さん」
「立地条件が良いから、むしろその方が奇襲になると思ったんですけどね」
 ネックスプリングの要領で立ち上がると、いづみは、「それにしても珍しい格好していますね、千堂さん」と、声を掛けた。
「じゃあ、負けた罰ゲームで御剣さんもこの格好で無料奉仕をするってのはどうかしら?」
「罰ゲームとはどういう意味ね、千堂?」
 むっとした表情で、薫は睨む。
「あ、神咲先輩。どうもです」
「こんにちは」
「そうだ、良い事考えた。御剣さん、この子の相手をしてくれないかしら?」
「話が見えないんですが?」
「それで見えたら大したもんね」
 薫は思わず溜息を付く。
「この子は殺人剣術を一子相伝している家の子で、武者修行中なの。忍者修行をしているあなたにとっても損じゃないと思うわよ?」
「千堂さんがそこまで言うのでしたら」
「少年も、忍者相手というのは良い経験になると思うわ。初見の相手にどこまでやれるのか今の内に掴んでおきなさい」
「何でもありで良いんですか?」
「その方が良い練習になるでしょう。御剣さんが私に挑んできているのも、実戦勘を身につけたいというところでしょうし。あなたたちでやり合った方が、良い結果が出ると思うわよ」
「実戦経験では、神咲先輩が一番なんでしょうけど、方向性が違いますからね」
「うちのは御剣や、彼とは方向性と求めている物が違うからね」
「じゃ、始めよっか」
「よろしくお願いいたします」
 いづみと恭也はそれぞれに構えると申し合わせたかのように同時に動いた。
「それで、千堂。どっちが勝つと思っとる?」
「そうね、順当にいけば御剣さんなんだけど……」
 瞳はトリッキーな動きで少年を撹乱するいづみを見ながら、「御剣さんって、たまに読みが甘い時があるのよね」
「彼次第と言うことか」
「ワンサイドゲームにはならないと思うわよ。御剣さんが詰めを誤らない限りね」
 牽制に木製の手裏剣をいくつか打った後、いきなり接近戦に持ち込むために前方に駆けだした。
 少年は、慌てずに落ち着いて、手首に巻いてあるリストバンドから飛針を抜き出し、出し抜けに投げつける。
 唐突に飛び道具を使われ、虚を突かれたいづみは反射的に飛針を手に持った円架で叩き落とし、急制動で後ろに飛び退った。
 少年は畳み掛けるように鋼糸を着地点へと伸ばすが、いづみは空中で物を投げて身を捻り、着地点を微妙に変え、その勢いを殺さずに間合いを取り直す。
 少年が間合いを詰めようと駆け出そうとした瞬間、
「はい、それまで」
 と、瞳が割って入った。
 二人とも残心したまま、間合いを外してから、構えを解く。
「何で止めたんですか、千堂さん?」
 納得がいかない表情で、いづみは尋ねた。
「そのままいっていたら、スイッチ入っていたでしょう、二人とも。御剣さんは兎も角、そこの少年はリハビリがてらなんだから、ここで無茶させたら元も子もないわよ。それに、私と毎日打ち合っていたことで変な癖がついているかどうかの確認だったんですもの。特に問題なさそうだったら、続けさせる意味がないでしょう」
「リハビリ?」
「右膝の動きに違和感を感じたでしょう? 交通事故で割ったんですって。やっと治ってきたところに無茶な動きをさせて、変な癖を付けさせるわけにもいかないでしょう?」
「ああ。右膝を一度やっていたんですか。それなら納得です」
 いづみはポンと手を叩く。
「ほらね。庇うまいと意識すれば逆にその意識が見えてくるのよ。情報知っていようが知っていまいが、見抜かれるものよ。それが嫌なら、庇わないぐらいに回復してから挑む事ね」
「なんかあったんですか?」
「ああ、彼と千堂が初めて会ったときにね──」
 薫はいづみにあらましを語る。「──と言うわけだね」
「うちの弟に見習わせたいですね。ところで、君の流派は何?」
「御神流です」
「小太刀二刀で御神流って、もしかして……」
「多分、お察しの通りです」
「あー、ごめん。聞いちゃ悪いことだったかな?」
「いえ。その事件の時は俺はまだ小さかったんで、よく覚えていないんですよ」
「そう言えばそうだね。あれ? だとすると、君は何で御神流を?」
