『山越え』

 編み笠を深く被った男は空を見上げる。
 行く手を遮る霊峰の頂に掛かる雲が青空に映えていた。
「このままなら、一雨降られることもなく山向こうの街に行けそうだな、狗狼(くろう)」
 足下で静かに主人に付き従う白い大型犬が低く鳴く。
「そうか。そうか。おまえも楽しみか、狗狼。俺も久々の鵜ノ沢(うのさわ)の街よ。久しぶりにうまい酒が飲めそうで楽しみだ」
 男は柔らかな笑みを犬に向け、再び顔を前にやる。
 丁度その時、男の耳に山道らしからぬ音が飛び込んできた。
「……騒がしいな……」
 男は編み笠を上げ、開けた野の向こうにある森の方に頭を向ける。
 笠の下から覗いた顔からして男の年の頃は二十歳前後だろうか、面を見せて歩けば道行く人が振り返る整った顔立ちに精悍な表情を浮かべている。静かな湖面を思わせる黒い瞳で、鳥の囀りや小動物が忙しなく動いているのが見える森を動き一つ見逃すまいとした強い意志の元、油断なく見渡した。
 足下の犬も、先ほどまでのじゃれついた雰囲気はなく、何が来てもすぐに襲いかかれるように身構えている。
 暫くすると、森から黒い影が飛び出してきた。
 男はそれを見ても動き一つ取らず、森を見ていた。
 黒い影は男に駆け寄り、
「お助け下さい」
 と、後ろに隠れた。
 男はちらりとその黒い影が女であるのを確認すると、一歩前に出る。
 すぐに森が騒がしくなり、鳥が飛び立ち、小動物たちの姿が消えた。足下では狗狼が、毛を逆立てて低い唸り声を上げる。
 一瞬だけ、男はその不自然さに疑問を覚えたが、直ぐにそれどころではなくなった。
 大層な殺気とともに、野に大勢の人影が現れる。
 各々が斧やら鎌やらそれらしいモノで身を固め、隙なく互いを庇える位置に立っていた。
(……山の民……音に聞く悪党か)
 女を庇いながら、男はにやにや笑い、理解できない言葉で罵りながら息巻く男たちを見やる。
 元来、山の民とは表に出てこないものである。
 朝廷の支配を拒み、独自の文化を築いてきた一族で平地の民とは相容れない存在である。
 一方、この地の覇権を握る朝廷がまつろわぬモノたる山の民に寛容であるはずもなく、姿を見せた山の民に人並みの権利を与えず、人ではないモノとして討伐令を出した。
 そのために彼らが平地の民に姿を見せるのは非常に珍しく、決して交わることのない存在であるため、一般の平地の民で山の民の存在を人間として認識している者は一握りの者だけだった。即ち、山の民のことを山に住む妖怪として認識しているのである。
 しかし、世の中には数多くの例外がある。平地の民の中には、山の民でしか手に入れられない品を必要とする者もいた。また、山の民も山では手に入らない必要な日用雑貨品や一部の食料を必要としており、利害の一致した者同士で秘(ひそ)やかな交易を行っていた。
 だが、昨今では平地の民同士が戦乱にふけり、山の民と交易を行っていた者たちの多数が交易を行うほどの余裕を持てなくなり、山の民に必要な物資が流れなくなりつつあった。そこで、一部の過激派が武力でもって略奪し始めた。
 これが平地の民が言う悪党の走りである。
 戦乱がいっそう酷くなった今では、食うに困った者たちが悪党のふりをしたり、本当に悪党として山の民とともに悪党働きをする平地の民が現れるようになっていた。
「やれやれ、旅の人間に徒党を組んで襲いかかるのが山の民の流儀かね?」
 人を食ったような物言いで、男は半包囲体勢を取りつつある山の民に声をかける。
 既に興奮状態に陥っていたその中の何人かが、奇声を上げながら男に襲いかかってきた。
