ライバートが見たところ、ベルンハルトは漁色家と言うわけではなかった。
むしろ、人嫌いの女嫌いである。
最初の内は、よくもまあそんな男が女を取っ替え引っ替え抱くものだ、とむしろいらぬ感心をするほどであった。
だが、あることに気がついてから、それまでの女の遍歴を調べて納得した。
基本的にベルンハルトの方から女に手を出すことはない。
女の方からベルンハルトに手を出させているのである。
ベルンハルトは騎士道に則って、声をかけてきた女性に手を出している。
決して自分の方から手を出そうとはしないのである。
それだからこそ、ライバートですら見誤った。
手を出した女性全てが大貴族か王族の姫、それも親がベルンハルトに対して好印象を持っていない相手ばかりである。事ある毎に彼のやることなすことを邪魔しようとしている輩に限って、娘がベルンハルトに一方的に惚れ、夜這いを掛けるか掛けさせている。騎士として断れない状況を作り出しているのである。当然、女性に恥を欠かせないために如何なる騎士といえど手を出さざるを得ない状況なのだから、親の方としては文句を言えないし、むしろベルンハルトに借りができる。その借りを作らせている相手全てがよく考えるとなるほどな、と納得してしまう相手なのだ。
それから類推される答えは一つ。
即ち、ベルンハルトの方が姫君たちに手を出させるようにし向けているのである。それも、自分の意志で行っていると完全に思わせる方法で。
それに思い当たった時、流石のライバートも唸った。
実にベルンハルトらしい深慮遠謀である。
それは彼にとっても不都合ではない状況なので、止める気にはならなかったが、
「余り罪作りなことはするなよ、ベル」
と、警告はした。
別に警告しようとしまいと、彼の妹をベルンハルトが袖にするわけはないし、彼の妹もベルンハルトの計画に従って情人をやっているわけではないのだから、お門違いだとは分かっているし、むしろそういう風に警告したことで、来るもの拒まずの女好きという評判を作り上げるのに一役かってしまっているのは分かってはいた。
だが、それでも、彼は彼の妹には幸せになって貰いたかったし、友の名声が地に堕ちるのは見ていられなかった。
「お兄様。こんなところに」
純白のドレスを纏った黒い瞳に艶やかな長い黒髪を有した、彼のもう一人の妹が楚々とした足取りで近づいてきた。
「余り、こういう会は好きじゃなくてね」
ライバートは手にしたグラスをおどけながら掲げてみせる。「こういうものは、飲んでいて楽しいヤツとサシで飲むに限るよ」
「お兄様らしいですわ」
鈴の鳴るような声で娘は笑う。
ライバートの従妹にして、征王カール・ハインツの愛娘マーリア・ウェゲナー。
現状、ライバートを除いて最も王座に近い存在である。
「そのサシで飲みたい相手はどうしましたの?」
「さて。こういう会の主役だからね。深窓の姫君たちとしては、ここで捕まえておかないと二度と機会がないと思って攻勢を掛けるのが相場らしいから、それらしい集団を見つければその中にはいるだろうね」
「……そうですか……」
あからさまに残念そうな表情を浮かべる従妹を見て、ライバートは何とも云えない気分に陥る。
従妹が彼の親友に心を寄せていることは最初から気がついていた。
そして、それが絶対に報われない恋であることも彼は重々承知していた。
彼としては父親に恨みはあれども従妹の方には恨みはない。
むしろ、家族として愛しているといえた。
そうであったとしても、実の妹が親友の情人となり、陰謀の同志として動いている以上、積極的にも消極的にも後押しすることはできなかった。
彼の妹と親友は全ての面でお互いを必要としていた。
決して二人の仲が拗れることはあるまい。
それが彼の結論であった。
「どちらにしろ、このような会でしか話のできない姫君と違って、おまえには他の機会があるんだ。ここは譲ってあげなさい」
「……はい……」
沈んだ表情で素直に返事をする従妹を見て、彼は罪悪感に駆られる。
他の機会を持っている分、確かに他の姫君たちよりは有利な位置にいる。
だが、それ以上の機会を持っている姉が彼女にはいるのである。
彼女自身知らない血のつながった姉が。
心中では憐憫の情を擡げさせながらも、表面上はにこやかに応対できてしまう自分の仮面に自己嫌悪の念を抱く。
そんな、従兄の心中を全くと言っていいほど察することができないマーリアは、
「お兄様は、そういう姫君たちの相手はしないんですか?」
と、ちらりと周りを見ながら云う。
実際、彼のそばには数人の姫君が遠巻きに何かの機会を狙っているように控えていた。
「残念ながら、私は貧乏でね。姫君たちに男の甲斐性を見せてあげられないのさ」
「あら、皆様から、ロンバルディアで一番のお金持ちはお兄様と噂を聞きましたけど?」
「まあ、裕福かもしれないが、私財を全て所領にばらまいているのでね」
ライバートは苦笑しながらワインを傾ける。
彼女の指摘通り、ライバートはロンバルディアの有力貴族を押さえ、最大の富豪となっていた。
ただし、彼の所領はさほど大きくもなければ、特に有名な産物があるわけでもない。
前王の遺児と云うことで貰った捨て扶持がある程度である。
彼は、その捨て扶持を己の才覚だけで他の大貴族の所領以上に富ませたのである。
これはウルシムの時代に行政官として名を馳せたマーリア・フォン・ウェゲナーの再来と言われるような快挙であった。
だが、本人からしてみれば、あまりにもバカバカしくなるような手管であった。