「死んだ父が丁度その日に戻れない場所に俺と一緒に出かけていまして……。運が良いのか悪いのか分かりませんが」
「そっか。それじゃ、今は独学?」
「父が生きていたときに教えてくれたことと残していたノートを参考に修行しています」
「それでそこまでできたらすごいと思うけど、それじゃ満足できないわけだ。だったら、今度うちの実家に武者修行しに来るかい?」
「実家、ですか?」
「ああ、うちは蔡雅御剣流の家元でね。君の良い刺激になるんじゃないかと思ったんだ。良ければ、今度紹介状書いておくけど?」
「お願いします」
「あ、でも、ちゃんと膝治してから行って欲しいな。兄さん達、怪我人だろうと容赦しないだろうし、力なき者の牙を目指す人間が、その程度のことで壊れるならば、不向きとばっさりと斬り捨てそうだからね」
「分かりました。どちらにしろ、千堂さんから一本取らないと、行っても強制送還されそうですから」
「あら、そんなことはしないわよ? 相手をしないでいるように頼むだけよ」
 少年の一言に対し、笑顔で瞳は答えた。
「どちらにしろ、無駄足にはあまり変わらんね」
 瞳の台詞を聞き、薫は大きく溜息を付いた。

「おーい、神咲。なんか、面白いことやってるってー?」
「あ。仁村さん」
 境内を掃除していた薫は、真雪に一礼する。「誰から聞いたんです?」
「ぼーずが散歩中に見かけたとか言っていたぞ。千堂にあしらわれている少年がいるって」
「散歩? また、何でこんなところまで」
「猫と遊んでいたら、たまたま通りかかったって言っていたけどな。ま、そんなことはともかく、けちけちせずに見せろよ」
 スケッチブックを片手に、真雪は境内を見渡す。「どこにいるんだ?」
「表でやられるのも困るんで、裏でやって貰っとります」
「裏あ? 見あたらなかったけどな。ま、いっか。じゃ、見てくらー」
「くれぐれも邪魔せんといてやって下さい」
「分かってる、分かってる」
 あまりもの軽い返事に、薫は一抹の不安を抱いたのだった。

 真雪が裏手に回ると、何か重いものを地面に叩き付ける音が聞こえてきた。
 そのまま気配を消して近づくと、起き上がった少年が、瞳に向かって斬りかかるところだった。
 瞳はそれを棍でいなし、するりと懐に入り込むと、投げる態勢に持ち込んだ。
 少年はそれを察し、小太刀の柄で瞳の顔を打ち付けに行く。瞳は当然、それを棍で防ぐため、その隙に少年は自分の得物の間合いを取り戻そうとした。
 しかし、
「勢ッ!」
 気合一閃、瞳は離脱しようと重心が変わった瞬間を見逃さずに、投げ飛ばした。
 少年は受け身をとり、直ぐに立ち上がる。
「はい、休憩にしましょう。お客様も来たようだし」
 瞳はそう言うと、真雪の方を見る。「あ、仁村さん。こんにちは」
「あいよ。お邪魔するよ」
「どうしたんですか、今日は」
「うちの住人の一人から、面白いことをしていると聞いてやって来たんだ。邪魔する気はないから、気にしないで良いよ」
 真雪はそう言うと、縁側に腰掛け、スケッチブックを開く。
「ネタでも詰まったんですか?」
「どちらかというと気分転換かな。ああ、邪魔だって言うなら、帰るよ?」
「私は構いませんけど?」
 瞳はそう言うと、少年を見た。
「俺も特には」
「派手に負けているのに気にしないか。確かに、面白いね」
 真雪は呵々大笑とばかりに笑い飛ばし、何かを描き始めた。
「それじゃ、休憩終わり」
 瞳の言葉が終わるや否や、少年は瞬時に間合いを詰めた。
 慌てることなく、瞳は棍を振り下ろし、その動きに牽制をかける。
 右手の小太刀でそれを受け流し、左手の小太刀で崩れた背中に突きかかる。
 瞳は流れに逆らうことなく、そのまま一回転することで左の小太刀を交わし、続く右の小太刀の薙ぎを軽やかに交わした。
 少年は細心の注意を払いながら、瞳に間合いを取り戻されないよう連撃を続ける。
 瞳はそれを余裕を持った見切りで回避し続け、棍を温存する。
 真雪はその二人を黙々とスケッチしていたのだった。

「はい、お疲れ様」
 日が暮れて暫くしてから、瞳は間合いを取ってから、終了を告げた。
「ありがとうございました」