 男は表情を変えることもなく、腰に差していた鉄扇を素早く右手で引き抜くと、無造作に襲いかかってきた男たちを叩きのめす。
 余りの早業に、一瞬惚けていた山の民たちであったが、直ぐに立ち直ると慌てて包囲網を築き直す。しかし、その包囲網は先ほどのものよりも、随分と男との距離が間の開いたものとなっていた。
「お前さんたち、噂以上にやるねえ」
 近所の人間に声をかけるように、男は山の民たちに話しかける。「この女が何をやったかは知らんが、まあ、ここは俺の顔に免じて退いてくれんかね?」
「誰とも知らぬ者相手に引き下がれると思っているのか」
「まあ、それは正論だよなあ」
 男は鉄扇で肩を叩きながら、苦笑する。
「それに貴様、その女がなにものか知っているというのか!」
「街道を歩いていたらいきなり助けを求められただけだが?」
「なんだと! その者が何かも知らずにおまえは助けるというのか?」
「そうだが?」
「酔狂もその程度にしておけ。その女は狂王の元から我らの元に紛れ込もうとした渡り巫女だ」
「ほう、くのいちかえ。こいつは俺も媚蠱(びこ)の術に誑かされたかな。おっかないねえ」
 男はへらへらと笑いながらも見る者が見れば油断なくその場を睥睨していることが見て取れた。
「それを知りながらなおも庇い立てるのか!」
「お前さん方、一つ聞いても宜しいかね?」
「なんだ?」
「世間一般で、追われている女子供と、追ってきているむさ苦しい男たちと、一見でどちらに味方するのが勇あり、義侠心に富む男だと思うね?」
 男は、鉄扇で肩を叩きながら、さらりとそう言ってのけた。
 その言葉に、山の民たちは毒気を抜かれた。
「この頃の武芸者は腕よりも口の方が達者なのか?」
 後ろの方から聞こえてきた声は苦笑じみていた。
 それと同時に、山の民たちはその声の主のために道を空ける。
 男は釣られるように声の主に目をやる。
 日に焼け黒ずんだ肌、丸太のように太い腕や首回り、鋭い眼光に、なんと言ってもその立ち振る舞いに一片の隙もなかった。
「ふむ。察するところ、お前さんが長かね?」
「ああ。ここら一体を預かっている法念(ほうねん)という者だ」
「おや、このような場で名高い悪党に会えるとは思わなんだ」
 戯けてみせる男に、法念は苦笑する。
「それで、お前さんも女を引き渡せというのかね?」
「いや、勝てぬ相手に無理を通す気はない」
 法念の言葉を聞き、山の民たちに動揺が走る。
「それはなかなかおかしな話だな。総懸りされたら、こっちの方が不利だと思うがね」
「並の相手ならばな。そこに倒れている者たちは」
 法念はちらりと鉄扇で叩きのめされた男たちを見てから、「その者たちは我々の中でも力自慢の連中でな。それを難なくいなせる相手にこの人数で総懸りしても、無駄であろうよ」
 男はちらりと山の民を見て、納得する。
 確かに、先程から数を頼みにするだけで、自分から懸かってこようとしている者が見受けられなかった。
 もし、この状況下で男が本気になって仕掛けたならば、同じことを繰り返しただけで山の民たちは算を乱して逃げ出すだろう。
「道理だな。俺がお前さんでもそう考えただろうさ」
「それに、俺としてはその女を厄介払いできればあとはどうでも良い。下界の争いごとでこれ以上山を荒らされなければそれで良い」
「その割には悪党稼業をしているようだが?」
「だから云っただろう。これ以上山の生活が脅かされなければどうでも良い、と」
 挑発じみた男の台詞を軽く受け流し、いきり立つ他の者を軽く見渡す。「おまえらもおまえらだ。相手を見て喧嘩しろ」
「はははははははは、喧嘩か。成る程、道理だ。こいつは喧嘩だねえ」
 男は腹を抱えて笑い出す。「法念、お前さん、漢だねえ」