税率を引き下げ流民を引き入れ、それで得た労働力を計算された都市開発および開拓に回す。並び治安を良くするために自警団を作らせ、配下の騎士を警邏させる。軍律に違反した騎士を速やかに処断し、法の厳しさを教える。一方で功績には厚く恩賞を与えることで職務への忠誠心を増させる。やっていること自体は単純なことであり、誰でもできることであった。
ただ、彼は自領の安定と経済成長を武器に沿岸の自由都市連盟の商人を誘致し、商工業の発展のために私財を擲つという離れ業も行ってはいた。
それらを効果的に使い分け、富を自領に流れ込ませたのである。
お陰で、これ以上の名声を与えられないとばかりに征王は決して彼を戦場には連れ出さなかった。
内政、軍事、外交と三拍子そろった前王の遺児が台頭してきては、己の立場が揺らぐことぐらいすぐに計算できる男であった。
それ自体がライバートの策であることまでは読めなかったようだが、目的を達成できた以上ライバートは征王の自分に対する考察や貴族たちの自分に対する態度など興味を有してはいなかった。
実の妹と親友の陰謀にすら興味を抱かぬ男が、どうして自分に対する期待などに興味を抱こうか。彼にとって興味あることと云えば、自分を信じて従う配下の明日であり、自領に集まった領民に対する責務である。
拡大解釈すれば、彼が王になれば王としての責務を果たす男であることは容易に想像できる。だが、彼には野望や復讐心に猛る性格を持ち合わせておらず、与えられたものをいかに最大限の効率をもたらせるか、新しいものを作り出せるか試行錯誤することに喜びを覚える男であった。王としての資質はあれども、それを拒絶した。だからこそ、復讐を捨て、己の望むがままに生きているのである。その道が実の妹と親友を捨て去る結果になっても、彼は気にしないであろう。彼は己に降りかかる火の粉は払うが、自分から火中の栗を拾う様な愚を行う主義は持ち合わせていないのだから。
「お兄様?」
「ん、いや、すまないね。少し、酔ったようだ。酔い覚ましに庭園を散歩しに行くとしよう。マーリアは戻っていなさい」
「はい」
素直に一礼すると、マーリアは上座へと戻っていった。
「ベッケン。行くぞ」
「ハッ」
従者を引き連れ、ライバートは庭園に足を向ける。
「どうにも解せぬな」
「何がでありましょうか?」
「陛下のやり口よ。アイツを謀殺するのならば、もっと良い手があるだろうに、妙に手ぬるい。だからといって、手を抜いているわけでもない。あれも人の親という子とか」
「閣下。流石にこのような場で話をする問題ではないか、と」
「いや、済まんな。マーリアと話したせいか、どうにも気になってな。それとも、あえて生き残らせて利用する策でもあるのやもしれんな」
深々と溜息をつき、ライバートは庭園を眺める。「全く、どうして神はこの時代、この国に厄介な策略家を二人も同時に存在させるのか。お陰で、こっちは心休まる時がない」
「そんなに陛下の相手は疲れるのですか?」
ライバートの発言を征王と主人の二人を刺していると考えている彼の従者は尋ねる。
「あの男の対面に座らされてみろ。無駄に重圧を感じて嫌になる」
別段、従者の考えを改めさせる必要のないライバートはそのまま返事をする。
「なるほど。それは分かるような気がいたします」
「マーリアにもその血は見えるが、さほどでもない。あれ一代の問題であろうよ」
「ではその後はどうなると考えておられるのです?」
「俺は国を保つだろうが、他は知らん。俺は俺の国を守るが、他までは手を回す気ないしな」
「正直な感想で。廷臣から、マーリア様との結縁を求められたらいかがいたすのです?」
「そのための臣籍降下よ。王族としての責務を果たす義理はないな」
「最初から見捨てられておられる、と?」
「マーリアが王座を継ぎ、俺に助けを求めてこない限りな」
「それは随分と先の話ですな」
「そうであって欲しいものだな。俺もこの生活は気に入っている」
「その思想が原因で、陛下に除かれる可能性はないのですか?」
「ないな。あの男も俺と同じで、火中の栗は拾わんよ。俺を反旗に追いやれば、国が二つに割れる上、騎士の中の騎士が公然と反旗を翻すこととなる。厄介なものを一遍に二つも作るような男ではない。なればこそ、俺とあいつを除くとすれば、まずはその絆を断ってからであろうな」
「原因が分かっているのなら、それを排除するのでは?」
「できまいよ。俺とあいつの間にあるのは打算による繋がりではなく、純粋なる友情だ。だからこそ、策で潰すには厄介なのだよ。人の心は移ろいやすいがね、一度強固に結びつくとなかなかどうにもならない強さを生み出すものでもある。策士が嫌うのは、打算によって崩せない状況よ。既に、千日手なのやもしれんぞ?」
武によって現在を築いた征王が同じ武によって名目上の宗主国から送られてきた人質の王子に脅かされ、知によって取り除いたはずの兄の遺児に知によって追い立てられている。未だ、その名声は衰えねども、いずれは追い抜かされる。危うい均衡の上に成り立っている自らの牙城を守るための奥の手はそう多くはない。
「……嵐が来るな……」
「何か申されましたか?」
「いや、詮無きことだ。忘れよ」
「ハッ」
ライバートは既にこの平穏が仮初めのものであることを悟っていた。
そして、自分の岐路がすぐそこにまで来ていることも理解していた。
現状、彼が選ぶ道は一つしかない。
どちらも可愛い妹だ。
別に彼女らには恨みはない。
恨みがあるとすれば、ただ一人。
だからこそ、結論は容易に導かれてしまう。
自らが王座につかず、復讐を果たす方法があればどうするか。
そう聞いてきた友の問いに答える時期はすぐ間近に来ていたのだった。