 納刀し、一礼しながらも、少年は瞳の一挙手一投足を見逃すまいと油断無く観察していた。
「おお、やるねえ、二人とも」
 真雪は大げさに拍手をして二人に近づいた。
 それで毒気を抜かれたのか、二人ともスイッチが切れた。
「それで、気分転換になりました?」
「おお、なったなった。良い絵を描かせて貰ったよ」
「絵描きさんなんですか?」
「漫画家をやっていてね。ちと詰まったから気分転換しに散歩に来ただけさ」
 にやりと笑いながら、恭也の全身を眺める。「へー、よく鍛えられているねえ。膝に大きな怪我を負っただろうに、割りと身体が萎えていない。良い指導者がいたみたいだね」
「ほら、やっぱりある程度の腕を持った人なら直ぐに見切るでしょう?」
「この人も、何かやってらしたのですか?」
「確か、実家が剣術道場か何かって薫から聞いたけど?」
「ああ、実家にいた頃は、糞爺から仕込まれたね。今じゃちっとも動いていないから、錆び付いたけどな」
 二人のひそひそ声の会話に、真雪は笑いながら答える。
「そうだ。仁村さんにもお願いしようかしら?」
「ん?」
「良かったら、彼の相手をして下さいませんか? 私だと、小太刀と体術有りぐらいの相手しかできなくて」
「ん? 他にも何か出来るの? そりゃ、面白そうだ。今度来るときは木刀持ってこよう」
 スケッチブックを持った手を軽く挙げ、真雪は裏山の獣道へと姿を消していった。
「獣道?」
「ああ、薫が住んでいる女子寮って、もっと上の方にあるのよ。近道を選べばそうなると思うけど、普通は選ばないわね」
 肩を竦めて笑いながら、瞳は社務所の方に向かった。
 獣道の方に一礼してから、少年はそれに続いた。
「神咲さんもあの道を使われるのですか?」
「あの薫が使うと思う?」
 クスクスと笑いながら、瞳は少年に答える。「薫はがちがちの堅物だもの。神域に入るからにはちゃんと作法通りに行動するわ。そうじゃなくても、薫ならちゃんと道を歩いて帰るわよ。無精や、ずぼらとは対極にいるような人だからね」
「ああ」
 少年は大きく頷いた。
「あれ、仁村さんは?」
 社務所から出てきた瞳が二人を見て尋ねる。
「さざなみ寮に帰られたわ」
「いつの間に」
「裏からついさっきね」
「また仁村さんは! ちゃんとした道から帰らないと、境内が獣のたまり場になると言うに」
「あの人がそんなこと気にするとは思えないわね。それに、これだけ毎日人が動き回る気配があれば、そうそう獣もやってこないわよ」
「逆に、人の気配を畏れない獣がやってくるようになるね。先生に申し訳なか」
「ちゃんと私たちが掃除をすれば問題ないでしょう。それに、ここに来るとしても、猫目の動物ぐらいよ」
「随分と範囲が広いんですね」
 少年は呆れた口調で突っ込みを入れた。
「猫だけじゃなくて、狸も来るでしょうしね」
「狐は……おらんか」
 薫は少し悩んでから呟いた。
「神社なんだし、少しぐらい動物が集まっていても問題ないんじゃないの?」
「少しですめばよか」
「それに、獣道を人が使っていると知れば、逆に寄ってこないのでは?」
「それも一理あるか」
 少年の言に薫は頷いた。
「とりあえず今日は解散しましょう。売れっ子漫画家が気分転換に相手をしてくれるかも知れないから、君は気を引き締めておきなさいよ」
「そんなに強いのですか、あの方」
「少なくとも、うちよりは強いね。五分間ぐらいは」
「その五分間を突破できないんだから、限定付ける意味がさほど無いんだけどね」
 少年の質問に二人は苦笑を返すのみであった。

「遅いぞ、おまえら」
 なぜか、本殿の階に腰掛けて待っている真雪が、やって来た二人に文句を言う。「待ち疲れたじゃねえか」
「どれだけ暇なんですか、仁村さん」
 呆れた口調の薫に、
「暇なワケねーだろうが。締め切りまでぎりぎりなのに抜け出してきたんだぞ」
 と、堂々と真雪は断言した。
「それは流石に……」
 思わず退いた瞳に、
「まあ、今日のノルマはちゃんと終わらせておいたけどな。昨日の内に」
 と、してやったりと言った笑みを浮かべた。
「随分と入れ込んでますね?」
 不思議そうな表情を浮かべ、薫は尋ねた。