「お褒めにあずかり恐縮だ。ところで、見たところ神刀流(しんとうりゅう)の剣士のようだが?」
「おや、物知りだね、お前さん」
 男はそれまでとは打って変わってにやけ面を引っ込め、鋭い目つきで法念を見る。
「山の民でも、旗幟八流(きしはちりゅう)筆頭の神刀流の太刀筋ぐらいは知っている」
 今度は法念の方がにやにやと笑みを浮かべる。
 旗幟八流。
 幕府がお留め流として囲い込んだ流派の中でも、特に秀でた八門にその証として特別に近衛府の紋が入った旗に自流派の紋を入れることを許したことからそう呼ばれる。
 その中でも、神刀流は先の近衛将軍宮孝晴(このえしょうぐんのみやたかはる)より筆頭の名乗りを許されていた。
 だが、流派の正当継承者、【剣鬼】とまで呼ばれた柴原刃雅(しばはらじんが)は先の近衛将軍宮が【狂王】榛原阿南(はいばらあなん)に討たれたと言われている【御厩平(みやまだいら)の戦い】から行方知れずになっている。
 これにより、現在、旗幟八流の一門でありながら神刀流は微妙な立場に立たされている。
「何、神刀流の使い手がうちにもいたから知っているだけだ。【剣鬼】と呼ばれたあの方は非常に気まぐれだったものでね。我ら山の民であっても、あの方の座右の銘を実践できる者には手ほどきしていた」
「『剣術とはこれ即ち殺伐の術なり』」
「力なき者を守るために、この世ならざるモノを切る剣を身につける神刀流で、あれほど過激なことを云う方はあの方以外おるまい」
 何かを懐かしむような表情で、法念は苦笑する。「まあ、見ていて修行を受けていた者たちが哀れに見えたがな」
「哀れ?」
「身の程知らずと云うことだ。あの境地に達することができるのは【剣鬼】柴原刃雅殿だけだろうよ。凡才たる身で、その境地に達そうと剣を振るったところで、到底及びもすまい。ならば、他の道からあの【剣鬼】殿が見た境地に達する方法を捜すべきであろう。それを考えもせず、ただ【剣鬼】殿に従い学ぶ者たちが妙に哀れにうつってな」
「その様な考え方もあるか……」
 男は法念の言葉を聞き、深々と頷く。
「いやなに、門外漢がとんちきな事を云ったと思って流してくれ」
「誠に恐れ入った。どうも、俺もお前さんが云うところの哀れな男だったらしい。勉強になり申した」
 男はそういうと深々と頭を下げる。
「面を上げられよ。我らは我らの道にのみ生きる山の民。貴殿のような方から頭を下げられると、こう、居心地が悪くなる」
「これは失礼した」
 男はにやにやと笑いながら、顔を上げる。「どうにも生まれつきの慮外者故、必要以上に頭を下げる癖があるようでね」
 その姿を見て、囲んでいる山の民たちは毒気を抜かれたらしく、既に戦う姿勢がなくなっていた。
 狗狼はと言えば、既にやる気なく丸くなり、微睡んでいた。
「ふんぞり返る偉そうな先生よりは、よっぽど親近感が湧く。気になさるな」
 法念は静かに笑い、「ところで、貴殿の鉄扇。よっぽどの業物と見えるが?」
「何、対したものではないんだがねえ。見るかい?」
 そういうや否や、男は法念に向かって、鉄扇を投げ渡す。
「失礼しよう」
 法念はそう言うと鉄扇を受け取り、開こうとする。
「おっと、気をつけてくれよ。骨が特殊な形になっていて、刃が付いているからねえ」
 男が注意した通り、鉄扇を開け開くと、鍵型になっている骨の上部に刃が付いており、開いて使えば人の首ぐらいは切り裂けそうなものであった。
「こいつは剣呑な鉄扇だな」
 法念は溜息をつきながら、鉄扇をたたみそのまま男に投げる。「開いて使わなかったのはなぜだね?」
「そいつはお前さんが答えただろう?」