「わりと良いアイディアを貰ったからなあ、昨日のチャンバラで。そのお礼みたいなもんだ。で、少年はどうした?」
「違う学校に通っている子の状況まで把握していませんよ」
「ええ、だいたいこの時間になったらやって来ると言った感じですね」
「何だ、随分と偉いアバウトな約束なんだな。おまえらのことだから、もっとちゃんとしたきっちりした約束だと思っていたぞ」
「仁村さんの表現の方が抽象的です」
 薫は思わず溜息を付いた。
「じゃ、もうちっと待つか。神咲、お茶!」
「何でそないに偉そうなんですか、仁村さん!」
「ん? あたし、客だろう?」
「こういう場合はお客さんって言うのかしら?」
 瞳は首を傾げる。
「言わん」
 薫は即座に断言する。
「あー、どっちでも良いから、お茶くれよー。待ち疲れたんだよ」
「一体、いつから待っていたんです?」
「あー? 確か、起きて、耕介に飯作ってもらって、散歩がてらに来たから……かれこれ二時間近く?」
「仁村さん、風芽丘のOGですよね?」
「あー、そうだけど?」
「うちらの授業、何時終わるか知っていましたよね?」
「……そう言うこともあったなあ。けど、あの少年が早く来るかも知れないじゃないか」
「学校終わるの、似たような時間ですよ?」
「あーもう。不便だなあ。休んじまえよ」
「それは、同年代の妹さんを持つ保護者の発言としてどうでしょう?」
「知佳が休むワケねーだろ? あいつは真面目だから」
「そこら辺は仁村さんにないで良かったですね」
「仁村さんは一ノ瀬さんに似たって愛さんが言ってたね」
「神奈さんに似ただって? バカ言うなよ、神咲。神奈さんがあたしに似ているだけさ」
「どこの豊臣秀吉ですか、仁村さん」
 薫は深々と溜息を付いた。
「楽しそうですね」
「うわっ!」
 三人が思わず驚き、声の先を見たら準備運動をしている少年がいた。
「いつから?」
「そこの方が、お茶をくれと言っている当たりですね」
 装備を確認しながら、恭也は答えた。
「割りと最初からだな。つーか、何で誰も気が付かなかったんだ?」
 真雪は立ち上がると、柔軟体操を始めた。
「うちら、いつも気が付きませんから」
 諦めたように薫は首を振る。
「そうね、気配を断つのはある意味で御剣さん以上かも知れないわね」
「情けねえこと言うなー、神咲に千堂。じゃ、いっちょ、年長者の意地を見せてやりますか」
 真雪はそう言うと、木刀で青眼の構えを取る。
 少年は、小太刀二刀を構え、じっと真雪を観察する。
「……なるほど。神咲と千堂が高く買うだけありそうだな。それじゃ、行くぞ!」
 真雪は無造作に間合いを詰めると、そのまま息をつかせぬ怒濤の猛攻を恭也に仕掛けた。
 少年は、二振りの小太刀でその猛攻を凌ぐが、その手数を上回ることができないために反撃に転じられずにいた。
「流石に、無謀だったかね?」
「さあ? でも、今回は小太刀以外使っちゃ駄目とは言っていないのよね、私」
 薫の呟きに、瞳はにこりと笑う。「問題は、それをさせて貰えるかどうかよね。もしくは、する隙を見いだせるか、作り出せるか。勝利への貪欲さが実力差を追い越せるか」
「千堂?」
「最近、あの子がどういう風になりたいのかが少しずつ見えてきているのよ。だったら、分かり易い壁を見せたら、どう動くか。強い相手だから諦めるか、それとも最後まで諦めないか。資質を見極めさせて貰うわ」
「そか」
 瞳の真面目な横賀を眺めてから、薫は二人の打ち合いに目を向けた。
 明らかに、何かを仕掛けようとしている少年に対し、真雪は容赦なく絶え間ない連撃を続ける。
 少年はそれを冷静に受け流しながら、真雪の呼吸を観察し、反撃のタイミングを計る。何かをしようとしていることは読まれていても、相手の読みから外れれば決定打にはならないとも、反撃の糸口にはなる。そう信じて、少年は最初から隠し持っていた飛針を遠慮無く顔面めがけて投擲した。
 暗器の存在を予測していなかったのか、真雪は身体を大きく動かして飛針を避けた。
 直ぐさま、少年の反撃を警戒し、真雪は仕切り直しのために間合いを取ろうと後ろに飛び退ろうとした。だが、
「?!」
 そこに嫌な予感を覚えた真雪は、唐突に横っ飛びで転び、一回転して起き上がる。「こいつはやられたね」
 少年は何も言わずに、展開した鋼糸を操り真雪の行動範囲を狭める。
 真雪は木刀で鋼糸を絡みつけ、少年のもくろみを外す。
 しかし、それはそれで動きを制限する少年の目論見通りであり、そのまま鋼糸をたぐり寄せ、一太刀入れようと待ちかまえる。
 もう少しで少年の間合いに入る寸前、真雪は唐突に自分の木刀から手を離し、一気に少年に肉薄する。
 少年は蹈鞴(たたら)を踏みながらも、鋭い反撃を返した。
 それを冷静に見切り、踏み込んだ足を踏みつけ、そのまま利き腕を掴んで引きずり倒しながら空いた手で少年のこめかみに掌底を容赦なく叩き込んだ。
「ふへえ。負けるかと思った」
 ぐったりとした少年を抱き抱えながら、真雪は一息ついた。
「今のは?」
「どこかの流派に伝わる無刀取りをあたしなりにアレンジした技だ。クソ親父にかますため、磨いた技がこんなところで役に立つとはね」
 少年を縁側に寝転ばせ、その側に腰掛ける。「あー、明日は筋肉痛だな、これは」
「ご苦労様でした」
 薫が社務所からお茶を煎れて持ってきた。
「労働後の一杯は美味いね。さて、さざなみ寮に戻って、耕介に酒のつまみを作ってもらうか」
「締め切りはどうしたんです?」
「ああ、どうにかなるどうにかなる。それよりも今は酒を飲みたい。その前に、浮かんできたアイディアを書き留めるけどな」
 真雪は楽しそうに笑う。「それはそうと、今日はどうするんだ? 後先考えず、脳を揺らして落としちまったけど?」
「今日は安静に休ませます。綺麗に落としたから、そこまで尾は引かないと思うんですけど、用心はしませんと」
「かなり強い剣気を放っていたからなー。つい当てられちまったよ」
「うちらでは、そこまで引き出せませんでしたからね」
「慣れが生まれていたのもあるものね。良い経験になっていると良いのだけど」
「ま、大丈夫だろう。あたしとの今の実力差を分かっていながら、負ける気がなかったみたいだしな。それにしても、飛び道具も使うとは、油断したな。もうちょっと、派手なチャンバラにする予定だったんだけどなあ」
「あれはあれで派手だったと思いますが?」
「まあ、神咲相手には使うことのない技だからな。お前があたしに木刀持たせずに打ち込んでくるなら話は別だけど」
「うちは別に仁村さんに仕掛けたいわけじゃないのですが?」
「じゃあ何で突っかかってくるんだよ」
「それは仁村さんが一番知っとるでしょうが」
「止めておきなさい、薫。仁村さんは構うと喜ぶわよ」
「ちぇー。つーか、千堂。種を明かしたら面白くないだろうが」
「種を明かしても、薫ならまた同じことをすると思いますけど?」
「神咲と同じようなタイプと見せかけて、結構頭柔らかいんだなあ、千堂は。からかい甲斐あるだろう、神咲は」
 にやにや笑う真雪に対し、
「そんなことはしませんよ。偶に嘘知識を教えてみるだけで」
 と、瞳はにっこり返した。
「どちらにしろあまり変わってないよ、千堂」
 薫は深々と溜息を付いた。
「……うう」
「お、お目覚めかな、これは?」
 真雪が呻き声を上げた少年を見た。
 瞬きをし、暫し悩んでから、
「どうやって負けたんですか?」
 と、寝転がったまま少年は尋ねた。
「少年の踏み出した足を踏んづけて、繰り出した方の手を引っ掴んで、そのまま投げる要領で体勢を崩したところで脳を揺らして脳震盪にしたってところかな」
「無刀取りか何かですか?」
「ああ。聞きかじった他の流派の無刀取りを自分なりに仕立てたものだよ。本当は最後の一撃が指を相手の目に突っ込んで失明させるものなんだがね」
「仁村さん。それは失明とは言わんとです。ただの目つぶしです」
 薫は溜息を付きながら突っ込みを入れた。
「まー、そう言うなよ、神咲。結果は同じなんだからさ」
「その過程に隔たりがあまりにもあります」
「薫は真面目でこそ薫よね。あれだけ綺麗に入ったんだから、直ぐには動けないでしょう。君は休んでいなさい」
 口喧嘩を開始した二人を後目に、瞳は社務所に向かうために立ち上がろうとして、「ああ、そうそう。忘れていたわ」と、鞄から封書を取り出した。