 男はさも可笑しそうに笑い、鉄扇を右手でつかみ取る。「喧嘩だからさ」
「こいつは一本取られたな」
 法念もまた、腹を抱えて笑い出した。「いやはや、あんた、恐ろしいお方だねえ」
「お前さんほどじゃないさ」
「その女を連れてさっさと山を下りてくれ。あんたとその女がいたんじゃ、俺たちは安心して飯も食えん」
 面白おかしく笑い飛ばす口調とは裏腹に、法念の目は女を殺気混じりの視線で睨み据えていた。
 女は怯えるかのように、男の後ろで小さくなる。
「そいつはこっちの台詞だよ。お前さんみたいな男がもう三人もいたら、俺は二進も三進もいかなくなる」
「残念ながら、この次木(なみき)法念。この世に一人しかおらん」
「それはありがたい。どうやら今まで通り生きていけそうだ」
「ところで、名前を聞いても良いかね?」
「お前さんになら構わんよ。俺の名は柴原雷刃(らいじん)。一応、刃雅は俺の祖父となっている」
「一応?」
「それを証明するもんがないんでねえ。残念ながら、語っているだけの山師やもしれん」
「ふむ。では、俺は信じるとしよう」
「おや、騙されるのかい?」
「何、剣鬼の孫が剣鬼とは正反対の道を進んでいるのが面白いだけさ」
「やれやれ。噂以上に物好きな男だ」
「褒め言葉と受け取っておこう」
 法念はにやにや笑いながら、片手を軽く上げる。
 それが合図だったのか、山の民たちは潮が引くように森へと戻っていった。
「それでは機会があればまた会おう。山越えするなら急ぎを薦める」
「何が根拠で?」
「下界の民に山のことは分かるまい。友よ、俺を信じるのならば、さっさと行け」
「ふむ。喧嘩をし、酒を酌み交わせばそこから友、か。残念ながら杯を交わしていないわけだがね」
「確かに残念だ」
「鵜ノ沢の妓楼、白鶴楼(はっかくろう)が定宿だ。暇なら顔でも出してくれ」
「山の者は下界に降りない。それも妓楼になど行くわけがあるまい」
 呵々大笑とばかりに、法念は笑い飛ばし、そのまま森へと消えていった。

「長よ、あれで宜しかったのですか?」
 山の民の一人が、法念に近寄り確認する。
「問題あるまい。厄介ごとが山からなくなるだけで良しとしよう」
「しかし、あの女。我らの【里】の位置を知ってしまいましたぞ」
「変えればいい。下界の民とは違い、我らは山で生き、山で死んでいく者ぞ? 一つの土地に縛られることはない」
「そこまでお考えならば宜しいのですが……」
 一礼する相手に、法念は、
「それにな、あの女、元々我らよりもあの男に近づこうとしていたのやもしれんぞ」
 と、笑い出す。
「はぁ?」
「我らの動向よりも、あの男の動向の方が大魚と云うことだ」
「その様な──」
「さて、俺も神ならざる身。全てが分かるわけではないが、全てを知らぬわけでもない。あの男、少なくとも柴原刃雅の縁者には相違あるまい」
「まさか?」
 男の顔には莫迦なことを言うとばかりに怪訝そうな表情がありありと浮かんでいた。
「確かに、おまえの思う通り、あの男ぐらいの武芸者ならば掃いて捨てるほどいるやもしれん。されど、あの男の言葉の一抹に真実を真贋できる何かがあったとしたらどうする?」
「まさか……」
 男は信じようともせず、そのまま歩みを早め、他の者たちに今の【里】を捨てる指示を出し始めた。
「さて、そのまさかが本当ならば、気楽で良いのだがねえ」
 法念は誰にも聞こえない声で呟くと、苦い表情を浮かべながら、考え込むのであった。

 山の民が立ち去ったあと、雷刃は初めて女の顔を直視した。
(成る程、これは男が惑う)
 心の中で苦笑しながら、女を観察した。