 壁を背にして身体を起こした少年が、
「それは?」
 と、尋ねた。
「御剣さんが前に言っていた実家への紹介状よ。話も電話で通したらしいから、これを持っていたら修行に参加させて貰えるらしいわよ」
「ありがとうございます。使うかどうか分かりませんが、忍者の方には僕が礼を言ったと伝えて下さい」
「確かに伝えとくわね。薫も、そろそろ着替えるべき何じゃないの?」
 口喧嘩から、リアルファイトに移行しかけていた薫に一言掛けると、瞳は今度こそ社務所へと向かった。
「そうだった。仁村さん、馬鹿なことはしないで下さいね」
 薫は念押しして社務所に向かった。
「あたしを誰だと思っているんだい、神咲は?」
 にやりと笑い、真雪は腰を浮かし掛け、「あ、そうだ」と、何か思い直したのか少年の方を向きながらしゃがみ直す。
「何ですか?」
「あ、いやね。何で千堂の言うことを素直に聞いているのか気になってね」
「弱者は強者の言うことを聞くものでは?」
「チャンバラだけじゃ確かに千堂に勝てないだろうが、あたしに対してしたことを千堂にすれば、勝てそうに思うけどね」
 真雪は真顔で尋ねる。「あたしと同じような相手の防御を擦り抜ける剣を使えるんだろう、両手で? その上、あれだけ暗器を使いこなすんだ。普通にやったら、捕まることないだろうに」
「どういう理由であれ、油断して負けたのは確かですから」
「真面目なことだね」
 真雪は楽しそうに笑った。
「負けたことに代わりはありませんし、こっちの状態を見抜かれましたから」
「膝を痛めていることかい?」
「はい。それに、父が死んでから、人を相手にすることはあまりなかったので、そう言う意味ではこっちにとって渡りに船だったんです」
「まあ、一人でやっていくにも限界はあるからね」
「それに、妹にうちの流派を教えるという約束をしているんです。人に教えると言うことを学ぶには丁度良いかと思いまして」
「あれで千堂、教えるの上手いみたいだからな。その判断は間違っちゃないと思うね」
 真雪は、少年の頭を一つぽふっと軽く叩いて、「そう言えば、少年。進学はどうするつもりだい?」と、尋ねた。
「特には考えていません」
「だったら、風芽丘にあがれよ。あそこは面白いぞ。神咲たちを見てれば分かるだろう。毎年ああいう類の連中が入ってくるんだ」
「酷い言い種ですね、仁村さん。だいたい、うちらの事を言える立場なんですか?」
 着替えてきた薫が、真雪に抗議した。
「あちゃー、もう着替えてきたのかよ。せっかく、着替え写真を撮って耕介に売りさばこうかと考えていたのに」
「仁村さん!」
「まあまあ、薫。未遂なんだから、そこまで目くじらたてない。からかわれているのよ」
 苦笑しながら、瞳は薫を宥めた。
「何でそう思うね?」
「実際にやっていたら、彼と会話が弾んでいるわけないじゃない。やろうとしたのかも知れないけど、彼との会話を優先させたのは間違いないわね」
 理路整然と薫は状況を予測する。「それで、何の話をしていたんです?」
「ああ、強制進路相談をしていた」
 真雪はからからと笑った。
「強制進路相談ですか。地元に進学するなら、彼の場合、風芽丘しかないと思いますけどね」
 瞳はあっさりと言ってのける。
「その心は?」
「毎年、私たちみたいな学生が何人か入ってくるのよね、薫」
「だから、うちを一緒にするなと」
「でも、そうでしょう? 確か、剣道部の強い学校って理由もあったはずでしょう?」
「む……」
 薫は瞳の突っ込みを聞いて押し黙る。
「そういうこった。こーゆー連中がやっていけるんだから、少年だって楽しい学生生活を送っていけるさ。ま、選択肢の一つとして覚えておいて損はないよ。あたしは実家と喧嘩していて紹介状書いてやれないから、この程度の助言しかできないけどね」
 楽しそうにからから笑い、真雪は立ち上がった。
「お帰りですか?」
「ああ。美味い酒を飲みにさざなみ寮に帰るわ。国見のトコに顔出しても良いんだけど、割りと動くの億劫でね。酒飲んで寝るよ」
「仕事は大丈夫なんですか?」