 年の頃は二十歳前後、瓜実顔の美人で目鼻が通っており、一見すると高貴な顔つきである。体つきも男好きな見事なもので堅物でも鼻を伸ばさなければおかしいと言えた。
(これで媚蠱の術を使ってきたら男は敵わないか)
 流石の雷刃も思わず溜息をついた。
 媚蠱の術とは男を惑わす一種の閨房術である。
 男の心の内を読み取り、ある時は望むように行動し、ある時は突き放すように行動する。
 駆け引きでもって、男の心を捕らえ、思うがままに行動させる。
 はっきりとそれが媚蠱の術と分かって対処していなければ、如何なる男であろうとも身持ちを崩すと言われている恐ろしい術である。
 ただし、女に興味がある男にしか通用しない術ではある。
「お前さん、くのいちかえ?」
 雷刃の直截な質問に面食らったのか、一瞬、女は目を白黒させていたが、黙ったまま首を横に振った。
「そうかえ、くのいちかえ」
 相手の否定の身振りを見事なまで無視して、雷刃は深々と頷く。
「いえ、ですからわたくしは──」
「皆まで云うことはない。俺はお前さんが【狂王】の手の者だからって、差別する了見の男じゃないさ」
 やはり女の言葉をあっさりと無視して、雷刃はにこりと笑う。
「あの、わたくしは──」
「まあ、正体を隠したいんだろうから、無理には身の上を聞かないから安心してくれ。さっきの話聞いていただろうが、改めて名乗ろう。俺の名は柴原雷刃。こいつの名は狗狼」
 いつの間にか起きていた犬がくぅーんと甘える声を出して、雷刃に懐く。「この通り、図体の割には甘えん坊でね」
「はあ……」
 どう答えていいものか分からず、女はとりあえず相槌を打つ。
「まあ、さっきも云ったとおり、俺はこれから山向こうの鵜ノ沢の街に出て、定宿の妓楼に洒落込むところさ。お前さんはこれからどうするね?」
「はい──」
「いや、皆まで云わないでも良い。くのいちが云えるはずもなかったな」
 女に何も云わせようとせず、雷刃は自己完結の言葉を口にする。「何、気にするな。お前さんは狂王の元に情報を届けなければならないのだろう? ならば、途中まで道は一緒だ。一緒に来るかね?」
「あの、えっと……」
 最早、自分が主導で話せないと悟ったのか、女は多少悩んでから、「よろしくお願いいたします」と、一礼した。
「そうかい、そうかい。何、袖すり合うも多生の縁と云うからな。全て、俺に任せておけ」
 はっきりと安請け合いをすると、雷刃は、「そういえば、お前さんの名前を聞いていなかったね」と、今更のことを口にした。
 女は何を聞かれたのか一瞬分からなかったらしい。
 ぽかんとした表情で暫く考え、慌てて、
「あ、あ、あ。わたくしの名前でございますか?」
 と、答えた。
「いや、こいつはすまねえ。くのいちのお前さんが、本当の名前を口にできるはずもなかったな」
「えっと、わたくしは──」
「皆まで云うな。だったら俺が名前を決めてやろう」
 雷刃は当たりを見渡し、何かを見つけたのか、にぱっと笑い、「アヤメってのはどうだい?」と、女に笑いかけた。
 女は、一瞬その笑顔に見とれたのか、ぽっと頬を染めた。
 だが、すぐに品を作ると、
「それは美しい名前をありがとうございます」
 と、一礼した。
 雷刃の視線を追って、菖蒲の花を見ていたのを確認したのである。
 まんざらでもない表情を浮かべている女に、
「いや、くのいちらしい名前を思いつけて良かった良かった」
 と、からからと笑った。
「え?」
 女は本気で雷刃の言わんとしていることが分からなかった。
「何、『殺める女』と書いて『アヤメ』たあ、くのいちらしい良い名前じゃないか」
 そう、何もかもをぶち壊しにする爽やかな一言を口にして、雷刃は呵々大笑とばかりに笑い出すのだった。