「テンションが上がったせいか、今できるとこまでは一気に上がったよ。描きたいネタも貰ったし、大盤振る舞いするだけの理由はあったって事さ。縁があったらまた会おうや、少年」
 昨日と同じく、真雪は神社の裏手へと姿を消していった。
「あ、仁村さん。ちゃんと帰って下さい!」
 薫はそれを追って裏手へと向かう。
「それで、何かつかめたかしら?」
 瞳はにこやかに尋ねた。
「それなりに。足りないものは見えてきましたから」
「あら、今までは見えていなかったの?」
「何もかも足りないようにしか見えていなかったんですよ。実際足りないわけですけどね。ただ、焦りすぎて足元を見ていなかったことはよく分かったので、無茶は止めようと思います」
「少し遅かった気もするけど、まだ間に合うかも知れないから良しとするべきかしらね」
「そうありたいですね」
 少年は不器用に笑った。
「全く、仁村さんは人の話を」
 薫がご機嫌斜めのまま戻って来るを見て、
「さて、今日はゆっくり休んでから帰りなさい。私は薫の手伝いをしているわ」
 そう言い残して、瞳は薫と一緒に社務所に向かった。
 少年はしゃがんだまま、木々に吹き渡る風を感じながら、空を眺めるのだった。

 真雪との手合わせ以降も、少年と瞳の勝負は続いていた。
 ただ、前とは違い、ガムシャラに突っ込むだけではなく、少しずつ足を使い始めていた。
 瞳も、無茶をしない限りは前のように注意することはなくなった。
「時々、こっちの守りをかいくぐってくる打ち込みがあるわね」
「ええ。御神流にある技法の一つです」
「前も偶にあった気がするけど、それよりずっと鋭いわ」
「似たような技法を嫌って程見せて貰ったので、模倣しました」
「仁村さんの技か」
 側で眺めていた薫が口を挟む。
「はい。あそこまで綺麗にはできませんが」
「どういう技なんだい?」
「あら、薫。興味津々ね」
「一度ぐらい、仁村さんから一本取っておきたいからね」
「御神流の技は『貫』と言います。相手の防御や見切りを見切って、そこに攻撃を通す技法です。あの方の流派では何という技かは知りませんが、かなり似た性質の技法だったと思いますね」
「なるほど。そう言う技なのか」
 薫は深々と頷いてみせる。「神咲の剣には必要とされなかったんだろうな」
「薫の剣は力で圧すものだし、人を相手にするものじゃないからね」
「人を相手にするものではない?」
 薫は少し悩んでから、
「神に奉納する剣舞のようなものと思ってくれていればいいね」
 と、答えた。
「薫のは精神修養の面が強いものね」
「それであの強さなんですか」
「修行が結果的に強さになって現れているだけね。その点で、君とは違って剣道部でも同じ感覚で練習できるわけだけどね」
「人斬りの技法ですからね、うちのは」
「人を守るための力、なんでしょう? それを忘れたらただの人斬りになるわ。君なら、その心配はないでしょうけどね」
 瞳は軽やかに笑い、立ち上がる。「何かつかみかけているんでしょう? もう少しなら付き合ってあげるわよ」
「お願いします」
 少年は一礼すると構えを取る。
 瞳が棍を構えると同時に、少年は一気に前へ詰める。
 それを慌てず落ち着いて、瞳は恭也が踏み出すだろう場所を先読みして、踏みつける勢いで強く踏み込む。
 それを読んでいたのか、少年は瞬時に足を引っ込め、間合いを外した。
「付け焼き刃の無刀取りはやっぱり上手くいかないか」
 瞳は思わず苦笑する。
「一度喰らった技をもう一度喰らうような間抜けにはなりたくないんで」
 少年は軽口で返すと、再び目にも止まらぬ早さで踏み込む。
 当然に様に読み切っていた瞳が二刀をいなし、襟を掴もうとした時だった。
「え?」
 確かに掴んだはずの襟が、残像となって消える。
 瞳の背後で、蹈鞴を踏んだ少年が何とか態勢を持ち直し、がら空きの背中に一撃を入れようと小太刀を振った。
 直ぐに気を取り直した瞳は、その一撃を棍で受け、もう一振りの攻撃が来る前に攻撃一辺倒になっている少年の踏み出した足を踏みつけ、容赦なく顔に肘を入れた。
 だが、同時に、少年のもう一振りが瞳の胴に綺麗に入った。
「……一応、相打ちね」
 見ていた薫が宣言すると同時に、二人は尻餅をついた。
「いつも通り木刀でやっていたら痛い目にあったわね。ウレタンの棒でやって正解だったわ」
 瞳は打たれた場所をさすりながら苦笑する。「それで、今のがやりたかったことなの?」
 少年は放心したかのように、虚空を見つめていた。
「どうしたの?」
 不思議に思った瞳が呼びかけるが、「……できた、のか?」と、呟くだけで、少年は一向に戻ってくる気配がなかった。
「こういう場合、斜め四十五度から叩くと治るんだっけ?」
「それは何か違うね」
 薫は思わず苦笑する。「まあ、千堂から一本取った状況を振り返っているんじゃないのかな。暫くそっとしといてあげよう」
「それもそうね。境内の掃除でもするわ」
「頼むね、千堂」
 瞳と薫が立ち去ったあとも、ぶつぶつと何か呟きながら、少年は自らの動きを確認しているのであった。

 その次の日から、少年は二人の前に現れることはなかった。

 少年が訪れなくなってから、幾日か経った後の話。
 二人が神社に辿り着いたとき、社務所の入り口に一通の封書が差し込まれていた。
「なんだろうね?」
 不思議そうな表情をする薫とは対照的に、瞳は何か確信したかの表情で、それを手にした。
 裏も確かめずに封を切り、手紙を読み始める。
「やっぱりね」
 瞳は一つ頷くと、読み終わった手紙を薫に渡し、封書の裏を見た。
 渡された手紙を読み始めてすぐに、
「……ああ、彼か」
 と、薫は呟いた。
「それにしても思い切ったことをするわよね、若いって良いわよね」
「うちらもまだ若造だよ?」
 苦笑しながら、瞳に手紙を返す。「それにしても、あの歳で武者修行か。思い切ったことをするね」
「何事も良い経験よ。私だって、あの年齢の頃は毎日道場破りをしていたんだし」
「そんな生活をしていたのは千堂ぐらいね」
 薫は深々と溜息を付く。「まあ、彼はしっかりしているから大丈夫だろうけど、膝は少し心配だね」
「それも問題ないんじゃないのかしら? 膝が壊れたら、彼の夢は叶わないもの。明日のために涙を呑んででも我慢できる子よ、きっと」
 瞳は嬉しそうに笑ってみせる。
「ま、千堂ほど無茶はせんだろうしね」
「どういう意味よ、薫」
 二人は顔を見合わせてから、同時に笑いはじめるのだった。

 その頃少年は、山頂から眼下に見下ろす光景を眺めていた。
(やっとここまで来たぞ)
 少年は『神速』の領域に初めて入った日を思い起こしていた。
 真雪との一戦、隙を探していたあの時に一瞬だけ入ったモノクロームの世界。
 何もかもがスローモーションのように見えたあの時、自分の動きが見切られ、守りを擦り抜けて致命的な一打が入ろうとしていることを知覚した。
 その一瞬、来ることさえ分かっていれば逆手に取れると信じ、回避しながらも手にしていた飛針を投げた。
 その後は必死に追い詰めていったが、最後の最後に局面を裏返された。
 その時の感覚を再び手にしようと試行錯誤した結果、瞳から一本取ったあの時、初めて意図してその世界に入り込めた。
 それからは、精神が研ぎ荒まれているときならば狙って入れるようになった。
 とは言え、実際にそこで動くとなればかなりの負担がかかり、多用できるものではなかったが。
(それでもここまで来た)
 御神の剣士としての入り口、自分自身を管理できなかった所為で膝を壊したことで一度は絶望までした彼がつかみ取った大きな一歩。
 だが、今のままでは身体が『神速』について行けないのは分かりきったことであった。
 だからといって、今のままのトレーニングでそれを何とかできるとは思えない。
 そこで少年は、武者修行の旅に出ることを決意した。
 他流とぶつかり合うことで何か得るものがないかという期待と、気分転換を兼ねてである。
 そして、その一歩目を昔父親と来た山を登ることからにした。
(あの時はついていくのだけで必死だったから、この景色を見ていなかったんだな)
 昔の自分を省みることで、今更ながら余裕がなかったことに気が付き、苦笑する。
(ここが新たなスタート地点だ)
 高町恭也は決意も新たに、新たな道を歩み始めた。